あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

スキーのメンタル理論

2011-08-25 | 日記
今回はスキーというものについて掘り下げて書いてみようと思う。
スキーというものは最初は歩くスキーから始まった。
雪の上を普通に歩くとズボズボと沈んでしまう。
そこで板を足に付けると浮力が生まれ、雪の上でも沈まない。
さらに板を前後に長くすることで歩きやすい。
さらにさらに斜面では歩かずとも滑っていける。
これがスキーの原点だ。
スキーというものが生活の手段からレジャーへそしてスポーツへ発達したのは、だいたい100年ぐらい前か。
以来、道具は進化してノルディックスキーからアルペンスキーへ。
環境も圧雪車やリフトによるスキー場というものへ進化した。
スキー自体もレジャーのためのスキーから競技のスキーへ、そして競技もレース、フリースタイル、日本では基礎スキーへと細分化されていく。
今回は、その細分化されたスキーのメンタル面の話である。

まずはレーシングスキー。
赤と青のゲートの間をどれだけ速く滑るか競う競技である。
これもスラロームのような回転系からダウンヒルのような高速系までいろいろとあるが、メンタル面では同じこと。
とにかく速いヤツが勝ち。
シンプルである。
速かったら後ろ向きに滑っても、逆立ちして滑っても勝ちであるが、実際には後ろ向きに滑る人が勝つことはない。
速く滑るために、無駄を徹底的に省く。
動きは流れるようにスムーズで無駄がなくきれいな滑りになる。
きれいな滑りをするためではなく、あくまで速さを追及した結果、きれいな滑りになるのだ。
以前アライでパトロールをしていた時にトンバがやってきた。
トンバとはアルベルト・トンバというイタリア人。
オリンピックで金メダルをいくつも取った人で、当時世界で一番速かった人だ。アルペンスキー界のスーパースターである。
トンバの滑りは美しかった。
レースをやっている人の滑りは力強いイメージがあるが、トンバの滑りは一切の無駄がなく動作は流れるように滑らかで、とにかく美しかった。
世界のトップレベルとはこういうものなんだと、感動した。
その美しい滑りで、ボク達が立てたスローフラッグ(見通しの悪い場所に立てるスローと大きく書かれた幕、暴走した人が突っ込んでも大丈夫なように看板ではなく幕なのだ)をジャンプして飛び越えて行きやがった。
まあ、トンバならこんなことも許されるのだ。
レースの世界ではタイムを縮めるために、いろいろなことをする。
選手は筋力トレーニングをするし、空気の抵抗を減らす為ダウンヒルワンピースという体にぴったりした服を着る。
スキー板だってエッジはギンギンに砥いでそれでヒゲが剃れるぐらいだし、ワックスも雪の温度にあったワックスを塗る。
全ては速く滑るためにだ。
ボクがやっているスキーとは根本的に違う。
ボクのスキーのように、ちょっとぐらい石を踏んじゃったけどまあいいや、というわけにはいかない。
石など踏みソール(底面)に傷がついたら即タイムに表われる。
シビアな世界だ。
彼らはメンタル的には他のスポーツのレースをやっている人と繋がっているのではないかと思う。
陸上競技(投てきを除いたもの)、車のレース、バイクのレース、水泳、スピードスケート、自転車のレースなどなど。
世の中にはレースというものは数あるが、根底はみな同じ。
速いもん勝ち、なのであり、人より早くゴールを切ることが目的である。

さてスキーにはフリースタイルという競技もある。
モーグルはコブコブの斜面を滑り途中2回エアーと呼ばれるジャンプをして速さ、滑り、ジャンプの演技で勝敗を決める。
それからエアリアルというものは専用のジャンプ台で飛び出し空中でくるくる回り着地する。アクロバットだ。
昔はバレースキーなるものがあったが今もやってるのかどうか知らない。
ハーフパイプなんてものは昔はスノーボード専門で、スキーでパイプに入ると変人扱いされたが、今ではスキーでもハーフパイプの競技もある。
パークと呼ばれる特設コースで技を競い合うものもある。
これらの競技に共通していることはジャッジがいるということだ。
審査員が滑りを見て得点を付け、それで勝敗を決める。
いかに自分をアピールするかに勝負の鍵がある。
こちらもトップの選手は無駄のない動きをするが、それは演技のための動きであり、レーサーの結果的に美しくなるのとは異質のものだ。
レーサーが速さだったら、フリースタイルは演技である。
人に見せるというところに根底がある。
誰も見ていない所で大技を決めても、さびしいものだろう。
これらの競技でメンタル的に共通するスポーツと言えば、フィギュイアスケート、体操、新体操、水泳の高飛び込み、などなどだろう。

