元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

RAINBOW ROAD  様式美麺れいんぼ~への道  VOL.30

2010年02月24日 | RAINBOW ROAD
久々の「RAINBOW ROAD  様式美麺れいんぼ~への道」です。

僕が初心忘れない為に、開業時のエピソードを色々綴るシリーズですが、
半年以上もほったらかしですいません。

古くは、ゲタ屋は「下駄を製造販売・アフターケア」する職人&商人業で、
服屋も「服を作って売っていました」でも、大量生産による低価格化が
世に浸透し、古い職人商売は成り立たなくなり、靴屋は「靴の仕入れ、販売」
になり、服屋も「仕入れ、販売」と業種転換しました。

そして、個人店が集まり商店街が生まれ、何軒もはしご買いが当たり前でした。

しかし、デパートやスーパーが出来、コンビニが出来と、人々は利便性を求め
生活スタイルの変化により、全国の商店街が壊滅状態に陥りました。

しかし、デフレスパイラル気味の現在、価格競争で、真綿で自分の首を絞める
持久戦で、体力が持たない店は閉店せざるおえない、客争奪戦の商売戦国時代
です。個人商店には、価格競争にも参戦できず、金融機関も貸し渋り、軒並み
閉店に追いやられる時代です。

そして、大不況時代が訪れ、小売業は全般的に厳しく、「ダイソー」や「ユニクロ」
や「ニトリ」など、低価格小売業のみ業績を伸ばしています。そして、今や、
大抵の物はネットで買える時代で、ショッピングに関しては都会と地方の地域
格差は無くなりました。正直、CDや書籍は、ネットでタイトル検索し、宅配
してもらった方が便利です。

もう、ショッピングは家でする時代です。カタログ、チラシ、テレビ、ラジオで
までの通販時代は、まだ地域店の脅威では無かった物の、インターネットで
今までのショッピングスタイルの革命が起きました。

スーパーもネット販売時代に成り、注文から数時間後に自宅に配達も、珍しく
無い時代に成りつつありますが、スーパー側としては客のついで買いが減り、
サイト更新、ピッキング、梱包、配達など人件費が増え、スーパーのネット
事業は上手く行っていないのが現状のようです。

客の生活スタイルや、ニーズの変化に伴い、時代についていけない商売は
衰退します。

でも、飲食業とは、これらの影響は少ないように感じます。

要するに、昭和初期の商売スタイル・・もっと言うなら、江戸時代頃の商売
とも然程変わっていないと思います。包丁と食材さえあれば、料理人の腕
次第で時代の変化と関係なく商売が成り立ちます。

確かに、食の流行り、廃りはあるけど、確かな味を提供し続けていれば、
お客様にも信用してもらえるはずです。ネギシュレッターや、フードプロ
セッサーや、券売機など都会の店は使っているようですが、田舎では昔の
まま古いスタイルの調理器具でやっています。

大手の飲食店が味の均一化や、技術が無くても作れる簡易調理の為に殆ど
採用している工場製造のセントラルキッチンに、個人店が1から作るものが
負けるはずが無いと思います。だから、飲食店の基本「味」に関しては、
大手なんて何も怖くないし、何処でも食べられる物より、ここでしか食べら
れないというのが個人店の一番のセールスポイントです。

しかし、個人店で、冷凍食品や、大手のセントラル食品を購入しているよう
な店は、存在価値は無いと思います。飲食店としてのプライドも、自信も無い
手抜きと金儲けだけの商売人でしかないです。ラーメン屋の場合、スープを
濃縮スープや粉末スープなどインスタント的な物を使ったり、チャーシュー
を工場製品を使ったり、あんなのは同業者とは認めません。

しかし、僕も以前、食品会社に勤めていましたが、高級割烹・懐石みたいな
店が立派な所がも、「煮魚のタレ」「冷凍飾り切りニンジン」「処理済み冷凍魚」
とかの注文が多かったです。要するに、その店の料理人は、包丁を使わず、技術も
いらず、合わせたり、ちょっと加熱して、高価な器に盛れば、見た目は立派な
「割烹」になるのです。だから、知らぬは客ばかりで、手抜き店は意外と多いです。

だから、僕は、創業以来、そういった手抜きを誘発する業者が来た時は、必要以上
に怒ります。彼らも仕事なのは分かりますが、飲食業は、大手の真似をしたら
駄目だと思います。無個性な、個人店ほど魅力が無いものはありません。

RAINBOW ROAD  様式美麺れいんぼ~への道  VOL.29

2009年06月30日 | RAINBOW ROAD
5年前の今頃の時期、僕はラーメン屋勤務を辞め、自分の店
開業準備に奮闘していました。

手探りながら、ラーメン試作、経営学の勉強、業者探し、など
をくる日もくる日も続け、真夏に、「醤油ラーメン」で行こう!
と、結論づけました。

僕が書いた設計図通りに店は着実に施工され、厨房機器、食器、
備品も購入し、名刺も、チラシも出来、もう後戻り出来ない状況
の時、やる気にメラメラ燃えている反面、正直、ネガティブ
思考も沸きあがっていました。

「本当に僕に店の運営とか出来るのか?」
「こんな場所で、お客さんが来るだろうか?」
「醤油ラーメンが唐津でウケるだろうか?」
と、不安と恐怖を、空元気でなんとかねじ伏せていました。

僕がラーメン屋を始めようとしていた当時は25歳です。

取引業者とかに価格交渉に行っても、明らかに舐められていました。
まともに相手にしてもらえていない状況で、適当に軽くあしらわれ
ていました。

「どうせ実家が金持ちで、道楽息子が玩具として店をやるような、
オママゴト店なんだろ」なんて、事実無根な言われ様をする有様で
した。

僕は必死にラーメンについて勉強し、ラーメン屋勤務時代も、
吸収しようと頑張って、ラーメンに対する情熱や愛情は誰にも
負けなかったのに、25歳という若さが、経営者としては不利な
事が多かったです。

最初、取引していた業者は、あからさまな粗悪品を平気で納品
してきたり、見積もり時と納品時の価格が全然違ったり、納品
時間が遅かったり、舐めまくられていました。

僕は、飲食屋数店で働き、店が食材業者を怒鳴りつける場面を
何度も見て、無理難題や、強引な値切りに嫌悪感を感じていた
ので、僕は業者と対等でありたいと思っていました。

お客だからと、取引業者に無茶苦茶言う店はカッコ悪いので、
僕はパートナーとして業者と付き合いたいと思っていました。

でも、明らかに、僕が昔取引していた業者は、腐った物や、
商品価値がない物を納品してきました。品質なんて分からない
奴と舐めて、返品物や、古い在庫処理に使ったのでしょう。
しかも、僕が指摘すると、逆ギレで、ドスの利いた口調で
脅してきていました。その業者は、納品の度に値段を吊り上
げてきたので手を切りました。

開店するまで、当店を期待する者はいませんでした。

激励の言葉をかける者は少なく「どうせ無理やろ」
「半年持たんやろ」とか、いらん事ばかり言われ、周囲の
うるさい騒音にウンザリした時期もありました。

チラシを配っていても、通ぶった人達から、バッシング
されました。

でも、僕は自分が作る醤油ラーメンに自信があり
(補足:当店は開店当初は醤油ラーメン専門店でした)
店を開店したら、分かってもらえると信じていました。

つづく

RAINBOW ROAD  様式美麺れいんぼ~への道  28

2009年02月10日 | RAINBOW ROAD
飲食店とはFLコストを60%未満に抑えなければ
商売が成り立ちません。

しかし、人件費がいらない当店ですら、60%に抑え
きれません。材料に納得が行く物を使いすぎるあまり
原価率が抑えきれません。

懐石、割烹料理店並の品質の調味料を使っていたのは事実で、
例えば塩は「一の塩」なので、業務用の格安品に比べると
26倍の価格がします。でも、電気分解結晶と、天日乾燥
は塩の品質が全然違います。

