渋谷向山古墳の北側に隣接する上の山古墳へ向かう。※この辺からは天理市に入るのだが、ややこしいので引き続き「朝墳活IN纏向」の題名を使うことにする。
上の山古墳は、全長144mの前方後円墳で、渋谷向山古墳と主軸が直交する形で築造されている。
現在は、景行天皇陵い号陪冢として宮内庁が管理しているほか、西側のくびれ部分には、式内社水口神社がある。
また、古墳の西側と国道の間はポケットパークのように整備されており、写真のような説明板が置かれている。
説明板によれば、この西側の空間を整備するために発掘調査をした折に、古墳の周濠跡が見つかっており、その立入りには、葺石の存在も確認されているとのこと。また円筒埴輪なども出土している。
埴輪については、渋谷向山古墳との類似性も指摘されている。築造については、渋谷向山古墳と同時期か、もしくは先行すると考えられている。
後円部に回ると墳丘の周りに細い溝があるのだが、これは周濠の跡なんだろうか?この奥は宮内庁の管理のために柵が作られており当然ながら立ち入ることはできない。
この古墳を後にして、再び国道を歩いて最終の目的地、行燈山古墳へと向かう。
国道を北にてくてく歩いていくと旧家の裏に百塚古墳が見える。これも崇神天皇陵のろ号陪冢として宮内庁が管理している。
奈良県の遺跡地図によると直径25mほどの円墳であるようだ。行燈山古墳と少し距離があるため、同古墳の陪冢ではないとする説もあるようだ。
百塚古墳の向こうには、行燈山古墳の姿が見えた。
国道を引き続きてくてく歩いとぃくと、道路の左側に大和天神山古墳の姿が見える。
形がいびつなのは、国道169号線の建設に伴い、墳丘の東側半分を削り取られたからである。ちなみに現存する西側は、隣接する伊射奈岐神社の境内地となっている。
大和天神山古墳は、全長103mの前方後円墳で、先の道路建設の工事のための発掘調査で、竪穴式石室から23面もの銅鏡が出土したことでも知られる。
この古墳は、人体の埋葬が見られないことから、すぐ近くにある行燈山古墳の陪冢ではないかという説もある。築造時期は行燈山古墳と変わらないらしい。
大和天神山古墳を通り過ぎると右手に行燈山古墳の周濠の外堤と崇神天皇陵の制札が見える。
着いた!着いたぞ!
もう10時前。日射しの強さが半端ない。
古墳を一回りして帰ろう。限界や・・・。
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