あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

老人の役割

2014-06-30 | 日記
生老病死という言葉をご存知か?
生きる、老いる、病、そして死という人生の上で避けることのできない事、
四苦八苦の四苦がこれだが、この苦はいわゆる『苦しみ』なのではなく『思うようにならない』というニュアンスがあるらしい。
今回は老いる話。

僕のお客さんはほとんどが中高年の人で、年齢的には50代から60代が多い。
みんな気になるのはこの国の老人の話で、僕がそういう話をすると身を乗り出して聴く。
「この国では定年というものがありません。スーパーやお店でもけっこうな年のおばあちゃんなんかも働いています。そういった人達が生活に追われて働くといった感じではなく、自分がまだ働けるから働くという雰囲気で楽しそうに生き生きと働いています」
もちろんそうでない人もいる。
介護が必要な人もいるし病院でチューブだらけになっている人もいるかもしれない。
お金が無くて食うに困っているホームレスの老人もいるだろう。
物事を語るにはどうしてもその人の主観というものが入る。
同じ物を見ても、見方や立ち位置で全く違う物に見える。
これはもう仕方がないものだ。
僕は僕の経験と僕から見える世界の話をするしかない。
僕から見えるこの国の老人達とは、お店で元気で働くばあちゃんや、スクールバスを運転するじいちゃんだったり、庭仕事に精を出すおばあちゃん、スキー場で孫を肩車して滑る爺ちゃんなどで、みんな生き生きと楽しそうにやっている。
そういう人達と接して思うことは、自分もこういうふうに年を取りたいな。
僕の目標はブロークンリバーの老クラブメンバーでドギーという爺さんだが、70を過ぎてまだまだ元気、週末には必ず山に上がってきて孫と一緒にスキーをしたり、孫が小さい時には肩車でその辺り(もちろん急斜面ではない)を滑ったりしていた。
いつも思うのだがドギーに限らずスキークラブの老人達からはいつもエネルギーをもらう。
それは年若い物が抱く夢なのかと。
ああ、いいな、自分もこうなりたいなという憧れか。
『こうなればいいな』と思えば実現するし、逆に『こうはなりたくないな』と思っても『こうなる』ことが前提にあるので実現してしまう。
楽しそうに生き生きと老いるということは、後に続く世代に夢を与え、それが社会を活性化させる。
それが老人の役割だと思う。

こういう話をするとすぐに出てくる言葉が「でもね・・・」「そうは言っても・・・」極めつけはこれ「あなたは若いからそういう事が言えるのよ、あなたも年をとれば分かるわ」
そう言う人には直接言えないので、ここで言おう。
そうやって自分を正当化するのをやめたら?
自分自身を見つめてみなよ。
若い自分が見たら、いいなあ、と思うような自分ですか?
老いたら老いたなりにその自分を見つめ今自分に出来ることをするのか、はたまた過去の栄光に浸り愚痴をこぼすのか。
たまにいるが、昔の自慢話を延々とするような人。
こういう人は老いという物を利用して他人からエネルギーを奪っている。
それを指摘されようものなら烈火のごとく怒り出す。
そして出てくる言葉は「この若造め!お前に何が分かる」
いやね、年とか関係ないから、上下じゃないから。
年功序列を曲解して、年上の人が偉いと思い込んでいるので常に上下がある。
下と思っている人からズバっと言われると人は傷つきそして怒る。
上下も左右も前後もなく、丸く一つなんだと言っても理解できない。
老醜などというあまりありがたくない言葉もある。
これは日本に限らずどこの世界にもある。
ニュージーランドにだって、金に目がくらんで周りが見えないどうしようもない老人はいる。
そういう人は早く死んでくれた方が世の為人の為だ。
だって誰でも死ねばホトケ様になるのだから。

老いる事によって体の機能は衰えても、経験や知識などで人々の尊敬を集める人もいる。
昔はどこの部族にも居たであろう長老という存在。
もしくは江戸の小噺に出てくるような長屋のご隠居さん、熊さんや喜多さんがちょいと相談事に行くような、若い人の心のより所のような存在。
こういった人は尊敬を集めようとしなくても自然と尊敬をされる。
奢り昂ぶらず、かといって卑屈にならず、中庸という物が自然と身に付いている。
僕がスキークラブで出会う老人はこういう人が多い。
自分たちが努力してスキー場を作ってきたのだが、それに対して偉ぶらないし自慢をしない。
そして今もなお自分達がやるべきことを淡々とやっている。
僕も含め若い世代は、尊敬をしその声を素直に聞き入れる。
実力のある老人の言葉には重みがある。
こういう老人達を見ていると老いるというのも悪いものではないかなと思うのだ。

生老病死という人生において避けられないもの。
どうせ避けられないならば、いっそのこと楽しんじゃったらどうだろう?
それには植えつけられた『恐怖』という殻を脱ぐことから始まる。
簡単なことだが、簡単な事は一番難しいことでもある。
老人達よ、立ち上がれ。
そして津波が来たときには、海に向かって走るのさ。






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1 コメント

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Unknown (山小屋)
2014-06-30 08:41:07
「そして今もなお自分達がやるべきことを淡々とやっている。」

ここが良い。こうありたい。
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