また、料理酒の代わりに、清酒を使うので、4倍は高いです。

醤油も、一般家庭品に比べると4倍ぐらい高級品を当店は
使っています。

でも、材料自慢や、高いから使うのでは無く、ラーメン屋の
並の調味料では欠点が多すぎ、気になってしまいます。

例えば、一般家庭用の醤油は、脱脂大豆と言い、大豆の搾りカス
すなわちオカラを原料に作ります。でも、オカラでは旨味も色も
弱いから、着色料や、甘味料、旨味調味料、保存料など配合した
偽物醤油です。丸大豆と塩と麹のみで作るのが本来の醤油なのです。

添加物だらけの醤油は、やはり味も濁り、ぼやけます。添加物の
健康うんぬんを言うつもりはありませんが、純粋に味として
他店と差別化するには本物が必要でした。

しかし、残念ながら、添加物がこれほど氾濫し、紛い物だらけの
食生活に慣れた環境では、本物の価値を分かってくれる人が減少
傾向にあるのは事実です。

例えば、利尻産昆布、尾道産いりこでダシをとり、山村の手作り
信州味噌を溶いた、本物の味噌汁より、大手が大量生産したダシ入り味噌
をお湯に溶いた物の方が現代人の舌に合うのかもしれません。

また、回転寿司の、ラードやゼリー状のものを混ぜたネギトロに慣れた
人は、本物の寿司屋のネギトロを旨いと思わないかもしれません。

米と水だけで作るのが日本酒であり、麦芽とホップと水で作るのがビール
なのに、そういった本物より、一般に出回った添加物入りの方が旨い
という感覚に成ってしまっています。


だから、僕が本物の材料にこだわり、肉もガラも国内産しか使わない事は
店主の自己満足であり、お客さんが好む味とは違うのかもしれません。
でも、僕はビジネス思考だけではなく、人生をかけて恥じぬラーメンを
作りたいので、本来あるべき、本当の調味料は使っていきたいです。

ナショナルブランド、すなわち、有名、大手が全国に流通させた物なんて
興味がありません。僕は、小さくても地元佐賀県で、真面目に作り続けて
いる職人の調味料を使っていきたいです。

損益分岐点(採算ライン)ギリギリではありますし、ロス率が異様に高い
ですが、安心、安全、高品質を維持して真面目にやっていれば、利益は
ついてくると信じたいです。

RAINBOW ROAD  様式美麺れいんぼ~への道 27

2009年02月10日 | RAINBOW ROAD
開業準備にバタバタ忙しかった時期は、真夏で死にそうでした。

取引業者が決まってから、開業までにチラシ1000枚を
配る事にしました・・・・。

しかし、街中、駅付近、スーパー店頭でチラシを配るも、
誰もチラシを受け取ってくれません。

シャイながらも「今度、ラーメン屋がオープンします。宜しく
お願いします」とか声をかけても、20分に1枚配れるか
ぐらいで、大抵、冷ややかな視線を向けられる程度です。

積極的にチラシを渡そうと、歩いている人の前に差し出すと
邪魔者扱いで、走行中の自転車のカゴにそっと入れると、
自転車を止め、僕の目の前でグシャグシャに丸め、僕の足元に
投げつけられたりして心が折れそうでした。

だから、ポスティングに切り替え、アパートや、団地、マンション
を中心に配布しました。ただ、新規オープンのチラシを配っている
だけなのに、滅茶苦茶怒鳴られたりもして、暑いし、つらかった
です。バイトだったら辞めていますが、自分がこれからやろうとして
いる店の為ゆえ頑張りました。

夜に成ると、ラーメンの試作をしながら、構想を固めていきました。
また、本格的にビジネスの勉強も始めました。

砂利の空き地だった敷地が、モルタルを流し、地下工事も済み、いよいよ
棟上で、店舗建設が本格化していきました。僕が、設計した(図面は設計士
が書きましたが)理想の城がいよいよ姿を現し出した時は感動しました。


RAINBOW RODE・・・様式美麺れいんぼ~への道 26

2009年02月09日 | RAINBOW ROAD
「RAINBOW ROAD」とは、当店、開業に至るまで
を思い出しながら書くカテゴリーです。

当店、創業4年4ヶ月経っても、まだ、この「RAINBOW
ROAD」シリーズはなかなか開業話まで行きませんね。

今回は取引業者について書きます。

小売店同様に、飲食店も、仲卸業者から仕入れます。

店の建設工事期間中の夏場に、仲卸業者探しもしました。

肉類、野菜類にしても、生産者と契約したり、肉解体業者、
青果市場から仕入れるのは、規模が大きな飲食店には
有効ですが、個人商店は少量仕入れゆえ、なかなか交渉に
応じてくれません。

だから、二次問屋、すなわち仲卸業者から仕入れます。

唐津市の場合は、そんなに沢山の仲卸業者がある訳では無い
ので、業者選びは楽でした。しかし、競合仲卸が少ない分、
値段は割高です。福岡の業者の2割、3割増しは当たり前です。

しかも、営業してから気づきましたが、肉も、ガラも、野菜も
季節ごとに変動します。また、気候や経済的にバラつきがあり
ますが、ラーメン屋は時価で販売なんて出来ないので、営業
をはじめてから仕入れ値の変動に相当苦しめられました。

製麺所は、色々回った結果、地元の製麺所に決めました。
福岡の安い麺屋の3倍ぐらいの仕入れ値には成ってしまいま
すが、品質が良く、注文を受けてから作ってくれるので、お客
さんに出す際に、一番食べ頃の熟成具合いになるのが気に入り
ました。また、加水率、粉の配合、麺の切り刃と、当店の
少ないロットでオーダーメイドしてくれるのが何より良いです。
他の製麺所も度々、当店に営業に来られていますが、値段が
安くとも、しばらくは製麺所を変えるつもりはありません。
当店の味の生命線ですから・・・・。

肉屋は、社長の対応が良く、人柄重視で選びました。しかし、
3年半取引をして、納品の度にどんどん値上げし、当初の2倍
ぐらいの仕入れ値になっていったので、この業者との取引は
止めました。今は、もっと仕入れ値は抑えられ、品質が最高級
の業者と取引しています。

野菜屋は適当に選びました。少ない量でも納品に対応してくれ
ましたが、かなり粗悪品ばかり持ってきて、腐った野菜も少なく
なく、明らかに他社に卸せないゴミを当店に売りつけているのが
分かったし、何度注意しても、使い物にならない腐った玉ネギ、
しょうが、にんにく、ネギ、水菜とかを納品してきたので、
2年で取引をやめました。しかも、当時の仕入れ値が、スーパー
の小売店頭価格の2倍ぐらいと馬鹿らしい仕入れをしていました。

ビールは酒屋にしましたが、中ビン1ケース6500円ぐらいで
交渉していたのに、納品時は1ケース12000円ぐらいボッタくり
すぐに取引を止めました。

その他の仕入れは、毎週火曜日に、僕が小売店や、業務用スーパー
や、ホームセンターで仕入れています。

だから、当店の定休日は、当店の仕入れ日でもあり、仕入れに
2~4時間は費やし、時折、業者の店長や、社長や、担当者と
打ち合わせや交渉をしたりもあります。

RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~への道25

2008年07月08日 | RAINBOW ROAD
久々の「RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~への道」
なので、簡単に説明すると、開業秘話みたいのを回想し
て書いています。初心を忘れない意味合いもあり自分
の為に書いています。

今回は、当店の建設工事が始まってからの話です。

僕の開業に向け、いよいよ具体的に動き出した時期です。

僕にもやらなきゃいけない事が山積みでした。しかし、まだ
その時期は、僕は唐津市内のラーメン屋で従業員として勤務
していました。辞表を提出してから1ケ月しても辞めさせて
くれず、僕は勤務時間以外は、全て自分のラーメン屋開業の
準備に追われていたので身が持ちませんでした。

