今日は晴れとなり、少し風に涼しさが感じられて暑さも和らぎましたね。
終日寺院勤務
寺務・岩瀧不動明王様御供養・墓苑枯れた仏花抜き・墓苑ゴミ収集・お盆施餓鬼塔婆書き・清掃などして過ごす。
岩瀧不動明王様
掃除後、誦経・回向・普回向・災害戦災犠牲者全霊位御供養回向・災障消除祈願・ご真言唱誦。
不動明王慈救咒
ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン
沢蟹くん
今日の大阪平野は空気が澄んでましたね。。
・・
「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/
下記問いに回答させて頂きました。
問い「お葬式・改宗について」
http://hasunoha.jp/questions/649
拙回答
お葬式について
ぱんだぬき様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
お葬式に関しましては、下記のご質問にもお答えをさせて頂きました。
問い「お坊さんを変更できますか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1006677441.html
同じこととなりますが、「信教の自由」がございますので、どうなさられるのかは基本的に個々人の自由に委ねられるところでございます。このことにつきましては、下記拙回答も少しくご参照下さいませ。
問い「祖母のお骨についてアドバイスお願いします。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002880885.html
ただ、問題は、下記にても少しそれぞれの宗派におけるお葬式の要諦について簡単に触れさせて頂いておりますが、真言宗では、密教灌頂による三密加持にての即身成仏を目指す、臨済宗では本来の自己たる仏性に覚醒させての成仏を目指すということで、両者の成仏論には大きな違いがございます。※但し、拙生の個人的見解と致しましては、「葬式即成仏」論について慎重派の立場でございます。
「お葬式について」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76
「・・昨今の葬式仏教批判、あるいは、葬式簡略化、葬式・戒名無用論というのは、葬儀を執行する導師たるべき僧侶に対する信頼低下という面も少なからず影響があるかとは存じますが、それよりも僧侶も含めて、仏教徒であるものの、葬式・葬儀を行う本来的意義について真剣に問わない、考えない姿勢こそが根本的な問題ではないかと存じております。どうかこれを機会に、なぜ、お葬式をしなければならないのかについて改めて考えて頂く一つのきっかけとなりましたら幸いに存じております。・・」
もちろん、全般的な両者の教義についてもう少ししっかりとご自身にて実際に鑑みられた上にて、信心・帰依なさられる(なさられてみたい)方における宗旨について、これから主に学び修されていかれると良いのではないかとは存じます。それよりも他宗派の方が良いとなりましたらそれでも構わないのではないかとは存じます。
川口英俊 合掌
問い「お坊さんを変更できますか?」
http://hasunoha.jp/questions/635
拙回答
仏事・法事の本来的意義を問い直す必要性について
まめまま様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
お葬式、その後のご供養のあり方について色々と考えさせられるところでございます。
今の時代、お寺、お坊さんとお付き合いしていくのも色々な面にて大変なところがあるのも確かでございます。もちろん、信教の自由もございますので、付き合いをどうされるのかも基本的には個々人の自由に委ねられるところでございます。以前に、下記問いにて『「信教の自由」と「檀家制度」』として回答をさせて頂いております。
問い「祖母のお骨についてアドバイスお願いします。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002880885.html
また、仏教(三宝)に帰依して、仏教徒として生死大安心を与り頂こうとするのであれば、やはり、それぞれがお寺、お坊さんとの付き合いについて、今一度見直しを進める上でも、仏事・法事に関する意義についても改めて考える必要があるのではないかと存じております。
例えばどうして葬儀をしなければならないのか、法事はなぜ必要であるのかなど、あまり深く考えることなしにただ鵜呑みにして形式的なことだけを受け入れてしまっていることほど、実は愚かなことはありません。その中身、内容を理解して、それを常日頃の生活における行いへと活かしてこそ、本当の意味で仏教は役立つものとなります。
例えば、葬儀に関することについては最近に拙考を改めてまとめさせて頂きましたので、是非この機会に少しくご参照を頂けましたら幸いに存じております。
「お葬式について」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76
「・・昨今の葬式仏教批判、あるいは、葬式簡略化、葬式・戒名無用論というのは、葬儀を執行する導師たるべき僧侶に対する信頼低下という面も少なからず影響があるかとは存じますが、それよりも僧侶も含めて、仏教徒であるものの、葬式・葬儀を行う本来的意義について真剣に問わない、考えない姿勢こそが根本的な問題ではないかと存じております。どうかこれを機会に、なぜ、お葬式をしなければならないのかについて改めて考えて頂く一つのきっかけとなりましたら幸いに存じております。・・」
川口英俊 合掌
「hasunoha」拙回答まとめ集
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/
hasunoha・拙生紹介ページ
http://hasunoha.jp/users/16
hasunoha・拙寺紹介ページ
http://hasunoha.jp/temples/6
東日本大震災を機縁として立ち上がりました「hasunoha」に参画できましたこと、誠に感謝致しております。微力ながらにも一つ一つ少しずつでもお役に立てれる善行・功徳となりましたら、亡くなられました皆様への追善供養として回向申し上げたくに存じております。合掌
・・
お盆施餓鬼法要・配布資料、お盆期間に来れない方の事前に来山しての申し込みの際に、転法舎の施餓鬼のしおりと粗供養品と共にお渡しする必要もあるため、昨日の草稿からの校正を一日で済ませて、早くにも校了、印刷させて頂きました。また訂正・追記・補足、誤字・脱字等がございましたら、ネット上にて修正対応させて頂きたくに存じております。どうか宜しくお願い申し上げます。いつもギリギリとなりまして申し訳ない次第でございます・・あとは法話内容もこの内容に合わせて調えて参りたいと存じます。
