あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

ジャパントリップ 10

2009-10-12 | 
 今晩はローカル達が僕らのために宴を用意してくれるとの事。どんな夜になるのだろうか。
 シャチョーがバスを運転して、僕らを通称シャル宿という家へ送ってくれた。
「シャチョー、シャル宿ってどんな所なんですか?」
「ん?ヒッジは行ったことが無いのか?」
 ちなみに能生の人たちは僕のことをヒッジと呼ぶ。日本語だとヘッジよりしっくりくるようだ。Aスキー場に居た頃はパトロール隊長に、ヒッジのジはシに点々じゃなくチに点々だぞ、と言われた。僕としてはどちらでも良く、呼びやすいように呼んでくれればそれでよい。
 このパトロール隊長が面白い人で、この人の話を書き始めたら本一冊ぐらい書けそうなので取っておこう。
 話がそれてしまった。
「3年前も来なかったんですよ。話ではシャル宿とは聞いていたんですが」
「あそこはね、エミッチの親戚の家でな、誰も使ってないので、ああやって使ってるんだよ」
 エミッチとはこのパーティーを用意してくれた女性で、ハヤピやテツと一緒にニュージーランドへ来てブロークンリバーなどにも一緒に行った。
 車は谷の対岸を走り、別の集落へ入っていった。道は狭く除雪もままならない。辺りの建物はどれも古く、何十年も前にタイムスリップしたような錯覚を覚える。そうしているうちに噂のシャル宿へ着いた。
「サンキュー、シャッチョ」
「ありがとう、シャチョー」
「サンクス、ボス」
「ん、楽しんでおいで」
 人の好意とは有り難いもので、嬉しいものだ。

 建物はどっしりした造りで、いかにも頑丈そうだ。家に入ると広い土間がある。働いて泥に汚れる人、雪にまみれる人が着替えるスペースがたっぷりある。機能的な造りだ。柱も梁も太くて立派だ。質実剛健という言葉が頭に浮かんだ。ここでもヘイリーはフムフムと家を見る。
 襖一つ向こうはリビングルーム。真ん中にいろりが燃え、その周りで何か焼いている。
「すごい!インドアバーベキューだ」
 ブラウニーが感嘆の声をあげた。
 テーブルの上には地でとれた鮭、コゴミ、ふきのとうなどの山菜がところ狭しと並び、部屋の隅にはビールが数ケースと日本酒のビンが並ぶ。
 目の高さよりも一段高い所に神棚があり、人々を見おろす。この神棚の位置だけ見ても、昔の人々がどのように神を感じていたかが分る。神とは特別なものではなく、日常生活の中に溶け込んでいたのだ。人々は神に感謝をし、敬い、慕い、時には恐れ、日々の生活を送っていたのだろう。
 チームニュージーランド(僕らはひとまとめにこう呼ばれていた)はいろりを囲んで飲んでいる。僕はちょっと離れた所で七輪の前に陣取って飲む。
 モスオが豆腐を持ってきた。
 この男は自分が食ってウマイと思う物を人に食わせないと気が済まない性質で、ヤツが料理を作っているところへ行くと強引にウマイものを口にねじ込まれる。
能生谷の入口にある豆腐屋の豆腐はしっかりと豆の味がする。豆腐は豆から作る物だから豆の味がするのは当たり前だが、とにかくここの豆腐はウマイ。
ヤツはきっちりとおぼろ豆腐を出してきた。僕が一番好きな豆腐だ。気が利くじゃないか。

 まもなくエミッチの父親手製の蕎麦がでてきた。その場で打って茹でてくれたものだ。もちろん文句無くウマイ。
 蕎麦などニュージーランドではめったに食べることなど無い。ましてや生の蕎麦など考えたことも無い。
 他所から来た人に、純粋にウマイものを食って欲しいという、もてなす気持ちが全ての料理ににじみ出ている。決して特別な事をするわけでなく、自分達ができる事で一番ウマイものを出してくれる。どんなに金をかけた料理もこれにはかなわない。その事に気がついた時、僕の胸が熱くなった。
 ウマイ肴にウマイ酒。嗚呼これぞ世の至福なり。
 酔いに任せて家を見る。なんと居心地の良い家だろう。この家だって、こうやって人が集り、ワイワイと飲み食いして喜んでいるようだ。
今あるものを大切に守って使う、という考えはクラブフィールドのそれに一致する。
 こういう古い家を皆が敬意をもって使う。素晴らしい事だ。日本にだってクラブフィールドに負けないスピリットはある。
 日本から遠い場所に住んでいると、自分のアイデンティティーがあやふやになる時がある。自分が何処から来たのか、忘れかけるのだ。
 若い時は日本のイヤなところばかり見て、日本が嫌いになったこともあった。だが今は日本の良い所を素直に見つめられるぐらいには成長したつもりだ。
 長いこと日本を離れていると日本の良い所と悪い所が浮き彫りだって見えてくる。日本の常識がニュージーランドでは非常識になることがあり、ニュージーランドで当たり前のことが日本では考えられない事というのはいくらでもある。
 それよりもあまりに当たり前すぎて見えなくなっているものもある。

