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仔羊の回帰線

詩と散文のプロムナード :Promenade

◎*女神像の微笑み:ゲオルゲより

2025年04月28日 09時24分30秒 | *Deutsche Lyrik :--Goo

   風なき森の朝まだき 雨は密やか 森を濡らし

    濡れた木の葉は 雫を滴らせ土を潤していく

 弱き陽の光は樫の木の蔽いを抜け 小路を照らし

そのなかを 父と子は寺院へ 向かひゆく

入り口に 接骨にわとこ茂り 触れると花粉が舞った;

おお かくなる渦は何の前触れか 

されど 青年よ 汝れは男ぞ

いざ 筋骨隆々の魅力を見するがいい! 

さすれば 女は柔らかな唇で応えてくれよう

今 戒めの桎梏から抜け出てはならず

施しを拒んでもならず 取り乱してもならず

女神像の微笑みに快く応え 慄くまま

ひたすら伏すがいい さすれば 

魅惑の息づかいが 汝が頬を火照らすであろう 

胸の高鳴りは 快く受け止めよ 

その時  女神像の微笑みに納得するであろう )) )

        *ゲオルゲ「春の目覚め」 より

       */-*109--*85-/**+*

     S.George  Fruhlings-Wende 

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◎*鴎外と舞姫考: --- 

2025年04月13日 09時57分08秒 | *H.S.-N.氏の生成AI-活用術より-Goo

          鴎外と「舞姫」考:--->:文学と実生活:--

    鴎外の「舞姫」はドイツ留学を終えた後の1890年に発表され、鴎外自身の留学経験を基にして、雅文体で書かれた浪漫的な内容で、ドイツに留学していた青年の手記の形をとり、物語の中で主人公はエリスという女性と恋に落ちるが、エリスは実際に鴎外のもとに来日した舞姫をモデルにしていると言われている。---

 鴎外のドイツ留学は「舞姫」をはじめとする所謂、「ドイツ三部作」の基になり、ドイツでの生活を通じて得た感受性を反映して、日本文学に新たな地平を開いた。 しかし、発表当時は批判もあり、受容は一筋縄ではいかなかったが、時間が経つにつれて文学的価値は再評価され、文学史に残る重要な一篇となる。>>> 1890年に発表された短編「舞姫」はドイツ留学を経験した青年太田豊太郎はドイツで出会った舞姫エリスと恋に落ちるが、最終的には出世のために彼女を捨て日本に帰国してしまう。エリスは彼の裏切りによって精神を病む。そしてその後、鴎外がドイツから帰国した後、彼を追ってドイツから来日したため、「舞姫」はフィクションでありながら、鴎外の実生活と密接に関連していると考えられた。 /*123---139*--*/ * +*  ->

 物語の主人公である豊太郎はドイツでの留学を経て自由な精神と恋愛に目覚めるが、出会ったエリスという踊り子は貧しさと社会的制約に苦しみながらも豊太郎との愛に生きる。豊太郎はエリスとの間に子をもうけるが、出世のために彼女を捨てて日本に帰国。この選択がエリスの精神崩壊を招く悲劇へと繋がる。こうして、豊太郎の苦悩は西洋の自由な価値観と日本の伝統的な価値観との間で揺れ動く。

*鴎外の作品は小説、評論、評伝、翻訳など多岐にわたり、その中で小説では「舞姫」や「ヰタ・セクスアリス」、「雁」など代表作として知られ、それ以外にも作品群は多彩で-ZB./-->*「青年」: 若者の成長と社会との関わり。 漱石の「三四郎」に比較される小説。  -->*評伝では「渋江抽斎」など、また、翻訳ではReclamレクラム版から数々の名作が翻訳され、ゲーテの「ファウスト」の翻訳は我が国で最も初期の翻訳で注目に値する。>  -->

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*徒然なるままに・:...:

2025年04月05日 11時04分10秒 | *H.S.-N.氏の生成AI-活用術より-Goo

*東西文学に見る超然たる境地と人間の内面を問いかける精神と:---

  文明が発達してグローバル化が進むにつれ、西洋は西洋、東洋は東洋とばかりは言えなくなってきて久しい。

西洋が例えば、シェイクスピアやゲーテに見られるように、問いかけ人間の内面に深く入り込んでいくのに対して、東洋は陶淵明に見られるように、超然とした境地に心が年齢と共に落ち着いていくのも理にかなっている。

若いころは あんなにも知識への渇望に強く共鳴し西洋文学の精神に惹かれたものだが、年を重ねるにつれて、自然との調和や静謐なこころのあり方により深く目が行くのも自然かもしれないのだ。

例えば、シェイクスピアのハムレットは「生か死か、生きるのかそうでないのか、それが問題だ」To be,or not to be,-that is the ques-tionと悩み、ファウストは魂を悪魔メフィストに売ってまで賭けをし知へのあくなき探求をしたのに対して、陶淵明は詩において全てから脱却し穏やかに自然と共に生きるのを理想とした。そのような点から漱石は「草枕」で、知に働けば角が立つ、情に掉させば流される、意地を通せば窮屈だと文頭で述べ、非人情の世界を理想の境地として描いた。  */-62*--62*--/*+*+

       

 

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◎*信長とフロイス: 辻邦生「安土往還記」より

2025年04月03日 09時10分29秒 | *文学・学問・詩:余滴 Ⅱ-Goo

大殿もフロイスから 天地創造や霊魂不滅の話を聞いたが、 信長殿は目に見えぬものは信ぜず、理にかなうものだけを重んじていた。    それゆえ、フロイスに好意を持ったのは みずから信じるもののために身を賭し遥々、異邦に、その信念を伝えようとする熱意と誠実さにあった。--  事実、大殿は誰ひとりフロイスらを理解することなく、見知らぬ異教で苦難と孤独を舐めているその時に、直感的に 心情を理解していたむきがあった。*+ *+ *

  彼らが何ものをも求めぬのをみよ!                         信長殿は仏僧らを非難する折り、必ずフロイスらを引き合いに出した。 --もちろん、全て大殿の考えが正しいとは言うまい。  しかしローマの権勢の下で、 片田舎の教区にありながら葡萄酒を飲み 惰眠と肥満に落ちいる僧侶をみるにつけ、 禁欲と克己によって 日本まで信仰を伝えようと志す態度には、大殿の共感を呼ぶに足るものがあったのだ。>                      ***

  これは原文はイタリア語、それがフランス語に訳されていた書簡断片を某氏の書庫から発見したわたしが訳出したという体裁で書かれた辻邦生の歴史小説からである。>

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◎*シェイクスピアとゲーテ: --->>

2025年04月01日 09時03分46秒 | *文学・学問・詩:余滴 Ⅱ-Goo

         鴎外「青年」より:

  純一がまだ、郷里にいたころ、シェイクスピアの興行があった。しかし、シェイクスピアやゲーテは、たとえ どんなに旨く演ぜられても、青年には痛切な感じを与えることは難しかろう。ばかりか、あんなクラシックな作を味わう余裕はないといってよい。極端にいうと、シェイクスピアのような作が新しく出たら、あのような韻文からなる劇は冗漫かもしれぬのである。--->

ゲーテ「ファウスト」が新作として出たら、青年は何というか。             ヘレナやギリシア神話から題材をとった第二部もグレートヒェンの悲劇を描いた第一部でも、アレゴリーだと云われるかもしれない。              

何故か。今の写実に慣れている者には、 あのような味わい深いGeschmack 趣味は縁遠くなってきているからである。 * - )) )  *

 その日、電車で数寄屋橋まで行き有楽座に入ると、四列目あたりに案内された。見物客は もう、皆いて、第一幕が始まるところであった。東京に初めて出てきて西洋風の夜の劇場に入っても本や画で知っていた純一には驚かされることもない。だが、席の周りは女の客ばかりなのには聊か驚いているのである。--->>>

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