平成26年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料
「お葬式について」 岩瀧山往生院六萬寺 副住職 川口英俊
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76
はじめに・・
ここ十数年の間に、日本の葬式事情の多様化が急速に進む一方、本来の葬式・葬儀の意義について鑑みることが薄れつつある中で、「葬式仏教」との批判と共に、葬式・戒名無用論もある現状下において、仏教徒であるのであれば、今一度、なぜ葬式・葬儀を行わなければならないのかということをしっかりと考えることが必要な時期に差し掛かっているのではないかと存じております。
この度は、お葬式に関しての拙考を改めてまとめさせて頂くことと致しましたので、少しくでもご参照にして下さいませ。また、内容に関しまして、忌憚なくにご叱正、ご批正の程も賜われましたら有り難くに存じます。どうか宜しくお願い申し上げます。
当寺のお葬式の方針について
当寺では、長年、お葬式・葬儀における導師のお受けを積極的には行っておりません。理由としては、当寺では檀信徒制度を緩やかなものとしており、ご縁を頂いてる皆様に当寺から強制的な寄付や護持会費の徴収をしないために、あるいはご無理なご負担をお掛けしないようにするためにということと、墓苑においてご縁を頂いている皆様に関する法務・寺務、墓苑管理などを優先させて頂いているためにということでございます。
もちろん、葬式・葬儀のお受けを全くしないということではなくて、当寺とご縁があって、どうしても(菩提寺等が無く、あても無いなど)という特別な事情において、当寺をご指名頂きました際に、葬送に関する留意事項について色々と事前にご確認、ご納得をして頂きまして、当寺の優先すべき寺務・法務の都合等も鑑みさせて頂いて、お受けできるかどうかを最終的に判断させて頂くこととなります。当寺の事情にてお受けできない場合があることにつきましても、どうか事前に十分ご了承を頂きたいと存じております。
私のお葬式についての基本的な考え方について
さて、各宗派においても葬儀の意義がそれぞれに異なっていることもありますが、おおよそ、授戒式(正式な仏弟子・僧侶となるための儀式)と引導式(成仏へと向けて、浄土・仏国土へと導くための儀式)の二つを主要な要素としていると捉えることができます。(但し、浄土真宗の場合は、授戒・引導という形式は用いません。)
いずれにしても、仏教の目的である悟り・涅槃を目指して頂くために(あるいは浄土真宗の場合は浄土へと往生したことへの報謝のために)行われる大切な儀式であり、導師はもちろんながら、喪主・遺族・会葬者の皆様におかれましても、真摯に、厳粛に扱って執り行って頂くことが求められるものとなります。
以下に、これまでの拙生自身におけるお葬式に関しての考え方のまとめを簡単ながらにも挙げさせて頂きます。
・お葬式・葬儀は、仏縁(仏様とのご縁)・法縁(仏法とのご縁)を結ぶための一つの大切で重要な機会であると捉えております。
・宗旨宗派によってお葬式・葬儀の法式・作法・儀礼などが異なっているのは、それぞれにおける仏縁・法縁を結ぶための方法・手段の相違であって、読誦されるお経などの相違も、それぞれが依拠する仏典の相違によるものと考えており、(やがて悟りへと至るための)仏縁・法縁を結ぶためという基本的な目的については、あまり大差なく変わらないものであるかと存じております。
・生死や肉体の有無に拘らず、確かなる仏縁・法縁を結ぶことを基として、各々の心の連続体(心相続)に、菩提心と慈悲心を滋養させていくことにより、悪行を成さずに、善行に精進して、功徳を積むことが求められるものであるかと考えております。お葬式・葬儀もあくまでそのための仏縁、法縁の一つの大切な機会として捉えさせて頂いております。
・むしろ、できれば今の生きているうち、今生にも、できる限りにおいて仏縁、法縁を結ぶ機会を何度も何度もあずかり頂いて、菩提心と慈悲心を繰り返し繰り返し修習させ続けていくことが望ましいものであるかと考えております。
・尚、更に望ましいのは、確かなる仏縁、法縁を結ぶことを通じて、智慧(空性の了解)と福徳(善徳・慈悲・利他行)の二資糧を円満に積むことに精進努力して励みて、特に悟りの妨げとなっている煩悩障と所知障を断滅させていけるように調えていくことが必要であるかと存じております。
・お葬式・葬儀における導師の役割には、確かなる仏縁・法縁を結ばせることができるだけの力量、器量、資格、責任が問われることになるため、慎重にその役割が担えるに足るのかどうか、適切であるのかどうかが判断されなければならないものであるかと存じております。また、仏典はもとより、諸師方、喪主様、ご遺族、会葬者の皆様方、あるいは必要となれば第三者からも常に厳しく評価検証されていくべきものであると考えています。
・よくあるご批判として、「まともに戒律も守れていない者(特に妻帯や様々な俗人的な行いの数々など)が、戒師や導師を務めるのはいかがなものか」とのご指摘は至極その通りであり、常に猛省致すところが大でございます。
・お葬式・葬儀に限らずに、常日頃における仏事、法事など仏法を扱わせて頂くことについても、真にその扱わせて頂くべき力量、器量、資格があるのかどうかが厳しく問われるべきことであるかと存じております。
・以上ようなことを鑑みさせて頂いて、まだまだのこの浅学菲才の未熟者と致しましては、常に反省と自戒を致すことが多々であり、しっかりと己自身の菩提心、慈悲心の滋養へと向けての修習と研鑽を致しつつ、智慧と福徳の二資糧を積むことに精進努力して取り組んでいかなければならないと考えております。そのため、なかなか積極的にはお葬式・葬儀をお受けさせて頂けるような立場には全く至っておりませんことにつきましては、誠に申し訳なくにも存じておりますが、もしも、ご指名がございまして、導師のお勤めさせて頂くこととなりましたら、真摯に、真剣に精一杯取り組ませて頂きたいと存じております。どうかご理解とご容赦を賜われましたら有り難くに存じております。何卒にも宜しくお願い申し上げます。
各宗派における葬儀の要諦について
天台宗・・顕教・密教の併用形式。儀礼・・法華懺法(ほっけせんぽう)(法華経を読誦し、無明・煩悩・悪業を滅するための法)と例時作法(阿弥陀経を読誦し、極楽浄土への往生のための法)と光明供(光明真言を読誦し、浄土への引導・成仏のための法)が用いられる。授戒では円頓戒(大乗菩薩戒)が授けられる。
