元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

父と僕の人生行路

2007年08月23日 | 店主の人生哲学
今回は、ちょっと僕の心の深い部分を明かす話を
します。それは、長年思っていた感情から、僕の
中で変化が生じてきたから、古い感情を捨て去る
意味でも書いてみたくなりました。

今、僕は父と2人暮らしをしている。

正直言って、本心から父を尊敬出来るようになった
のは、僕が商売を始めるようになってからかもしれ
ません。

父はもうすぐ70歳という年齢なのに、未だに四六
時中何かに怒っている。反抗期の少年がそのままの
感情を持ったまま年老いたような人です。酒が大好
きで、酒に飲まれた感もあり、今まで数え切れない
トラブルがあるが、それらは我が家の恥を晒す事に
なるので割愛させていただきます。

僕と父は性格も、考え方も一致点が一切無いとしか
思えない程、全く違うタイプです。そんな者同士が
一つ屋根の下に暮らせば、衝突は日常茶飯です。

でも、僕は16歳ぐらいから、衝突を控えた。

感情の起伏が激しく、口調も強く、大声で怒鳴り
散らし、凶暴な父親と対等にやり合う自信が僕に
はない。そもそも、僕が自分の考えや、理論的な
反論をして聞く相手ではない。悪く言うと自分
本位で我がままな面が多々ある。

だから、いくら理不尽であろうが、言いがかりで
あろうが、僕は何も反論せず「グッ」と我慢して
堪えることにしている。それが、我が家で平和に
暮らしていく手段です。

時々、父が何に怒っているのか、何で怒られている
のか分からない事もあるが、いちいち反論しない。
父は些細な事でも一瞬で「カー」っときて、怒鳴り
散らすタイプだが、耐久性は低い。僕が、何も
言わずにじっとしていたら5分ぐらいで鎮圧し
ます。

父は普段でも怒っているように見えるので、本気
で怒った時は、そりゃ強烈です。相手が目上だろ
うが、お客様だろうが、取引相手だろうが、ガラの
悪い兄さんだろうが、暴走族の集団だろうが、誰か
れ構わず喧嘩します。すべての者を敵に回そうが
我を通します。

だから、他人の意見や、自分以外の考えを認めよ
うとせず、何が何でも自分の尺度でばかり物事を
考えます。

また、今は亡き僕の母親は、そういう頑固一徹な
父親にとことん尽くし、父親の威厳を保ち続けて
きました。だから、僕が母親に父親の悪口とか
を言うと、すぐさま平手打ちが飛んできて

「あんたは誰のお陰で生活できてると思ってるの?
 お父さんを悪く言うようなら出て行きなさい」

と、言われ続けてきました。

そうやって、僕は自分の感情を抑えながら生きて
きた面が多く、いまだに父親に遠慮しているような
面もある。

だから、10代、20代前半までは、友達の家の、
気さくで、やさしく、社交的な、友達親子みたい
な関係に憧れていた。でも、隣の芝生を羨んだ
所で、現実は変わらない。

僕は父親を反面教師として、我が身を直してき
た面は多分にある。

でも、自分が母親に成り、母の気持ちが分かる
のと同じく、僕は商売人になり父の凄さを知った。

父は20代前半で商売を始め、つい最近まで
海産物を売っていました。

そんなに、多く儲けた訳でも、事業を拡大した訳
でもなく、細々とした素朴な生活ながらも、僕と
姉を人並みに育ててくれ、人生の分岐点でお金が
必要な時には、僕や、姉の力になってくれました。

父の人生は何を楽しみに生きているのか分からない
ほど、何十年も毎日毎日働き詰めでした。そんな
父を開放してくれるのが酒と歌だったのかもしれ
ません。

父は社交性なんて一切無く、常にしかめっ面で、
お世辞や、おべんちゃらのようなご機嫌とりなん
て絶対出来ない人です。本当に不器用な世渡り
下手な人間ですが、真っ正直な人です。
誰の前であろうと態度を変えず、常に自分を
貫く姿勢は、大人としては駄目かもしれませ
んが、男としてはカッコイイです。父のモラル、
倫理観、人生観は僕と全く違いますが、父は
自分が信じた生き方をブレる事無く、貫いて
います。

今では少数派になったであろう、気難しい
頑固一徹な父親である事を誇りにすら思える
ようになりました。

でも、僕は父のような生き方は出来ないし、
父のように成るつもりもなく、父のように
生きる必要もありません。父が生き様で示し
た「自分」という強い信念を抱きながら、
僕はもっと柔軟な「自分らしさ」を貫きたい
です。

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