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あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

フォークス日記 3

2011-03-26 | 
今日はもう一人、タイの友達が来ると言う。
「いやね、キャッスルヒルで岩を登っていたら出会って連絡先を交換したんですよ。それでその次に行った時にも、たまたまバッタリ会いましてねえ」
「オマエ、それは『たまたま』じゃなくて、会うべくして会ってんだろ?」
「まあ、そうなんですけどね。なかなか面白い人ですよ。マー君と言って、年は30ぐらいかなあ。ワーホリで来てサーフィンとボルダリングをやってるんですよ」
タイにそういう形で出会う人でイヤなヤツはいないだろう。
引き寄せの法則通り、明るい光を持ったタイには明るい光を持つ人が集まる。
逆に心にひどい影を持つ人や、人を利用しようしている人は来ない。タイが放つ光がまぶしすぎて近寄って来れないのだ。
マー君が今日ここに来るのも『たまたま』だそうだ。それならばきっとボクにここで会うというのも偶然ではないのだろう。


そうしているうちに噂のマー君がやってきた。
マー君は涼しげな眼をした若者で、帽子からドレッドヘアーがはみ出ている。
顔全体から好い気があふれていて、なるほどこういう人がタイの所にやってくるのだ、と納得してしまう。
まずはビールを渡し乾杯。そしてビール片手にフォークスツアー。ガイドはもちろんタイである。
庭の隅から見える川、そして木々の間から小路へ入る。
「この前、ここにマウンテンバイクのコースを作ったんですよ。だけどこのコーナーでは絶対ミスれない場所なんですよね~」
確かに一つのコーナーのすぐ外は数mの崖。落ちたらかなり痛いだろう。
路は狭く曲がりくねり、所々に幅20cmぐらいの板が橋がわりに置いてある。マウンテンバイクでここを行くにはかなりテクニカルだ。
隣の家を経由して川へ降りる。
「この辺りでも昔は金を探したんでしょうねえ。その跡があちこちに残ってますよ」
確かに崖の腹には横穴があるし、岩を積み上げた跡もある。
川のすぐ脇には風呂がある。川の水をバケツでバスタブに入れ、その下で焚き火をして湯を沸かす、原始的な五右衛門風呂だ。
キミが風呂の用意をしてくれたのだろう。火が赤々と燃えている。
「まあ風呂が沸くまで2時間ぐらいかかりますけどね」
そして次のポイントはミズゴケの広場。
「ここでは靴下も靴も脱いで裸足でここに入ってください」
ガイドの指示には従うべし。はだしになりミズゴケを踏む。
普段はトレッキングブーツを履いてコケを踏むが、裸足だとまた違うものがある。
コケは柔らかく足を包み込み気持ちが良い。いいなあ、こういうのも。
次はタイが以前住んでいた家へ。ボクはこの家は何回か行った事がある。
ガレージにはクライミングウォールがあり、床には古びたマットレスが敷き詰めてある。その場ですぐに遊べる。
ボルダリングが好きなマー君は、目をキラキラさせながらホールドを掴んでいた。
そして家路へ。フォークスツアーはなかなかあなどれない。



家ではすっかり夕餉の支度が出来上がっていた。
今宵はサーモン尽くしのご馳走だ。出来立て納豆もある。
サーモンは刺身でも旨いが、漬けにして炊きたてご飯に埋めるとご飯の熱で身に火がとおり別の旨さになる。
照り焼きで焼くとこれまた違う味となる。骨できっちりとダシをとった味噌汁もいける。
キミが作ったサラダも旨けりゃ、ビールもワインもどっさりあるのが又良い。
たまたま、という理由でここに来たマー君はラッキーだ。皆ウマイウマイと飯をかきこむ。
若者がガツガツと飯を食らう様子は見ていて気持ちが良い。
ボクも20年前はそう言われて、あちらこちらでご馳走になった。
自分が受けた恩をその人に返すことは大切だが、同じ事を別の人にしてあげることも恩返しである。
そうやって人から人へエネルギーは伝わる。
こういう時は遠慮をしてはダメだ。腹一杯食うべし。それが礼儀だ。
クライストチャーチの我が家では若い客人によくこう言う。
「うちでは遠慮するな。遠慮したら追い出すぞ」
作る方としては旨い物を客人に食べさせたい、自分が出来ることで最高の物を出したい、見返りを期待することなく純粋に喜んで欲しい、と思い作るのだ。
高価な食材を使えばいいというものではない。
時には一杯のお茶でもいいし、人によっては1本のビールでもいい。庭に生えている野菜でもいいし、もちろん高価な食材の時もある。
ご馳走とはそういうものだ。
そこにあるもので最高の物を出す。真剣に一番旨いやり方で料理をする。
それがもてなしの心だと思う。
そしてそれが和食の真髄であり、茶の心であり、禅に通じるものだ。
全てひっくるめて日本の文化である。
遠いニュージーランドにいようと、こういう気持ちを持つことで日本の心を伝えることができる。



食後にビールを飲みながらギターを弾く。
チューニングを合わせ、ハーモニカを吹き歌を唄う。
日本語の歌は『名残雪』その他吉田拓郎の歌を何曲か。
英語の歌はボブデュラン。そし定番、マオリの歌。
自分のできる事をする。これが自分流のもてなしだ。
夜も更けてきた。寝る前に風呂へ入れてもらうことにしよう。これはキミのもてなしだな。
ヘッドトーチの明かりを頼りに茂みの小路を川へ下る。
バスタブには湯が張られ、湯気がもくもくと出ている。
手を入れるとお湯はかなり熱い。これは水でうめなきゃ入れないな。
川からバケツで水を汲み数m離れたバスタブにいれるのだが、このバケツが割れていて水が漏る。
キミはこれでバスタブ一杯の水を汲んだのか。ありがたやありがたや。
水を足し、湯の温度を下げる。手を突っ込み、まあいけるかなと思い、服を脱いで入ろうとしたが、やっぱり熱くて入れない。
こりゃお湯をある程度抜かなきゃ無理だ。
割れたバケツでお湯をこぼし、そこに川から水を汲みこむ。辺りはすでにびしょびしょだ。
真夜中に全裸でこんなことをするなんて・・・。フォークスの暮らしはとことんワイルドだ。
なんとか入れる温度にして湯船に身を浸す。ふう。
聞こえる音は川のせせらぎ。ヘッドトーチを消すと木立の切れ間から満天の星が瞬く。
うむ、悪くないぞ、これは。
タイのヤツめ、こんなことをしているのか、あいつは。
若くしてこんな楽しみを知ってしまったら、街には住めないなどと言うのも無理はないな。
夜の森のエネルギーを感じながら、ボクは湯船で一人、ここに存在する喜びをかみしめた。


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フォークス日記 2

2011-03-11 | 
フランツジョセフは小さな町でメインストリートにはツアー会社のオフィス、バー、レストランなどが並ぶ。
待ち合わせ場所はタイが働く会社の前だ。
氷河から帰ってきた赤いバスがオフィスの前に止まり、ガイドとツアー客がぞろぞろと降りてきた。
ガイドにタイのことを尋ねると、まだ仕事中とのこと。
しばしオフィスの前で人の往来を眺めながらボケーっと待つうちに、仕事を終えたキミがやってきた。
街で唯一のスーパーで買出しをして、僕らはフォークスのタイの家へ向った。



フォークスはフランツジョセフから車で20分ほど。
川が合流する場所で、フォークのような地形なのでフォークスと呼ばれる。
タイは以前住んでいた場所から50mほど奥にある一軒家を借りて、今はキミと仕事仲間のブレンダと3人で住んでいる。
先ずは車にどっさりとある食料をおろす。ビールと白ワインは冷蔵庫に入れ、サーモンをさばく。
頭と骨などのアラは煮出してダシを取る。アラが煮えたら一度引き上げ、骨にについている身をほぐし鍋に戻し野菜をぶちこんで味噌汁に。
皮はパリパリに焼いて塩を振る。ビールのつまみにもってこいだ。
カマやハラモ、尻尾に近い身は照り焼き。
あとは刺身を大皿に並べる。
刺身の一部を醤油に漬けズケを作る。これは炊きたてご飯に埋め込み、ご飯の熱でサーモンが半生の状態で食う。
サーモン尽くしの晩飯だ。
キミがご飯を炊き、サラダを作る。
二人でおしゃべりをしながら晩飯を作る。
「ひっぢさん、あたし今度マッサージのコースを受けたんです」
「おお、それはいいね。」
「フランツジョセフのスーパーにある掲示板にも広告を出したんですよ。まだ始めたばかりなんですけどね」
「いいねいいね。そういうことはどんどんやりなさい。それはキミの心が向いていることでしょ?」
彼女は目をキラキラさせながら頷いた。
「心が向いている時はね、楽しいから良い方向に進むんだよ」
キミのように明るい強い光を持った娘ならばマッサージも上手くいくだろう。