真言宗・・密教。儀礼・・灌頂形式。理趣経・真言・陀羅尼等が読誦され、印契、密教法具が用いられる。三密加持(御仏の身・口・意の行いと私たちの身・口・意の行いの一体化を図る)による速やかなる即身成仏・仏位を目指すための儀式。弥勒菩薩の兜率天(とそつてん)、あるいは大日如来の密厳浄土への引導を行う。
浄土宗・・阿弥陀如来の極楽浄土へと向けた往生式。儀礼・・序分(諸仏をお迎えする儀式)・正宗分(引導式)・流通分(諸仏・故人を見送る儀式)の三部構成。主には阿弥陀経・無量寿経・念仏が読誦される。
浄土真宗・・阿弥陀如来への仏徳讃嘆・仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)の儀式。授戒・引導を扱わない。故人は臨終後即座に極楽浄土へと往生したもの(即得往生・往生即成仏)とみなされるため、故人へと向けた供養・回向は扱わず、あくまでも阿弥陀如来を対象とした儀礼となる。正信偈・念仏・和讃が読誦される。持戒すべき戒律を扱わないため、授戒式は無い。そのため、仏弟子としての帰依者に与えられる名前も「戒名」とは言わずに「法名」と称される。
曹洞宗・臨済宗・・もともと禅宗における修行途中に亡くなった僧侶への葬儀法が、在家葬送のためにも援用され、「没後作僧」(もつごさそう)として各宗派の葬儀法へも影響を与えていくことになった。没後作僧とは、死後に授戒し、正式な仏弟子(僧侶)とならせて、浄土へと引導し、成仏させるという考え方。授戒においては、真言宗と同様に、仏法継承・正伝の流れとしての「血脈」(けちみゃく)を扱います。どちらも本来の自己(仏性)への覚醒による成仏を目指しますが、曹洞宗では、授戒と共に仏位同等としての成仏を扱います。成仏へ向けた引導においては、引導法語にて一語一語重要な意味内容が表されます。大悲心陀羅尼・観音経・修証義(曹洞宗の場合)・舎利礼文などが読誦されます。
日蓮宗・・久遠実成釈迦如来の霊山(りょうぜん)浄土への往詣(おうけい)のための儀式。法華経・題目などが読誦される。日蓮宗では、法華経に帰依信心すること、そのことが持戒そのもの(妙戒)であると考えられているため、授戒式は無く、そのため、仏弟子としての帰依者に与えられる名前も「戒名」とは言わずに「法号」と称されている。
「葬式即成仏」への疑念について
正直に、拙生がお葬式の導師を積極的にはお受けを致したくはない理由が、実はもう一つございます。それは、「葬式即成仏」に対して十分な責任が持てないということでございます・・自らが導師足るべき資格云々ももちろんございますが、本当にこれで故人が浄土へと赴けたのか、成仏できたのかということについて、明らかな確信が持てない、確かに証明・論証することができないからであります。もとより、拙生自身、まだまだ悟り・涅槃・成仏には程遠い凡夫なる存在であり、到底分からないこともあって、それを仏典には一応こう書かれているから、先師がそのように解釈して述べられているから、昔からそのような慣習としてあるから、などでは全く納得できないところもあり、もしも「葬式即成仏」であるならば、生前においても同様にその儀礼を執行することで成仏が可能になるはずでございます。しかし、残念ながら正直そのようなことはあり得ないのも事実です。生きている間は無理だけれど、死んでからならば可能になるいうのもやはり疑念甚だしい限りとなります・・
また、「葬式即成仏」であるならば、例え今世において、どんな悪い罪を犯そうが、心が汚れてしまっていようが、無明・煩悩・悪業の多寡にも関係なく「成仏」できることにもなりかねず、それでは、極論として、形式だけでもただ葬式さえすれば良いことにもなり、仏教の基本としてある、心を浄らかにして、悪い行いを慎み、善い行いに努め励むということや三宝への帰依、様々な教義についての学びや仏道修行も否定されてしまい、やがて仏教不要論へと繋がることにもなりかねないと存じております。
まだ、「葬式即成仏」ではなくて、「葬式は、これからの本格的な仏道修行へと入るための正式な仏弟子となる儀式、仏縁・法縁をあずかり頂いて仏道修行を本格的に進めていくための儀式」と捉える方が拙生的には納得のできるものであり、そのように考えている次第でございます。どうかこの点もご理解の程を宜しくお願い申し上げます。
昨今の葬式仏教批判、あるいは、葬式簡略化、葬式・戒名無用論というのは、葬儀を執行する導師たるべき僧侶に対する信頼低下という面も少なからず影響があるかとは存じますが、それよりも僧侶も含めて、仏教徒であるものの、葬式・葬儀を行う本来的意義について真剣に問わない、考えない姿勢こそが根本的な問題ではないかと存じております。どうかこれを機会に、なぜ、お葬式をしなければならないのかについて改めて考えて頂く一つのきっかけとなりましたら幸いに存じております。最後に、やがて一切衆生が悉く仏道を成就して、悟り・涅槃へと到れることを心から祈念申し上げます。
川口英俊 合掌九拜
関連ワード
葬式 葬儀 通夜 葬送 葬祭 家族葬 生前葬 自由葬 無宗教葬 直葬 無縁社会 核家族 少子高齢化 葬式仏教 仏教徒 戒名 戒名料 檀信徒 寄付 護持会費 菩提寺 檀那寺 授戒 引導 仏弟子 僧侶 派遣僧侶 僧侶派遣 僧侶斡旋 僧侶紹介 僧侶仲介 導師 浄土 仏国土 悟り 涅槃 喪主 施主 遺族 会葬者 仏縁 法縁 法式 作法 儀礼 宗旨 宗派 読誦 諷誦 読経 仏典 お経 心相続 菩提心 慈悲心 修習 善行 悪行 功徳 今生 今世 智慧 空性 福徳 善徳 利他 二資糧 煩悩障 所知障 力量 器量 資格 責任 第三者 評価 検証 批判 戒律 妻帯 俗人 戒師 仏事 法事 仏法 反省 自戒 研鑽 指名 真摯 真剣 天台宗 顕教 密教 法華懺法 法華経 無明 煩悩 業 例時作法 阿弥陀経 極楽 往生 光明供 光明真言 成仏 円頓戒 随方回向 法施 三礼 真言宗 灌頂 理趣経 真言 陀羅尼 印契 法具 三密 加持 身口意 即身成仏 仏位 弥勒菩薩 兜率天 大日如来 密厳浄土 浄土宗 阿弥陀如来 極楽浄土 往生式 序分 正宗分 流通分 無量寿経 観無量寿経 念仏 浄土三部経 浄土真宗 仏徳 讃嘆 仏恩 報謝 臨終 往生即身仏 供養 回向 追善 正信偈 持戒 和讃 法名 曹洞宗 臨済宗 禅宗 亡僧 在家 没後作僧 死後 釈尊 血脈 仏性 己事究明 覚醒 引導法語 大悲呪 大悲心陀羅尼 観音経 世尊偈 修証義 舎利礼文 往生呪 日蓮宗 久遠実成 釈迦如来 霊山浄土 往詣 法華経 題目 帰依 信心 法号 葬式即成仏 故人 確信 論証 証明 凡夫 先師 慣習 納得 生前 罪 極論 三宝 教義 仏道 修行 仏教不要論 葬式無用論 戒名無用論 簡略 信頼 意義 衆生 即得往生 往生即身仏 絶対他力 他力本願 念仏往生願 臨終得度 平生業成 禅戒一如 得道入証 威儀即仏法 下炬 下炬引導 初地の因位 土砂加持 亡僧喪儀法 檀信徒喪儀法 即心是仏 三密平等 追善 回向 廻向 法要 斎場 火葬 土葬 納骨 散骨 三昧聖 年忌 回忌 中陰 満中陰 位牌 仏壇 十王思想 三帰戒 懺悔 誦経 無常偈 入龕 鎖龕 龕前 念誦 挙龕 起龕 山頭念誦 辞親偈 奠湯 奠茶 出棺 遺教経 剃髪 表白 開眼 出棺 三聚浄戒 十重禁戒 法炬 払子 円相 焼香 四弘誓願 枕経 奉請 三帰三竟 発願文 摂益文 念仏一会 作梵 四智讃 霊供 開経偈 摂益文 総願偈 送仏偈 総回向 火屋勤行 重誓偈 還骨勤行 三匝鈴 路念仏 伽陀 勧衆偈 祖訓 唱題 宝塔偈 中啓 弔電 弔問 弔慰 弔詞 弔辞 五鈷杵 金剛杵 三宝礼 一字一喝 一語一喝 宝号 至心回向 礼讃 短念仏 収骨 十仏名 安骨 得度 安位
