日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

愛されている人

2019年12月16日 | 出会った人たち
江ノ電の駅の反対側に立つ人に向かって歩いていきながら、なんてどこからどう見てもいい人なんだろうと感動した。

挫折や苦労をどんなに語っても、何か根本的に損なわれない楽しげなテーマ音楽がずっと流れているような。

そこだけスポットライトで晴れているような。

愛されて育ってきたのかな。

愛されてきた人は愛された跡がついている。
初めて会った人もその跡は感じるから思わずその通りに撫でて愛してしまう。
ついつい無意識に。

私には割とその跡がよく見える。

(愛されてこなくても、愛されすぎてきても、挽回ルートはあります。念のため)

そしてもちろん、成長しようとする人は誰からも愛される。

たとえば神さまからも。

天からひかりが当たっている。

しあわせなひと。
(絶対に、いい意味で)

ひどいなあ、まにこさん、と本人は言うかもしれないけど。






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これを飲んだらお家に帰ろう

2019年12月12日 | 日記
久しぶりに海に来た。

風が強すぎて立っていられないけど、やっぱり海はいいね。

海風を避けてファミレスに逃げ込む。
仕事のない日、だれでもない私の特権として夕方にお茶。

昨日は苦手なことを続けてやってすっかりやさぐれた気分でふて寝してたら声がした。

どうしてそんなにじぶんにきびしいの?
(どうしてそんなにじぶんにあまいの?)

どうしてだろうね。

そこには多分切ない願いが、毛布にくるまれた赤ん坊のように大切に隠されている。

(いいおかあさんになりたかった)

そうか。

そうなんだね。
















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mission

2019年12月08日 | 命について

果てしなく広く深い宇宙に

わたしというプローブを差し込む

そんなようなことかも

いきるということは



ちょうどわたしのふかさぶん

わたしは世界を知る
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さえずり姫

2019年12月03日 | 出会った人たち
自分を味わいつくす、とその人は言った。

高い天井にシャンデリアが下がる聖堂のような空間を
祈りの硬度で、でももっと朗らかに
遊ぶように、でも命をかけて
真剣だけど心から面白がり喜びながら
(声?)(存在?)(挨拶?)で満たした。

その人、山崎阿弥(やまさきあみ)さんは、さえずりながら世界と直にやりとりするのを実演してみせた。

エコロケーションで世界と関わるということはつまり、自己の境界や世界の成り立ちの認識の仕方が違うということ。

ことばの範疇を超えるから壇上のふたりも聞いてる観客のこちらも、えーと(バイブレーション?)と試着するようにちょうどいい言葉を探した。

人は普段言葉や形を見ているけれど、その夜私たちはそれが乗ってる画用紙、空間、氷山の九角を手探りしていた。

見えない水の中に見えない手を入れて小石みたいな言葉を拾うように。

「何かにぶつかる音ではなく雨そのものの音を聞けないかな」

「フォトンが音を記憶し続けていく」

「聴覚は膜を超えていくから、生命の再定義」

「実感と科学の間を振り子のように動きながらいたい、味わい尽くしたい」

「大笑いして開けてやろう、その扉を」

その人は13才の時の夕陽の色を声帯の振動で覚えている。



企画して下さった井本由紀さん、輝く瞳で話を引き出して下さった藤田一照さん、ありがとうございました。

山崎阿弥さんのTEDの動画
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