仔羊の回帰線

詩と散文のプロムナード :Promenade

*クリスタ・ヴォルフの「カサンドラ」:

2023年08月30日 08時51分23秒 | 現代ドイツ作家の群像; 人と作品:1945年以降

   カサンドラはトロヤの王の娘で巫女。彼女は求愛されたアポロにより預言の才能を授かった。だが、アポロの愛に報いなかったため逃亡をよぎなくされ、その警戒の叫びは絶えず風の中に漂っていた。 カサンドラはまた、ギリシアの木馬を予言するが、それも空しく、トロヤの滅亡も予言するが誰からも受け入れられない。


  作者ヴォルフはカサンドラをミケーネでの死を前にして内的モノロークで生涯を振りかえらせ、彼女の家族とトロヤの物語を熟考させる。  トロヤはカサンドラの幼年時代の理想郷なのだ。 つまり、カサンドラは最初、権力に与しようとしたが次第に族長的英雄的なものの眩惑から解放されていく。  とはいえ、そのような英雄を必要とする時代に背いては何も遂行できない。だが、不名誉な逃亡よりかは英雄的情熱的死を選ぶのである。  
      C. Wolf :1929年生まれ。

  Kassandra :die Tochter des Troer-Konigs Priamos und dessen Frau Hekabe.;
Aus:K. Rothmann : Dt.sprachige Schriftsteller seit 1945
ロートマン著「現代ドイツ作家の群像」 より

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*.フィヒテの《孤児院》:

2023年08月28日 08時16分33秒 | 現代ドイツ作家の群像; 人と作品:1945年以降

フィヒテの最初の長編「孤児院」はこんな内容である。:
  ハンブルク出身の7歳の主人公デトレフは、ユダヤ人を父に持つ私生児。プロテスタントの母はこの息子をナチスの純血主義の執拗な追手から匿うため、1942年、バイエルンの孤児院にいれてしまう。だが、このゲットーに似た施設には、デトレフにとって、まだ未知な作法とナチスによる影響下の偏見があり、彼は更なる身の危険に晒され迫害される身となる。
つまり、彼は捕吏や爆裂弾を恐れたばかりか帰郷した土地の人々の不信や威嚇にもまた、恐れなければならなかった。 それ故、デトレフの唯一の心の支えは母なのであった。・・

こうして母は一年間苦悶した末に、息子をこの孤児院から連れ戻すのである。
 このロマーンは、母が到着するほんの数秒前のデトレフの脳裏での想い出と連想から成り立っている。
     

 ゲットー: ユダヤ人を隔離して居住させた一画。
    フィヒテは1935年生まれ。彼自身も6歳の時、一年間をカトリックの孤児院で過ごした経験がある。また、46年の11歳の時、ハンブルクで舞台の子役として務めたこともある。

 Aus: K.Rothmann Die dt.sprachige Schriftsteller seit 1945
Reclam ebd . S.129ff.
K.ロートマン著 「現代ドイツ作家の群像」より
  
フィヒテのデヴュー作は1963年28歳の時の、14のエピソードからなる短編集「トゥルクへの旅立ち」であった。そこでは子供や青少年、また、弱者や傷ついた者の日常が描かれた。 以降、フリーの作家となる

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*ノサックの「遅くとも11月には」:

2023年08月26日 07時35分38秒 | 現代ドイツ作家の群像; 人と作品:1945年以降

   これは1955年に発表された長編で、不安と自己実現の努力が描かれた:
    28歳の実業家の妻の報告の形を取って書かれ、彼女は作家ベルトルトとともに不幸を背負う。                                                                         
つまり、彼は或る文学賞授与の際に、裕福な世界から突き放されることになる夫人に、こんなことを吐露するからである。: きみとなら死んでもいいと。 すると夫人は幻想に取り憑かれたように、夫と子供を残し作家との経済的に貧困な生活に飛び込んでいく。だが、そんな作家との芸術的に満たされているとはいえ 経済的に幸福は長続きはするはずもなく、夫人は家族の下に戻り、元の鞘(さや)に納まることをねがうが、葛藤も未練もあり実現できない。 

