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大悲呪(大悲心陀羅尼・千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼)について

2021年02月22日 | 新日記
大悲呪(大悲心陀羅尼・千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼)について

ここまでくれば、やはり、大悲呪についても。

千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼という名前の通り、千手千眼観世音菩薩のお加持のお力、ご加護を頂戴するための陀羅尼となっています。

縁起としては、千光王静住如来が観音菩薩(当時の名前は不明)に対して、この陀羅尼により、未来に(濁世になった世界の)衆生たちを救うようにということで授けられたものが由来となっています。

そこで、この陀羅尼と共に、未来において、たくさんの衆生を救うことができるようにと、千光王静住如来に対して、千の手と千の眼を下さいと懇願した結果、千手千眼を備えることができるようになったとあります。

ここで想起されるのは、チベットにおいての伝記にて、観音菩薩が、救っても救っても救いきれない衆生たちの数に圧倒されて疲れてしまい、やがて衆生を救うことを諦めるような気持ちを起こしてしまった際に、かつて阿弥陀如来に対して挫折するようなことがあれば、顔は十に割れ、体は千に砕けると誓願したように、顔は十に割れ、体は千に砕けてしまわれることになります。(この砕ける直前に悔しさから涙した滴がターラ菩薩になります)

その慈悲深くある観音菩薩を憐れみられた阿弥陀如来は、より衆生を救えるようにと、バラバラになったそれぞれをつなげ十の顔と千の手とし、十一面千手観音が誕生することになります。

より衆生を救うために、この大悲呪の強力な陀羅尼の力を得て、千の眼、千の手(強力な救済力)を得ることができたことと、どこか相似するところがあります。

また、千手経における釈尊による補足において、実は、観音菩薩は既にはるか昔に如来となっており、「正法明如来」であったが、衆生を救うために化身、応身として菩薩となっているということも説明されています。

言ってみれば、それだけ観音菩薩は慈悲の強さが半端ないということなのでしょう。

また、千手経によれば、大悲呪を唱える前には、現在の観音菩薩の先生である阿弥陀如来への念仏も行うようにとの指示があります。

阿弥陀如来と観音菩薩の関係を考える上でも非常に興味深いところであります。

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・・曹洞宗の甘露門について

質問を頂きましたが、実は、臨済宗と曹洞宗では同じ「甘露門」という名前のお経であっても、その内容が全く違っているのであります。

これは典拠とした施餓鬼の作法が示されてある儀軌集・論書集が異なっているからであると推測されます。

現在曹洞宗における甘露門の内容・・

「奉請三宝・縁起衆→招請発願(施餓鬼の目的の発露)・雲集鬼神招請陀羅尼→破地獄門開咽喉陀羅尼→無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼→蒙甘露法味陀羅尼→毘盧遮那一字心水輪観陀羅尼→五如来宝号招請陀羅尼→発菩提心陀羅尼→授菩薩三摩耶戒陀羅尼→大宝楼閣善住秘密陀羅尼→諸仏光明真言灌頂陀羅尼(光明真言)→(撥遣解脱陀羅尼)→普回向・略三宝」

10(11)の陀羅尼により構成されています。(臨済宗では陀羅尼が4つ)

臨済宗の7如来は、5如来に集約されています。

多宝如来・妙色身如来・甘露王如来・広博身如来・離怖畏如来

また、菩提心を起こさせて、戒律を授けるための陀羅尼もあることから、仏教へと帰依させしめる効果が鮮明化されています。

大宝楼閣善住秘密陀羅尼・諸仏光明真言灌頂陀羅尼は、滅罪消除、悪趣清浄、浄土引導的陀羅尼となります。

さて、ここまで同じ名前のお経で内容に違いがあるのはなぜか、これは、臨済宗の葬儀儀軌との違いとも関連があると見ています。

臨済宗では、葬儀儀軌と同様に、開甘露門に「往生呪」があることから、施餓鬼においても、餓鬼も含めた一切衆生の阿弥陀如来の極楽浄土への引導が示唆されており、曹洞宗は、この点を避けた儀軌を(近年になり)調えた傾向がみられます。

