自分のどの部分もけなすのをやめる。
自分は自分のもののように感じるけどほんとは自分のものじゃないから、好き勝手に粗末に扱うのは間違っている…気がしてきた。
世界が奇跡的にこのように私の前に立ち現れてあるならば、私もまた同じように奇跡的に表れたものであるはず。
どんなに至らなくつまらなく愚かで下らなく感じられても、それでも。
ひたすら生きるその動きは「(小さな)自分」のものではなく、その本性は自然の側にあるものなはず。
ありがたく丁寧に扱う。
その本性とは
仏性では。
自分のどの部分もけなすのをやめる。
自分は自分のもののように感じるけどほんとは自分のものじゃないから、好き勝手に粗末に扱うのは間違っている…気がしてきた。
世界が奇跡的にこのように私の前に立ち現れてあるならば、私もまた同じように奇跡的に表れたものであるはず。
どんなに至らなくつまらなく愚かで下らなく感じられても、それでも。
ひたすら生きるその動きは「(小さな)自分」のものではなく、その本性は自然の側にあるものなはず。
ありがたく丁寧に扱う。
その本性とは
仏性では。
だんだん
うすうす
はっきりしてきた
「ありきたりの日常」なんてないことが
一瞬ごとが真剣勝負で
私の一挙手一投足が世界を作っていることを
オン/オフ/ハレ/ケもなく
今いるここで私が宇宙が生まれていることを
今そうあった方がいいかたち
それはこどものためにも
戦争のためにも
同じような気がしている
性急に結論を出して掴むようなやり方ではなく
自分の思う通りにコントロールしようとするやり方でもなく
(しかしただ放置したり見ないことではない)
非常に注意深く心を砕いて意識を寄せる
そして深く呼吸する
自分の中に浮かぶものを見ていた
「せっかくたくさんある時間をもっとうまく使いたい」
↑
「そんなに活動したら疲れてしまう」
(休ませないと)
(守らないと)
自分から自分を守らないといけないと感じていたから動けなかったんだ
搾取されないようにかばっていたんだ
いつだって自分は自分だけは頓着せずにこきつかったから
いつでも休める
守りながら活動できると思えなかったから
動けないのはだからだよ
だから必要なのは
動かそうとすることではなくて
動かなくてもいいと本気で伝えること
少しずつわかってきた
これだけは変わらないというものもない
すばらしかったものが変わっていったとしても
すばらしいことがうそだったわけでも
失われたわけでもない
たどり着いた先のこの浜で
出会った人たちとその時間に
感謝と幸せを祈ることができますように