そうしているうちにタイが帰ってきた。
「ひっぢさん、いらっしゃ~い。西海岸へようこそ。」
「よう、久しぶりだな」
ボクはヤツの顔をじっと見つめた。
目には一点の曇りもなく、顔全体から精気があふれている。いい顔だ。
「よし、相変わらずいい顔をしてるな。よろしいよろしい。」
ヤツのブログから今どういうことをやっているかは大方知っている。
ボクが残すコメントは常に「どんどんやりなさい」という一言だ。
タイに初めて会ったのは何年前になるのだろう。もう7,8年前か。
クライストチャーチにあるアウトドア・レクレーションの専門学校を出たばかりのヤツがボクにコンタクトを取ってきたのだが、その時は電話で1,2回話したぐらいで繋がりはほとんど無かった。たぶんそのタイミングではなかったのだろう。
そのすぐ後、ヤツはシャルマン火打という新潟のスキー場でパトロールをやり、JCや龍、ダイスケといった北村家一軍の大御所達の教えを受けニュージーランドに戻ってきた。
シャルマンでは最初で最後になってしまった伝説のイベント『ブロークンリバー・ウィーク』これは別の話、ジャパントリップに詳しく書いてあるが、このイベントがきっかけでブロークンリバーでもパトロールをした。
このあたりからボクとタイの関係は深まり、クライストチャーチの我が家にも足しげく通うようになった。
深雪が選んだ、『ボクの交友関係でのナンバーワンのハンサムボーイ』もタイである。
その後、ヤツはフランツジョセフで氷河ガイドとなる。他の国のことは知らないが、ニュージーランド内では日本人初の氷河ガイド誕生だ。
氷河ガイドなんて職業は世界でもそうそうあるものではない。ひょっとすると世界初の日本人氷河ガイドかもしれない。
ヤツが氷河ガイドとなる時にボクはきつく言い渡した。
「いいかオマエ、自分から日本人初の氷河ガイドとか、日本人唯一の氷河ガイドなんて言うなよ。自分から吹聴することほどみっともないことはないからな。他の人がオマエのことをそう言うのは一向に構わん。人に聞かれたらそう答えるのもよろしい。だが自分からは氷河ガイド、これで充分だ」
というわけで、ボクはこの氷河ガイドをかなり高く買っている。今ではそんなヤツも押しも押されぬベテランガイドだ。
誰でもできる事ではない。ヤツだからこそできる事であろう。
それはボクが知っている。ヤツを取り囲む仲間が知っている。そして氷河が、山が知っている。



なにはともあれ、ビールを開け乾杯だ。キミはボクが持ってきた白ワインで乾杯である。
ふとタイが首からぶらさげているグリーンストーンに目が行った。ヤツがグリーンストーンをつけているのを見るのは初めてだ。
「お、どうしたの?そのグリーンストーン」
キミが待っていました、と言わんばかりに口を挟む。
「いいでしょ、これ。私が見つけたんですよ」
「見つけた?どうやって?」
「前からタイ君にグリーンストーンをプレゼントしたいと思っていたんです。でも、お店で買いたくはなかったんです。それで友達に相談したら『それなら海岸へ探しに行こう』ということになって、行ったら見つけちゃったんですよ」
タイが笑いながら言った。
「ね、笑っちゃうでしょ。1回目に行って見つけちゃうんだから」
「それを友達に頼んで、ちょうどいい大きさに切ってもらって、作ってもらったんです」
マオリの教えでは、ポウナム(グリーンストーン)の装飾品は自分で手に入れるのではなく、人からプレゼントされるものである。
ボクも首からぶらさげているポウナムは女房からもらった物だ。色といい形といい、すっかり気に入って肌身離さずつけている。
キミが原石を持ってきてくれた。そのポウナムは青色がかった緑で白い斑点が浮かぶ。とても綺麗だ。
タイの首からぶらさがったポウナムは妖しく青く輝く。ヤツにお似合いの色だ。
こうなればいいな、と思うことを実現する力を人間は持っている。
それはその人がどうあるかという証でもある。
こういう話を聞くだけでこの二人がどういう状態にあるか、僕にはよく分かる。
やっぱりこの二人にいう言葉は「どんどんやりなさい」これしか無いのだなあ。



食事の用意も一段落。
キミは風呂を沸かしにどこかへ出かけて行った。
ボクとタイはビールを持って庭へ出た。
庭の端まで行くと西海岸特有の紅茶色の川が流れているのを見下ろせる。
「ひっぢさん、どうスか、ここは?前の家も良かったけど、ここも良いんですよ」
家の周りはマヌカやカヌカに包まれ、その向こうにリムの森が広がる。庭の片隅にもリムの若木が立つ。
いつの日か、リムの生えている場所に住むのがボクの夢だ。
「タイよ、オマエはオレの夢に住んでいるのだぞ。この幸せ者めが!オレはめったに人を羨ましがらないが、オマエは素直に羨ましいぞ、このヤロー」
「いやあ、そうですね。ここに住んじゃうとフランツジョセフの街にも住めないな、と思いますね」
フランツジョセフの街と言ったって、日本の感覚で言えば単なる集落だ。人口は100人ぐらいだろうか。
「それはある意味ヤバイね。街には住めない・・・か」
♪オレたちゃ 街には 住めないからに~。
どこからか雪山賛歌が聞こえてきた。

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フォークス日記 1

2011-02-15 | 
それはタイのブログから始った。

http://blog.livedoor.jp/coasterlife/archives/51910076.html

今年の夏、氷河に出来た大きなクレバス。長さ150m、深さ30m、ブルーミストと名づけられたものである。
記事を読み写真を見て思った。
「うおおおおお!こんな所を歩きてええええ!」
こうなればいいな、と思ったことは実現する。
風の強い日にクィーンズタウンで車を走らせていて、ミニスカートのお姉ちゃんの横を通るとき、突風が吹きスカートがめくれ上がり赤と白のストライプのパンティーがばっちり見えてしまった。
こうなればいいな、と思ったことは実現するのだ。
忙しい1月が終わり2月になると急にポッカリ時間ができた。チャンス到来である。
こういうチャンスは逃してはダメだ。思いついた時は行動する時である。
ぼくは車にどっさりと荷物を積み込み西へ向った。
まずはクィーンズタウンから峠を越えてワナカへ。天気は良好。
ワナカへ着く手前ではマウント・アスパイアリングが見えた。
NHKの撮影の仕事で、あそこの麓をうろうろしていたのは去年の今頃のことだ。
その年一番の猛暑の中、フラフラになって食材を運び、山小屋でカレーを作った。重い撮影機材をかつぎ、急な山道をよじ登った。もう随分昔のことのように感じる。
ワナカの街で給油と買出し。
今日行く西海岸はニュージーランドで一番の僻地だ。
フランツジョセフも小さな町だ。そこへの物資の輸送費だってバカにならない。故に全ての物が高い。これは仕方のないことだ。
ワナカのスーパーでビール、ワイン、特売のコーン、ソーセージなどを仕入れる。
この他にも車にはサーモン一匹、出来立て納豆、セントラルオタゴ産のネクタリンやアプリコットもどっさりある。
ワナカからハウェアを抜けてハーストパスへ。
この道を初めて通ったのはいつのころだったか。
あれはもう20年も前になるか。
当時つきあっていたキウィのガールフレンドと軽自動車で旅をした。
国道は全部舗装されておらず、時々砂利道がまざっていた。
大雨の中、ハーストパスを通り、道に直接落ちる滝の真下を通り、車が水圧で揺れるのを無邪気に喜んだ。凄いところだな、と感嘆した覚えがある。
ハーストでは一軒だけの宿に泊まり、その晩は停電となりローソクの明かりでロマンチックな夜を過ごしたものだった。
初めての西海岸のロードトリップの想い出が次から次へと心に浮かぶ。
歳をとったからか、全てが懐かしい。
ボクは感傷に浸りながら車を走らせた。





ハーストパスを抜け長い下りを下ると道は平坦になる。この辺りからは川の流れも緩やかになり川幅も広がる。
今までブナ一色だった森も、ちらほらとリムやカヒカテアなどのポトカーフという種類の針葉樹が出てくる。
一応英語では松という名前がついているこれらの木だが、僕らが普段見る松とは完全に物が違う。
松という定義には当てはまらない。リムはリム。カヒカテアはカヒカテアなのだ。
中でもリムはボクが一番好きな木である。
国道沿いに立っているリムに話しかけながら僕は車を走らせる。
「やあ、リム達よ。また君たちに会いにやってきたよ」
リムはボクを歓迎するように風に枝を揺らす。幸せである。
ワナカからハーストまでノンストップで走りぬけ、ハースト・リバーを渡る長い橋を越え、その先のシップクリークで一休み。ランチストップだな。ここはボクのお気に入りの場所だ。
ボケーっとタスマン海を見ながら昼飯を食べ、散歩に行く。ここには20分ぐらいのブッシュウォークがある。
西海岸特有の紅茶色の川を横目に森に入る。コケやシダが生い茂る中、のんびりと歩いていくとカヒカテアの大木に出会う。
この辺りのカヒカテアは60mの高さにもなる。ビルで言えば20階建てぐらいの高さだ。ただし周りに人工構造物がないので高さは分かりづらい。
カヒカテアは枝の付け根に多様な植物を載せそびえ立つ。
共生。植物たちは大木と共に生きる。
周りは沼地だがうまくボードウォークがあり足をぬらさずに森の散歩を楽しむことができる。こういうトラックを作る人のセンスが良いのだ。
今年も西海岸に来たな。感慨深くボクは木々たちに話しかけ、ゆっくりと森を歩く。