・・
勝義方便メモNo.9
http://togetter.com/li/681727
現在、勝義方便メモ・ツイート随時展開中。
https://twitter.com/hide1125
勝義方便メモNo.9 超宗派系一覧(2014.7.13時点)
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52167906.html
また、追記・訂正等がございましたら、どうか宜しくお願い申し上げます。
「拙理解仏教図式No.7(2014.6.14)」ご提示・再考随時訂正予定
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/f11483ea1a2eb35ce5dcda72284b2bfa
・・
山下良道師「青空としてのわたし」(幻冬舎)アマゾン・レビュー
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52164899.html
・・
「なぜ、空と縁起の理法を理解しなければならないのか」
平成26年3月・春彼岸施餓鬼法要配布資料・公開
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/8697c85d36b8f91fac08e58235d9984d
・・
2014.4.14 ダライ・ラマ法王猊下様によるチベット密教・胎蔵曼荼羅灌頂・ご報告
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/bc5c08f69d78bdda5c6cca62d17d87df
ダライ・ラマ法王猊下様今春ご来日動画集
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52160454.html
「偉大なる第十四世の長寿を祈願する如意自在王〔経〕」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/8f49efb18934ec00993d52e91c603327
・・
2014.4.10・日記・NGO「国境なき僧侶団」第三回ミーティング参加報告
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/a60888ef08c1c59e2c33624dbfb3b4ce
NGO「国境なき僧侶団」フェイスブック・ページ
https://www.facebook.com/pages/国境なき僧侶団/578961352183094
・・
東日本大震災から三年・・
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52156205.html
・・
2013.11.19「空と縁起」に関する拙質問に対してのダライ・ラマ法王猊下様の御回答内容について
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/710b99c74854aebc871a6f75e28dde12
2013/11/19 悲しみから希望を紡ぐ――慈悲の力
http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/2013/report/05.html
ダライ・ラマ法王 2013年秋来日報告
http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/2013/report/
<ダライ・ラマ14世>増上寺で若手宗教者と対話 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131119-00000036-mai-soci
ダライ・ラマ14世、若手宗教者と対話 中外日報
http://www.chugainippoh.co.jp/religion/news/20131126-001.html
2013.11.19「ダライ・ラマ法王と若手宗教者100人の対話」映像ダイジェスト版
http://www.youtube.com/watch?v=Sg-mUrW4CUU
ダライ・ラマ法王 2013年 来日講演( https://www.facebook.com/hhdl2013japan )
11/19 法王来日 増上寺
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.413896315405962.1073741833.389032644558996&type=1
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(チベットハウス・ジャパン)のホームページがリニューアルされて、随分と見やすくなっています。
http://www.tibethouse.jp/
・・
【チベット問題】
チベット問題・焼身抗議等の詳細情報は、チベットNOW@ルンタ・ダラムサラ通信・中原一博氏のブログが参照となります。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/
「太陽を取り戻すために チベットの焼身抗議」中原一博氏著
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51799025.html
無償ダウンロード
https://docs.google.com/file/d/0B6cmrkvyxC23QmhCRTZyeWRrNm8/edit
「自らを灯明と化した菩薩たちの願い」~チベット問題・焼身抗議を考える~
http://t.co/PwVvYWck
・・
川口英俊の自動配信・デイリー自動情報収集ネット新聞
http://paper.li/hide1125/1307742529
