トンネルの中はひんやりとした空気が流れていた。
足元には絶えず水が流れている。
入り口付近は明るいが、先に進むにつれ光も届かなくなり闇の世界へと変わっていく。
ある程度先へ進み振り返ると明るい光が見えるが、進行方向は漆黒の闇である。
両手を壁につたわらせながらソロソロと進む。
こうなると目を開けていても閉じていてもたいして変わらない。
大丈夫だと聞いていたが、目の前に岩の壁があるのではないか、顔をぶつけるのではないか、という思いが頭をよぎり、時々手を前に出し何も無いことを確認しながら進む。やっぱり心配は自分の心から生まれるものだ。
数分も進むと外の明かりの全く届かない完全な闇にボクは包まれた。
あおしろみどりくろ、とはこの国でボクが見た色の話である。
青は空の青、海の青、湖の青、川の青、氷河の青。
白は雪の白、雲の白、氷の白。
緑は木々の緑、草原の緑、コケの緑、シダの緑。
そして洞窟の闇に色があるとするならば黒である。
黒一色の闇を進むと、目の前にほのかな淡い青白い光の点が現れた。
土ボタルだ。
この虫は蚊の幼虫で洞窟などに住み、明かりを出して他の虫をおびき寄せ食べてしまう。
成虫には口が無く、わずか数日のはかない命だ。
幼虫は小さな糸ミミズのようなもので、洞窟などの天井から2~3cmの糸を何本も垂らし、その間を横糸で移動する。
明るい時に見るとあまりきれいなものではないが、闇の中では青白い光は幻想的でプラネタリウムのようだ。
北島のワイトモや南島のテアナウではこの土ボタルを見るツアーもある。
先に進むにつれ、青白い点は数を増しボクの頭上には宇宙空間のような星空が広がった。
「うわあ、ヤバイ」
自然とそんな言葉が口から出た。
ちなみにボクは普段ヤバイという言葉は使わない。
ヤバイとは本来、危ないという意味があるが、若い世代ではこの言葉を、ものすごくすごいとか、時にはものすごく美味しいという時に使う。
そんな言葉が出てくるほど、この見方はヤバイ。
土ボタルを見たのは初めてではない。だがこんなふうに見たのは初めてだ。
土ボタルの数で言えばテアナウやワイトモのそれははるかに多いし綺麗だ。
だが観光地となってしまった場所ではこの感覚はつかめない。
この場所にはこの場所なりの良さがある。
やっぱり今回もまた、この国にやっつけられてしまった。
とことんこの国は奥が深い。
歩く前の情報が少なかった分、感動も大きい。
ここまで来て、何故タイが明かりを使わないで、しかも一人ずつ間隔を空けて歩かせたか理解できた。
確かにこのトンネルトラックを歩くのには、この歩き方がベストだ。
ガイドというのはその場所のベストな楽しみ方を知っている人間である。
アウトドアガイドのもてなしは、その場その時での最高の楽しみ方を教えることだ。
これは日本の心に通ずるものがある。
和食の真髄とは素材の旨みを最大に引き出すことである。
茶の心とはそこにあるもので最高のものを出してもてなす気持ちだ。
禅の教えの一つである一期一会は、その瞬間の中に全てを見出すことだ。
ニュージーランドの自然という素材の旨さを最高に引き出し、そこに来た人に楽しみというもてなしをする。
それがガイドの腕なのだ。
そしてそれを突き詰めていくと、その人の人間性、価値観、人生哲学へと発展していく。
タイがガイドをしている現場を見たことはない。
だがヤツと話をして、ヤツのブログを読めば、ガイドとしてどうやってお客さんと接しているかは分かる。
タイも良いガイドに育っている。
こういう若き友を持ったことに喜びを感じる。
トンネル内は相変わらずの闇で、見えるものは青白い点だけだ。
体は歩きながらだが、ボクの意識は青白い光の間を飛んでいく。
さながらスターウォーズの小型飛行艇みたいなものに乗って星の間を飛ぶように、青白い光の点の間をカーブを描きながら意識は飛ぶ。
これもまた小宇宙である。
ボクはこの宇宙遊泳を存分に楽しんだ。
先ほどまでの不安はどこかに飛んでいってしまった。
先へ進むのがもったいないような気がして、ゆっくりゆっくりと歩いた。
この瞬間の中に全ての物事はあり、それを感動が包む。
トンネルの奥深くで大きく曲がりやがて外の光が見え始めた。幻想的な土ボタルもいなくなる。
小宇宙へのトリップから現実世界へ戻ってきた。
トンネルを抜けた場所は崖の中腹で特に何かがあるわけではない。
その先にもう一つトンネルがあるがそこは立ち入り禁止。
ヘッドライトをつけてトンネルを歩き、この場所にたどり着いても感じるものはないだろう。
やはりこのトラックの一番の見所はトンネル内のあの小宇宙だ。
「いやあ、タイよ。良い経験をさせてもらった。ありがとな。この歩き方は自分で見つけたのか?」
「いや、これは俺も地元の友達に連れてきてもらったんですよ。その人は満月の夜にここに一人で来るなんて言ってましたよ。でもこれは人によっては恐怖で進めなくなる人もいるでしょうね」
「確かにな。心の奥に影があったらそれがでっかくなっちゃうという人もいるだろうな」
僕らは恐怖に押しつぶされることもなくトンネルトラックを満喫した。
それはやはりガイドと案内される人との信頼関係も関係する。
続
足元には絶えず水が流れている。
