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仔羊の回帰線

詩と散文のプロムナード :Promenade

*カーター・ムル:「吾輩は猫である」より:-158--

2025年09月01日 10時29分40秒 | *Carpe diem:Geniesse den Tag!-Goo

 「吾輩は猫である」にはこんな一節がある。:                                                      先だって、カーター・ムルという見ず知らずの同族が、突然、大気炎を上げたので、ちょっとびっくりした。    よく聞いてみたら、すでに百年前に亡くなっている。 好奇心から幽霊になって吾輩を驚かせるために、はるばるドイツからやってきたのだそうだ。この猫は才気があり、あるとき詩を作り主人を吃驚させたそうな。                                            こんな変わり者が、実に一世紀も前に ドイツにいたというのである。                               *- *- (((( 

                       * カーター・ムルはドイツ後期ロマン派の怪奇幻想作家ホフマン作「雄猫ムルの人生観」に出てくる主人公。              Lebens Ansichten des Kater  Murr 

 

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*プラハへの旅路のモーツァルト;.メーリケ短篇:-146--

2024年08月27日 07時08分21秒 | *Carpe diem:Geniesse den Tag!-Goo

    ドイツの詩人メーリケには「プラハへの旅路のモーツァルト」という短篇がある。>>  /   プラハへ向かうモーツァルト  旅の空に音楽が流れ             プラハの街に刻まれた: フィガロ...   「フィガロの結婚」

    *モーツァルトがプラハを訪れた主な理由はオペラ「後宮からの誘拐」が大成功を収め、彼の作品に対する関心が高まったため、プラハの人々はモーツァルトの音楽を特別に評価。/   プラハの音楽愛好家たちは、モーツァルトの才能を認識し、彼の音楽を熱狂的に受け入れた。このため、プラハでの初演を含む、いくつかの重要な作品を発表する機会を得、中でも「ドン・ジョヴァンニ」や「皇帝ティートの慈悲」、そして「交響曲第38番」(通称「プラハ」)はプラハとモーツァルトの深い関係を象徴する作品となった。/  プラハのエステート劇場での「フィガロの結婚」の初公演は、ウィーンでの初演よりも大成功を収め、プラハの新聞は「オペラ『フィガロの結婚』のようなセンセーションをかつて誰も起こしたことはない」と報じ、プラハでの成功を通じて、中央ヨーロッパでの彼の地位を確固たるものにした。/  モーツァルトのプラハ訪問は単に作品が評価された場所というだけでなく、音楽的才能が最も光り輝いた瞬間でもあり、プラハはモーツァルトにとって音楽が真に理解され、愛された特別な都市だったのである。 /   また、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」もプラハでのモーツァルトの重要な作品の一つで、このオペラは1787年の訪問中に完成し、同年の10月プラハのエステート劇場で初演された。この作品はモーツァルトのオペラの中でも特に高い評価を受けており、最高傑作の一つ。/  さらに、「皇帝ティートの慈悲」もプラハで初演、1791年9月にプラハの国立劇場で上演され、モーツァルトの生涯最後のオペラ作品となる。/  モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」は1787年にプラハで初演された作品で、正式なタイトルは「罰せられた放蕩者、またはドン・ジョヴァンニ」。このオペラは、スペインの伝説の放蕩者ドン・ファンの物語が基。/   「ドン・ジョヴァンニ」は喜劇的と悲劇的な要素の両方を含み、主人公のドン・ジョヴァンニは女性を口説き落とすことに長けた貴族で、その冒険と最終的な運命が描かる。 オペラはドン・ジョヴァンニが騎士長の娘ドンナ・アンナに夜這いをかけたことから始まり、彼女の父親の騎士長を殺害してしまうという衝撃的な出来事によって展開。 *   

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*クリングゾルの最後の夏」:ヘッセより Klingsor:-147--

2024年07月09日 11時02分41秒 | *Carpe diem:Geniesse den Tag!-Goo

ヘルマン・ヘッセの小説「クリングゾルの最後の夏」:-->

 ヘッセの「クリングゾルの最後の夏」は1919年に書かれ、翌年に出版され精神的な危機を経験し、新しい創造的な方向性を模索していた時期に書かれた>>。

    「クリングゾルの最後の夏」は画家クリングゾルの人生の最後の数週間を描き--芸術と人生を振り返り自己実現と創造性の追求における苦悩と喜びの物語で、この小説を通じて芸術家の孤独と内面の世界、そして自然との関係を探求した。

   ヘッセはこの小説を含むいくつかの作品で第一次世界大戦後のドイツの社会的、政治的混乱を背景に、個人の内面的精神的な探求を描き、時代の変化と個人の成長の間の緊張関係を探った。。

                 

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*紅茶とマドレーヌ: プルーストより:-152--

2024年04月29日 08時31分50秒 | *Carpe diem:Geniesse den Tag!-Goo
       少したって 陰気に過ごしたその日、明日も、もの哀しい日かと気を滅入らせながら、無意識に紅茶に浸し柔らかくなったマドレーヌと紅茶を口にした。-- ところが、菓子の混じった一口の紅茶で何かが変わったことに気づいた。  
  快感とでもいうべく、災難といえ錯覚にすぎないかと思われた。
     プルースト「失われた時を求めて・・」より
   プルーストは意識の流れを描いた小説家として知られている。
 
   
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*道ならぬ恋: トリスタンと王妃イゾルデ:-156--

2024年02月22日 11時59分00秒 | *Carpe diem:Geniesse den Tag!-Goo

     道ならぬ恋の物語といえば、トリスタンと王妃イゾルデやフランチェスカとパオロの物語がよく知られている。--

前者は中世ケルト説話に出てくる主人公トリスタンであり、彼は伯父マルクの妃となるべくアイルランドの王妃イゾルデを迎えに行った帰途、知らずに媚薬を飲んでしまい離れられない間柄になって密会をかさねる。そして それがマルクの知るに及んでトリスタンは追放され、二人は悲劇の死へと巻き込まれていく。--

この物語からヒントを得て、ドイツの詩人プラーテンはガゼル詩の形式美を駆使して新たな地平を切り開いた。:---

 August Graf von Platen ; Tristan und Isolde

Aus; Dt. Lyrik vom Barock bis zur Gegenwart    dtv. S.162. 参照

   ***   )))   *

トリスタンとイゾルデの恋の物語は中世ヨーロッパの伝説。                               トリスタンはコーンウォール王の甥であり、イゾルデはアイルランド王女。 トリスタンは王のためにイゾルデを妻として連れてくる任務を受けたが、途中で 二人は魔法の飲み物を飲むに及んで恋に落ちる。 こうして 二人は王に隠れ密会を重ね、やがて発覚 追われる身となるや、トリスタンはイゾルデと別れブルターニュに逃げ、そこで結婚したものの、本当の愛は忘れられない。 やがて トリスタンは戦闘にでると重傷を負い、死ぬ間際にイゾルデを呼び寄せる。イゾルデはトリスタンのもとに駆けつけたが彼はすでに息絶えるや、イゾルデもまた悲しみのあまり死んでしまう。               こうして 二人の遺体は一緒に埋葬され、墓から二本の木が生えて絡み合ったと伝えられているのだ。  ***   )))   *

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