シップクリークからはタスマン海を左手に見ながら北上だ。
天気は良好。絶好のドライブ日和である。森の中を道路は行く。窓を全開にして森の気を感じながらのドライブは気持ちが良い。BGMは蝉の声だ。
そして午後も早い時間にフォックス・グレーシアに着いた。
この街はフォックス氷河というのがそのまま街の名前にもなった。
ここまで来たら今回の目的地、フランツジョセフまでは30分ぐらいの距離だ。もうあわてることはない。まずはDOCのオフィスに寄るか。
オフィスでは中庭でスタッフがアフタヌーンティーを取っていた。
背中を向けている黒髪の女の子がいる。キミだ。
カウンターの上にあるベルをチンチンと鳴らすと皆が一斉にこちらを見た。
キミがボクに気付き、他のスタッフを制してニコニコと出迎えてくれた。
彼女とは去年の冬に初めて会ったのだが、もう何年も前からの友達のように感じる。
キミは今では立派な西海岸の住人だが、以前は何年もクィーンズタウンのホテルで働いていた。ボクは何回もそのホテルでお客さんをピックアップした。
日本人の女の子が働いている、という記憶はあるのだからたぶん会ってはいるのだろう。向こうもボクが働く会社を知っているしボクのことも覚えているというのだが、クィーンズタウンで僕らは話をしたことがない。たぶんそういう時ではなかったのだろう。
キミは先シーズンからスキーを始めたのだが、みるみるうちに上手くなり、スキー3日目でブロークンリバーのメイントーに乗って山頂に立った。
子供ならともかく、いい年をした大人がこれほどまでに上達するとは・・・。人間とはすごいなあ、と思わせるような人である。
やればできる、こうなればいいなと思うことは実現する、ということを実地できる非常に強い光を持った人で、性格は明るく前向き。もちろん内側からにじみ出る美人で、タイにお似合いの彼女、というより「アンタぐらいでないとタイの彼女は務まらないよ」そんな人だ。
「やあ、キミ。やっと着いたよ。やっぱ西海岸は良いねえ」
「ひっぢさ~ん、お久しぶりです。今、着かれたんですか?」
「うん、途中でシップクリークに寄ってね。」
「あそこはきれいですからね。私も大好きです。サンドフライが多い場所は人を寄せ付けないから美しいんだって、うちのスタッフも言ってますよ。」
確かにシップクリークはサンドフライが多い。さっき止まった時もパケハ(白人)のツーリストが浴びるようにサンドフライよけを塗っていた。
「なるほどねえ、一理あるかもな。で、キミは今日何時に仕事が終る?」
「5時ぐらいに終るので、その後で一緒に帰りましょう。」
「じゃあ、それまでどこか散歩でもしてようかな。どこかいいブッシュウォークはないかな?マセソンみたいな観光地じゃない所がいいな。」
「ブッシュウォークですか・・・・・・」
会話をさえぎるように一人のスタッフがカウンターの向こうから声をかけた。
「よう、ヘッジ、こんな所で何をしている?」
誰だっけかなあ、この人。どこかで見たことはあるよなあ。どこで会ったんだっけ。
「うん、2~3日タイの所へ遊びにきたんだよ・・・」
「オマエ、俺とどこで会ったか思い出そうとしてるだろ。ブロークンリバーで何回も会ってるぞ」
「そうか、ブロークンリバーか。すまんすまん。物覚えが悪くてなあ。」
ボクは白状するが、人の顔と名前を覚えるのが苦手である。苦手な上に忘れるのが早い。
ところがボクの顔と名前はよっぽど印象に残るのか、向こうは覚えているということがとてもよくある。不公平だ。
特にこちらではMate(仲間)という便利な言葉があり、相手の名前を忘れても全てMateで通ってしまう。
『あの、どちらさまでしょうか』と聞くタイミングを逃し、そのまま話し続けるということもある。
20年もこの国でこんな事をやってると知らず知らずに有名になっていて、初対面でもお話は聞いてますと言われることもよくある。恐ろしい話だ。
キミが横から口をはさんだ。
「ねえ、この辺りで良いブッシュウォークはあるかしら?ヘッジが行きたいんだって」
「ブッシュウォークねえ、それならモレーンウォークがいいぞ。人も少ないし、でっかいラタの木もあるぞ。じゃあな」
そう言い残しヤツは去っていった。
近辺の地図があるところでキミが場所を教えてくれた。
ついでにボクはさっきのヤツの名前を聞いた。トリッシュというそうな。
トリッシュ、トリッシュ、トリッシュ。ボクは何回かつぶやいた。
次に会うときまで覚えていられるだろうか。





オフィスを出て車で5分ぐらい走り脇道へ入る。
看板から入っていくとそこはコケとシダ、カマヒやラタの森だ。
道は整備されすぎず、落ち葉を踏む感触が心地よい。
キミが言ったとおり人は全然入ってこない。自分一人で森を楽しめる。
地元の人の言うことは素直に聞くべきだ。
小川のそばでコケの上に座りボーっと森を眺める。
傘のようなコケ、アンブレラ・モスの群生だ。美しい。
今、この瞬間、ボクは森に包まれ生きている。
幸せな時とは常にそこにあるものなのだ。
ふと時計を見ると思ったよりも時は過ぎている、キミとの待ち合わせの時間に遅れそうだ。
こんな所にいると時が経つのも忘れてしまう。危ない危ない。
ボクは再び車を走らせフランツジョセフに向った。



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ジャパントリップ ブログ版 あとがき

2009-10-29 | 
連続ブログ小説 というような形でこの文を発表した。
このトリップに僕はカメラを持っていかなかったので、使っている写真はほとんどがブラウニーが撮った物だ。
ジャパントリップから3年。
3年という時間が長いのか短いのか分からない。
大きく変化する物もあれば、何も変わらない物もある。

ヘイリーは相変わらずグフフフと笑っているし、ブラウニーも騒々しいブラウニーのままだ。
ヘザーは今年、膝をケガして1シーズンを棒に降った。
アレックスのところには男の子が生まれた。
JCはニュージーランドに来なくなり、北海道でレンジャーをやっている。
タイはブロークンリバーでパトロールの経験を積んだ後、今では西海岸で氷河ガイドをしている。
ハヤピとテツはたまにメールでやりとりするが、安曇野で元気にやっているようだ。

個々で会う事はあっても、もうあの時のメンバーが全て揃うことはないだろう。
ぼくにとっても、夢のようなトリップだった。
だが終わってしまったわけではない。
あの時の想いは僕らの心に残り、明るい未来の糧となる。
また、いつの日かあの地を踏み、あの山を滑る時が来るだろう。
それが10年後か20年後かは分からない。
ただそれを夢見ていれば、いつかは実現する。
僕はそれを固く信じる。いや、それを感じるのだ。
今居る場所で自分ができることをやる。
それだけで未来は確立される。
「夢は実現するのよ」
ヘザーの言葉は今でも僕の心に響いている。

