・「潮 騒」: しおさい<
* ある時、友人の徳丸くんが、きみ、こんなのを知っているかい、よく知られた小説からの冒頭の一節だよ。きっと知っていると思うが、まあ、余興だと思って附き合ってくれ給え。と云うと、彼は淡々と述べた。--- ・それは、間違っていなければ三島由紀夫の作品からだね。--- *なら、その作品名も勿論、分かっているわけだ。
・勿論だよ、間違っていなければの話だが。だが、どうして、そんなことを聞くんだね、と道之助が云うと、--- *あの海辺の小さな小屋で若い男女が、囲炉裏の焚火で濡れた体を乾かしていた場面が強く印象に残っているものだから。 あれほど若い男女の純粋な恋愛感情の感じられるシーンはないと思ってね。--- ・なら、きみにはあのように似た体験があったのかい、と道之助が軽妙を飛ばすと、--- *まあ、それはGeheimnisvoll ということにしておこう、そのほうが互いに心の奥底は秘められていて楽しいからね、--- ・意外や意外といったら、きみは気分を悪くしないかい。^-- *いいや、そんなことはない、充分、ぼくも愉しみな時が、仮令、数は少なかったとしても あったことは事実だからね、と今も独身をとおして研究に打ち込んでいる徳丸くんは笑った。彼の表情はいつになく明るい。--->・それは良かった。あまり根を詰めて研究ばかりに専念していてもいけないと思ってね。--- > *いや、きみだって翻訳に精を出したり、短篇も書いたりして楽しんでいるじゃないか。きみ、また見せてくれ、書いたものがあるんだろう。--- > ・無きにしも非ずだが、まあ、きみを見ていると、ぼくももっと翻訳に専念したいと思ってね、まだ、誰も手を付けていないか、やっていても研究者の数は少なく、そんな作家や作品に予期せぬうちに、然し必然のように興味が湧いてきてね、・・・その点、きみの研究対象の後期ロマン派の作家は殆ど翻訳はされているし、ということになれば細密な研究をさらに極めていくより新たな領域は残されていないのだろうがね>--- > *まあ、研究は愉しいし、それをドイツ語で書いていくのは、まだ、あまり発表している研究者も少ないからね、少ないのがいいとは決して言えないが、それもある意味でBeruf と云っては差しがましいが、使命と思えば、それにこしたことはないんだよ>---* 附:--->--- ・これは紀州の漁師の村を舞台にした純愛物語。純粋で美しい恋愛を描く。 >> ある夜、ふたりが海を渡り、濡れた体を小屋の囲炉裏火を挟んで温める場面は純粋な愛の表現で、これから彼らがいかなる困難も乗り越えて行こうとする絆の深さや純粋さが感じられて見事だと徳丸五十くんは、意外にも 常日頃の堅さが解れて云ったものなのである。







