goo blog サービス終了のお知らせ 

仔羊の回帰線

詩と散文のプロムナード :Promenade

*鼠: .ハウプトマンより ➁ 

2023年02月13日 09時39分01秒 | *文学・学問・詩・余滴: Ⅰ-Goo

 「芸術の前では  皆、平等ですよ、支配人さん・・」                      「ジュピターくん、青白い顔で 何を云うのかね。何処から そんな決まり文句を仕入れてきたのかね・・」

「ぼくはシラーやフライタークとは相反する関係にあるのかもしれません。でも、レッシングとは同じと思います・・ レッシングの作劇研究には打ち込めましたから」

     「それで、・・」
「ですから、ドイツ演劇を活気づけたいなら、若きシラーや〈ゲッツ・フォン・ベーリッヒンゲン〉を書いた若きゲーテや、レッシングまで遡さかのぼらなければならなりません。・・
そこには芸術や人生の豊饒さが見られますもの」

「ジュピターくん、ゲーテの俳優問答は云わずと知れたわたしの芸術的信条でもあるんだよ・・」

 「ですが、ゲーテは彼の俳優規則によって本性を裏切っています。   かれはこう指示しているのです。:---    どんな役を演じても、舞台に立つ者は人食いの表情でなければならぬと。    それによって気高い悲劇が呼び起されると」

「とんでも発憤だな。不愉快だよ、きみ。--きみはチューチュー小賢しい鼠だ。 実に、やっかいなネズミだ.  新しいドイツ帝国の破壊を始める輩となんら変わらぬ。・・それでは芸術の理想を齧り取ってしまいかねぬ.」    

   Gerhart Hauptmann :Die Ratten 3.Akt
     「鼠」 第3幕 より
    
       *- *- (((   *
 *ハウプトマンの戯曲では他に、「日の出前」がある:--     
そこではアル中患者が赤裸々に描かれた。

「ビーバーの毛皮」: 社会主義者鎮圧法などを背景に描かれた喜劇。

 また、社会の病弊を暴くのではなく、苦悩する人間の内面を描いたものには、「ハンネレの昇天》や「沈鐘」などの戯曲が有名。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*鼠: ハウプトマンの悲喜劇 より

2023年02月11日 10時26分32秒 | *文学・学問・詩・余滴: Ⅰ-Goo

       その男。-- 稽古部屋に入ってきて、チェス盤のように 64のマス目に分かれた図面の中央に立つ。と、大きな声で朗詠した。

この胸が怒りにたけり狂うはなにゆえか.."   ---すると、劇場支配人の 禿げあがった体格のいいハッセンロイターが声を荒げた。                  ストップ!...ストップ。

 それでは彫塑の美に欠ける。 悲劇的人物の品格が全くない。    いいかね、ジュピターくん、もう一度 やってくれたまえ!...            "この胸が怒りにたけり狂うは なにゆえか、

「きみ セリフに相変わらず情念がこもっていないねえ。 始末に おえんな、ジュピターくん。

面と向かって酷すぎると云うこともあるまいな。 きみのせりふ回しでは  なんの感動も沸かぬし、つまりだ 一言で、つまらぬということに尽きるのだよ ジュピターくん・・

 ぼくは気取りや修辞的なものは性に合わないものですもから。この〈メッシーナの花嫁〉には好きなセリフが皆目ありませんもの

 なんだと もういっぺん云ってみたまえ、ジュピターくん!...
ええ、何度でも。 芸術感が根本的に食い違っていますからね

 それだよ、きみ --きみは誇大妄想に取りつかれておるにすぎぬ。

それに厚顔無恥ときている。・・偉大な詩人シラーには比べるべくもないが、もう何度も云ったはずだ。そんな子供じみた芸術観なぞナンセンスだと気づき給え いい加減にして・・」

「何を証拠に?....」  

 「口を開ければ、その繰り返しだ。センスと云うものがない。キイキイ、声張り上げてばかりで。 それに劇の筋立てをも否定し、やれ 価値がない、やれ低俗だと言い張る。それでは、床屋も女定員も皆、マクベス夫人やリア王と同じ悲劇になると云っているようなものだ…
   Gerhart Hauptmann :Die Ratten. 3.Akt:第3幕 より

 G.ハウプトマン: 1862-1946:  1912:ノーベル文学賞
 ドイツ自然主義の劇作家として有名。
「織工」「沈鐘」「鼠」では、荒廃した大都会ベルリンを象徴的に描いた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする