今日はもう一人、タイの友達が来ると言う。
「いやね、キャッスルヒルで岩を登っていたら出会って連絡先を交換したんですよ。それでその次に行った時にも、たまたまバッタリ会いましてねえ」
「オマエ、それは『たまたま』じゃなくて、会うべくして会ってんだろ?」
「まあ、そうなんですけどね。なかなか面白い人ですよ。マー君と言って、年は30ぐらいかなあ。ワーホリで来てサーフィンとボルダリングをやってるんですよ」
タイにそういう形で出会う人でイヤなヤツはいないだろう。
引き寄せの法則通り、明るい光を持ったタイには明るい光を持つ人が集まる。
逆に心にひどい影を持つ人や、人を利用しようしている人は来ない。タイが放つ光がまぶしすぎて近寄って来れないのだ。
マー君が今日ここに来るのも『たまたま』だそうだ。それならばきっとボクにここで会うというのも偶然ではないのだろう。

そうしているうちに噂のマー君がやってきた。
マー君は涼しげな眼をした若者で、帽子からドレッドヘアーがはみ出ている。
顔全体から好い気があふれていて、なるほどこういう人がタイの所にやってくるのだ、と納得してしまう。
まずはビールを渡し乾杯。そしてビール片手にフォークスツアー。ガイドはもちろんタイである。
庭の隅から見える川、そして木々の間から小路へ入る。
「この前、ここにマウンテンバイクのコースを作ったんですよ。だけどこのコーナーでは絶対ミスれない場所なんですよね~」
確かに一つのコーナーのすぐ外は数mの崖。落ちたらかなり痛いだろう。
路は狭く曲がりくねり、所々に幅20cmぐらいの板が橋がわりに置いてある。マウンテンバイクでここを行くにはかなりテクニカルだ。
隣の家を経由して川へ降りる。
「この辺りでも昔は金を探したんでしょうねえ。その跡があちこちに残ってますよ」
確かに崖の腹には横穴があるし、岩を積み上げた跡もある。
川のすぐ脇には風呂がある。川の水をバケツでバスタブに入れ、その下で焚き火をして湯を沸かす、原始的な五右衛門風呂だ。
キミが風呂の用意をしてくれたのだろう。火が赤々と燃えている。
「まあ風呂が沸くまで2時間ぐらいかかりますけどね」
そして次のポイントはミズゴケの広場。
「ここでは靴下も靴も脱いで裸足でここに入ってください」
ガイドの指示には従うべし。はだしになりミズゴケを踏む。
普段はトレッキングブーツを履いてコケを踏むが、裸足だとまた違うものがある。
コケは柔らかく足を包み込み気持ちが良い。いいなあ、こういうのも。
次はタイが以前住んでいた家へ。ボクはこの家は何回か行った事がある。
ガレージにはクライミングウォールがあり、床には古びたマットレスが敷き詰めてある。その場ですぐに遊べる。
ボルダリングが好きなマー君は、目をキラキラさせながらホールドを掴んでいた。
そして家路へ。フォークスツアーはなかなかあなどれない。

家ではすっかり夕餉の支度が出来上がっていた。
今宵はサーモン尽くしのご馳走だ。出来立て納豆もある。
サーモンは刺身でも旨いが、漬けにして炊きたてご飯に埋めるとご飯の熱で身に火がとおり別の旨さになる。
照り焼きで焼くとこれまた違う味となる。骨できっちりとダシをとった味噌汁もいける。
キミが作ったサラダも旨けりゃ、ビールもワインもどっさりあるのが又良い。
たまたま、という理由でここに来たマー君はラッキーだ。皆ウマイウマイと飯をかきこむ。
若者がガツガツと飯を食らう様子は見ていて気持ちが良い。
ボクも20年前はそう言われて、あちらこちらでご馳走になった。
自分が受けた恩をその人に返すことは大切だが、同じ事を別の人にしてあげることも恩返しである。
そうやって人から人へエネルギーは伝わる。
こういう時は遠慮をしてはダメだ。腹一杯食うべし。それが礼儀だ。
クライストチャーチの我が家では若い客人によくこう言う。
「うちでは遠慮するな。遠慮したら追い出すぞ」
作る方としては旨い物を客人に食べさせたい、自分が出来ることで最高の物を出したい、見返りを期待することなく純粋に喜んで欲しい、と思い作るのだ。
高価な食材を使えばいいというものではない。
時には一杯のお茶でもいいし、人によっては1本のビールでもいい。庭に生えている野菜でもいいし、もちろん高価な食材の時もある。
ご馳走とはそういうものだ。
そこにあるもので最高の物を出す。真剣に一番旨いやり方で料理をする。
それがもてなしの心だと思う。
そしてそれが和食の真髄であり、茶の心であり、禅に通じるものだ。
全てひっくるめて日本の文化である。
遠いニュージーランドにいようと、こういう気持ちを持つことで日本の心を伝えることができる。

食後にビールを飲みながらギターを弾く。
チューニングを合わせ、ハーモニカを吹き歌を唄う。
日本語の歌は『名残雪』その他吉田拓郎の歌を何曲か。
英語の歌はボブデュラン。そし定番、マオリの歌。
自分のできる事をする。これが自分流のもてなしだ。
夜も更けてきた。寝る前に風呂へ入れてもらうことにしよう。これはキミのもてなしだな。
ヘッドトーチの明かりを頼りに茂みの小路を川へ下る。
バスタブには湯が張られ、湯気がもくもくと出ている。
手を入れるとお湯はかなり熱い。これは水でうめなきゃ入れないな。
川からバケツで水を汲み数m離れたバスタブにいれるのだが、このバケツが割れていて水が漏る。
キミはこれでバスタブ一杯の水を汲んだのか。ありがたやありがたや。
水を足し、湯の温度を下げる。手を突っ込み、まあいけるかなと思い、服を脱いで入ろうとしたが、やっぱり熱くて入れない。
こりゃお湯をある程度抜かなきゃ無理だ。
割れたバケツでお湯をこぼし、そこに川から水を汲みこむ。辺りはすでにびしょびしょだ。
真夜中に全裸でこんなことをするなんて・・・。フォークスの暮らしはとことんワイルドだ。
なんとか入れる温度にして湯船に身を浸す。ふう。
聞こえる音は川のせせらぎ。ヘッドトーチを消すと木立の切れ間から満天の星が瞬く。
うむ、悪くないぞ、これは。
タイのヤツめ、こんなことをしているのか、あいつは。
若くしてこんな楽しみを知ってしまったら、街には住めないなどと言うのも無理はないな。
夜の森のエネルギーを感じながら、ボクは湯船で一人、ここに存在する喜びをかみしめた。
続
「いやね、キャッスルヒルで岩を登っていたら出会って連絡先を交換したんですよ。それでその次に行った時にも、たまたまバッタリ会いましてねえ」
「オマエ、それは『たまたま』じゃなくて、会うべくして会ってんだろ?」
「まあ、そうなんですけどね。なかなか面白い人ですよ。マー君と言って、年は30ぐらいかなあ。ワーホリで来てサーフィンとボルダリングをやってるんですよ」
タイにそういう形で出会う人でイヤなヤツはいないだろう。
引き寄せの法則通り、明るい光を持ったタイには明るい光を持つ人が集まる。
逆に心にひどい影を持つ人や、人を利用しようしている人は来ない。タイが放つ光がまぶしすぎて近寄って来れないのだ。
マー君が今日ここに来るのも『たまたま』だそうだ。それならばきっとボクにここで会うというのも偶然ではないのだろう。

そうしているうちに噂のマー君がやってきた。
マー君は涼しげな眼をした若者で、帽子からドレッドヘアーがはみ出ている。
顔全体から好い気があふれていて、なるほどこういう人がタイの所にやってくるのだ、と納得してしまう。
まずはビールを渡し乾杯。そしてビール片手にフォークスツアー。ガイドはもちろんタイである。
庭の隅から見える川、そして木々の間から小路へ入る。
「この前、ここにマウンテンバイクのコースを作ったんですよ。だけどこのコーナーでは絶対ミスれない場所なんですよね~」
確かに一つのコーナーのすぐ外は数mの崖。落ちたらかなり痛いだろう。
路は狭く曲がりくねり、所々に幅20cmぐらいの板が橋がわりに置いてある。マウンテンバイクでここを行くにはかなりテクニカルだ。
隣の家を経由して川へ降りる。
「この辺りでも昔は金を探したんでしょうねえ。その跡があちこちに残ってますよ」
確かに崖の腹には横穴があるし、岩を積み上げた跡もある。
川のすぐ脇には風呂がある。川の水をバケツでバスタブに入れ、その下で焚き火をして湯を沸かす、原始的な五右衛門風呂だ。
キミが風呂の用意をしてくれたのだろう。火が赤々と燃えている。
「まあ風呂が沸くまで2時間ぐらいかかりますけどね」
そして次のポイントはミズゴケの広場。
「ここでは靴下も靴も脱いで裸足でここに入ってください」
ガイドの指示には従うべし。はだしになりミズゴケを踏む。
普段はトレッキングブーツを履いてコケを踏むが、裸足だとまた違うものがある。
コケは柔らかく足を包み込み気持ちが良い。いいなあ、こういうのも。
次はタイが以前住んでいた家へ。ボクはこの家は何回か行った事がある。
ガレージにはクライミングウォールがあり、床には古びたマットレスが敷き詰めてある。その場ですぐに遊べる。
ボルダリングが好きなマー君は、目をキラキラさせながらホールドを掴んでいた。
そして家路へ。フォークスツアーはなかなかあなどれない。

家ではすっかり夕餉の支度が出来上がっていた。
今宵はサーモン尽くしのご馳走だ。出来立て納豆もある。
サーモンは刺身でも旨いが、漬けにして炊きたてご飯に埋めるとご飯の熱で身に火がとおり別の旨さになる。
照り焼きで焼くとこれまた違う味となる。骨できっちりとダシをとった味噌汁もいける。
キミが作ったサラダも旨けりゃ、ビールもワインもどっさりあるのが又良い。
たまたま、という理由でここに来たマー君はラッキーだ。皆ウマイウマイと飯をかきこむ。
若者がガツガツと飯を食らう様子は見ていて気持ちが良い。
ボクも20年前はそう言われて、あちらこちらでご馳走になった。
自分が受けた恩をその人に返すことは大切だが、同じ事を別の人にしてあげることも恩返しである。
そうやって人から人へエネルギーは伝わる。
こういう時は遠慮をしてはダメだ。腹一杯食うべし。それが礼儀だ。
クライストチャーチの我が家では若い客人によくこう言う。
「うちでは遠慮するな。遠慮したら追い出すぞ」
作る方としては旨い物を客人に食べさせたい、自分が出来ることで最高の物を出したい、見返りを期待することなく純粋に喜んで欲しい、と思い作るのだ。
高価な食材を使えばいいというものではない。
時には一杯のお茶でもいいし、人によっては1本のビールでもいい。庭に生えている野菜でもいいし、もちろん高価な食材の時もある。
ご馳走とはそういうものだ。
そこにあるもので最高の物を出す。真剣に一番旨いやり方で料理をする。
それがもてなしの心だと思う。
そしてそれが和食の真髄であり、茶の心であり、禅に通じるものだ。
全てひっくるめて日本の文化である。
遠いニュージーランドにいようと、こういう気持ちを持つことで日本の心を伝えることができる。

食後にビールを飲みながらギターを弾く。
チューニングを合わせ、ハーモニカを吹き歌を唄う。
日本語の歌は『名残雪』その他吉田拓郎の歌を何曲か。
英語の歌はボブデュラン。そし定番、マオリの歌。
自分のできる事をする。これが自分流のもてなしだ。
夜も更けてきた。寝る前に風呂へ入れてもらうことにしよう。これはキミのもてなしだな。
ヘッドトーチの明かりを頼りに茂みの小路を川へ下る。
バスタブには湯が張られ、湯気がもくもくと出ている。
手を入れるとお湯はかなり熱い。これは水でうめなきゃ入れないな。
川からバケツで水を汲み数m離れたバスタブにいれるのだが、このバケツが割れていて水が漏る。
キミはこれでバスタブ一杯の水を汲んだのか。ありがたやありがたや。
水を足し、湯の温度を下げる。手を突っ込み、まあいけるかなと思い、服を脱いで入ろうとしたが、やっぱり熱くて入れない。
こりゃお湯をある程度抜かなきゃ無理だ。
割れたバケツでお湯をこぼし、そこに川から水を汲みこむ。辺りはすでにびしょびしょだ。
真夜中に全裸でこんなことをするなんて・・・。フォークスの暮らしはとことんワイルドだ。
なんとか入れる温度にして湯船に身を浸す。ふう。
聞こえる音は川のせせらぎ。ヘッドトーチを消すと木立の切れ間から満天の星が瞬く。
うむ、悪くないぞ、これは。
タイのヤツめ、こんなことをしているのか、あいつは。
若くしてこんな楽しみを知ってしまったら、街には住めないなどと言うのも無理はないな。
夜の森のエネルギーを感じながら、ボクは湯船で一人、ここに存在する喜びをかみしめた。
続