このトリップで出会った全ての人に感謝する。



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ジャパントリップ 25

2009-10-28 | 
 再び野郎3人、むさ苦しい顔をつき合わせて成田へ向かう。
 成田からブラウニーがカナダへ、僕とヘイリーはニュージーランドへ。ターミナルも別々だ。
 先にチェックインを済ませ、第二ターミナルのインフォメーション前で落ち合い、最後にビールを飲むという予定だったが、この3人で予定を立てても上手く事が運んだ試しがない。それは昨日始まった事ではない。
 僕等のチェックインで時間を取ってしまい第二ターミナルのインフォメーションに着いた時にはブラウニーの搭乗時刻になっていた。
 あちこち探したがブラウニーは見つからない。
 最後に友達に会えなかったことや、都会での疲れが重なってヘイリーは明らかに不機嫌になっていた。僕も全く同じ心境で不機嫌に黙って第一ターミナルに戻った。
「なあ、喉が渇いたな。どこかでビールでも飲もうぜ」
「賛成」
 というわけでレストラン街をウロウロしたのだがちょっとしたバーみたいなのが見つからない。
 後から冷静に考えれば、どのレストランでもビールはあるだろうし、ビールだけ注文してもイヤな顔をされる事はないだろう。しかしその時は僕もヘイリーも、レストランなんて洒落た所でウェイトレスにお席はこちらですなんて案内されるより、ブラッと店に入ってビールをキュッと飲みたい、そんな心境だったのだ。
 ところがそんな店がなかなか見つからない。同じ場所をウロウロしたりして、さきほどの不機嫌にビールが飲めない不機嫌が加わりますますむっつりするのであった。
 2人ともむっつりと出国審査を抜け、むっつりと免税店でお土産の酒を買った。
 その直後にバーのサインを見つけ、そそくさと店に入りビールを注文する。
「オイ、ここではエビスの黒があるぞ。来て直ぐの時ハヤピの家で飲んだ黒ビール覚えているか?」
「オオ、覚えてる。それでいこう」
 ビールが来て、カンパイ。現金なもので、ビールを飲んだ途端にさきほどまでの不機嫌さは消える。
「クーッ、ウメエなあ。なんか今回の旅は飲んでばかりだったなあ。オレ達何回カンパイをした?」
「数えきれないくらい。グフフフ」
「色々あったな」
「ああ、色々あった。グフフフ」
「西海岸からのバスがクライストチャーチに着いて飲み始めてからだぞ。最初から最後までオマエと一緒だとはなあ」
「ホントだな。オイ、ヘッジ、今回はオレを連れてきてくれて本当にありがとう。心からオマエに感謝している」
「よせやい、照れるだろ。オレは自分がやりたかったからやっただけだよ。オマエ達を日本へ連れて行ったらどんなに面白いだろう。ただそれだけさ。実際オレの予想以上に面白かったけどな」
「そう言ってもらうと嬉しいぜ。グフフフ」
「それより、オレは今回のジャパントリップをネタに使うぞ。オマエの事を書くぞ」
「オウ、何でも書いてくれ。グフフフ。オイもう一杯いこうぜ」
「いこういこう」
 さっきまでのむっつりがウソのように僕等は饒舌に話した。知らない人が見たら二重人格者だ。山のこと、雪のこと、人のこと、話す事は尽きない。そして再びカンパイ、再び話す。いつのまにか搭乗時刻になっていた。
「この先、搭乗口までの間に確かトレインみたいなバスみたいな乗り物に乗るはずだぞ」
「そうか、じゃあ早く次のカンパイをしよう」
「しょうがないなあ」
 再びカンパイ、再び話す。
 そのままカンパイをしつづけて僕等は飛行機を乗り過ごしてしまった、などという展開になったら、それはそれでバカバカしく面白そうだが、さすがに僕等もそこまでバカでは無く、無事機上の人となった。

 ニュージーランド北島付近は厚い雲に覆われていた。雲が切れている所からは深い青のタスマン海が広がる。
 ヘイリーが窓の外を覗きながら言った。
「見ろ、タラナキが見えるぜ」
 タラナキは富士山そっくりの山で高さは2300mほどだ。雲の海にピョコンと円錐形の島が浮かぶ。
「それならファカパパも見えるかな。あったあった。あそこだ」
 ヘイリーの指差すはるか彼方に、上部がギザギザの白い塊が浮かぶ。
「あれがファカパパかあ。初めて見た」
「オンタケそっくりだな」
「そっくりだ」
「楽しかったな」
「楽しかった」
 一つの旅が終わろうとしている。僕もヘイリーも、ガラにもなく感傷的になっていた。
『旅の終りはいつも虚しくて誰かと一緒に、気の会う仲間と OH Yeah』
 JCの唄が心の中でこだました。

 飛行機は除徐に高度を下げながら南島にさしかかった。カイコウラ山脈がうっすらと雪を載せている。
 窓の外を熱心に眺めている女の子と話し始めた。
「ニュージーランドは初めて?」
「ハイ。ワーキングホリデーで1年いるつもりです」
「そう、それは良いねえ。山が好きなの?」
「ハイ、大好きです。山歩きをしたくて、ニュージーランドに来たのです」
「そう、それはますます良いねえ」
「こちらにお住まいなんですか?」
「うん。冬はスキーガイド、夏はトレッキングのガイドなんかをしている」
 彼女の僕を見る目が変わった。ただの髭面のオジサンから頼れる山男へ格上げといったところだろう。
「あのう、何かアドバイスありますか?こうしたらいいとか?」
「そうだねえ、それならば、出来るだけたくさん歩きなさい。メジャーなトラック、ミルフォードやルートバーンだけじゃなく、国立公園のちょっとしたショートウォークや街の中の散歩道。30分や1時間のコースでも楽しい所は山ほどある。そんな事をやっていると1年間なんてあっという間に過ぎてしまうから時間の許す限り歩いてみな。この国は歩けば歩くほど奥深さが見えてくる国だよ」
「そんな話を聞いてワクワクしてきました」
 彼女のひとみは生き生きと輝いていた。良い顔をしている。きっと素晴らしいニュージーランドライフが待っていることだろう。

 クライストチャーチの空港では妻と娘が僕の帰りを待っていた。ヘイリーの女房ジューと娘達ハナとトメカも一緒だ。娘達は僕の娘を見つけ、深雪も気が付いたらしいが、やはり恥ずかしくて話ができなかったようだ。
 ヘイリーの家庭とも、今までより新しく深いつきあいが始まりそうだ。
 いつの日か彼女達が一緒にブロークンリバーのピークで夕陽を見ることが来るだろう。ヘイリーが娘達を連れて、夕陽を見ながら最終パトロールをした時のように。
『夢は実現するのよ』ヘザーの言葉が浮かんで消えた。
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ジャパントリップ 24

2009-10-27 | 
 翌日の朝、二日酔いで目を覚ました。
 昨日の夜、ホテルに帰って来たところまではおぼろげに覚えている。その後の記憶がぷっつりと無い。どうやら服を着たままベッドに倒れこんでしまったようだ。
 シャワーを浴び、頭をすっきりさせると昨日の記憶が断片的に頭に浮かんだ。『ブラウニーが来て、みんなで一緒に飲んで。そうだクミが案内してくれるんだった。それから駅でクミと別れ、ホテルに戻り・・・』やっぱりその辺から先は思い出せない。
 そんな僕を見てブラウニーが言った。
「ヘッジ、オマエ夕べは疲れなかったか?」
「なんで?」
「あんなすごい音を出して疲れないのか?」
「イビキか?」
 2人ともニヤニヤと頷く。
「そんなにうるさかったか?」
 再びニヤニヤと頷く。
「スマンスマン。昨日の晩は嬉しくなって飲みすぎちゃってなあ」
「そんなこったろうと思ったよ」
 僕は3つ並んでいるベッドの真ん中に寝て、2人に公平にイビキを聞かせたのだ。



 ブラウニーと一緒にコンビニへ朝飯を買いに行く。ヤツ等のお気に入りは、何種類もの野菜と果物のミックスジュース。ヤツ等曰くニュージーランドでも売ればいいのに、だそうだ。
 買い物を済ませ店を出るとヤツが言った。
「この国の店員はオハヨーゴザイマスとは言うけど、こっちがオハヨーと返すとびっくりするんだな。客がオハヨーという挨拶をすることを考えないのかな」
 確かに言われてみればそうだ。僕だってはっきりおはようと言うかどうか分らない。英語の会話では必ずグッドモーニングは言う。
 近くのパン屋へも立ち寄る。店員の明るい「おはようございます」に応える客は無く、皆無口だ。僕はつとめて明るくおはようと言い買い物をした。

 朝食後、チェックアウトを済ませるとクミが迎えにきた。父親の車を借りてきてくれて、彼女の運転で東京見物である。
 先ずは東京タワー。確か小学校の修学旅行で来たような気がするがよく覚えていない。
「アタシひょっとしたら初めてかもしれない」
 クミなど東京に住んでいながらそんなことを言っている。まあここに住んでいる人にはそんなものだろう。
 クミが曲がる所を間違えてプリンスホテルに入ってしまった。ずいぶん立派な建物だ。○○プリンスというのはあちらこちらにある。ここが何プリンスか知らないが、僕は一生縁の無さそうなその建物をぼんやりと眺めていた。
 土曜日の朝早い時間というのもあって、タワーの中は空いていた。エレベーターに乗って展望台まで行く。
 昨日行った羽田空港が見える。富士山もかすかに頭をのぞかせている。はるか真下にさっき見たプリンスホテルがある。周りの建物が高いのでまるで平屋だ。窓の数をざっと数えると十数回の建物か。
 再び視線を上げて周囲の高いビルを見る。ここでは街自体が上へ上へと伸びている。『バベルの塔』何の脈絡もなくその言葉が頭に浮かび、そして消えた。
 普段ニュージーランドを歩いていて森の持つ力、エネルギーのような物を感じることがある。
 都会にはそれと別の種類のエネルギーが存在する。街が持つ力とでも言うのか。
 僕はそれを明らかにはっきりと感じた。クミにそれを話すと、エネルギーを吸い取られる気がすると言った。
 乱立するビルを見ながら無性にニュージーランド、ルートバーンの森が恋しくなった。