さてボクがやっているバックカントリースキー。日本語では山スキーだ。
これは競技ではない。
最近ではエクストリームスキーの大会もあるが、それはジャッジがつくフリースタイルに近いものだ。
バックカントリースキー、山スキーの本質は自己満足である。
速さを競い合うわけではない、人に見せるわけではない。
ただ純粋に自分の快楽のためにスキーをする。
それも作り上げられた場所ではなく、自然のあるがままの場所で。
これにメンタル面で共通するものはサーフィンである。
良いパウダーは良い波だ。
それを当てるために、天気図を読む。
空に浮かぶ雲を見て、天気を読む。
風がどの方角から吹くのか考えて、行動を決める。
死なないために雪崩の勉強もする。
全ては一瞬の快楽の為に。
上級になるほど危険度は増し、一歩間違えばすぐ死につながるところも、山スキーとサーフィンは共通する。
パウダーや良い波は麻薬のようなもので、その快楽に溺れ人生が変わって(狂って)しまう人もいる。
実際、スキーやスノーボードとサーフィンの両方をやる人は多い。
ボクはサーフィンはやったことがないが、サーファーの友達は多い。
いやが上でも自然と徹底的に向き合い、そして自分と向き合う。
自然の中で遊ばせてもらう感覚、敬意と感謝の気持ちが自然と生まれる。
カヤックなんかもそうだろうな、たぶん。

こうやって見ると一口にスキーと言っても、いろいろあり、みんな違う。
ボクも若い頃、ちょっとだけレースの真似事をやったこともあるし、恥ずかしながらモーグルの大会に出たこともある。
だが行き着いたところは山スキーだった。
前にも書いたが、どれが正しくてどれが間違っているということはない。二元性の考えは毒だ。
持論だが、百人人がいれば百通りの山の楽しみ方がある。百人スキーヤーがいれば百通りのスキーの楽しみ方がある。こうでなければいけない、というものはない。
だがこれも自分をしっかり掴んでいないと、他のやり方を非難し排他的になる。
昔のボクがそうだった。
他人を妬み、ひがみ、一生懸命やってる人を冷たく見下ろしていた時もあった。
また自分が一生懸命やってる時に、楽しんでいる人を見下す事もあった。
自分に自信がなく、人のあらを探すことにより、自分を少しでも優位に保とうとしていた。
若気の至り、ということで勘弁してもらおう。
相手を認めることは自分を認めることである。
それに気が付いた時に世界は広がる。
自分を落とすことなく驕ることなく、人を蔑むことなく崇めることなく、我が道を行く。
その結果、今のボクがいる。
バカボンパパが降りて来てボクに言った。
「これでいいのだ」



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2 コメント

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もう一つ! (はるこ)
2011-08-27 06:14:14
スキーティーチングの世界。

これは水泳やゴルフのインストラクターも同じかな?
自分が滑りたい時に滑れなかったり、滑りたくない時に滑らなくちゃいけなかったり。
でも、お客さんの顔が「ピカーッ」とする瞬間が楽しい・嬉しい。
自分が以前教えた子供達がティームハットで活躍する姿を見たり、
あちこち嬉しそうに滑っている姿を見るのも、すごく嬉しい。
私はまだないけど、ベテランのインストラクター達は
自分が教えた人がこの世界に入るのを見てる。
きっとそれも格別な嬉しさだと思う。

スキーの楽しさを伝える喜びのために、今日もあの窮屈なブーツに足を閉じ込める。
そんな感じかな。
返信する
スキーのインストラクター ()
2011-08-29 03:27:06
はるちゃん


スキーのインストラクターとは、人間が生まれて初めて雪の上を滑るという感覚を共有できる素晴らしい職業である。
どこかの本に書いてありました。

楽しさを伝える喜び。
素晴らしい。
深いところでガイドとも繋がっているよね。
返信する

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