日記

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閑院宮家の創設と美作後南朝の小倉宮家廃絶とは密接な繋がりがある

2024年01月30日 | ブログ
先ほどのポストの湛如上人の室が、閑院宮直仁親王の長女・始宮であるが、この閑院宮家の創設には、実は、美作後南朝の小倉宮家廃絶とも密接な繋がりがあるのである。

徳川幕府は、慶安事件、承応事件、明暦の大火を受けて、後南朝勢力の恐ろしさを目の当たりにしたことから、綱吉の代にての改易の嵐にて津山藩森家を筆頭として南朝勢力を徹底的に追い落とすと共に、いよいよ小倉宮家を廃絶させ、代わりに親幕府であった東山天皇の流れとなる閑院宮家を創って、没収した小倉宮家の財産をそのまま新しい宮家に充てたとされています。

閑院宮家は、言わば幕府直属の宮家なのであり、以後、朝幕関係の緩衝を担うことになるのである。

そのため、幕府により閑院宮家から天皇となった光格天皇、仁孝天皇、孝明天皇は、当然に親幕府よりであったわけです。結局のところ、維新派による孝明天皇毒殺の理由もそのためであったわけであります。

閑院宮家は、以後、明治、大正と現在の天皇家へと直結することになるのである。

尚、小倉宮家の無念、いかばかりか・・となるのである。


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