正直、他店のラーメンを作っている暇なんて僕には無く、
もう充分に義理は尽くしたので、半ば強引に辞めました。
ラーメン屋勤務時も、朝方まで勉強で、休日は打ち合わせで
飛び回っていました。

でも、もうラーメン屋勤務から解放された事で、開業まで
全時間を自分の店の為に尽くせるように成りました。確か、
僕が本気で打ち込みだしたのも、4年前の今頃の季節だと
思います。

まずは印刷屋に名刺とビラの発注をしました。

書類などで必要になる、店の印鑑も発注しました。

名刺、印鑑、ビラが揃った所で、今まで回ってきた色んな業者
から取引先を絞り、正式な契約を結ぶ事にしました。

肉屋、八百屋、調味料メーカー、食材卸業者、備品類卸業者、
製麺所、印刷屋、保険会社、ゴミ処理会社、酒屋、厨房機器メーカー、
など今後長い付き合いになるであろう取引先と交渉、商談、契約を
しました。

僕にとって取引先は、対等関係のパートナーなので、人間関係も
考慮しました。よく、取引先より上から目線で、横暴な店主とか
いますが、僕は営業マン時代散々ペコペコしまくって、無理難題
を押し付ける理不尽な扱いをされたので、当店に来て頂く業者とは
気を使わず互いに接せられる関係にしたかったです。

バンダナを製作してもらう為に、引地学園に発注しました。縫製工場
より安く出来るかな・・と見込んでいましたが、発注以上の手の込ん
だ刺繍までされたので、安くは成りませんでした。でも、4年間で
4本のバンダナを使い回していましたので、結構ボロボロに成ってき
ています。もうそろそろ、また発注しないといけないです。

夜は、経理学や、経営学関連の本を読み漁り、ノートにまとめたり、
メニューを考えたり、ラーメンの試作と、結構忙しかったです。

基礎工事が終わったり、敷地内に生コン打ちをされたり、着々と
店舗工事が進行し、当時は期待と不安が入り混じった感情だったです。

同時進行で、市役所、税務署、保険所、食品衛生協会、消防署など
色んな手続きが必要でした。

RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~への道24

2008年03月16日 | RAINBOW ROAD


今回は店舗の設計の話です。

僕は最初から、賃貸の店舗では無く、新築で平屋店舗を建てる
つもりでした。

借り店舗物件の場合、莫大な保証金を支払わないといけません。

今や大繁盛店の「なんでんかんでん」の川原社長のエッセイに
よると、2000万円の現金を持って不動産屋に行くと
「兄ちゃん、東京を舐めたらいかんよ。それっぽっちの金じゃ
保証金すらならんよ」と門前払いされたらしい。

店舗を借りるには保証金が必ず必要で、飲食店は店舗が汚れ、
痛みやすく、評判が悪い店だと、撤退後に次の入店希望者が
入りづらい分野ゆえ、保証金も割高です。
家賃の10ヶ月~20ヶ月は保証金にかかります。

それに加え、店舗の不動産契約時に、前家賃1ヶ月、
当月家賃1ヶ月、礼金1ヶ月、仲介手数料1ヶ月とかかります。

内装、外装、厨房工事、下水工事、ガス工事、水道工事、電気工事、
食器、調理器具、備品その他で700万円。

運転資金50万円とし、家賃20万円とし保証金20ヶ月とすると、
開業にかかるトータル出費は2230万円です。

よほどの資産家でも無い限り現実問題無理です。開業資金の半分以上
を借金でするのは、あまりにリスクが高すぎます。飲食店で、開業か
ら半年足らずで撤退する店が多いのは、売り上げに対し、借金額や
家賃が高すぎる事にあります。

多分、多くの人はご存知無い店だと思いますが、唐津市には3日で
閉店したラーメン屋もあります。何故なのか謎のままです。

先日「とり一」の前を通っていると、ユンボーで崩されていて悲しい
気分に成りました。「一麺亭」時代は大好きでよく通っていました。
「げってんや」は「つけめん」をフューチャーした店で、唐津に
「つけめん」文化を普及してくれるか期待していましたが、残念な
がら短命でした。新スタイルはなかなか受け入れづらいのかもしれ
ないないです。「さがらーめん がばいが一番」の閉店も同様の
理由と思います。唐津で坦々麺は普及しなかった・・って事でしょ
うか。

どんどん、話が横道に反れるので、強引な軌道修正をします。

「様式美麺れいんぼ~」は、もっと狭い店になる予定でした。
カウンター10席程度のこじんまりとした店をイメージして
いましたが、施工業者と打ち合わせを重ねるうちに、割と
ゆったり目の店になりました。

僕の浅い経験から使い勝手の良い店舗をイメージし、外装は
虹色で度肝抜くインパクトをイメージしました。
立地が凄く悪く、まともな経営者なら、まずやらないような
場所ゆえ「何じゃコリャ」という良かれ悪かれ、派手さが
必要でした。親戚の松本工務店と何日も打ち合わせをし、
設計士から図面化してもらった時は感動しました。

いよいよ、僕の夢が動き出した瞬間でした。

飲食店は、保健所からの設置義務項目や、施設基準というのが
山ほどあります。もし、規定違反だと営業許可証は発行され
ませんし、改装命令が出されます。もし、全体的に飲食店に
不適格な店舗の場合は建て直しも命じられます。

だから、図面を保健所に持っていき事前指導を受けました。

保健所の主な検査項目は、
①客席と厨房は段差を作る。
②厨房と客席には扉の設置。
③換気扇の設置(害虫網戸つき)
④トイレの設置。
⑤お客用の手洗い場の設置。
⑥調理器具、食器への消毒・殺菌設備。
⑦冷蔵庫は温度計設置。
⑧厨房の排水は流れやすく、金網。
⑨厨房の壁は耐熱材及び、防火加工。
⑩内装は床から1メートルは耐水材。
⑪食器、材料の管理、保管場所は、害虫侵入防止設備
⑫食材の取り扱い量保管設備
⑬下がり壁施工
⑭下水はグリーストラップを設置
などなどです。今、覚えている限りだけ書き出しましたので
まだ沢山あります。

2回目の保健所訪問で、図面の合格が出て、いよいよ工事が
開始いたしました。



RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~への道23

2007年12月18日 | RAINBOW ROAD



久々なので、この連載「RAINBOW ROAD」が
何なのか簡単に説明します。

何故、僕がラーメン屋を開業したのか、開業までの
エピソードなどを書いています。忘れないうちに
書き留める事と、回想する事で初心に戻る意味で
不定期連載をしています。

今回は、いよいよ具体的な開店準備の頃の話を
します。

父の説得も成功し、具体的に行動しだした当時の頃
の事です。

事業計画書を全て見直し、徹夜で修正作業をしました。

この頃「様式美麺れいんぼ~」という屋号を決めました。

僕は「○○亭」「○○屋」「○○軒」とか、平凡なラーメン
屋らしい名前だけは止めようと決めていました。

ラーメン屋ですが、僕の気持ちは「ニッチビジネス」
「隙間産業」「ベンチャー・ビジネス」の起業家の気分
でした。簡単に言うと革新店にしようと意気込んでいました。

大企業、大手は大衆向けの無個性な商品、サービスを提供し
ています。いわゆる、万人ウケです。でも、僕はこれからの
時代は「プレミア感」こそ価値あると信じて疑いませんでした。