終日寺院勤務
寺務・岩瀧不動明王様御供養・墓苑枯れた仏花抜き・墓苑ゴミ収集・お盆施餓鬼塔婆書き・清掃などして過ごす。
岩瀧不動明王様
掃除後、誦経・回向・普回向・災害戦災犠牲者全霊位御供養回向・災障消除祈願・ご真言唱誦。
不動明王慈救咒
ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン
沢蟹くん
今日の大阪平野は空気が澄んでましたね。。
・・
「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/
下記問いに回答させて頂きました。
問い「お葬式・改宗について」
http://hasunoha.jp/questions/649
拙回答
お葬式について
ぱんだぬき様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
お葬式に関しましては、下記のご質問にもお答えをさせて頂きました。
問い「お坊さんを変更できますか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1006677441.html
同じこととなりますが、「信教の自由」がございますので、どうなさられるのかは基本的に個々人の自由に委ねられるところでございます。このことにつきましては、下記拙回答も少しくご参照下さいませ。
問い「祖母のお骨についてアドバイスお願いします。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002880885.html
ただ、問題は、下記にても少しそれぞれの宗派におけるお葬式の要諦について簡単に触れさせて頂いておりますが、真言宗では、密教灌頂による三密加持にての即身成仏を目指す、臨済宗では本来の自己たる仏性に覚醒させての成仏を目指すということで、両者の成仏論には大きな違いがございます。※但し、拙生の個人的見解と致しましては、「葬式即成仏」論について慎重派の立場でございます。
「お葬式について」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76
「・・昨今の葬式仏教批判、あるいは、葬式簡略化、葬式・戒名無用論というのは、葬儀を執行する導師たるべき僧侶に対する信頼低下という面も少なからず影響があるかとは存じますが、それよりも僧侶も含めて、仏教徒であるものの、葬式・葬儀を行う本来的意義について真剣に問わない、考えない姿勢こそが根本的な問題ではないかと存じております。どうかこれを機会に、なぜ、お葬式をしなければならないのかについて改めて考えて頂く一つのきっかけとなりましたら幸いに存じております。・・」
もちろん、全般的な両者の教義についてもう少ししっかりとご自身にて実際に鑑みられた上にて、信心・帰依なさられる(なさられてみたい)方における宗旨について、これから主に学び修されていかれると良いのではないかとは存じます。それよりも他宗派の方が良いとなりましたらそれでも構わないのではないかとは存じます。
川口英俊 合掌
問い「お坊さんを変更できますか?」
http://hasunoha.jp/questions/635
拙回答
仏事・法事の本来的意義を問い直す必要性について
まめまま様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
お葬式、その後のご供養のあり方について色々と考えさせられるところでございます。
今の時代、お寺、お坊さんとお付き合いしていくのも色々な面にて大変なところがあるのも確かでございます。もちろん、信教の自由もございますので、付き合いをどうされるのかも基本的には個々人の自由に委ねられるところでございます。以前に、下記問いにて『「信教の自由」と「檀家制度」』として回答をさせて頂いております。
問い「祖母のお骨についてアドバイスお願いします。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002880885.html
また、仏教(三宝)に帰依して、仏教徒として生死大安心を与り頂こうとするのであれば、やはり、それぞれがお寺、お坊さんとの付き合いについて、今一度見直しを進める上でも、仏事・法事に関する意義についても改めて考える必要があるのではないかと存じております。
例えばどうして葬儀をしなければならないのか、法事はなぜ必要であるのかなど、あまり深く考えることなしにただ鵜呑みにして形式的なことだけを受け入れてしまっていることほど、実は愚かなことはありません。その中身、内容を理解して、それを常日頃の生活における行いへと活かしてこそ、本当の意味で仏教は役立つものとなります。
例えば、葬儀に関することについては最近に拙考を改めてまとめさせて頂きましたので、是非この機会に少しくご参照を頂けましたら幸いに存じております。
「お葬式について」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76
「・・昨今の葬式仏教批判、あるいは、葬式簡略化、葬式・戒名無用論というのは、葬儀を執行する導師たるべき僧侶に対する信頼低下という面も少なからず影響があるかとは存じますが、それよりも僧侶も含めて、仏教徒であるものの、葬式・葬儀を行う本来的意義について真剣に問わない、考えない姿勢こそが根本的な問題ではないかと存じております。どうかこれを機会に、なぜ、お葬式をしなければならないのかについて改めて考えて頂く一つのきっかけとなりましたら幸いに存じております。・・」
川口英俊 合掌
「hasunoha」拙回答まとめ集
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/
hasunoha・拙生紹介ページ
http://hasunoha.jp/users/16
hasunoha・拙寺紹介ページ
http://hasunoha.jp/temples/6
東日本大震災を機縁として立ち上がりました「hasunoha」に参画できましたこと、誠に感謝致しております。微力ながらにも一つ一つ少しずつでもお役に立てれる善行・功徳となりましたら、亡くなられました皆様への追善供養として回向申し上げたくに存じております。合掌
・・
お盆施餓鬼法要・配布資料、お盆期間に来れない方の事前に来山しての申し込みの際に、転法舎の施餓鬼のしおりと粗供養品と共にお渡しする必要もあるため、昨日の草稿からの校正を一日で済ませて、早くにも校了、印刷させて頂きました。また訂正・追記・補足、誤字・脱字等がございましたら、ネット上にて修正対応させて頂きたくに存じております。どうか宜しくお願い申し上げます。いつもギリギリとなりまして申し訳ない次第でございます・・あとは法話内容もこの内容に合わせて調えて参りたいと存じます。