 次は秋葉原である。クミが連れて行ってくれた場所は、最新の超大型店。中で迷ってしまいそうだ。30分後に入口で集合ということで、てんでに買い物をする。
 最新式の電化製品が店内にズラリと並ぶ。
 ブラウニーはヘッドホンを買いたいと言うので付いて行く。ヘッドホンのコーナーでは大きいのから小さいのまで、何十種類も並んでいる。これだけ多いと選ぶのが大変だろう。
 ヘッドホン一つとってみてもこうなのだ。その他ありとあらゆる電化製品でも同じはずだ。
 果たして本当にこれだけの物が必要なのだろうか。疑問は残る。



 買い物を済ませ、次は浅草へ。
 地元に住む人というのは強いものだ。クミは車をすいすいと走らせ、あっという間に浅草に着いた。
 自分でこのコースをまわるとなれば、地図で確認し、駅を探し、キップ売り場を探し、ホームを探し、電車に乗り、目的の駅へ行ったら再び地図で現在地を確認して、やっと目的の場所にたどり着く。面倒臭いことこの上ない。
 ましてや時間は無限にあるわけではない。僕等のスローペースなら、まだ東京タワーの辺りをウロウロしていることだろう。ガイドとはありがたいものだ。
 雷門の大提灯の前に人力車があった。漕ぎ手は足袋を履き、昔ながらの姿が勇ましい。イナセというのはこういう姿のことか。
 僕としては、ヘイリーとブラウニーに乗って欲しかった。特にヘイリーには、中仙道奈良井宿とでっかく書かれた編み笠をかぶって乗ってほしかったが、いかにせん時間が無い。
 僕等は門をくぐり仲見世に入った。中は僕が見ても面白い物ばかりだ。2人ともあっちを覗きこっちをひやかし楽しそうだ。
 ある店にラメが目一杯入ったドレスが掛けてあった。一昔前の歌手が着ていたようなドレスだ。すごいハデだなあ、一体誰が買うんだろう、と思った矢先ヘイリーが言い出した。
「オイ、ヘッジ。あのドレス女房の土産に買っていく」
「え~?本当に買うのか?」
「ああ、きっと女房は喜ぶぞ」
 そう言うなり店に入りサッサと買ってしまった。そうか、こういう人が買うのか。僕は納得した。こんなハデなドレスも奥さんのジューには良く似合うだろう。



 お参りを済ませ、屋台のお好み焼きとビールの昼飯。ポカポカと小春日和で気持ちがいい。近くの温泉の看板を指差しながらクミが言った。
「あそこの温泉あるでしょう。あそこはうちの友達がやってるのよ。よくヤクザも来るんだって」
「こんな所にも温泉はあるんだね。ブラウニー、ヘイリーあそこの看板が見えるか?棒が3本縦にあってその下にマルがあるだろ」
「ああ、あるある。ありゃなんだ?」
「あれがオンセンのサインだ」
「へえ、こんな街にもオンセンはあるのか。山の中だけだと思っていた」
「それであそこはクミの友達の家で、よくヤクザが来るんだって」
「ヤクザ?」
「ジャパニーズマフィアだ」
「へえ、ジャパニーズマフィアねえ。どんな人なんだ?居たら教えてくれ」
「居たらクミに教えてもらおう」
 ブラブラと歩き、ジャパニーズマフィアに会う事も無く車に戻る。
 僕もそうだが2人ともちょっと疲れたようだ。人込みの中を歩くというのはとても疲れるものだ。人が少ない場所から来ると、その事がはっきりと分る。
 上野まで送ってもらいクミと別れる。

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ジャパントリップ 23

2009-10-26 | 
 羽田空港に着いて到着時間を調べる。その時になって、ブラウニーの便名を書いたメモをホテルに忘れてきたのに気が付いた。
 まあ何とかなるだろう。その時には僕はまだ、ちょいとクライストチャーチの空港に友達を迎えに行くぐらいのつもりだった。
 たしかJALの1時40分出発と言っていたのでインフォメーションで聞いてみた。
「すみません。札幌を1時40分に出る便を教えて下さい」
「1時40分というのは無いですね。1時半ならあります」
「じゃあそれかな。それを教えて下さい」
「ハイ JL○○○○です」
「どうもありがとう」
 JL○○○○が到着して、僕達はゲートの所で待っていたが、待てど暮らせどブラウニーは現われない。荷物の受け取りの所には誰もいなくなってしまった。
「きっと何かの手違いで次の便で来るんだよ。それまでブラブラしていよう」
 僕は未だにのん気にそんな事を言っていた。

 札幌からの便は1時間置きにあるようだ。僕らは展望デッキに出て次から次へやってくる飛行機を眺めて時間を潰した。ひょっとして全日空かと思ったりして、別のターミナルへも行ってみた。もちろんブラウニーはいなかった。
 1時間経ち札幌便が着いたが待ち人来ず。
 再び時間を潰し次の便を待ったがブラウニーは現われない。
 さすがに僕もあせりだしヤツにもらったニセコの連絡先に電話をしても誰も出ない。何か事故にでも遭ったのだろうか。
 試しに清水の家に電話をしてみると親父が出た。
「オイ、ジェフ・ブラウンという人が成田から電話をしてきたぞ」
「えー!成田?それはいつ頃?」
 何故成田なんだ?成田空港ってのは国際線じゃあないのか。
「ほんの10分ぐらい前だ。それでこの電話番号に電話してくれとさ。いいか言うぞ」
 僕はメモを取って礼を言い電話を切った。
 そして自分のバカさ加減に腹をたてた。札幌から東京と言うのでよく調べもせずに勝手に羽田へ来て、おまけに便名のメモを忘れて確認もできず。
 いつまでも己のバカさを呪っても仕方が無い。
 さっそくもらった番号に電話をすると成田空港のインフォメーションだった。向こうが言うには、呼び出しをして電話番号を教えることしかできない、とのことだ。
 僕達は携帯電話を持っていない。ホテルまで30分以上かかる。僕達がブラウニーと直接話す事はできないわけだ。
 それなら誰か間に入ってもらおう。JCに電話をして事情を説明した。ホテルの名前と最寄りの駅を教え、ブラウニーから電話があったらそちらに向かうよう頼んだ。再び成田空港に電話、ブラウニーの呼び出しを頼み、JCの電話番号を伝える。

 やることはやった。
 僕達は羽田にいる必要がなくなったので、再びモノレールに乗りホテルに戻る。
 ヘイリーは人込みに疲れたのと、僕のいい加減さに呆れたのと半々の顔をしているが、自分では何もしていないので何も言えない。
 ホテルに戻り、まずJCに電話をいれる。
「ようJC、どう?ブラウニーから連絡があった?」
「あったよ。自力でなんとかそっちへ向かうって」
「そう、良かったあ。いやあ、まさか札幌から成田へ飛ぶとは思わなかったよ。まいったまいった」
「バカだねえ、全く。じゃあな」
 電話の内容をヘイリーに伝えるとヤツも安心したようだ。
 本来なら午後ブラウニーと落ち合いブラブラして、夜はクミと一緒にメシでも食おう、というシナリオだったのだが、こんなことになってしまった。
「じゃあヘイリー、クミと一緒に外に出るか?メッセージを残せばいいからホテルにいる必要はないぞ」
「いいや、オレはホテルにいるからオマエ達で行ってこい」
「じゃあ、オレ達は近くで飲んでるから、来たくなったらクミの携帯に電話をくれ」
「分った。オレは英語のニュースでも見てるよ」
「OK、ブラウニーは9時頃来るはずだから来たら連絡くれ」
「了解」
 そして僕はクミと夜の町へ出た。

 ホテルのそばの居酒屋で先ずはカンパイ。ブラウニーの事が気になるが、何かあったらクミの携帯に電話が来るだろう。文明の利器は便利だ。
 日本に来て2週間ほどになるが、僕は携帯電話を持たなかった。常に周りの誰かが持っていたので特に困ることはなかった。
 数年前あるスキー場で働いていた時、そこのスタッフ全員が携帯を持っていて、持っていないのはJCと僕だけだった。若い連中に良く言われた。
「じゃあ、JCとヘッジに連絡取りたい時はどうすればいいの?」
「手紙を書いてくれ。半年以内には返事が届くよ」
 そんなJCも携帯を持ち、僕だってニュージーランドでは携帯を持つ。
いまや携帯を持つことは当たり前であり、日本では携帯電話が無いと非常に不便なのだ。第一公衆電話が少なくなった。携帯の普及により誰も使わなくなったからだ。
 僕は携帯を電話として使う。必要な時以外は使わない。いろいろな機能がついているが使い方が分らないし、分ろうとしない。電話をかけられ、受けられ、メッセージを聞ければそれだけで良い。
 時代遅れと言われるかもしれない。しかし出来るだけシンプルにいきたい。それが僕のスタイルなのだ。