流行に流されない独自性の価値観で運営している特殊なラーメン
屋は、潜在的需要や新奇好みの人に受け入れられると信じて
いました。

一般ノウハウ型やマニュアル型の店に飽き飽きしている潜在需要
があると信じていました。でも、今まで無いスタイルの店というのは
かなり危険も伴います。安全商売を考えていたら絶対に手を
出してはいけない分野です。でも、僕しか出来ない、僕しかやら
ない、僕の色を全面に出した店は、従来型店へのアンチテーゼ
でした。型破りな個性店は、都会では成功の策略ですが、田舎では
敬遠されるのがビジネス・セオリーです。でも、僕はビジネス・
セオリーの逆風に立ち向かう道を選びました。

薄利多売の飲食業では集客率が全てですが、僕は100人の客が
1回来る店より、10人の客が10回来る店が作りたかったです。
あえて、少ない需要をターゲットにしました。でも、この綱渡り
商法はリスクがかなり高いです。飲食業は、3年以内に閉店する
店が80%~90%です。要するに、飲食業は競争率が最も高い
分野だけに独立開業は非常に危険です。開業する人はみんな腕に
自信がある人達ばかりです。それに、老舗クラスが強い業界だけ
に、独自のニューウェーブスタイルに賭けるしかありませんでし
た。

多分当店は、一般的なラーメン屋や、普通のトンコツラーメンが
好きなお客様には合わない店だと思います。でも、大企業、大手、
大資本がラーメンブームに乗って参入してきたからこそ、僕は
大量生産、マニュアル型の画一サービスでは出来ない、個人店
ならではのフリー・スタイルさを全面に出そうと決めました。

ラーメン屋は数あれど、僕が作りたいラーメン屋は特殊スタイル
だから、他に競合店が居ない、ある種「独占企業」だと思って
います。そういう意味で「何じゃこりゃ?」と度肝抜くような
名前で、呼びやすい屋号が必要でした。

今は覚えていませんが、確か30個ぐらい名前の候補を挙げて
いました。僕は占い、迷信、ジンクス、縁起担ぎめいた物には
興味が無いので、画数などどうでもよかったです。ただ、僕らし
い物を突き詰めた結果「ハードロック&ヘヴィ・メタル」に
行き着きました。

僕は中学1年でハード・ロック/ヘヴィ・メタルに目覚めて
熱い青春を送れました。もし、ハードロック/ヘヴィメタルに
巡り合わなかったと思うとゾッとします。どんなに辛いことが
あってもハードロック/ヘヴィメタルを聴いたり、ギターを弾い
たりで随分助けられました。ハードロック/ヘヴィメタルを
聴き、ヘヴィメタル雑誌を読み、友人とヘヴィメタルについて
何時間でも語り合い、自分で作詞・作曲し、バンドでドラムを
演奏し、ライブでアグレッシブに演奏し・・・と、ハードロック/
ヘヴィメタルに関する事をやっている時が一番楽しく、一番幸せ
でした。中学時代から僕の頭の中はハードロック/ヘヴィメタル
の事でいっぱいで、ハードロック/ヘヴィ・メタルは生きがいで
あり、僕の人生そのものでした。

僕が店を作るなら「ハードロック/ヘヴィメタル」を切り離す
事の方が不自然です。だから、自然な流れで屋号は「曲名」か
「バンド名」と決めました・・。

中学1年から今でも最も好きなギタリストは「リッチー・ブラッ
クモア」です。「リッチー・ブラックモア」の演奏、作曲、パ
フォーマンスはもちろん、人生哲学、思想も僕に多くの影響を
与えました。クラシック音楽のオマージュや、作曲理論、
演奏にまでもクラシックの要素が垣間見れ、後にブームになった
ネオ・クラシック・スタイル、シンフォニック・メタルの基礎を
築きました。また「リッチー・ブラックモア」率いる「レインボー」
の特徴とし、メンバー交代を12回もし、自らの求める音楽の為に
容赦なく厳しく、音楽スタイルもアルバム毎に大きく変貌していき
ました。

僕は、最初から店の味について「味を変える必要性があれば変える」
と決めていました。常に自分が納得いくスタイルで、今作れる最高
の物を出したいと思っていました。レシピや味を守り抜く事よりも、
常に進化し続ける店を目指しました。そういった姿勢は「レインボー」
に近いと思い、願わくば「レインボー」のような偉大なる革新なバンド
とし功績を残したいとも思い、屋号は「RAINBOW」にしました。

唐津市のシンボルでもある「虹の松原」ともかけています。

でも「RAINBOW]では、子供さんとかは読めないと思い、
「レインボー」にしました。でも、もっと軟らかい雰囲気を出す為
平仮名で「れいんぼ~」で、ほぼ決定しました。

もっとカッコよさを付けたく「HMれいんぼ~」としようか?とも
思っていました。HMは「ヘヴィメタル」という意味と、僕の
イニシャルがH.Mだから、なかなかいいとも思っていました。

でも、漢字が欲しくなり、雑誌で「レインボー」の記事に必ず
付けられる「様式美」を付ける事にしました。「ネオクラシック・
ハードロック」は別名「様式美系ハードロック」と言われています。

そして、ラーメン屋だから漢字で書いた「拉麺」の「麺」を取り、
「様式美麺れいんぼ~」にしました。

この「様式美麺れいんぼ~」という屋号が決まった事で、一気に
開業プランが現実味をおび、メニューや内装や外装のアイデアが
出てきました。

RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~への道22

2007年11月20日 | RAINBOW ROAD
今回は開業時の当店のラーメンが生まれるまでに
ついて書いてみます。

皆様もご存知のように、当店はラーメンの味を変化
させる事をためらわず、自分が納得出来ない箇所が
あれば改良を今もし続けています。

だから、開業時の醤油ラーメンも毎日のように味を
変え続けていました。

開業寸前は、袋小路に迷い込むほど、色々悩みまし
た。

僕のラーメンの大きな柱となったのは魚介味でした。
でも、扱いが非常に難しく、最初は1杯の味にまとめ
る事に苦心しました。

当時聴いていたバンド「メロウ・キャンドル」のような
懐かしさと斬新さが融合した物を追い求めていました。

濃厚な塩水で昆布ダシをとり、とろ火でじっくり水分を
飛ばし再結晶させる塩作りという何処の店もやらない
製法をする事にしました。

また、醤油を長時間煮込み、ドロドロのソース状態のペー
スト状態にし、いりこダシと清酒とみりんでといたりも
しました。

元ダレに魚介ダシをしっかり効かせる為(元ダレに魚介
ダシを効かせる製法は定番ですが、当時の僕は知りませ
んでした。普通はチャーシュー肉を元ダレで煮込みます
が当時は、チャーシューダレは別に仕込んでいました)
宗田節、かつお節、サバ節、昆布でじっくり煮込む事に
しました。

開店当時のレシピは残っていないので、記憶に頼ります
が、スープは鶏胴がら、モミジ、手羽先が全体の半分以上
で、豚骨はゲンコツのみを使用していました。
そして、別の寸胴鍋で、いわし煮干し、アジ干し、
厚削りかつお節、厚削りサバ節、厚削り宗田節を使用し、
動物系スープ、魚介系スープが完成すると、漉して
1つにまとめていました。

でも、試作の段階で、懐かしい味わいですが、斬新さに
欠けました・・。

周富徳が解説している中華料理の本を見ていると、
麺料理のレシピがビックリするほどシンプルです。
大量の水に、少量のガラを短時間煮込み、元ダレな
ど作らず、どんぶりに塩、中華醤油、
紹興酒、化学調味料を加えただけの物でした。どのページ
を見ても、ラーメンの具材こそ豪華なものの、スープへの
こだわりが一切感じられませんでした。その本からは
鶏がらの血抜きや下処理の仕方ぐらいだけ参考にしまし
た。「こんなラーメンでも人気店なんだから、完全に
納得行かないけど、僕の今のラーメンでもいいんじゃ
ないだろうか?」と妥協しそうになった時期もありました。