平成26年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料
「お葬式について」 岩瀧山往生院六萬寺 副住職 川口英俊
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76
はじめに・・
ここ十数年の間に、日本の葬式事情の多様化が急速に進む一方、本来の葬式・葬儀の意義について鑑みることが薄れつつある中で、「葬式仏教」との批判と共に、葬式・戒名無用論もある現状下において、仏教徒であるのであれば、今一度、なぜ葬式・葬儀を行わなければならないのかということをしっかりと考えることが必要な時期に差し掛かっているのではないかと存じております。
この度は、お葬式に関しての拙考を改めてまとめさせて頂くことと致しましたので、少しくでもご参照にして下さいませ。また、内容に関しまして、忌憚なくにご叱正、ご批正の程も賜われましたら有り難くに存じます。どうか宜しくお願い申し上げます。
当寺のお葬式の方針について
当寺では、長年、お葬式・葬儀における導師のお受けを積極的には行っておりません。理由としては、当寺では檀信徒制度を緩やかなものとしており、ご縁を頂いてる皆様に当寺から強制的な寄付や護持会費の徴収をしないために、あるいはご無理なご負担をお掛けしないようにするためにということと、墓苑においてご縁を頂いている皆様に関する法務・寺務、墓苑管理などを優先させて頂いているためにということでございます。
もちろん、葬式・葬儀のお受けを全くしないということではなくて、当寺とご縁があって、どうしても(菩提寺等が無く、あても無いなど)という特別な事情において、当寺をご指名頂きました際に、葬送に関する留意事項について色々と事前にご確認、ご納得をして頂きまして、当寺の優先すべき寺務・法務の都合等も鑑みさせて頂いて、お受けできるかどうかを最終的に判断させて頂くこととなります。当寺の事情にてお受けできない場合があることにつきましても、どうか事前に十分ご了承を頂きたいと存じております。
私のお葬式についての基本的な考え方について
さて、各宗派においても葬儀の意義がそれぞれに異なっていることもありますが、おおよそ、授戒式(正式な仏弟子・僧侶となるための儀式)と引導式(成仏へと向けて、浄土・仏国土へと導くための儀式)の二つを主要な要素としていると捉えることができます。(但し、浄土真宗の場合は、授戒・引導という形式は用いません。)
いずれにしても、仏教の目的である悟り・涅槃を目指して頂くために(あるいは浄土真宗の場合は浄土へと往生したことへの報謝のために)行われる大切な儀式であり、導師はもちろんながら、喪主・遺族・会葬者の皆様におかれましても、真摯に、厳粛に扱って執り行って頂くことが求められるものとなります。
以下に、これまでの拙生自身におけるお葬式に関しての考え方のまとめを簡単ながらにも挙げさせて頂きます。
・お葬式・葬儀は、仏縁(仏様とのご縁)・法縁(仏法とのご縁)を結ぶための一つの大切で重要な機会であると捉えております。
・宗旨宗派によってお葬式・葬儀の法式・作法・儀礼などが異なっているのは、それぞれにおける仏縁・法縁を結ぶための方法・手段の相違であって、読誦されるお経などの相違も、それぞれが依拠する仏典の相違によるものと考えており、(やがて悟りへと至るための)仏縁・法縁を結ぶためという基本的な目的については、あまり大差なく変わらないものであるかと存じております。
・生死や肉体の有無に拘らず、確かなる仏縁・法縁を結ぶことを基として、各々の心の連続体(心相続)に、菩提心と慈悲心を滋養させていくことにより、悪行を成さずに、善行に精進して、功徳を積むことが求められるものであるかと考えております。お葬式・葬儀もあくまでそのための仏縁、法縁の一つの大切な機会として捉えさせて頂いております。
・むしろ、できれば今の生きているうち、今生にも、できる限りにおいて仏縁、法縁を結ぶ機会を何度も何度もあずかり頂いて、菩提心と慈悲心を繰り返し繰り返し修習させ続けていくことが望ましいものであるかと考えております。
・尚、更に望ましいのは、確かなる仏縁、法縁を結ぶことを通じて、智慧(空性の了解)と福徳(善徳・慈悲・利他行)の二資糧を円満に積むことに精進努力して励みて、特に悟りの妨げとなっている煩悩障と所知障を断滅させていけるように調えていくことが必要であるかと存じております。
・お葬式・葬儀における導師の役割には、確かなる仏縁・法縁を結ばせることができるだけの力量、器量、資格、責任が問われることになるため、慎重にその役割が担えるに足るのかどうか、適切であるのかどうかが判断されなければならないものであるかと存じております。また、仏典はもとより、諸師方、喪主様、ご遺族、会葬者の皆様方、あるいは必要となれば第三者からも常に厳しく評価検証されていくべきものであると考えています。
・よくあるご批判として、「まともに戒律も守れていない者(特に妻帯や様々な俗人的な行いの数々など)が、戒師や導師を務めるのはいかがなものか」とのご指摘は至極その通りであり、常に猛省致すところが大でございます。
・お葬式・葬儀に限らずに、常日頃における仏事、法事など仏法を扱わせて頂くことについても、真にその扱わせて頂くべき力量、器量、資格があるのかどうかが厳しく問われるべきことであるかと存じております。
・以上ようなことを鑑みさせて頂いて、まだまだのこの浅学菲才の未熟者と致しましては、常に反省と自戒を致すことが多々であり、しっかりと己自身の菩提心、慈悲心の滋養へと向けての修習と研鑽を致しつつ、智慧と福徳の二資糧を積むことに精進努力して取り組んでいかなければならないと考えております。そのため、なかなか積極的にはお葬式・葬儀をお受けさせて頂けるような立場には全く至っておりませんことにつきましては、誠に申し訳なくにも存じておりますが、もしも、ご指名がございまして、導師のお勤めさせて頂くこととなりましたら、真摯に、真剣に精一杯取り組ませて頂きたいと存じております。どうかご理解とご容赦を賜われましたら有り難くに存じております。何卒にも宜しくお願い申し上げます。
各宗派における葬儀の要諦について
天台宗・・顕教・密教の併用形式。儀礼・・法華懺法(ほっけせんぽう)(法華経を読誦し、無明・煩悩・悪業を滅するための法)と例時作法(阿弥陀経を読誦し、極楽浄土への往生のための法)と光明供(光明真言を読誦し、浄土への引導・成仏のための法)が用いられる。授戒では円頓戒(大乗菩薩戒)が授けられる。