しかし、元々の曹洞宗の葬送儀軌、施餓鬼でも阿弥陀如来の極楽浄土への往生思想的な面は立宗の早い段階(瑩山清規)からあったものの、それが近代の曹洞宗から無くなってしまった背景がどうしてであるのかは、教義面との整合性からであるのか、そこは非常に興味深いところであります。(曹洞宗の葬送儀軌でも、元々は極楽浄土への往生思想的面が強くあった。)

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開甘露門(施餓鬼のお経について)

施餓鬼供養で読むお経、「開甘露門」(かいかんろもん)について解説させて頂きます。

このお経の特徴は、陀羅尼・真言、偈頌、回向がいくつか集まっており、他のお経にはあまりないユニークなものになっています。

お経全文(参照・臨済宗勤行聖典・第2巻)



お経の構成



そこで、ここではその各構成の内容について詳しく説明して参りたいと存じます。

全14構成

1 題目 

お経の名前。甘露の門を開くというのは、餓鬼たちへと美味しい食べ物、飲み物を施すために、その細くなった食道を広げてあげる(門を開く)という意味合いと、仏教の有り難い教えを示して、仏の道の門を開くという意味合いの両方がかけられている。

2 破地獄偈(はじごくげ) 

もしも、三世、過去・現在・未来の三千仏における一切の仏の教えを確かに知りたいと思うのであれば、この法界(全世界・無数の三千大千世界)の本質・性質は、全て心が造り出したものであることを観じなければならない。唯識的な捉え方もできるが、輪廻(迷い苦しみ)、悟りの因縁(原因と条件)は全て自らの心次第になってくるということである。要は、業・カルマ(行いの集まり)によるところであり、心・業のありようが、今のありようと共に、次の輪廻のありようも決めてゆくのである。また、さらに深い意味合いでは「空と縁起」という本質についても想起されてくるところではある。この偈が「破地獄」、地獄を破るという名前がついてあるのも、仏の教えにより、自分の心のありようを正しく清らかに調えて、業をより善いものに調えていけば、地獄など悪趣(悪い世界)へと陥らないようになるという意味からであると考えることができる。

3 三宝帰依(さんぽうきえ) 

十方(全ての方位浄土にある)の仏に帰依いたします。十方の仏の教えに帰依いたします。十方の仏の教えを歩む僧に帰依いたします。娑婆世界だけではなく、あらゆる世界、浄土における仏・法・僧に向けたものとなる。

4 縁起衆(えんぎしゅう) 

この開甘露門(施餓鬼)の儀軌を調えられた各尊師に対しての帰依を表します。もちろん、まずは仏教を開かれ、この施餓鬼の供養法をお示し下さった仏教の根本上師であるお釈迦様への帰依。次に、観音菩薩様への帰依。そして、阿羅漢であり、施餓鬼の供養を勤める端緒となった阿難尊者に対しての帰依となります。ここで観音菩薩様が登場なさられてあるのは、救いの力、あるいは功徳・回向の力として観音菩薩様のお力を頂戴することになるからであると推測できます。そのため、施餓鬼法要(山門大施餓鬼法会)においては、般若心経、大悲呪(大悲心陀羅尼・千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼)、観音経、あるいは世尊偈など観音菩薩関係のお経が読誦されるのも、ある意味うなづけるところとなる。

5 焔口(えんく)陀羅尼(だらに) 

一切の如来と観音菩薩への帰命と、焔口という餓鬼たちへの救いへ向けた陀羅尼となる。

6 施甘露水(せかんろすい)陀羅尼 

あしゅく如来(妙色身如来)への帰命と、甘露水、飲み物に喘いで苦しんでいる餓鬼たちへの水の施しと共に、仏の教えを与えるための陀羅尼となる。

7 施乳海(せにゅうかい)陀羅尼

全ての諸仏への帰命と共に、有り難い仏の教えの海へと誘う陀羅尼。乳海は、乳粥であるとも言えます。餓鬼たちもいきなり固形物は食べれないと思われるため、喉を通る乳粥を海の如くたくさん餓鬼たちに与えるという意味合いと、海の如く広く深い仏の教えを与えるという両方の意味合いがかけられてあるのでしょう。