当時ハードロック界は「ダークネス」が流行っていました。
奇抜なパフォーマンス、奇抜なファッション、気持ち悪い程
のファルセットボーカルと僕は全く興味がありませんでした。
でも、ラーメンについて考えながら友人に借りた「ダークネス」
を聴いていると・・・・

「なーんだ。リフやメロディはオールド
スタイルじゃん。割と平凡だけど普遍的なカッコイイ演奏に
個性満載なボーカルなんだ・・。いや、もしボーカルが平凡
だったら「ダークネス」は今ほどの人気は確立していないはず・・。
個性的なあのボーカルがフロントマンとして目立っているから
「ダークネス」は斬新なバンドという印象を受けるんだ・・。
安定して高度なバック演奏と、一度聴いたら耳に残り、映像で
見たらしばらく忘れられないようなボーカルで「ダークネス」
は成り立っている・・。コレだ・・。僕はラーメンを
「ダークネス」化する・・。」
と思い立ちました。

要するに、煮込み時間を延ばし、途中ガラの入れ替えをし30
時間煮込みボディがシッカリした動物系スープを作る事にしま
した。そして、魚介素材の量を3倍にし、魚介風味がプンプン
するラーメンにしました。

そう、「ダークネス」のバンド演奏が動物系スープであり、
個性的ボーカルが魚介系スープです。「ダークネス」のように
好き嫌いが2分化するようなガンガン個性的なラーメンを
開発しました。魚介風味を抑え、全体バランスを考えるから
平凡さから抜け出せませんでした。食べた人の半分の人が
受け入れなくても仕方が無いけど、一部の人は滅茶苦茶
ハマるラーメンを作ろう・・と、開き直りました。

唐津市には魚介系ラーメンが無いので、受け入れられるか
どうかは不安でした。また、麺も唐津市には無いようなクチナシ
着色の多加水太ちぢれ麺ゆえ、従来の唐津市のラーメンとは
異色のスタイルでした。でも、自慢の特注ちぢれ麺の旨さは
きっと分かってもらえるという自信はありました。

また、茹で加減もやや固めのアルデンテなので、
腰砕けずんだれ麺文化の佐賀県では挑戦的なラーメンに
なりました。

一般的な従来のラーメンを求めてご来店になられるお客様には
当店の味は気に入って頂けないリスクはありましたが、ラーメン
ニューウエーブを求めておられる方の期待には答えられると
思っていました。

「メロウ・キャンドル」のような懐かしさを持っている、
斬新さは、実現出来たと思います。

唐津市にも沢山のラーメン屋があるので、当店のような風変わ
りな店があってもアリかな・・と、勝手に思っています。

ただ、開店から2,3か月で醤油ラーメン専門店のスタイルを
捨て、徐々に変貌を遂げ現在があり、これからも味を存続させ
る事にはこだわらず変化・進化・改良をしていきまうs。

RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~への道21

2007年11月20日 | RAINBOW ROAD
今回で父へのプレゼンの話は終わらせます。

僕が当時作りたく、自分が店を持ったら出した
かったラーメンは魚介醤油ラーメンでしたが、
父は醤油ラーメンが好きじゃなかったので、
父にラーメン開業を認めてもらう為に
久留米のラーメン屋「丸星ラーメン」の自己流
コピーラーメンを作りました。

元ダレはシンプルで、昆布、かつお節を
薄口醤油、さしみ醤油、塩、みりん、酒で煮出し、
チャーシュー用ブタバラブロックを煮込んだ物を
使用しました。

香味油もシンプルに、ラードに玉葱とニンニクを
入れじっくり揚げだした物でした。

そして、スープは、丸星の濃厚さを出すには
家庭のキッチンでは無理があるので、ダシが出や
すい鶏の手羽先、手羽元、豚のアバラ骨、背ガラを
メインに、ゲンコツも加え煮込みました。
濃厚さを出す為に背脂と豚ミンチも入れました。
勿論、全て血抜きし、骨を割ったりした物を使用
しました。

今、作っているスープと比べたら製法も材料も
チープな、シンプルなラーメンです。

強火でガンガン炊きながら、鍋の前でスープを
見つめアクが出てきたらひたすら取り続け、水を
足したり、香味野菜を入れたりしながら10時間
煮込みました。

側から見たら、スープを見続ける作業は面白みが
無い様に見えるかもしれませんが、これが結構
面白いです。特に白濁系スープは徐々に色の変化
も楽しめます。いまだにスープを煮込む作業は
好きです。多分、この作業が苦痛に感じる人は
ラーメン屋は出来ないと思います。

特に個性も何も出さず、父の好み100%の思い
で作りました。

父に出し、緊張の一瞬でした。

父は終始無言で、スープまで全て平らげました。

お茶を飲みながら
「よし、やってみろ。お前はどうやら本気みたい
だな。ただ、俺は開業の準備も、開業後の手伝い
も何にもせんぞ。お前一人で全てやれよ」

と、父から開業への許可が下りた。すなわち、
開業場所の確保と開業資金を借りる事が出来ま
した。

いよいよ、開業に向けて具体的に動き出しました。

すぐに親戚の工務店に僕が書いた設計図を元に
図面化して頂き、見積もりを出してもらう為に
何度と無く打ち合わせをしました。

父へのプレゼンの数ヶ月前から事業計画は着実
に進行していたので、打ち合わせはスムーズに
いきました。



RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~への道20

2007年10月09日 | RAINBOW ROAD
僕が店の開業計画を父に打ち明け、最初は許可しなかっ
た父が協力体制になってくれたエピソードからお話しします。

僕は何が何でも自分のラーメン屋をやりたい意思を貫き、父
に理解してもらい、資金面の援助を求めました。

僕がラーメン屋をすると言い出した時は、周囲の皆が驚き、
「無理やろうもん」「やめとったがよかよ」「無茶するよなー」
とかネガティブな意見が多かったです。

無理もありません。僕は接客が苦手で一般ショップの販売員の
ような仕事は極力避けてバイトや就職をしてきました。人見知
りするし、社交性や協調性に乏しく、口ベタで、あがり症で
シャイです。親しい友人間で馬鹿騒ぎするのは大好きですが、
基本的には暗い、内気な人間です。そして、すぐに落ち込むし、
逆境に耐え続けるほどの強い精神力も備えていません。

要するに、商売人、サービス業、経営者に僕は不適正な人格
だと思います。でも、自分がラーメンが好きで、好きでたま
らなく、ラーメンを自分の一生の仕事にしたいと思った気持ち
は抑えようがありませんでした。他人が作ったサービス、商品
では無く、不器用なりに自分が1から作り上げた物でやりたい
と思った以上は、何とか自分の店を開店する必要がありました。

周囲がとやかく言おうと、僕はラーメン屋開業の夢はブレる事
無く、自分がラーメン屋の厨房にたって調理しているのをイメー
ジするだけでワクワクしていました。でも、とやかく言わせては
いけない人物が1人います。父は僕が商売人向きじゃ無い人間で
ある事は充分すぎるほど見透かしています。いや、友人以上に
僕を過小評価しているかもしれません。

僕と父の関係にも問題があったのかもしれませんが、父は毎日
飲んだくれて、高圧的に大声で怒鳴り散らすので、僕はずっと
父に歯向かう事はせずに唇をかみ締め耐え抜いてきました。
だから、父には自然な自分を出せず、常に遠慮がちに、
父親を怒らせないようにする事だけを考え、言葉を選んで
会話をしていました。
だから、流血ものの壮絶な殴り合いの喧嘩を対等にやりあっ
ていた父と姉の関係とは全く違い、父から見ると僕は大人し
く自己主張しないつまんない人間と映ったはずです。