 一つの例をあげる。
 僕は以前、お茶の工場で働いた事がある。
 生れが静岡なので子供の頃から美味しいお茶を飲んで育ち、家の近くにもお茶畑はたくさんあった。工場はそんなお茶畑の真ん中にあった。
 仕事は農家が摘んだお茶を工場へトラックで運び、そこでお茶をコンベアに入れるという単純な作業だった。そんな作業の合間に工場の掃き掃除や製品の梱包などの仕事が混ざる。漠然と機械を眺めて、『へえ、お茶って意外と手間がかかる物なんだ』とぼんやりと考えただけだった。
 数年後にニュージーランドの家に、実家から新茶が届いた。日本の春を味わいながら考えた。
 最初はお茶という植物の葉を湯に入れて飲んだのだろう。それをもっと美味しく味わおうとして冷やし、蒸し、揉み解し、乾燥させるという手間が生れた。
 もちろんその間にもいろいろな試行錯誤があったはずだ。熱湯より少し冷めた湯が良いというのは生活の中で自然に生れたものだろう。
『あっ!こりゃダメだ。全然美味しくない。このやり方はボツ』なんてのも多数あったはずだ。その中から美味いものを追求した結果がこのお茶の中にある。
 お茶工場のあの行程一つ一つに人間の知恵と、味に対する要求があった。その時にはお茶とは身近にありすぎてそんなに深く考えなかったのだ。
 湯に葉を入れて飲む、という行為が何千年もかけて道まで作ってしまった。
 これこそ日本の文化ではないか。ニュージーランドにはこんなものは無い。
 お茶一つとってみてもこうなのだ。酒、温泉、建築、食、音楽、舞、花、こんなのあげていけばきりが無い。日本は素晴らしい文化を持った国だ。
 もちろん悪い事は山ほどある。だからと言って良いところを忘れてはいけない。
現に自分の目の前にはこんな人達がいて、こんな場所がある。
 この家を見て、そこに集う人を見て、何か確かなものを掴んだ。グラグラしていた自分の足元が固まったような気がする。
 考えてみれば3年前に来なかったのは正解かもしれない。以前来ていれば今回感じたような感覚は掴めなかっただろう。その時にはそれを感じ取るほど人間が成熟していなかったのだ。
 酒の酔いも手伝ったのだろうか、この家に、この場にいる人に、食べ物に、酒に、僕はやっつけられてしまったのだ。

 シャチョーが再び迎えに来てくれて、宴はお開きだ。帰り際に誰かが言い出した。
「一本締めで締めようよ」
「え~どうやって説明するんだよ、それを」
 僕だって酔っている。面倒くさいなあ。
「えーと、誰かがよーおって叫ぶんだ。それでみんなで手を叩く。分ったか?」
 こんないい加減な説明で分るわけないだろうが、僕がいい加減なのはみんなが知っている。
「とにかくやってみよう。誰がやるんだ?」
「へザー!へザー!」誰かが叫んだ。
へザーを囲んで何回か練習をしたが、うまくタイミングがつかめない。後ろで聞いていたブラウニーが身を乗り出した。こんな時に黙っていられないのはこの男の性格だ。
「オレにちょっとやらせてくれ。こうだろ。ヨオーッ!」
パン! と見事に締めてしまった。
 へザーは自分は何だったんだろうという顔をしているし、ブラウニーは油揚げをさらった鳶のごとく大喜びで、実にヘザーらしくブラウニーらしい締め方だった。
 宿の前で星空を見ながらへザーが言った。
「私達の旅は日増しに良くなっていくわ」

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