仔羊の回帰線

詩と散文のプロムナード :Promenade

*:嗚呼 哲学も 法学も・・:Faust より

2023年07月30日 09時35分26秒 | *ゲーテ「ファウスト」より

嗚呼  哲学も.  法学も、 医学も                                神学までも  この俺は 研究した                                    なのに 満足には ほど遠い                                   まして 賢くも なってはいない   ~359                                             第一部 Faust Ⅰ 《夜》  Nacht より

蓋し ドクトルや マギステルや 牧師よりかは ましだ                          だが 今では 懐疑し 惑うことからも 遠ざかってしまった                    まして 悪魔なぞ 恐れることも なくなった                         その引きかえに 喜びまで 失っていた

ひとかどのことは 知りえたつもりだ が                                それで どうなるものでもない 自負にもならぬ                                高邁に導き 教えてきた誇りは                                    もはや 過去のもの   ~373

 そこで 霊の力や 啓示にすがり                                       神秘を究めようと 魔術に頼ろうとした:                                   この世の 奥の奥で 統べているのは 何か?..                                 それが 知りたくなったのだ・・      ~383

 Habe nun ,ach, Philosophie ,Juristerei , und  Medizin                           Und leider auch  Theologie durchaus  studiert,  mit  heissem Bemuhn,               

Da steh'  ich nun , ich armer Tor                                                                                                      Und bin so  klug als wie zuvor:                                                                    Heisse Magister ,heisse  Doktor gar,                                                              Und ziehe schon an die zehn Jahr,                                                                  Herauf ,herab und quer und krumm,                                                                Meine Schuler an der Nase herum,                                                               

  Und sehe ,dass wir Nichts wissen konnen,                                                                        Das will mir schier das Herz verbrennen....                                                       【脚韻】 : Tor- zuvor,  gar- Jahr,                                                                   krumm- herum,  konnen- verbrunnen,

 

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*ソフォクレス「アンティゴネー」より

2023年07月24日 08時33分06秒 | 文学・学問・詩・余滴: Ⅰ

     ソフォクレスによって書かれ、前441年ごろ上演されたギリシア悲劇「アンティゴネー」は、敵方の骸むくろを葬ることを禁ずる掟おきてに逆らい、死に処せられるアンティゴネーの悲劇。そこにこんな人道的寛容の言葉から。:

  憎しみあうためでない  愛を ともにするため 

   わたしが 生まれてきたのは     523行

 

 Nicht mit-zu-hassen,    Mit-zu -lieben 

          Bin ich da !!...

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*「かのように・・」:鴎外の短編から

2023年07月21日 08時26分53秒 | 文学・学問・詩:余滴 Ⅱ

  鴎外の短編に作者の分身と思われる歴史学の学徒、五条秀麿を主人公にした「かのように」という作品がある。                                                   これはドイツ語で云うals ob...の訳からのもので、そこにはこんなことが書かれている。例えば、:

《小説は事実を本当とする意味においては嘘である。》    :                             とはつまり、フィクションということ。しかし これは最初から嘘と意識してつくられているのであるから、そこには生命もあり価値も失わない。

《絵もまた同様で、どれほど写生したところで実物ではない。 嘘のつもりで描かれている。》 

    因みに、自然が絵画を模倣する、という言葉もある。                   これは名作に出会って、それによって強く印象付けられた目で 自然をいつの間にか見てしまっている、といった意味である。

 また、精神学でも然り。:                                   自由だの、霊魂不滅だのは目に見え、手に触れることのできる存在ではない。しかし、その無いものを 在るように考えなくては論理が成り立たない。 

かくして青年学徒の秀麿が言うには、数学も然り、つまり点と線とがあるかのように考えなければ幾何学は成り立たない。                        こうして、哲学も然り、宗教も然り、というように《かのよう・》 als ob...がなくては 学問も、芸術も、宗教も成り立たない、というのである。 そして、こうして学問に打ち興じてはいるが、これはまだ、未完成の若き学徒の内なる葛藤でもあったのである。

   

 

 

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*シュニッツラー「みれん」:Sterben より

2023年07月19日 09時16分31秒 | *詩と散文のプロムナード:Promenade:

   シュニッツラーは19世紀末のオーストリアの作家。                      「みれん」Sterbenは代表作の一つで、わが国でもよく読まれた作品。
            鴎外訳  その34より
  鴎外は「諸国物語」というタイトルの下に諸外国の作品を数多く翻訳し、芥川龍之介はその翻訳から、多大な影響を受ける。 

        *  
   本を読み始めたフェリックスは作中の人物の栄華が癪に触ってくる。そこで哲学書を読もうと、ショーペンハウエルだのニーチェを読むと心が安らいできた。だが、長くは続かない。
 或る晩、医学士が来る。と、ショーペンハウエルを伏せ、厭な顔をした。「どうした?...」と学士。
「また、読もうと思う。フィクションは虚構だがね。詩人も同じだ。だが、この先生は気取っているな」   
こういうと、病人は起き上がった。

   「哲学者は厭世観や死生観を述べてひとり楽しんでいる。かと思えばイタリアは明るく賑やかさに取り巻かれている、などと平気で書く。それが気取っているというのだ」
「よせ、そんなパラドックス・・」
「まあ、いいさ、気取り屋ということが分かっていれば・・」
「なら、ソクラテスはどうだね」
「もとより、狂言者に決まっているじゃないか」
「もう、いい、そんなノンセンス。 ・・」    

