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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

古市古墳群をあるく(羽曳野市編)②~軽里大塚古墳(日本武尊白鳥陵)・峯ヶ塚古墳~

2017-06-04 17:57:46 | 史跡を歩く
 高屋築山古墳の前方部の前を通る国道170号線を北へ歩いていくと、古市駅の南側、近鉄戦の車庫の上にかかる鉄橋を渡ることになる。ここから後ろを振り返ると高屋築山古墳の全景を見ることができる。

 

 そこからさらに170号線を歩くと、左手に「清寧天皇 仁賢天皇 日本武尊白鳥御陵参拝道」と書かれた石標が立っている。石標の横には、茶色に舗装された遊歩道が続いている。遊歩道を歩いていくと、軽里大塚古墳の前方部が、豊かな水量の周濠の中に浮かんで見える。

 

 おそらく軽里大塚古墳の北側から見る景色は、古市古墳群の中でも、一、二を争うものだと思う。残念ながら、南側は住宅などで全く見ることができない。しかも拝所の周辺も宅地開発が進められており、下手をすると北側のこの遊歩道以外は全く眺望が聞かなくなることにもなりそうである。世界遺産をめざす百舌鳥・古市古墳群の中でも土師ニサンザイ古墳と並ぶ秀麗な古墳である。出来れば周辺環境も整備してほしいものである。羽曳野市にある古墳は、概して周辺環境に目を配っていないようである。せめてこの古墳だけはと思う。(ちなみに軽里大塚古墳は、土師ニサンザイ古墳の相似形と言われている。)

 

 古墳を見学しに行ったときは、周濠に多くの水鳥が集っていた。自然的な環境も豊かな気がした。軽里大塚古墳のそばを通って遊歩道を歩いていくと、外環状線に出る。外環状線を渡って少し行くと峯塚公園にでる。公園の中には、峯ヶ塚古墳があり、現在整備工事が進められている。

 

 峯ヶ塚古墳は、全長98m、後円部径56m、高さ8m、前方部幅75m、高さ10.5mの前方後円墳であり、後期の前方後円墳の特徴である、前方部が大きく発達し、後円部の直径よりも前方部の方が大きく開いている。墳丘は2段築造であり、埴輪や葺石が施されているが、葺石については、全面を覆うのではなく、上段の裾部だけを葺石が施されているらしい。

 

 周濠は、南側に一部残っているが、実際は二重に周濠があったと考えられている。古墳の規模が縮小しつつある中で、二重濠の周濠を持つことから、大王級の人物が埋葬されていると考えられている。また、古墳のすぐ横を当時の幹線道路竹内街道が通っており、竹内街道を行きかう人々に大王の権力を見せつけているようである。

 

 公園内では、アスファルトの色を変えて周濠の跡を示している。

 

 なお、埋葬施設については、後円部から竪穴式石槨が見つかっており、太刀や鉄鏃束など多くの副葬品が出土している。この古墳の竪穴式石槨は、横穴式石室への移行する過渡期の段階のものと言われている。埋葬施設から家型石棺の破片が見つかっており、その石材に阿蘇産の凝灰岩が用いられており、こういった石材を九州の阿蘇から持って来ていることからも被葬者が大王級の権力を持っていたと考えられそうである。

 

 なお、古墳にはもう一基、横穴式石室の存在している可能性があるそうだ。峯ヶ塚古墳については、現在、公園の整備が進められている。出来れば、峯ヶ塚古墳から出土した多くの副葬品などを展示できる施設があれば最高である。少なくとも、6世紀前半の大王級の古墳で、宮内庁の管理から外れている数少ない古墳である。出土品や発掘調査で得られたものを展示するなどして市民の目に触れるようにしてほしいと思う。

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