   こうしているうちに、11月にベルトルトの新作「パオロとフランチェスカ」が初演され、マリアンネは彼と新たな旅立ちに向かう。 が、不幸にも、二人の車は橋脚に激突してしまうのである。

H.E.Nossack:1901- 77. Spatestens im November
Aus: K.Rothman :Dt.sprachige Sriftsteller seit 1945.
Reclam ebd . S.298ff..
    * ))
 この長編はダンテの「神曲」地獄編・第五歌にある、人妻フランチェスカとパオロの道ならぬ恋のパロディー化した作品である。

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* レンツの「故郷の博物館」:

2023年08月24日 07時48分56秒 | 現代ドイツ作家の群像; 人と作品:1945年以降

  「故郷の博物館」は年代記風に書かれた長編で、ナチスの過去の部分を考察した作品である。:ここでは追放された農民を例に〈ハイマート〉という概念の問題提起が示された。即ち、ロガーラは叔父から小さな故郷の博物館を受け継ぐと、ナチスによるイデオロギー的な乱用から守ろうとする。だが、他に買い求めた故郷博物館が偏狂的愛国主義から服従せざるを得なくなると放火してしまう。すると、年老いた絨毯職人のマイスターは悟ったのだ。:失われた〈ハイマート〉故郷は過ぎ去った少年時代と変わりなく、ふたたび取り戻せなく追憶の中でのみ生き続けているのだ、と。                   こうして博物館は廃絶されてしまうのだが、レンツはそれを15日間にわたる長いエピソードの連環として、諧謔とユーモアを交えたアネクドーテ(逸話)として描き、それは同時に第一次世界大戦から現在に至る一つの心象風景で、彼の生涯の一大パノラマでもあったのである。   
  S.Lenz: Heimat Museum  
Aus: K. Rothmann
   Die dt. sprachliche Schriftsteller seit 1945
         Reclam  ebd.  S. 250ff....


   レンツはギュンター・グラースと同様、学徒動員により第二次大戦下の前線に送られた所謂、〈失われた世代〉とはつまりロスト・ジェネレーションの一人で、例えば、ヘミングウェイなどと同じく 終戦後、祖国から見捨てられたと感じた作家であった。           こうしたレンツが描いているのは裏切りであり、迫害、逃走と抵抗、挫折などであるがヘミングウェイと異なるのは、暴力行使の瞬間ではなく、敗北後の試練や苦難を描くことにあった。

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*ユニコーン: ドーミンの詩から

2023年08月22日 07時17分34秒 | *Deutsche Lyrik

・ユニコーン: 一角獣は獰猛だが、処女の懐にだかれると 

 おとなしくなるという。

        *

 ユニコーン それは喜び:

 最も 謙虚な動物 穏やかな おまえ

 静かで 姿を見せるときも 去りゆくときも

 もの音はたてず 愛すべき動物

 のどが渇くと 泪を舐める  夢の動物!...

   Einhorn:  Hilde Domin  ; Gedichte

          Reclam  ebd. S.33

 ドーミンが詩的才能に気づき書き始めたのは40歳になってからで、第三詩集あたりから簡潔な手法を追求し始めるのである。

 

 

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◎ 夢と孤独と: ザラー・キルシュ より

2023年08月20日 08時25分05秒 | *Deutsche Lyrik

はやく 行きなさいよ: と 乙女は 月に語りかける                                    月が 大きな馬車に 積みこまれたからだ                                               月は 白い歯を見せ 乙女に共感し                                                         転がるように 立ち去っていた           (薄情な人ね...)

扉の把手を押さえつけて 何になるのよ:と                                                 乙女は 風に語りかける                                                                     煤と雨で装った風は 硝子のような 大きな霰で                                        みずからを鞭打っている                                                                    (別離の原因を みずからつくっておいて 今更、猛省しても、 もう遅いわよ・・)

 はやく行きなさいよ:と 乙女はもはや 語りかけることもない                       泪にも枯れ 夢にも飽き 乙女は眠りにつきたいのだ                                  邪魔だてするものも立ち去り こころが すっきりしたのだから・・                        (feel refreshed , but a little lonely....)