だから、父は僕が商売人に成れる器量も、技量も、甲斐性も
無いと人一倍思っていたはずです。

だから、僕がラーメン屋開業計画での父との論争・対立は
相当なものがあり、父に初めて見せる情熱的な僕の姿には
父も驚いたと思います。

でも「もし父を説得出来なかったら?」という選択は、僕にはあり
ませんでした。父すらも同意してくれないようなら僕にはラー
メン屋をする資格がない。っと、簡単に諦めれたら楽でしょう
が、僕には父へのプレゼンで失敗した場合の第2案なんて
ありませんでした。父が協力してくれなかったら、僕のその後
の人生は白紙でしかありませんでした。

何が何でもラーメン屋を開業する必要性があり、ラーメン屋を
開業しない限りは、僕の人生は開けないとすら思っていました。
だから、一生一大の大勝負であり、父を協力体制にする事が
必要不可欠でした。

僕が初就職をした頃から、親へは恩返しはすべきで、何があっ
ても親にお金で迷惑をかけまい。と、心に誓いましたが、自分
の夢の実現の為に開業資金が必要になり、迷惑をかける羽目に
なりました。僕が今営業しているあの最悪な立地に店を構える
事を思った時点で「普通に考えて商売が成り立たない立地だなー。
最初の1年は苦労するのが目に見えているから、返済が滞る事も
充分にありうる。低家賃、低返済でやり、多少のゆうずもきく」
となると父しかいませんでした。

ターニングポイントは父が、
「お前の計画書や言葉でゴチャゴチャ言うのはもういい。
ラーメン屋したいなら、とにかくラーメンを作ってみろ!!
俺が審査してやって合格なら、お前の話も聞いてやる。
不合格なら諦めろ」と、言って来た。

旨くても、まずくても「不合格」と言うような父ではあり
ません。無愛想で、気難しい父だけど、嘘はつかない人です。

僕が考えたラーメンレシピは数十種類あり、僕がやりたかっ
たのは醤油ラーメンだったけど、僕が店でやるラーメンでは
父が「ウン」と言わない事は分かっていました。僕が唐津で
一番美味しいと思っている支那そばの店を、1度だけ食べた
父は「マズイ」と言っていました。要は、父には醤油ラーメ
ンを「ウマイ」と思う味覚を持っていないと確信しました。

一番の問題が、父がラーメン屋でラーメンを食べた経験が
極端に少ないという事です。僕が物心ついてから、今まで
で父とラーメンを食べに行った経験なんて1,2度あるか
どうかぐらいです。父が1人でラーメンを食べに行った
事なんてのも皆無に等しいです。すなわち、父は基本的に
ラーメンを食べない人なのです。

だから、父が納得するラーメンなんてのは難問です。この
時ばかりは、僕が作りたいラーメンでは無く、父が満足す
るラーメンを作ろうと考えました。

そして、父に今まで食べて印象に残っているラーメン屋に
ついて聞くと「19歳の頃、仕事で久留米に行った時、
深夜に極限の空腹の時食べたラーメンが旨かった」との事。

僕の頭のラーメンデータをフル回転させ、父が19歳の頃
すなわち47年前に深夜も営業していた店というと多くは
無いはず・・。今もある店だとすれば、相当な老舗という
事になる・・。

もっと詳しく、久留米のどこにあったか聞いてみた。

「福岡からバイパスで久留米に下った道沿いだったと思う
けど、昔の事だから分からん?」との事・・。

恐らく国道3号線か・・。と、成ると・・丸幸ラーメンセ
ンターか、丸星ラーメンなら24時間営業だな?でも、昔
から24時間だったのか、創業何年なのかは分からない・・。
よし、丸星ラーメンと信じて、僕流のオマージュラーメン
を作ろうと思いました。

丸星ラーメンなら、豚1頭丸ごとと、鶏がらのスープだから
類似の物は作れる自信がありました。

肉屋でゲンコツと、鶏胴ガラ、豚バラ肉、ミンチ肉を仕入れ
て、スーパーで野菜類を買い、業務用スーパーで細めんを
購入しました。

予想以上に話が長くなってしまいましたので、実家での初
自作ラーメンと、父の審査については、また次回・・。

つづく

RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~への道19

2007年09月26日 | RAINBOW ROAD
このシリーズも19弾になって、まだ開業する
段階の話にもなっていないとは・・・。
相変わらずスローペースで展開していますが、
今回は事業計画書を父親に見せプレゼンをした
話でもしてみます。

当時の僕は、ラーメンに関する知識を短時間で
必死に詰め込んでいました。ラーメンに関する
書籍だけで100冊近くあり、その本を何度も
読み、マーカーでラインを引き、ルーズリーフ
に重点を書き出し・・と、人生で初めてマジに
なって勉強した時期かもしれません。睡眠や
トイレの時間すら惜しく、ラーメン屋勤務時間
以外はラーメンについてばかり勉強していまし
た。

やはり、目標や、夢もなく、勉強するのは辛い
し「こんな事が一体何の役に立つんだ。人生で
必要なのか?」とか思うと、勉強なんて、
あーやめた、やめた・・・後は野となれ・・・
なんて状態になってしまいます。

でも、具体的な目標が出来れば、人間は頑張る
生き物ですね。グータラな僕が必死になったん
ですから。

僕がラーメン屋を開業するには、大きな門番を
説得しなければ先には進めませんでした。
この門番が父であり、ラーメンに関して理解が
まったくない父を納得させるのは容易じゃあり
ません。

多分「芸人になりたいんだ」「ミュージシャンに
なりたい」と言うよりも、親の説得は難しいです。
必死に説得して「やりないなら、好きにやってみろ」
と簡単に話が進む話じゃありません。

自己資金だけでするのならば、簡単な話ですが、
僕にあるのはラーメン屋への夢だけで、貯金は150
万円ぐらいしかありませんでした。ラーメン屋開業
には150万円なんてわずかな足しになる程度で、
厨房機器、食器すらも揃えられません。

僕みたいに何の信用も無い人間に、銀行が融資して
くれるはずも無いし、新規事業者の支援融資の
商工ローンも審査が厳しいです。僕がどんなに特殊
なラーメン屋だと説得しても、ラーメン屋では
特徴ある業種とだとはとてもらえないし、競争率が
激しく3年持たない店が全体の80%っていう危険
な業種に融資したいとは思わないはずです。

だから、まずは父親に頼って、大半のお金を貸して
もらわなければいけません。物凄く大金だから
そう簡単に「ウン」とは言ってくれないのは覚悟の
上で事業計画書を作成しました。

300ページぐらいになる事業計画書でした。

取引業者から、価格見積もり、調味料、材料のメー
カー、店のコンセプト、店のデザイン・設計図、
ユニホーム、メニュー、レシピ、ラーメン屋になど
思いつく限り全て書きました。

でも、情けないことに推定売り上げ、来客数は、
僕の予定数を上回った事は一度もありません。

当時は、根拠の無い自信だけがあり、ラーメンで
革命を起こそうってぐらいの意気込みがありました。

数ヶ月がかりで書きまとめた膨大な資料が出来上がっ
た。

いよいよ、プレゼン・・。

でも、いつも酔っ払っているので、なかなか言い出
せず、無駄に数日過ぎていきました。

そして、ある日の夜7時ぐらい、自分の部屋から
プレゼン用の資料一式を居間に運び込み、父が見てい
たテレビを消した。

父は「今から何がはじまるんだ・・?」って表情で
見ながら「おい、今テレビみてるだろ!!」っと
怒鳴ってきた。

僕が「僕はラーメン屋を独立開業する目標をずっと
持っていたので、僕の話を聞いて欲しい」と言い
突発的に話を始めました。

父は「おいおい。お前に商売なんか出来るわきゃ
ないだろうもん。変な気を起こさんと、一生雇われ
人でやってろ」
「やりたきゃ自分の金でやれ。親を頼りにすんな」

などと、想定内な反撃に合いながら、平常心で
淡々とプレゼンをしました。

父は納得しないまま、
「俺はもう寝るけんが、お前の書いた資料はそこ
に置いとけ。暇な時に読んでやる」と言って寝ま
した。

わずか3時間のプレゼンでは、僕の思いを伝えら
れなかったし、父の説得は長丁場になるかもしれ
ないと覚悟をした。

1週間ぐらい、会話にラーメン屋開業の話は出る
ものの、父は僕に諦めるように促すばかりで、協力
体制に持っていくのは難しかった。でも、会話の
端々に、僕が渡した事業計画書の内容が出ていた
ので、資料は読んでくれている事で、僅かな希望が
ありました。