真言宗・・密教。儀礼・・灌頂形式。理趣経・真言・陀羅尼等が読誦され、印契、密教法具が用いられる。三密加持(御仏の身・口・意の行いと私たちの身・口・意の行いの一体化を図る)による速やかなる即身成仏・仏位を目指すための儀式。弥勒菩薩の兜率天(とそつてん)、あるいは大日如来の密厳浄土への引導を行う。
浄土宗・・阿弥陀如来の極楽浄土へと向けた往生式。儀礼・・序分(諸仏をお迎えする儀式)・正宗分(引導式)・流通分(諸仏・故人を見送る儀式)の三部構成。主には阿弥陀経・無量寿経・念仏が読誦される。
浄土真宗・・阿弥陀如来への仏徳讃嘆・仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)の儀式。授戒・引導を扱わない。故人は臨終後即座に極楽浄土へと往生したもの(即得往生・往生即成仏)とみなされるため、故人へと向けた供養・回向は扱わず、あくまでも阿弥陀如来を対象とした儀礼となる。正信偈・念仏・和讃が読誦される。持戒すべき戒律を扱わないため、授戒式は無い。そのため、仏弟子としての帰依者に与えられる名前も「戒名」とは言わずに「法名」と称される。
曹洞宗・臨済宗・・もともと禅宗における修行途中に亡くなった僧侶への葬儀法が、在家葬送のためにも援用され、「没後作僧」(もつごさそう)として各宗派の葬儀法へも影響を与えていくことになった。没後作僧とは、死後に授戒し、正式な仏弟子(僧侶)とならせて、浄土へと引導し、成仏させるという考え方。授戒においては、真言宗と同様に、仏法継承・正伝の流れとしての「血脈」(けちみゃく)を扱います。どちらも本来の自己(仏性)への覚醒による成仏を目指しますが、曹洞宗では、授戒と共に仏位同等としての成仏を扱います。成仏へ向けた引導においては、引導法語にて一語一語重要な意味内容が表されます。大悲心陀羅尼・観音経・修証義(曹洞宗の場合)・舎利礼文などが読誦されます。
日蓮宗・・久遠実成釈迦如来の霊山(りょうぜん)浄土への往詣(おうけい)のための儀式。法華経・題目などが読誦される。日蓮宗では、法華経に帰依信心すること、そのことが持戒そのもの(妙戒)であると考えられているため、授戒式は無く、そのため、仏弟子としての帰依者に与えられる名前も「戒名」とは言わずに「法号」と称されている。
「葬式即成仏」への疑念について
正直に、拙生がお葬式の導師を積極的にはお受けを致したくはない理由が、実はもう一つございます。それは、「葬式即成仏」に対して十分な責任が持てないということでございます・・自らが導師足るべき資格云々ももちろんございますが、本当にこれで故人が浄土へと赴けたのか、成仏できたのかということについて、明らかな確信が持てない、確かに証明・論証することができないからであります。もとより、拙生自身、まだまだ悟り・涅槃・成仏には程遠い凡夫なる存在であり、到底分からないこともあって、それを仏典には一応こう書かれているから、先師がそのように解釈して述べられているから、昔からそのような慣習としてあるから、などでは全く納得できないところもあり、もしも「葬式即成仏」であるならば、生前においても同様にその儀礼を執行することで成仏が可能になるはずでございます。しかし、残念ながら正直そのようなことはあり得ないのも事実です。生きている間は無理だけれど、死んでからならば可能になるいうのもやはり疑念甚だしい限りとなります・・
また、「葬式即成仏」であるならば、例え今世において、どんな悪い罪を犯そうが、心が汚れてしまっていようが、無明・煩悩・悪業の多寡にも関係なく「成仏」できることにもなりかねず、それでは、極論として、形式だけでもただ葬式さえすれば良いことにもなり、仏教の基本としてある、心を浄らかにして、悪い行いを慎み、善い行いに努め励むということや三宝への帰依、様々な教義についての学びや仏道修行も否定されてしまい、やがて仏教不要論へと繋がることにもなりかねないと存じております。
まだ、「葬式即成仏」ではなくて、「葬式は、これからの本格的な仏道修行へと入るための正式な仏弟子となる儀式、仏縁・法縁をあずかり頂いて仏道修行を本格的に進めていくための儀式」と捉える方が拙生的には納得のできるものであり、そのように考えている次第でございます。どうかこの点もご理解の程を宜しくお願い申し上げます。
昨今の葬式仏教批判、あるいは、葬式簡略化、葬式・戒名無用論というのは、葬儀を執行する導師たるべき僧侶に対する信頼低下という面も少なからず影響があるかとは存じますが、それよりも僧侶も含めて、仏教徒であるものの、葬式・葬儀を行う本来的意義について真剣に問わない、考えない姿勢こそが根本的な問題ではないかと存じております。どうかこれを機会に、なぜ、お葬式をしなければならないのかについて改めて考えて頂く一つのきっかけとなりましたら幸いに存じております。最後に、やがて一切衆生が悉く仏道を成就して、悟り・涅槃へと到れることを心から祈念申し上げます。
川口英俊 合掌九拜
関連ワード
葬式 葬儀 通夜 葬送 葬祭 家族葬 生前葬 自由葬 無宗教葬 直葬 無縁社会 核家族 少子高齢化 葬式仏教 仏教徒 戒名 戒名料 檀信徒 寄付 護持会費 菩提寺 檀那寺 授戒 引導 仏弟子 僧侶 派遣僧侶 僧侶派遣 僧侶斡旋 僧侶紹介 僧侶仲介 導師 浄土 仏国土 悟り 涅槃 喪主 施主 遺族 会葬者 仏縁 法縁 法式 作法 儀礼 宗旨 宗派 読誦 諷誦 読経 仏典 お経 心相続 菩提心 慈悲心 修習 善行 悪行 功徳 今生 今世 智慧 空性 福徳 善徳 利他 二資糧 煩悩障 所知障 力量 器量 資格 責任 第三者 評価 検証 批判 戒律 妻帯 俗人 戒師 仏事 法事 仏法 反省 自戒 研鑽 指名 真摯 真剣 天台宗 顕教 密教 法華懺法 法華経 無明 煩悩 業 例時作法 阿弥陀経 極楽 往生 光明供 光明真言 成仏 円頓戒 随方回向 法施 三礼 真言宗 灌頂 理趣経 真言 陀羅尼 印契 法具 三密 加持 身口意 即身成仏 仏位 弥勒菩薩 兜率天 大日如来 密厳浄土 浄土宗 阿弥陀如来 極楽浄土 往生式 序分 正宗分 流通分 無量寿経 観無量寿経 念仏 浄土三部経 浄土真宗 仏徳 讃嘆 仏恩 報謝 臨終 往生即身仏 供養 回向 追善 正信偈 持戒 和讃 法名 曹洞宗 臨済宗 禅宗 亡僧 在家 没後作僧 死後 釈尊 血脈 仏性 己事究明 覚醒 引導法語 大悲呪 大悲心陀羅尼 観音経 世尊偈 修証義 舎利礼文 往生呪 日蓮宗 久遠実成 釈迦如来 霊山浄土 往詣 法華経 題目 帰依 信心 法号 葬式即成仏 故人 確信 論証 証明 凡夫 先師 慣習 納得 生前 罪 極論 三宝 教義 仏道 修行 仏教不要論 葬式無用論 戒名無用論 簡略 信頼 意義 衆生 即得往生 往生即身仏 絶対他力 他力本願 念仏往生願 臨終得度 平生業成 禅戒一如 得道入証 威儀即仏法 下炬 下炬引導 初地の因位 土砂加持 亡僧喪儀法 檀信徒喪儀法 即心是仏 三密平等 追善 回向 廻向 法要 斎場 火葬 土葬 納骨 散骨 三昧聖 年忌 回忌 中陰 満中陰 位牌 仏壇 十王思想 三帰戒 懺悔 誦経 無常偈 入龕 鎖龕 龕前 念誦 挙龕 起龕 山頭念誦 辞親偈 奠湯 奠茶 出棺 遺教経 剃髪 表白 開眼 出棺 三聚浄戒 十重禁戒 法炬 払子 円相 焼香 四弘誓願 枕経 奉請 三帰三竟 発願文 摂益文 念仏一会 作梵 四智讃 霊供 開経偈 摂益文 総願偈 送仏偈 総回向 火屋勤行 重誓偈 還骨勤行 三匝鈴 路念仏 伽陀 勧衆偈 祖訓 唱題 宝塔偈 中啓 弔電 弔問 弔慰 弔詞 弔辞 五鈷杵 金剛杵 三宝礼 一字一喝 一語一喝 宝号 至心回向 礼讃 短念仏 収骨 十仏名 安骨 得度 安位