入り口付近は明るいが、先に進むにつれ光も届かなくなり闇の世界へと変わっていく。
ある程度先へ進み振り返ると明るい光が見えるが、進行方向は漆黒の闇である。
両手を壁につたわらせながらソロソロと進む。
こうなると目を開けていても閉じていてもたいして変わらない。
大丈夫だと聞いていたが、目の前に岩の壁があるのではないか、顔をぶつけるのではないか、という思いが頭をよぎり、時々手を前に出し何も無いことを確認しながら進む。やっぱり心配は自分の心から生まれるものだ。
数分も進むと外の明かりの全く届かない完全な闇にボクは包まれた。
あおしろみどりくろ、とはこの国でボクが見た色の話である。
青は空の青、海の青、湖の青、川の青、氷河の青。
白は雪の白、雲の白、氷の白。
緑は木々の緑、草原の緑、コケの緑、シダの緑。
そして洞窟の闇に色があるとするならば黒である。
黒一色の闇を進むと、目の前にほのかな淡い青白い光の点が現れた。
土ボタルだ。
この虫は蚊の幼虫で洞窟などに住み、明かりを出して他の虫をおびき寄せ食べてしまう。
成虫には口が無く、わずか数日のはかない命だ。
幼虫は小さな糸ミミズのようなもので、洞窟などの天井から2~3cmの糸を何本も垂らし、その間を横糸で移動する。
明るい時に見るとあまりきれいなものではないが、闇の中では青白い光は幻想的でプラネタリウムのようだ。
北島のワイトモや南島のテアナウではこの土ボタルを見るツアーもある。
先に進むにつれ、青白い点は数を増しボクの頭上には宇宙空間のような星空が広がった。
「うわあ、ヤバイ」
自然とそんな言葉が口から出た。
ちなみにボクは普段ヤバイという言葉は使わない。
ヤバイとは本来、危ないという意味があるが、若い世代ではこの言葉を、ものすごくすごいとか、時にはものすごく美味しいという時に使う。
そんな言葉が出てくるほど、この見方はヤバイ。
土ボタルを見たのは初めてではない。だがこんなふうに見たのは初めてだ。
土ボタルの数で言えばテアナウやワイトモのそれははるかに多いし綺麗だ。
だが観光地となってしまった場所ではこの感覚はつかめない。
この場所にはこの場所なりの良さがある。
やっぱり今回もまた、この国にやっつけられてしまった。
とことんこの国は奥が深い。
歩く前の情報が少なかった分、感動も大きい。
ここまで来て、何故タイが明かりを使わないで、しかも一人ずつ間隔を空けて歩かせたか理解できた。
確かにこのトンネルトラックを歩くのには、この歩き方がベストだ。
ガイドというのはその場所のベストな楽しみ方を知っている人間である。
アウトドアガイドのもてなしは、その場その時での最高の楽しみ方を教えることだ。
これは日本の心に通ずるものがある。
和食の真髄とは素材の旨みを最大に引き出すことである。
茶の心とはそこにあるもので最高のものを出してもてなす気持ちだ。
禅の教えの一つである一期一会は、その瞬間の中に全てを見出すことだ。
ニュージーランドの自然という素材の旨さを最高に引き出し、そこに来た人に楽しみというもてなしをする。
それがガイドの腕なのだ。
そしてそれを突き詰めていくと、その人の人間性、価値観、人生哲学へと発展していく。
タイがガイドをしている現場を見たことはない。
だがヤツと話をして、ヤツのブログを読めば、ガイドとしてどうやってお客さんと接しているかは分かる。
タイも良いガイドに育っている。
こういう若き友を持ったことに喜びを感じる。
トンネル内は相変わらずの闇で、見えるものは青白い点だけだ。
体は歩きながらだが、ボクの意識は青白い光の間を飛んでいく。
さながらスターウォーズの小型飛行艇みたいなものに乗って星の間を飛ぶように、青白い光の点の間をカーブを描きながら意識は飛ぶ。
これもまた小宇宙である。
ボクはこの宇宙遊泳を存分に楽しんだ。
先ほどまでの不安はどこかに飛んでいってしまった。
先へ進むのがもったいないような気がして、ゆっくりゆっくりと歩いた。
この瞬間の中に全ての物事はあり、それを感動が包む。
トンネルの奥深くで大きく曲がりやがて外の光が見え始めた。幻想的な土ボタルもいなくなる。
小宇宙へのトリップから現実世界へ戻ってきた。
トンネルを抜けた場所は崖の中腹で特に何かがあるわけではない。
その先にもう一つトンネルがあるがそこは立ち入り禁止。
ヘッドライトをつけてトンネルを歩き、この場所にたどり着いても感じるものはないだろう。
やはりこのトラックの一番の見所はトンネル内のあの小宇宙だ。
「いやあ、タイよ。良い経験をさせてもらった。ありがとな。この歩き方は自分で見つけたのか?」
「いや、これは俺も地元の友達に連れてきてもらったんですよ。その人は満月の夜にここに一人で来るなんて言ってましたよ。でもこれは人によっては恐怖で進めなくなる人もいるでしょうね」
「確かにな。心の奥に影があったらそれがでっかくなっちゃうという人もいるだろうな」
僕らは恐怖に押しつぶされることもなくトンネルトラックを満喫した。
それはやはりガイドと案内される人との信頼関係も関係する。
続
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