ゲーテが66歳の時の詩に、次のような短い詩がある。--
われひとり 座して 思えらく
これに優るところ いずこにあらん
葡萄酒を ひとり 嗜たしなむ
邪魔だてする者も なければ 想いに耽ふけるなり
*- * - ( (( *
この詩はゲーテが「西東詩集」West-ostlicher Divanを書き、東洋に関心を寄せたころの一篇なのだが、 中国の盛唐時代には、かの有名な漢詩、王維の五言律詩がある。--
ひとり座す 幽篁の裏うち
琴を弾き 復また 長嘯ちょうしょうす
深林 人知らず
明月来りて 相照らす 王維 「竹里館」
*-* この二つの詩には、聊か相違があるのに気づく。王維の詩は、自然との融合、自然との一体感や調和が歌われている。
それに対し、ゲーテの詩では 自己が、人間が中心だということである。 王維の詩が、独り深い竹藪のなかで琴を弾き、閑に吟じているのだが、かくなる愉しみや味わいを知るのは、人ではなく、夜空に浮かび明るく照らしている月だけだ、という心境なのである。
これに対して、ゲーテの詩は、他から離れ、ひとり静かにいるのだが、葡萄酒を嗜みつつ、自己から抜けきることなく、ひとり思いに耽っている様なのである。
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