日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

苦しみの終了

2020年08月07日 | 苦しむ人とともにあること
この家の一番奥の自動車ほどもある重く大きな歯車が「ごうん」という音を立てて動き出した。

ちょうど水車小屋の水車のようにそびえ立つ錆だらけのそれは、もう何年もぴくりとも動いていなかった。

簡単なことだった、全てはそこにあって、必要なのは小さな部品の重心の調整だけだったから。

だけど難しいことだった。
目に見えない全体を探ってそれをまた身の内に収め、自分の形を変えることだったから。
最後は遠くまで行って一年寝かせたのち、助けてくれる人たちの手も借りた。

まるで当たり前のことのように、ある日もやが晴れ、苦しんでいた人にかかっていた重荷が取り除かれた。

久しぶりに話した専門家も仰天した。

「苦しんではいなかったんだけどね」と苦しんでいた人は言った。

「いやいや、苦しんでいたし、苦しそうだったし、苦しいと言っていたよ。」と私は返した。

まあでもそんなことはいいよ。

お茶でも飲んでゆっくりしよう。

















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しくみ

2020年08月06日 | lesson

だいぶ仕組みがわかってきた


根が地面についていないと

人は枝葉で余計なことをする


他の人を放っておけなかったり

手を出して操作して助けているつもりになったり


自分はよそより大丈夫だと「証明」したがったり


ちがう


そこじゃない


足をつくんだ


なぜそんなことをしたいんだ


(自分によしと言えないから)


自分にだめというのを


だめと言いたくなくて


人に言う


すべて自分からしか始まらないのに


自分をただ全部有らせて


部屋で座っていられたら


他は勝手に開けていく







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マンチキン

2020年08月05日 | 日記
コロナでバイトができなくなった留学生が駅でお菓子を売ってたから買ってきたんだけど、と夫が言う。
以前娘が好きと言っていたのはこれ?と聞く。


いや、違うよ。好きなのはポルボロン。

これいくらだったの?500円?500円あげた方が喜ぶかもと言ってしまってちょっと悪かったかなと反省しながら娘に伝えると、パパかわいそう、と彼女は言う。

少し共感性羞恥もあるんだけど、父親ががっかりするのがかわいそうでとてもいやらしい。

仲良しか。


ペガサス柄のワックスペーパーのキャンディラップを開くとココアがまぶさった柔らかい丸いおやつが出てきた。

かじってみたら中はゼリー入りのマシュマロ。

調べてみたらマンチキンというらしい。


美味しかったよ、二つも食べた、というと、わっるい、パパは私に買ってきてくれたんでしょう、と娘が言う。

そして夫の見ている前で娘がひとつ食べる。

もうひとつ食べる。


道で買った、異国の、手作りのお菓子。

娘はそういうものは絶対食べない。


絶対。そう思った。


なのにふたつも。


愛、だね。


(愛されてる人はわかってないけど)


食卓でじんわり一人無言で感動してる。






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シュガートーストの焦げた部分に宿るしあわせ

2020年08月04日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校
私 「少しだけ焦げた」


娘 「少しじゃないじゃん」


私 「まあそうかもしれない」


娘 「でもありがと、作ってくれて」


 「どういたしまして。

   まあお弁当作らない時点で

   お母さん失格だけどね!」


 「いいじゃん作んなくったって

   二人ともしあわせなんだから」


 「そうだね!」


 「にがい…」


 「ごめーん、カラメル部分と思ってくれる?」






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もうこのまま楽しむしかない

2020年08月03日 | 新しい日々
ここ何年か場所と季節、時間帯と日差し、湿度温度が今までの感覚と一致しない。

例えば秋の夕方、温度が高すぎる上に日差しの角度、質感がオカシイ。

8月、お昼過ぎからひぐらしが鳴く。

今年の「7月の末」「8月の初め」はそれとは思えない爽やかさで(昔で言えば5月のような)セミとか海の匂いとかのフレーバーだけはちゃんと夏だった。

この地点でこれは新しい、けど好きな組み合わせ。

カリフォルニアならありそうかな。

昔の夏ならこんなに動けない、ましてやここ数年の暑い夏では。

せっかくだからその中を走りまくって新しい季節を身体中にまぶす。

明日はどんな風だろう。

世界が変わっていくのなら、もう楽しむしかない。















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