 クミの携帯が鳴った。ヘイリーだった。
「おうヘッジ、ブラウニーが来たぞ」
「そりゃ良かった。じゃあ俺たちは一度ホテルに戻る。5分後にホテルの前で会おう」
「了解」
 僕は嬉しくなり目の前の酒を飲み干し、ホテルへ向かった。
 2人はホテルの前で立ち話をしていた。
「ブラウニー!」
 僕は右手を差し出しながら叫んだ。
「ノー、ヘッジ、そんなのじゃ足りないぜ」
 そう言うなりヤツは僕を抱きしめた。そして僕らは背中をたたきあった。
 とりあえず腹が減っていると言うので近くの店へ行く。
「それにしてもスマン。本当にスマン。まさか成田へ行くとは思わなかったんだ」
「オレもあせったよ。何処を探してもオマエ達はいないし、途方にくれたよ。まあこうやって一緒に飲んでるんだから結果オーライだな。アハハハハ」
 ブラウニーに大きな借りができてしまった。
「だけどオレが思ったより早く着いたなあ」
「ああ、一度はこのまま成田で泊ってしまおうかと思ったけど、ヘイリーとヘッジと日本で最後の夜だしな。なんとか駅まで来たのさ。さて、どうやってホテルを探そうかなと思って駅から出たらヘイリーがいた」
「何で?偶然?」僕はヘイリーに聞いた。
「ああ、ニュースが終わって、なんとなくブラっとホテルの外に出てみたらブラウニーがいた。グフフフ」
 僕はすっかり嬉しくなり、また酒がすすんでしまった。
「じゃあ明日は午前中に東京観光。午後に成田へ向かおう」
「賛成」
 横にいたクミが話し出した。
「あのう、アタシ明日休みなのでよかったら案内しましょうか?」
「え~?いいの?本当に?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「ありがとう。それはおおいに助かる」
 ヘイリーとブラウニーにそれを告げる。2人とも僕のいい加減さを身にしみて知っているので大喜びだ。
 僕はますます嬉しくなり、気がついた時にはすっかりできあがってしまった。

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ジャパントリップ 22

2009-10-25 | 
 故郷清水で何日か過ごし出発の日、ヘイリーが言った。
「なあヘッジ、日本のトラディッショナルの履物があるだろう」
「下駄のことか?木でできているものか?」
「いや、違う。たぶん布だろう」
「足袋のことだろう。親指が分かれているやつだな。ニンジャが履いているのだろう」
「そうそう、ニンジャ・シューズだ。あれを使った事があるか?」
「ああ、昔足場を組んでいた時に使った。それから山の中で土方をやった時もだ。なかなか使い勝手がいいぞ」
「オレも自分用に欲しい」
「それなら作業服屋へ行こう。オマエが好きそうなものがたくさんあるよ」
 駅へ向かう途中で店に寄る。
「ホラ、沢山あるだろ。足のサイズはいくつだ?」
「31センチ」
「デカイなあ。そんなにデカイのあるかな」
 31センチの足袋は種類こそ少ないが幾つかあった。
「じゃあ、履いてみろ。この小さい金具をコハゼって言う。これをここの紐に引っ掛ける。靴下もそれようのヤツがあるからまとめて買っていくといいよ」
「ありがとう。お、こっちは手袋のコーナーか。皮の手袋が安いじゃないか。これは仕事に使えるな。作業ズボンだってこんなに安いじゃないか。日本はモノが高いのか安いのか分らんな」
「オマエがこの店を気に入ると思っていたよ。さあ買うものを買ったらいくぞ」
 駅まで送ってくれた父親に別れを告げ、僕達は再び旅の人となった。

 静岡から新幹線で東京へ向かう。雲が厚く富士山が見えない。
「残念だな、ヘイリー。今日は富士山は見えないや。次の機会に取っておけよ」
 ヤツはちょっと複雑な顔をして、グフフと短く笑った。
 途中の駅で止っている間に、直ぐ横をひかりやのぞみが200キロ以上のスピードで通り抜ける。
「なあ、ヘッジ、今通った列車と俺達が乗っているこの列車は違う線路を走るのか?」
「違うよ。一度駅を出たら同じ線路を使うんだよ。だから俺達の列車がこうやって駅に止っている間に速い列車をやりすごすんだ」
「なんとまあ・・・そりゃすごいな。スケジュールなんかどうなっているんだ?」
「知らん」
「だろうな」
 確かにニュージーランドの田舎では信じられないような事だ。
 停車時間が長いので売店でビールを買い込む。僕達の旅はこうでなきゃ。
「ここはアタミという場所だ。温かい海という意味だ。どでかいオンセンリゾートだぞ」
「この海は太平洋か?」
「そうだ。ここだと海を見ながらオンセンに入れる」
「それもいいなあ」
「次、来た時な」
「グフフフ」

 僕達がのんきにビールを飲んでいる間に、緑は除徐に少なくなり灰色の建物が増えてきた。そしてあっという間に列車はビルの群れの中に入る。
 品川で降りて山手線で大崎へ。線路の数、ホームの数を見て唸るヘイリーを見るのが面白い。
 今日の泊りは友達のクミが手配してくれた。自分の知らない土地では、そこに住む人の好意がとてもありがたい。東京のど真ん中で、ちゃんとしたホテルの3人部屋で12000円、一人4000円は悪くない。ニュージーランドドルに換算しても決して高くない。それどころか逆に安いかもしれない。
 クミはシャルマンのスキーセッションにも参加してくれて、メンバーとも会っているので晩飯を一緒に食べようということになった。
 チェックインを済ませ身軽になりホテルを出る。再び山手線で浜松町へ。ブラウニーを迎えに羽田空港へ向かう。
 駅地下のカレースタンドでビールとカレーの昼飯を取っていると、ある看板の文字が目に入った。
「オイ、ヘイリー、あの看板に書いてあるけど、オレ達貿易センタービルの中にいるんだぞ」
「へえ、そうか。日本にも貿易センターってあるのか」
「ああ、オレも今まで知らなかった」
「グフフフ」
「ここからはモノレールに乗って空港に行く。視点が高いからたぶん良く見えるよ」
 モノレールの窓から街を眺める。ビルの間を縫うように進み、やがて高い建物が減り、川の向こうに巨大な倉庫のような物が見えてきた。
 目をこらして見ると、とてつもなく長いトラック用のホームが延々と続く、しかも2階建てだ。『どれだけ大きいんだ、これは』と思ったころ、建物が切れて道路が出た。
 ホッとしたのも束の間、今度はクライストチャーチでこれより大きな建物は無い、というくらい大きい建物がでてきた。ビル全体が流通センターになっているのだ。
 さらに驚く事に、そんなのが奥にも横にも幾つも並んでいる。
 一体こりゃ何だ。まるでスターウォーズのオープニングじゃないか。
「ヘッジ、アレは何だ?」
「あれなあ。どうやらあれが全部流通センターみたいだな」
「なんとまあ・・・」
「ホントだな・・・」
 2人ともこんなことで東京の大きさというものを理解したのだ。

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ジャパントリップ 21

2009-10-23 | 
 ロッジに戻るとテラモトさん一家が御馳走を用意して待っていてくれた。ここでもマアマアドモドモである。
「テラモトさん、テラモトというのはスペイン語で地震のことを言うんです。何故そんなことを知っているかといえば・・・」
 南米ペルーへ行った時の話である。
 ある街で僕はタクシーを拾った。運ちゃんは僕が日本人だとわかるとベラベラと喋り始めた。
 南米に来て2ヶ月ほどだがスペイン語なんて片言しか分らない。何とか聞き取れたのがフジモリ。そしてブエノ、良いという意味の言葉だ。彼はニコニコしている。
 そうか、この人は日系のフジモリ大統領が良くやっているということを言いたいのか。
 僕は理解した言葉をくり返した。
「フジモリ?」
「シー!(そう!)」
「プレジデンテ(大統領)フジモリ?」
「シーシー!(そうそう!!)」
「プレジデンテ フジモリ・・・ブエノ?(フジモリ大統領・・・良い?)」
「シーシーシー!!!セニョール ムイブエノ!!(そうそうそう!旦那!とっても良い!)」
 その後、彼は別の事を話し始めた。今回は全く分らなく、彼はしきりにテラモト、テラモトを繰り返す。表情はさっきと違い悲しそうだ。
 うーん?テラモトって人の話だろうか。死んじゃったって言いたいのかな。それにしてもテラモトさんって誰だろう。
 スペイン語で『誰』という言葉を知っているわけでもない。そうしているうちに車は着き会話は終わった。テラモトという人の謎を除いて。
 あるキオスクで新聞のトップ写真が目に入った。なにか大災害のようすだ。
 見出しでテラモト ハポンの文字が読めた。知ってる言葉など少ないが拾い読みをしてみると、関西地方を中心に大地震があったらしい。
 関西大震災である。
 そうか、あの運ちゃんは日本で地震があったことを言いたかったのか。テラモトさんじゃなくて地震のことだったのか。
 こうしてスペイン語のボキャブラリーが一つ増えた。しかしこの言葉を会話で使ったことはそれ以来一度も無い。
「いつの日か本物のテラモトさんに会ったらこの話をしようと思っていたんですよ。どうやら今晩がその時だったようですね」
 テラモトさん一家はそんな僕のバカ話も喜んで聞いてくれた。