8 七如来 

宝勝如来(多宝如来の別称)への帰依、多宝如来(法華経の宝塔に住む如来)への帰依、妙色身如来(あしゅく如来)への帰依、広博身如来(大日如来)への帰依、離怖畏如来(釈迦如来)への帰依、甘露王如来(阿弥陀如来)への帰依、さらに、阿弥陀如来への帰依となります。宝勝如来=多宝如来、甘露王如来=阿弥陀如来となるため、本来は五如来となる。それぞれ仏教を衆生に教化なさられておられる代表的な如来方への帰依を表す。五如来ではあるが、密教における五つの智慧を司る五智如来(金剛界五仏)や胎蔵界五仏などとは少し異なっている。

9 往生呪(おうじょうじゅ) 

阿弥陀如来への帰依と共に、阿弥陀如来とそのお加持のお力を讃え、極楽往生への誘いへ向けた陀羅尼。阿弥陀如来様のお加持のお力を賜り、仏の道(浄土への道)へと向かわさせしめるための陀羅尼と言える。

10 浄食加持偈(じょうじきかじげ) 

漢文でそのまま口語訳可能。

開甘露門のこれらの陀羅尼の力によって、お供えされた清らかな飲食物を、仏のお加持の力にて全ての苦しむ一切の鬼神、餓鬼たちに対していきわたるように万倍、億倍にして施し、それをもって皆がお腹がいっぱいになって、まずは飲食できずに苦しんでいた者たちが救われ、そして、仏の教えによりて、ケチな心、物惜しみする心を捨てさせて、つまり、餓鬼や地獄などの悪趣輪廻に苦しむ原因となる煩悩を捨てさせて、何とかこの悪趣から逃れて、仏の教えを学び実践できる善い世界(浄土)へと生まれて、三宝に帰依し、菩提心を起こして、やがて悟りへと至れますように、そして、この功徳が、未来に尽きることなく、あらゆる世界の衆生たちにもいきわたり、皆が悟りへ至るための法(仏法)を共に味わえますように(法食)。

11 四句回向・散飯偈 

これも漢文でそのまま口語訳可能。

鬼神・餓鬼たちよ、今、汝等にこの飲食のお供え(と仏の教え)を施そう。この飲食(と仏の教え)は、十方に遍くいきわたり、全ての鬼神・餓鬼たちがこの飲食(と仏の教え)を共に与えられることになるであろう。

12 八句回向・修行祈願偈 

これも漢文でそのまま口語訳可能。

この施餓鬼というお勤めを修することによる善い功徳を、恩恵ある父母(先祖)に感謝、報恩して向ければ(回向すれば)、父母(先祖)が生きているならば、福、楽を得られて、寿命も延びるであろう。父母(先祖)が亡くなっているのであれば、苦しみの輪廻を離れられる安養、安楽な浄土へと生まれることができるであろう。また、四つの恩ある者たち(国王・先生・同士等)から、欲界・色界・無色界の三界の全ての有情たち、あるいは、地獄、餓鬼、畜生の三つの悪い世界の者たちや仏の教えを学び修することが難しい者たちに至るまで、全ての衆生も、共に、その瑕疵、過ちである罪業を懺悔し洗い流して、尽く輪廻から離れさせしめて、浄土へと生じることができることであろう。

ここに施餓鬼供養が先祖供養にもなる一つのヒントがあります。また、存命中の父母に対しての利益があることも述べられてあります。いずれにしても、功徳を一切の衆生、皆の悟りへと向けて回向するということになります。

13 四句回向・結願回向 

普回向になります。

この功徳をもって、遍く一切の衆生に及ぼして、私たちも皆も共に仏の道を成就して悟りへと至れますように。

14 略三宝 

十方の三世の一切の尊き偉大なる諸仏、諸菩薩、諸師方、大いなる最高の悟りの智慧のご加護を得られますように。

以上が開甘露門の全内容となります。

コンパクトながら施餓鬼供養法がここに一つまとめられてあるお経と言えるでしょう。

施餓鬼供養の本質について
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85135519.html

施餓鬼供養・塔婆について(春彼岸・夏お盆の年2回法会開催)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85052585.html

3/17-3/23・春彼岸「おせがき」供養・3/20・彼岸中日「日想観」法要のご案内
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85003156.html

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