今日はここまで・・。

次回は、父が応援&協力の姿勢を見せてくれ、僕の
ラーメン屋計画が現実のものとなり、具体的に動き
出す話をします。

「RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~へ
の道」も19話までは、前書きみたいなものです。
次回からが本編です。

RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~への道18

2007年08月07日 | RAINBOW ROAD
ラーメン屋の運営スタイルには大きく分けて2種類
あると思います。

創業時、先代の味を守り抜く継承派と、
時代と共に味を改良していく発展派に分かれる
と思います。

当店は明らかに後者ですが、継承派も発展派も
スタイルが違うだけで、どちらも苦労は変わり
ません。

芸人に例えると、継承派は古典落語です。江戸
時代末期に新作だったネタを今に伝えます。
でも継承芸能と言えど、作られた当時のまんま
現代に伝えている訳ではありません。言葉づかい
があまりに伝わりにくかったり、設定が現代人の
想像に及ばないような場合は、アレンジをして
いきます。そういう意味では発展型とも言えま
すが、原型の輝きを損なわぬように配慮し噺家も
アレンジします。沢山の噺家が同じネタを使い
回し、長い年月をかける事で、磨きぬかれた
珠玉のネタになってきます。古典落語は、ネタを
磨いて、磨いて、磨きぬいた輝きです。

発展派も芸人に例えると、笑いのニューウェーブ
タイプです。要するに、新作、新作を常に要求さ
れ「目新しい」「新鮮」「初体験」「新感覚」な
ど、従来のスタイルに収まらない、自由な感覚の
芸です。観客を飽きさせず、常に新発想でネタの
模索をし続けなければいけないです。

ラーメンの2タイプが代表的な区分ですが、継承派っぽい
けど、本質は全く違う、全盛ループ派がいます。
ようするに、漫才ブーム前後に人気があり、今も
演芸番組などに出ているような人達。すなわり、
職業芸人です。20年、30年前にウケたネタを
しつこい程続けている芸人です。同じパターンで
ネタを変える人はまだいい方で、全く同じ事を繰り
返しているだけの人も少なくないです。僕が幼少期に
見ていた漫才やコントを、今もテレビでやっていると、
ややウンザリします。面白くも無い、一発ギャグも
同様です。一時期は、持ちギャグと言い、多くの
芸人が一発ギャグを持っていました。もう何百回も
聞いた一言を芸人が言うと、会場が「ワー」とウケ
るから不思議です。

ラーメンに話を戻すと継承派の場合は、自分の店の
味に徹底的に惚れ込み、一生涯添い遂げる覚悟が
いります。浮気、アバンチュールなんて許され
ません。惚れて、惚れて、惚れ抜かないと駄目です。
安定した味で、お客にも「いつきても変わらぬ」
という印象を与えないといけません。地元を離れた
人が、帰郷時に学生時代などを思い出させるラーメ
ン屋にまでなったら立派です。

発展派は、定番のラーメンを改良し続けるタイプ
と、創作ラーメン、限定ラーメンなどを出し続ける
タイプなど様々です。終わり無き、アレンジで
常に、貪欲で、向上心を持っていなければいけませ
ん。守りではなく、攻めのラーメン屋です。店主の
意欲がまんまラーメンに反映されるので、気を抜い
たり体調が悪いと、すぐに見透かされます。店主は
飽きる暇なく、新たなアイデアを形にできるけど、
店主の自己満足になりお客に伝わらない場合もある
諸刃の剣でもあります。

問題なのが全盛ループ派です。
店主も自分のラーメンに問題があると自覚してい
ながらも、色々試すと、今のお客すらも手放しそう
で保守しようとしているタイプです。また、店主が
作るのも、食べるのも飽きて、ラーメンの情熱の炎
が消え、アイデアが枯れた店も同類です。店主が
週に1回も自分のラーメンを食べなくなったらヤバ
イ兆候です。

近年急増しているタイプをおまけで書きます。
金欲派です。ラーメンに興味が無く、手間ひまかけ
るのが馬鹿らしいと思ってる店です。どれだけ、経
費を抑えて、利益を向上させるかと、損得感情第一
主義です。だから、最低レベルの食材を使ったり
素人がすぐ作れる業務用スープを使ったりもします。
僕はハッキリ言いますが、金欲派のラーメン屋は
ラーメン業界の悪です。ラーメンの品位を下げ、
ラーメンを冒涜しまっくっている店です。

RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~への道17

2007年08月03日 | RAINBOW ROAD
僕は自分の店を持つ1年前から、父親を納得させら
れるだけの事業計画書作成をはじめました。

何1つあやふやな部分無く、すべて具体的な計画を
練らねばいけませんでした。

まず、数日間かけ、ラーメン屋に必要な調理器具、
厨房機器、食器、備品、消耗品を書き出しました。
店をオープンして「あ、あれがない。これもない」
と戸惑うハプニングが多いらしいので、菜箸や、
布巾の枚数まで具体的に書き出しました。
食べに行ったラーメン屋や、僕が働いていたラーメ
ン屋でも、注意深く、厨房の機器、食器など調べて
いました。

今度は、それらの機器にかかる見積書を作成する
為に、福岡の厨房機器屋、食器屋、
リサイクルショップ、雑貨屋、ホームセンター、
100円ショップなど下見に行き、何がいくらす
るのか、徹底的に調査しました。
商品の値段を見ながら値段をメモしまくってい
たので、同業販売店の産業スパイと思われた
かもしれません。

僕が具体的に動き出したこの頃、もうすでにラー
メンの構想は60%出来ていました。

醤油ラーメンで、多種多様な食材をブレンドした
複雑で重層型の、あっさり、さっぱりしていて
深いコクあるラーメンでした。

醤油ラーメンと言っても、関東風ではなく、中華
料理の上湯(シャンタン)に近いような気品があ
りながらも野性味あるラーメンにしたかったです。

この当時考えていたラーメン構想は、また次回
お話するとして、今回は製麺所探しの話をします。

僕がラーメン屋をするなら取引したいと思ってい
る肉屋は決まっていました。僕が働いていたラー
メン屋に1ヵ月納品していた肉屋です。僕がいた
ラーメン屋の社長は気に入らず1ヵ月で取引中止
しましたが、僕は納品に来ていた肉屋の社長の
人柄が気に入りました。僕は、仕事でも嫌な
人間とは取引したくないです。ましてや、自分が
店を始めればパートナーとなる相手なので、人間
性がいい相手と付き合いたいので肉屋は決定して
いました。

八百屋は正直何処でもよかったです。近所の八百
屋で、少ない注文でも嫌な顔しない店なら何処で
もよかった。

重要なのは製麺所です。

よく「なんで自家製麺にしないの?」とか聞かれ
ますが、僕一人で麺まで作るのは、あまりに負担
が大きすぎるのが最大の理由です。僕は製麺所で
1年間働いていたので、麺を作る工程は分かりま
す。また、製麺所時代に、独自で勉強し、色んな
麺の作りかたや、小麦粉の種類などの知識もあり
ます。しかし、スープ、タレ、具、香味油、チャ
ーハンタレなど作る以外に、麺まで作っていたら
寝ないで働かなければいけなくなってしまいます。