 一夜明けると外には抜けるような青空が広がっていた。
 ロッジの周りをブラブラと歩く。空気はキリリと引き締まり気持ちの良い朝だ。
 朝ご飯は洋食だ。コーヒー、パン、卵、野菜、そしてここの目玉は何といっても自家製ベーコンである。
 豚肉の旨みと燻製の香りが絶妙だ。ニュージーランドの家の近所の肉屋が作るベーコンもウマイと思ったが、ここのベーコンもいい勝負をしている。
 思えば日本ではロクなベーコンを食べた事がなかった。しっかりした肉を使い、手間隙を惜しまずに作れば、ベーコンとはここまでウマイものなのだ。
 煙で燻すという原始的な調理法はシンプルなだけに奥が深い。
 肉の種類、部位、塩加減、調味料、燻製のチップの種類、かける時間、これらのバランスで味はどのようにもなる。
 いつの日かじっくり時間をかけてやりたいことの一つだ。
 僕らが朝食を食べていると森から客人がやってきた。
「見ろよヘイリー、リスが来たぜ」
「ホウ、あれは原生か?」
「そうだ。かなり慣れているけどな。日本は原生の哺乳類が多いんだよ。昨日オンセンで剥製を見ただろ。あんなのもいるし、鹿や熊もいる」
 ニュージーランドには原生の哺乳動物はいない。哺乳類はコウモリが数種類いるだけだ。その他の哺乳類は全て人間の手によって持ち込まれた。それまでは鳥しかいなかったのだ。
 ポッサム(フクロネズミ)と呼ばれる動物は狸ぐらいの大きさだろうか。数が増えすぎて森を食い荒らして枯らしてしまう。
 ストート(オコジョ)は人間が持ち込んだ最悪の動物と言われる。原生の鳥を殺してしまうからだ。
 これらの動物は害獣と呼ばれ、道路に出てくれば問答無用にひき殺される。国立公園の森にはワナがいくつも仕掛けられている。
 ここの動物は森の先住民だ。僕らはちょこまかと走り回るリスを優しい気持ちで見ながら自家製ベーコンを堪能するのであった。



 ロッジの名前のように今日の天気は上天気である。こんな日は高い所から景色を眺めてみよう、ということで一番近くのスキー場、開田高原マイアへ。
 僕達のスキーは成田へ送ってしまったのでロッジのレンタルスキーを借りる。
 ところがヘイリーの靴が大きすぎてどのスキーにも合わない。ようやく見つけたのが50センチぐらいのミニスキー。
「ヘイリー、こんなの履く機会めったにないだろ。どうせ1本だけしか滑らないんだ。これを使ってみろ」
 僕はちゃんとしたスキーを借りられたので人事のように言った。
「知り合いのいない所でよかったよ。こんな姿ヒトに見せられないな。グフフフ」
 スキー場では1回券を買う。日本のスキー場は1回券があるのでうれしい。
 スキーを履いて上からの眺めを楽しみたいだけの人や、スキー場のてっぺんからバックカントリーに入りたい人にはとても良いシステムだ。
 ニュージーランドでは1回券は無い。半日券しかないので、こういった人でリフト券を買いたくない人は板を担いで歩くしかない。
 山頂からの眺めは良い。
 開田高原が眼下に広がり、正面には乗鞍がどっしりとかまえる。明らかに今まで居た上越の山と違う。
 ヘイリーもそれを感じ取ったらしい。このころになるとお互いに喋らなくても、何を考えているのか何となく分るようになった。
「ここはもの凄く冷える。晴れていてもマイナス20℃ぐらいになる。滑っていると頭がキーンって痛くなるんだ」
「アイスクリーム・ヘディック(頭痛)だ」
「それだけ冷えると鼻毛だって凍るんだぞ」
「グフフフ」
「あと、標高も高いだろ。街から来た人が一気にゴンドラで山頂に上がってくると高山病になる」
「そんな時は?」
「そのままゴンドラに乗って下ってもらう。それしか方法はないが、そうすると直ぐに良くなる」
「そうだろうな。この辺りの標高は?」
「スキー場のピークで2000mをちょっと越えるくらいだ」
「そんなに高くても森はあるんだな」
「この辺の森林限界は2200mぐらいかな」
 僕らがいるニュージーランド南島では森林限界は1000mぐらいで、2000mを超えるとそこはもう岩と氷の世界だ。
 こうしてトレッキングガイドの目で見ると日本の山も面白い。
 ヘイリーはミニスキーのコツを掴んだらしい。クルクル回りながら遊んでいる。 この男がこんなものを履くのは一生に一度かもしれない。
 僕は圧雪の所を滑ってもつまらないので、脇の森へ入る。木が混んでいてガンガン滑るというわけにはいかないが、何か林の中にいるだけで気持ちが良い。木々に挨拶をしながらゆっくりゆっくりと滑る。充実した1本だ。



 午後は観光である。中仙道に出て奈良井宿へ向かう。ここは宿場町で昔ながらの建物が残っている。ヘイリーは頭にかぶる笠と和傘を買った。良いお土産になるだろう。
 電車の時間が近づき、ハヤピ達が木曽福島の駅へ送ってくれた。
 今回はハヤピとテツに世話になりっぱなしで最後の最後まで彼らが見送ってくれた。ヘイリーも彼らの好意は強く感じ取ったようで
「ブロークンリバーへ来たらオレが責任を持って案内する」
などと言っている。マオリの男は情に厚い。
 列車に乗り込むと、再びこの男と2人きりになった。
 向こうも同じ事を考えてるのが分る。
 当初の予定では中央線で甲府まで行き、身延線でゆっくり富士川沿いの鉄道の旅を楽しむ予定だったのだが時間がなくなってしまった。名古屋へ出て、新幹線で静岡へ向かうことにした。
 木曽福島を出ると列車は谷間を縫うように走る。ある駅で積み上げられた材木を見てヘイリーが言った。
「この辺の主要産業は製材なんだな」
「そう。昔はこの川を使って木を下流に流したんじゃないかな」
「日本の建築は木が多いだろう。石造りのは無いのか?」
「そう言われてみれば石造りは無いな。何故だろう」
「木が豊富にあるからかな」
「地震が多いからじゃないか。木の建物は地震の時にしなって揺れを逃がすって、何かの本で読んだことがある」
「ナルホドな」
 そんな会話をしていると、車内販売の女の娘がやってきた。日本はこんなに可愛い娘がビールを売りにやってくる。いい国だ。
「オイ、ヘイリー、ビールを飲もうぜ。ビールを飲みながら景色を見て旅をするのが、日本の正しい鉄道の旅だ」
「グフフフ」
 僕らがビールを何本か空ける間に、列車は谷間を抜け農村、そして徐徐に車や建物が増え、いつのまにか大都会を走っていた。
 名古屋で乗り換えのキップを買う。ヘイリーが荷物を見張り、僕が2人分のキップを買う。キップ売り場の自動販売機で買おうとしたが機械の使い方が分らない。日本語で説明がかいてあるのだが理解できない。仕方がないので窓口で買った。
「ここからはバレット・トレイン、弾丸列車だぞ」
 ホームで列車を待っている間、ひっきりなしにのぞみ、ひかりなどが到着して去っていく。ロケットのような形をした列車をヘイリーが写真に撮っている。もちろんこんなの見るのも乗るのも初めてだ。
 列車に乗ると再びビールを買い込み、正しい日本の鉄道の旅をしつつ僕の故郷、清水へ向かった。

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ジャパントリップ 20

2009-10-22 | 
 イベントが終り、のんびりする間もなく能生を出なくてはならない。
 ヘザーは夕方のフライトでニュージーランドへ戻るし、ブラウニーも午後の便で北海道へ飛ぶ。
 スーはヘザーと一緒に名古屋へ行き、カナダまでの飛行機をつかまえる。
 僕とヘイリーは、テツとハヤピと共に御岳の麓へ行く。
 やることをやったらさっさと自分のペースで行動する。僕達らしい旅のスタイルだ。
 1週間世話になった対岳荘を出る。僕らの今回の滞在がここまで楽しくなったのはこの宿のおかげだ。
 ブロークンリバーのリンドンロッジでも同じ感覚を味わう。良い旅には良い宿が必要なのだ。