・・
勝義方便メモNo.9
http://togetter.com/li/681727
現在、勝義方便メモ・ツイート随時展開中。
https://twitter.com/hide1125
勝義方便メモNo.9 超宗派系一覧(2014.7.13時点)
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52167906.html
また、追記・訂正等がございましたら、どうか宜しくお願い申し上げます。
「拙理解仏教図式No.7(2014.6.14)」ご提示・再考随時訂正予定
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/f11483ea1a2eb35ce5dcda72284b2bfa
・・
山下良道師「青空としてのわたし」(幻冬舎)アマゾン・レビュー
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52164899.html
・・
「なぜ、空と縁起の理法を理解しなければならないのか」
平成26年3月・春彼岸施餓鬼法要配布資料・公開
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/8697c85d36b8f91fac08e58235d9984d
・・
2014.4.14 ダライ・ラマ法王猊下様によるチベット密教・胎蔵曼荼羅灌頂・ご報告
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/bc5c08f69d78bdda5c6cca62d17d87df
ダライ・ラマ法王猊下様今春ご来日動画集
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52160454.html
「偉大なる第十四世の長寿を祈願する如意自在王〔経〕」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/8f49efb18934ec00993d52e91c603327
・・
2014.4.10・日記・NGO「国境なき僧侶団」第三回ミーティング参加報告
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/a60888ef08c1c59e2c33624dbfb3b4ce
NGO「国境なき僧侶団」フェイスブック・ページ
https://www.facebook.com/pages/国境なき僧侶団/578961352183094
・・
東日本大震災から三年・・
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52156205.html
・・
2013.11.19「空と縁起」に関する拙質問に対してのダライ・ラマ法王猊下様の御回答内容について
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/710b99c74854aebc871a6f75e28dde12
2013/11/19 悲しみから希望を紡ぐ――慈悲の力
http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/2013/report/05.html
ダライ・ラマ法王 2013年秋来日報告
http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/2013/report/
<ダライ・ラマ14世>増上寺で若手宗教者と対話 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131119-00000036-mai-soci
ダライ・ラマ14世、若手宗教者と対話 中外日報
http://www.chugainippoh.co.jp/religion/news/20131126-001.html
2013.11.19「ダライ・ラマ法王と若手宗教者100人の対話」映像ダイジェスト版
http://www.youtube.com/watch?v=Sg-mUrW4CUU
ダライ・ラマ法王 2013年 来日講演( https://www.facebook.com/hhdl2013japan )
11/19 法王来日 増上寺
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.413896315405962.1073741833.389032644558996&type=1
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(チベットハウス・ジャパン)のホームページがリニューアルされて、随分と見やすくなっています。
http://www.tibethouse.jp/
・・
【チベット問題】
チベット問題・焼身抗議等の詳細情報は、チベットNOW@ルンタ・ダラムサラ通信・中原一博氏のブログが参照となります。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/
「太陽を取り戻すために チベットの焼身抗議」中原一博氏著
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51799025.html
無償ダウンロード
https://docs.google.com/file/d/0B6cmrkvyxC23QmhCRTZyeWRrNm8/edit
「自らを灯明と化した菩薩たちの願い」~チベット問題・焼身抗議を考える~
http://t.co/PwVvYWck
・・
川口英俊の自動配信・デイリー自動情報収集ネット新聞
http://paper.li/hide1125/1307742529