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*ジョルダーノ・ブルーノ:魔術の世紀: ブレヒトより ;Ⅰ-2.(*18)

2023年07月16日 09時19分37秒 | *B.ブレヒト散文選 より

  ブレヒトの散文作品には、老子だのローマの将軍ルクルスといった人物が取り上げられていて興味を引く。                              その一人に「異端者のマント」では、ジョルダーノ・ブルーノがいる。             時代はイタリア・ルネッサンスの時代のこと。:

 周知のごとく、15-16世紀のルネッサンスは魔術の時代であった。

  ルネッサンスの知性は秘部を覗きたいという熱望に満ちあふれていた。    その魔術のひとつに記憶術があり、 他の二大魔術は占星術と錬金術であった。占星術には二つの基本要素があり、それは天の黄道に沿って配置された12の星座、つまり、牡羊座、牡牛座から始まって水瓶座、魚座へと巡ってくる星座と、季節の結びつきや、黄道上に巡行する太陽、月と5惑星、つまり、水星、金星、火星、木星、土星の位置関係の二つにより、天空と自然の在り方が説明されたのである。 

    この15-16世紀にかけて一人の人物が出現した。                 人物とは先のジョルダーノ・ブルーノで、宇宙と天体について独特の見解を提唱した。つまり、物質をごく微細な原子・アトムの集合とみなし、人間から天体までの全ての存在を、アトムの集合と離散と考え、生成しては分解し、新たに再生する全過程に宇宙をみたのである。

   この宇宙には空間や時間に限界がなく、無限。だが、そこには秩序があり、しかも、どの存在にも宇宙的な霊魂が宿り、宇宙は躍動する生命の集合である、というのである。

 だが、預言者ジョルダーノ・ブルーノは早く生まれすぎた。彼の考えの大部分はキリスト教会の見方と真っ向から対立したからである。 ・・・

 

 

 

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* 芥川と鴎外の「諸国物語」:

2023年07月13日 07時53分42秒 | 文学・学問・詩:余滴 Ⅱ

    嘗て、芥川龍之介は鴎外の「諸国物語」を読み、レニエの作品からヒントを得て、「奉教人の死」や「藪の中」に活用したのだという。: 即ち、         前者では、大火事の真っ赤な炎に飛び込み 幼子を救ったあと、横たわっていた少年をみれば、実は、火の光に照らされ、破れた衣から顕れた胸には 二つの乳房が露わになっていた女であった。また                     後者では、死んだ人に成り代わり、霊に真実を語らせているところなどは、  まさしくその影響というのである。

 東西文学の比較。:その相互作用と類似点.

Vgl.:  「藪の中」: 藪の中で男の死体がみつかる。そこで、尋問された4人の証言と、3人の当事者の告白がなされる。そのうちの一人は、巫女の口を借りた死霊の証言。

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* ハインリッヒ・ベルの「九時半のビリアード」:

2023年07月08日 11時01分12秒 | 現代ドイツ作家の群像; 人と作品:1945年以降

  1949年に、前線に戻る帰休兵の心理を描いた「汽車は遅れなかった」Der Zug war punktlich を発表したベルは、10年後に「九時半のビリアード」を上梓した。:                                                                 これは建築家三代の歴史で、戦後のナチ的なものとの対決を描いた長編であり、 ライン・ヘッセン州の建築家家族フェーメルの物語が語られる。:                                                                                     ローベルトは1908年  聖アントン修道院を建築する。が、これは45年にハインリッヒによって破壊され、また、一族のヨーゼフによって再建築される。と云った経過がモノロークと過去の回想として描かれるが、これが伝えているは 人間は善悪をなしえるものだ、ということである。 つまり作者ベルにとって、善とはキリスト教的に刻印された人間を云ひ、それはまた、長編「或る道化師の意見」の主人公でもある。 とはつまり、 《道化》とは純朴だが、一方、アウトサイダー的人間の謂いでもある というのである。   
  Heinrich Boll: Billard um halb zehn. Roman 59.
  Aus:K.Rothmann . Dt.sprachige Schriftsteller seit 1945
         Reclam ebd. S.64ff...

Der Zug war punktlich. Erzl. 49.「汽車は遅れなかった」
Ansichten eines Clowns, Roman 63.「ある道化師の意見」

 H.Boll:1917年生まれ。                                                           1972年 ノーベル文学賞 受賞。

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*西行と崇徳上皇霊との対話:「雨月物語」より

2023年07月03日 09時07分04秒 | 文学・学問・詩:余滴 Ⅱ

   時は1168年の秋、崇徳凌での西行と崇徳上皇の対話からなる。        上皇の霊が凌を訪れた西行の前に顕れ、皇位継承の不当を云い、怨みを晴らしたき旨を述べる。が、西行は旧怨を捨て浄土に帰るよう諫める。           然し、崇徳帝の怨霊は平家や後白河に対する呪いから、仇敵たる平家の滅亡を予言する。西行はしかし、因果応報を説き、ひたすら成仏を祈る。すると、亡霊の顔は和らぎ、旅僧の西行は讃岐の白峰山中にひとり残される。・・果たして、事実、11年後の1179年、平家が壇ノ浦の戦いにて破れ滅亡するのである。

  この「白峰」は、「雨月物語」の第一話で、秋成一流の雅文体で書かれている。

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