それに、製麺部屋の建設、真空ミキサー、圧延
ローラー、切り刃ローラーなど購入していたら
莫大な出費です。下手したら、店が1,2軒
建つぐらいの出費になります。一般の人は
100万円ぐらい出費で自家製麺の環境が出来
ると思っているかもしれませんが、0が1つ
足りません。だいたい、1000万円~
3000万円をかけて自家製麺室を作ったり
します。

それに、麺作りは高等技術がいります。製麺所
に1年いて、独学でも麺の勉強をした程度の
僕には、レシピは作れても、毎日安定した
麺を作れる自信はないです。老舗の製麺所で
熟練の職人が、日々の気温、湿度、天候に
合わせ作るようには出来そうもありません
でした。

だから、僕は特注(オーダーメイド)麺を
製麺所に作ってもらう方法を選びました。
小麦粉、水、かんすいの配合、圧延回数、
麺の切り刃、加水率、熟成日数など指定す
れば理想の麺で、自家製麺と変わらない
クオリティの麺でラーメンを作れます。

当店の麺はパスタをイメージした多加水の
太麺です。モチモチした食感が最大の
ポイントで、スープによくからむように
軽くウェーブをかけています。

ただ、実際に製麺所回りをしてみると、僕
なんて相手にしてくれません。

まだ、店も無く、いつオープンするかも決
まっていない。(この当時は果たして本当に
オープンするかも分からなかった)
屋号すらも決まっていなく、具体的なラーメン
の味も決まっていない。
そんな無い無いづくしの僕なんかにかまって
いるほど製麺所も暇じゃないです。

福岡の製麺所を何件か回ってみて気づきました
が、製麺所は既製品を売りたがります。製法が
異なる特注麺はなるべくなら作りたくないと
いう所が多かったです。ようやく、特注麺を
引き受けてくれそうな製麺所でも、最低ロット
(1回に注文する数)300玉とかでした。
一度に300玉なんて納品されても困ります。

よくよく調べてみると、大手工場には少数生産
に対応出来るミキサーとかがありません。要す
るに大量生産用なので、300玉以下の麺を
作る事が不可能なのです。

そこで、家族経営のような小さな製麺所とかに
行ってみましたが「わしん所では、ずっと中国
小麦粉で低加水の細麺をつくっとる。
トンコツラーメンじゃのうて、醤油ラーメンな
んぞ言うならよそに行きんしゃい」と門前払い
される始末でした。

僕のラーメン店計画は、麺という壁で立ち止まっ
てしまいました。

妥協して、僕の理想の麺に近い麺を全国で探し
空輸してもらうようにしようとも思いましたが、
これも最低ロットが200個とか多すぎる。

僕の開店場所は今営業している、あの最低立地
で考えていたので、集客はあまり見込めない
とは予測が出来た。だから、40玉ぐらいでも
注文出来る製麺所で、しかも特注麺が出来る
製麺所でした。

灯台もと暗しです。地元製麺所を2件目回って
みた時、特注麺を快く引き受けてくれる製麺所
とようやく出会えました。で、実際に何度か
試作してもらい「ウン。コレコレ」と理想に
近い形になりました。確かに、福岡の大量生産
麺の2,3倍の価格だけど、コストダウンで
平凡なラーメンになるより、理想的な麺で営業
する方が意味があった。

麺が決まった事で僕のラーメン屋計画は一気に
実現へと加速しました。

RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~への道16

2007年07月16日 | RAINBOW ROAD
唐津市内の某ラーメン屋での勤務も半年以上たった
ぐらいの冬、僕のラーメン屋開業計画は
具体的に動き出しました。

その某ラーメン店で働き出す2年前ぐらいから
呆然と「いつかはラーメン屋をしたい」という
夢はありましたが、せいぜい自宅キッチンで
自作ラーメンを作って友達に振舞っていた
レベルでした。

でも、いざラーメン屋開業を考えると、一体何か
ら手を出していいのかさっぱり分からない状況で
した。とりあえず、休日に福岡市内の丸善、紀伊
国屋書店、積文館などの大型書店と、中古本の
ブック・オフなどを回り「ラーメン」と名がつく
本は売ってある物全て買いました。グルメ系の
ラーメン食べ歩きもの、有名店の調理法、
ラーメン屋の開業法、ラーメン屋実用書、
ラーメン関連エッセイ、ラーメン関連経済本、
ラーメン屋店主が書いた自書伝、ラーメン関連
手引き書、ラーメンの歴史、ラーメンの豆知識系、
ラーメン屋の内装・外装関連書、カップラーメンの本、
ラーメンチェーンの勧誘関係本、ラーメンを題材にし
た小説などなど、本だけでリュックに満杯と、両手に
大きな紙袋いっぱいになりました。アキバ系の人達が
コミケで同人誌やフィギヤを異常に買い捲る状態に
近いです。

この日、ラーメン本だけで70冊ぐらい
買いました。1冊5000円もする本もあったので
相当な出費でしたが、将来に繋がる有意義な投資と
信じて買いました。

書店でレジに持ってくるのが大変だったので、
書店の人に「ラーメンに関連する本を全てレジに
持ってきてください」と、変な注文をするから
「え?全てですか?多分たくさんありますがいいん
ですか?」と、不審者を見るような目で見られました。

持ち帰るのも大変でしたが、読むのが大変でした。

この当時は、ラーメン屋勤務時間以外の全てを
ラーメン本を読む事に費やしました。これが不思議と
楽しくもありました。寝ても覚めてもラーメン本ばか
り読んでいましたが、ジャンルも様々で、新発見が
沢山あり興奮しながら読めました。

全て読むのに2か月も要しましたが、特に重要な
30冊ぐらいを再び読む事にしました。今度は
ルーズリーフに重要点を書きとめながら、自分が
分かりやすくまとめました。

流し読みとは違い、どんどん知識が身についていく
のが分かりました。ラーメン屋開業の流れや、
店舗設計の知識、帳簿のつけ方、経営方法、メニュー
開発方法など、短期間で習得できました。

自分の店の外装・内装、食器のイメージ、自分の
店のコンセプト、予測売り上げ計算など何十回も
シュミレーションをし、修正を繰り返しました。

しかし、その時点では最も重要な事が何にも出来
ていません。

そうです。開業資金がありません。借金をするに
しても、開業資金の3分の2ぐらいは自己資金
じゃないと経営が危ないです。当時の僕の貯金は
実際に開業にかかった費用の7分の1ぐらいしか
貯めていませんでした。

そこで、何とか父親を口説き落とす計画を練る
事にしました。しかし、最も重要な問題点が
あります。僕の父はラーメンが好きじゃないと
言う事です。僕が生まれてから今まで、父が
ラーメン屋に行った所を見たことが無いですし、
ラーメンの話すら聞いたことすら無かったです。
それに父は油っこい食べ物が苦手で、すぐに
胸焼けを起こす体質なのでラーメンを食べたい
とすら思わないはずです。

父も長年自営業をしていたので、僕が商売を
する事には理解があるかもしれませんが、
ラーメン屋という商売に対しては全く理解して
くれないはずだと思い、僕の思いを十二分伝え
られる完璧な事業計画書を作成する事にしまし
た。

アバウトな出費の見積もりや、抽象的な他社と
の差別化などでは無く、可能な限り具体的で
正確な事業計画書を作成する事にしました。

以前あっていたテレビ番組「マネーの虎」の
状態です。何かを言い返されても、全てスムー
ズに受け答え出来、あらゆる状況にも資料で
答えられるよう完璧な事業計画書が絶対に
必要でした。そして、簡潔に心動かされる
プレゼンが出来るように考えました。

まずは、我が家の虎を納得させ、僕に協力を
してくれる状態にならないと、何も始まり
ませんでした。安月給のラーメン屋勤務では
10年20年後でも独立開業は難しいです。

僕はその完璧な事業計画書を作成する事を
目指し、休日はとにかく行動派でした。

つづく