コイナー氏と長らく会ってない人が久し振りに会うと、こんな言葉で挨拶してきた。:
いやあ、相変わらず、お変りもなく なによりですな・・。 するとコイナー氏は、俄かに、蒼ざめた表情を見せるや、いやいや、そんなことは と口を閉ざしていたのだ。
Wieder-Sehen: B.Brecht : Prosa Band 2: suhrkamp ebd. S.383.
コイナー氏と長らく会ってない人が久し振りに会うと、こんな言葉で挨拶してきた。:
いやあ、相変わらず、お変りもなく なによりですな・・。 するとコイナー氏は、俄かに、蒼ざめた表情を見せるや、いやいや、そんなことは と口を閉ざしていたのだ。
Wieder-Sehen: B.Brecht : Prosa Band 2: suhrkamp ebd. S.383.
ブレヒトの散文作品には、老子だのローマの将軍ルクルスといった人物が取り上げられていて興味を引く。 その一人に「異端者のマント」では、ジョルダーノ・ブルーノがいる。 時代はイタリア・ルネッサンスの時代のこと。:
周知のごとく、15-16世紀のルネッサンスは魔術の時代であった。
ルネッサンスの知性は秘部を覗きたいという熱望に満ちあふれていた。 その魔術のひとつに記憶術があり、 他の二大魔術は占星術と錬金術であった。占星術には二つの基本要素があり、それは天の黄道に沿って配置された12の星座、つまり、牡羊座、牡牛座から始まって水瓶座、魚座へと巡ってくる星座と、季節の結びつきや、黄道上に巡行する太陽、月と5惑星、つまり、水星、金星、火星、木星、土星の位置関係の二つにより、天空と自然の在り方が説明されたのである。
この15-16世紀にかけて一人の人物が出現した。 人物とは先のジョルダーノ・ブルーノで、宇宙と天体について独特の見解を提唱した。つまり、物質をごく微細な原子・アトムの集合とみなし、人間から天体までの全ての存在を、アトムの集合と離散と考え、生成しては分解し、新たに再生する全過程に宇宙をみたのである。
この宇宙には空間や時間に限界がなく、無限。だが、そこには秩序があり、しかも、どの存在にも宇宙的な霊魂が宿り、宇宙は躍動する生命の集合である、というのである。
だが、預言者ジョルダーノ・ブルーノは早く生まれすぎた。彼の考えの大部分はキリスト教会の見方と真っ向から対立したからである。 ・・・
かのギリシアはイタケの王で策謀家のオデュッセウス。: 彼は魅惑の美声の持ち主・ズィレーネンの島が見えてくると、船のマストにみずからを縛りつけさせ、櫂の漕ぎ手らには耳に蝋で栓をさせる。 美声に心が乱れぬようとの配慮からである。 さて、島が見えて美声が聞こえてくると、オデュッセウスが解かれたがっているのを漕ぎ手らは目に入れた。が、申しあせたとおり、ことはうまく運ばれたかに見えた。 だが、これに関して、ブレヒトの見解は違った。その違いとは?....:
オデュッセウスはいざ知らず、縛りつけられた男を前に、美声の持ち主の彼女らが果たして唄っていたか、誰が信じられよう。そんな浪費はよもや、すまい。 それでは彼女らはどんな行動に出たか。 それはこんな風ではなかったか: つまり、美声の持ち主のズィネーレンは、この用意周到なプロヴィンツラー・田舎者を全身全霊をもって罵倒していたのだ、と。 かくして、かの英雄は無事、航海をし終えたのだが、他方、彼は とどのつまり、恥辱と屈辱に耐え忍んでいたには違いないのだ。
ブレヒト散文選より Ⅰ-3.
B.Brecht, Odysseus und Syrenen
Berichtungen alter Mythen
Geschichten Prosa. Suhrkamp Vlg. ebd. .207.
ドイツの劇作家、ブレヒトの散文作品に「異端者のマント」がある。 15-16世紀は魔術の時代でもあった。 そして、この時期にブルーノが出現するが、彼は宇宙と天体について極めて独特の理解を提唱した。つまり、物質をごく微細なアトム・原子の集合とみなし、人間から天体までの全ての存在をアトムの離合集散と考え、それが生成し分解し、また新たに再生する全過程に宇宙を見たのである。 そして宇宙には空間や時間に限界がなく、無数であり、しかし、秩序は存在し、しかも どの存在にも共通した宇宙霊魂が宿る、つまり、宇宙は躍動する生命の集合であると云うのである。 だが、この魔術の預言者は、早く生まれ過ぎたゆえにブルーノの考えはキリスト教会からは理解されず、真っ向から対立するという不幸があった。 因みに、ルネッサンス期の三大魔術には、占星術、記憶術、そして錬金術がある。ルネッサンス期の知性は世界の奥の奥の秘部を解明したい熱望に満ちた時代であったのだ。
Vgl. 「世界の歴史」16. 中央公論社 参照.