     Sarah Kirsch :  Dreistufige Drohung                                                 Reclam  Dt. Liebes-Gedichte  ebd. S,55.                                                    ドイツ現代詩から。リートにもなっている。                                                      ザラー・キルシュは1935年生まれの閨秀詩人。

 

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◎ 末摘花(すえつむ-はな):源氏物語 より

2023年08月16日 08時05分29秒 | 文学・学問・詩:余滴 Ⅱ

 ・いはぬをも いふにまさると 知りながら
         おしこめたるは 苦しかりけり

 ・夕霧の はるる景色も まだ見ぬに 
     いぶせさ(鬱陶しさ)そふる 宵の雨かな

  400字詰め原稿用紙にして2300枚にもなる「源氏物語」だが、その中で恋の冒険談を短編小説風に描いた巻きの「末摘花」(Suetsum-hana):                           
この姫君の末摘花は高貴の生まれながら、父亡きあと、困窮し荒れ果てた茅屋で侘しく暮らしている。そして恋愛経験もなく、その知識もない彼女は、清らかな性格の持ち主。 だが、一方では気が利かず、真情を表す術を知らない 。

そんな或る日、明石から都に帰った源氏が、廃屋で暮らす末摘花を見るが、彼女はまた、恋歌を返歌するには未熟で風情もない。               だが、無知で美貌にも恵まれない貧しいい姫君に、源氏は呆れもしたが  生活の面倒をみる気になったのも、ある種の理想化された男の器なのであろう。

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*プロメテウスの寓話とホフマン短編 より

2023年08月14日 07時51分14秒 | ギャラリー:世界の文学 Ⅰ

    〈プロメテウスの寓話〉というものがある。:                              創造主をもくろんで 天の火を盗み、命あるものを生み出そうとしたプロメテウスの話である。                                      驕慢にも 神を気どったプロメテウスはどうなったか。周知のように、劫罰を受けたのである。神に成り上がろうとした野望を抱いた報いとして、禿鷹に ついばまれても、死は訪れない劫罰。 **

  天上を望んだ者は 永劫の罰を受けるのです。
「然し、それが 絵画とどんな関係があるのです」
「たとえば 至高のものを求めるとしますね、ティツィアーノのように豊満な裸婦像をモテイーフに 独自の官能美を求めた肉体の至高ではなく、神々しい 自然の中の最高のもの、風景画でも歴史画でもいい、人間の中のプロメテウスの火に当たるもので、これは苦しい道です。・・             
そこでは奈落が 大きな口を開け、 頭上では 猛禽が待ち構えているのですから・・」 
     ホフマン: G町のイエズス教会 より

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*泉の畔の傷ついた鹿: というトポス

2023年08月12日 10時31分33秒 | 文学・学問・詩・余滴: Ⅰ

    文芸作品の創造は詩人の個性的な感情体験に基ずく、とばかりはいえない、といったら意外でろうか。                       「晩夏」Nachsommer などで知られる19世紀ドイツの作家シュティフターの作品の一節から:

 水澄みし谷川のほとり 息絶えた鹿は                            狩人に撃たれ 脇腹には弾丸の痕                             鹿は 苦痛から解放されようと 水を求めてきたのだ

鹿は川辺に倒れ 前脚を澄んだ流れに 突き出し                       だが 鹿の眼は まだ濁っていない                             いや その眼と表情は しずかに 語りかけてくる・・                     辺りは涼やかに 静寂に満ち・・

     ここで歌われているように、《泉のほとりの傷ついた鹿》というのは、型にはまった風景のひとつの舞台装置であり、古来からの常套的思考と表現の型で、これを称してトポスというのである。

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*再会: ブレヒト散文選より 17-

2023年08月08日 07時18分48秒 | *B.ブレヒト散文選 より

 コイナー氏と長らく会ってない人が久し振りに会うと、こんな言葉で挨拶してきた。: 

いやあ、相変わらず、お変りもなく  なによりですな・・。                                                       するとコイナー氏は、俄かに、蒼ざめた表情を見せるや、いやいや、そんなことは と口を閉ざしていたのだ。

 Wieder-Sehen:     B.Brecht : Prosa Band 2: suhrkamp ebd. S.383.

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