 来て数日めの朝、ヘザーが「宿の朝食でフルーツなどを出して欲しい。」と言ってきた。
 ところがその日の朝食にはすでにフルーツが並んでいた。僕とヘザーはびっくりしてシャチョーの息子のヒロシに聞いた。
「誰かがフルーツが欲しいって言ったの?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど、そろそろみなさんこういうのもいいかなって思って」
「ありがとう。実はヘザーについさっきそう言われてね。後で頼もうと思っていたんだ」
「みなさんに食べたい物があったら聞いて下さい。できるだけやりますから」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
 次の日から朝食では和食が進まないメンバーの為にコーヒー、パン、ミルク、ジャム、シリアル、ベーコンエッグといった洋風の朝食を用意してくれた。
 米のメシをウマイウマイと言って食う僕の為にも、味噌汁と米は相変わらず用意してくれた。
 サービスとは、もてなす気持ちだ。その気持ちが見えるからこそ、僕らの滞在がここまで快適となったのだ。
 雪が降る中シャチョー一家に別れを告げ、僕らは再び旅の人となった。
 次にここに来るのはいつになるのだろう。



 車3台を連ねて松本へ向かう。
 松本で名古屋へ行くヘザーとスーを送り出す。バス停で待つ間、僕らは口数も少なくブラブラとポスターなどを眺めていた。
 バスが来て荷物を詰め込み、お別れの時となった。
 ヘザーとテツは良い友達になったようで、なかなかお別れが終わらない。
 バスは待っている。
「ニュージーランドに来たら連絡してね。今度はアタシがテツの案内をするわ。絶対よ、絶対連絡してね。今回アタシは日本に来て本当に良かったと思っているの。本当にテツに感謝しているわ」
 こういった話が延々と続く。
 バスは待っている。
 そしてお別れに抱き合い、別れの言葉は続く。
 バスは待っている。
 僕の気持ちを代弁するようにブラウニーが言った。
「全く女ってのはなんでああなんだろう。そんな事言う時間、さっきまでたっぷりあったじゃねえか」
 デリカシーのかけらも無い男と僕は同じレベルらしい。
 ヘザーとスーを送り出して、次はブラウニーだ。ブラウニーは松本から北海道へ飛ぶ。チェックインを済ませるとヤツは言った。
「出発まで待つ、なんて言うなよ。オレは出発ラウンジへ行っちまうから、オマエ達は自分の事をしろ」
「わかった。東京で会おう。俺たちが空港に迎えにいくから」
「OK 頼むぜ。オレのフライトナンバーは持っているな」
「ああ、まかせとけ。じゃあな」
 男の別れは短い。
 この時点ではお互いにすんなり東京で会えるものだと思っていた。
 一人去り二人去り、残り4人。ヘイリー、僕、テツ、ハヤピの4人で御岳へ向かう。
 とあるロッジのオーナーが僕らを招待してくれたのだ。
 車は中仙道を行く。日本海側の厚い雲もここまでは届かず所々で青空が顔を出す。
「この辺りは日本の北アルプスと南アルプスの間だ。中央アルプスと呼ぶこともある」
「海岸沿いとは全然違うじゃないか。まるでアーサーズパスだな」
「そうだ。まもなく主分水嶺を越える。水は太平洋へ流れる。オレ達はナゴヤに着いただろ。あっちの方向へ川は流れる」
 車は木曽路から飛騨への道へ。
「実はなヘイリー、オレはこの辺りで1シーズン過ごした事があるんだ」
「いつの話だ?」
「7年ぐらい前になるかな。ここでもJCと一緒にやったのさ。雪はドライで軽いけど風が強いからみんな吹き飛んでしまう。パウダーなんてありゃしない、いつでもアイスバーンだ」
「シャルマンと正反対だな」
「ああ、スキー場は恐ろしくつまらなかった。だけど山に登ればここもなかなか良いんだよ」
 見覚えのある角を曲がり車は走る。懐かしい景色が流れる。
 山の中腹、木立の中にロッジ上天気はあった。
 木を主体にした造りはそれだけで雰囲気がでる。
 居間の本棚には『うわあ、これ読みたい』と思う本がぎっしりと詰まっている。本は圧倒的にアウトドア関連の本が多い。こんな場所で1週間ぐらい何もしないで、ただひたすら読書をしてみたい。
 このロッジのオーナーはテラモトさんである。
 ある晩、僕が部屋へ戻るとヘイリー達とテラモトさんとその友達ですっかり出来上がっていた。面白そうだったので僕もそのまま参加した。
 ヘイリー曰く、テラモトさんの英語は酔えば酔うほどに上手くなる。そんなテラモトさんが僕達を彼のロッジに招待してくれたのだ。



 ロッジから車で数分の所にやまゆり荘という温泉がある。ここに来るのも何年ぶりだろう。
 中に御岳のポスターがあり、ヘイリーがそれを見て言った。
「ヘッジ、この山はここにあるのか?」
「うん。今日はもう見えないけどな。俺達はこのあたりにいる」
 僕は写真の一点を指差して言った。
「驚きだな。ファカパパにそっくりじゃないか」
「ふーん。ファカパパってこんな形をしてるのか」
 ファカパパはニュージーランド北島にある山で、この国最大のスキー場がある。ヘイリーが最初に働いた山だ。
「ああ、見れば見るほどそっくりだ。てっぺんの形とか凸凹具合とか瓜二つだ。タラナキといいファカパパといい、なんでここまで似ているのだろう」
 タラナキはやはり北島にある山で富士山そっくりの形をしている。ラストサムライという映画の撮影で富士山の代わりに使われた。
 館内にはその他、カモシカや狸などの剥製がありヘイリーが珍しげに覗いている。
 温泉は内湯と外湯がある。先ずは内湯から。湯船で手足を伸ばして僕は言った。
「どうだ、ここの湯は?なんかヌルヌルと体にまとわりつく感じがするだろ」
「これがここの湯の質か。確かに今までとは違うな」
「それにここの湯は飲めるぞ。飲めるオンセンにはこうやってコップがある」
 僕は流れ出している湯をコップに取り飲んでみせた。湯は少ししょっぱく、いかにも地面の下から沸いてきました、という味がした。
「ほう、これがオンセンの味か、面白いな」
「さあさあ次は外の風呂だぞ」
 外は多少寒いが極寒の時を知っているので苦ではない。
 岩の風呂に入り空を見上げる。雲は無く夜空に星が瞬く。ヘイリーは湯煙の中だ。
「ここは内陸だからとても冷えこむんだ。マイナス20度ぐらいまで下がる。この風呂では頭は最後に洗うのさ。先に洗うと凍っちまう」
「グフフフ」
「ホントだぞ。それになあ、濡れたタオルをグルグル振り回すと数秒でカチンカチンの棒になる」

 長髪の友達の髪を凍らせてモヒカンを作った事を思い出し、それをきっかけに数年前の思い出が次から次へとあふれ出た。
 今になってみれば、その時の自分の若さ加減と、バカさ加減を冷静に見ることができる。いろいろな人に出会い、いろいろなことをやった。
 近くに立派な体育館があり、冬は誰も使っていないというので、近燐のスキー場のスタッフを集めてバレーボールのリーグ戦シリーズ、なんてこともやった。
 実行委員長は僕で事務局長がJCだ。付近の店やロッジがスポンサーになってくれて景品もあつまった。
 スキー場の寮から1番近くのコンビニまで車で1時間ほどかかる場所に僕達は住んでいた。娯楽が少なく体力を持て余している若いスタッフにはとても良いレクリェーションだった。
 それから、バンドを組んで近くの喫茶店を使わせてもらい、週1回のライブなんてこともやった。
 バンド名は、チャオ・ドンデ・エスタ・エル・バーニョ・コン・アミーゴス。長い名前をつけたくて、思いつく言葉を並べたのだ。『よう、トイレはどこだい、とその友達達』南米スペイン語を日本語に直訳するとこうなる。
 パトロールの中でギターを弾けるヤツがいたり、ベースとかドラムを持っているヤツがいて、興味のある人が集ってバンドになった。
 解散後、バンドのベースとドラマーが結婚するというバンドっぽい終わり方だった。
 その他フルーチェ8リットル作戦、コードネーム『砂漠の果樹園』やゼリー10リットル大作戦『いとしのゼリー』など、とても人に言えないようなバカなこともやった。
 バカな事は一生懸命やらなきゃダメだ。
 その時の教訓である。
 あの時にはまさかこんな形で自分が戻ってくるとは思わなかったが、イヤハヤ人生とは面白いものだ。

コメント (2)
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