goo blog サービス終了のお知らせ 

仔羊の回帰線

詩と散文のプロムナード :Promenade

*市井の隠者、デカルト:---

2025年07月24日 11時39分23秒 | *文学・学問・詩:余滴 Ⅱ-Goo

 1637年に「方法序説」が出版されると、それから4年後に亡くなった父親は云った。: --仔牛の皮(パリンプセスト)を着た本をつくるような馬鹿息子が、我が息子とは。---

    デカルトは一生の計画を定めてからは故国フランスの父とは疎遠であった。が、妹とは親しい気持ちは変わらなかった。    彼はこうして孤独を愉しみつつ、堪えることもできた。

デカルトの座右の銘にこんなのがある。:--->                            よく隠れた者は、よく生きた者。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◎**「かのように・・」:鴎外の短編から

2025年07月22日 11時44分18秒 | *文学・学問・詩:余滴 Ⅱ-Goo

  鴎外の短編に作者の分身と思われる歴史学の学徒、五条秀麿を主人公にした「かのように」という作品がある。  --   これはドイツ語で云うals ob...の訳からのもので、そこにはこんなことが書かれている。例えば、:--《小説は事実を本当とする意味においては嘘である。》    :        とはつまり、フィクションということ。しかし これは最初から嘘と意識してつくられているのであるから、そこには生命もあり価値も失わない。---  《絵もまた同様で、どれほど写生したところで実物ではない。 嘘のつもりで描かれている。》 

    因みに、自然が絵画を模倣する、という言葉もある。                   これは名作に出会って、それによって強く印象付けられた目で 自然をいつの間にか見てしまっている、といった意味である。

 また、精神学でも然り。:---自由だの、霊魂不滅だのは目に見え、手に触れることのできる存在ではない。しかし、その無いものを 在るように考えなくては論理が成り立たない。---  かくして青年学徒の秀麿が言うには、数学も然り、つまり点と線とがあるかのように考えなければ幾何学は成り立たない。      こうして、哲学も然り、宗教も然り、というように《かのよう・》 als ob...がなくては 学問も、芸術も、宗教も成り立たない、というのである。 そして、こうして学問に打ち興じてはいるが、これはまだ、未完成の若き学徒の内なる葛藤でもあったのである。*/-39*--59*-/*

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*パスカルとライプニッツ:---そして新渡戸稲造

2025年07月17日 07時19分35秒 | *文学・学問・詩:余滴 Ⅱ-Goo

 「パンセ」で知られるパスカルも、「モナド」(単子論)や「弁神論」「予定調和」などで知られるライプニッツも、時代は17世紀バロック期の戦乱時代にあって、その学識は幅広く、数学者としても名高かった。---  フランスは当時、数学の発達した時代で、その分野でも大いに学識を披歴して共通点も見られた。

パスカルは3歳の時に母を亡くし、(その後は父親からeducation =Erziehung: この言葉には、元来、才能を引き出すという意味がある、教育を受けている)、ライプニッツは6歳の時にライプツィヒ大学の教授である父を亡くしているのである。   ** *  )) )  

    一方、「武士道」で知られ教育者でもある新渡戸稲造も6歳にして父を亡くすと叔父の家で育てられている。が、そんな不幸にも拘らず並外れて学識が発揮できたのも稀有には違いないが、そんな幼少期の悲しい共通点もあったのである。-->>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◎*「菊と刀」:The Chrysanthemum and the Sword

2025年07月06日 07時50分02秒 | *文学・学問・詩:余滴 Ⅱ-Goo

「菊と刀」:The Chrysanthemum and the Sword

  嘗て、或るアメリカの文化人類学者によって上梓されたこの名著には、日本の文化と行動様式が分析されているが、ここで述べられた「菊」と「刀」は 日本文化の象徴的な二面性、伝統と武士道の精神性が語られている。

 とはつまり、「菊」は日本の伝統や美しさの象徴であり、「刀」は武士道の精神を象徴しているが、そこにはまた、「恥の文化」というものがあり、個人の行動が他からどのように評価されているかを重視する考え方が根付いていた。。。---こうした点から、「菊と刀」は日本の「恥の文化」をも理解するうえで一つの貴重な視点といえるかもしれないのだ。>>

 これに対し、西洋の伝統にはミロのヴィーナス以来、エロスの文化が絵画にせよ、彫刻にせよ根付いている。----  例えば、ミロのヴィーナスはギリシャ神話の女神アフロディーテを描いた彫刻であり、また、イタリアルネッサンス期ではボッティチェリが「ヴィーナスの誕生」を優雅に繊細に描写しているしまたティツィアーノは「ウルヴィーノのヴィーナス」を色彩豊かに細部にまでこだわり描いて魅了されるのだが、いずれも愛や美、情熱を描いてエロスの美を見事に芸術表現しているのである。>*   */--115* --108-*/ *+*+

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

* 漱石の「虞美人草」と紫の女-藤尾

2025年05月31日 07時55分09秒 | *文学・学問・詩:余滴 Ⅱ-Goo

  漱石が東京帝大英文科の職を辞して職業作家として新聞に初めて掲載した小説、「虞美人草」:    ---          この小説には擬古文調の地の文のほかに、色に纏わる語彙が多々、出てくる。: 例えば、ヒロインで勝ち気な藤尾を、こんな風に描写している。:---

   紅くれないを 弥生につつむ昼たけなわに、春をぬきんずる紫の濃い一点を鮮あざやかに滴したたらしたる女である。--   夢の世を夢よりも艶あでやかに眺めしむる黒髪の鬢びんの上には、玉虫貝を菫に刻きざんで、細き金脚きんあしに 打ち込んでいる。

静かなる昼に心奪いとらんとするを黒き眸ひとみの動けば、見る人はあなやと我に帰る。  この瞳ひとみの魔力の境を究きわむるとき、桃源を再び塵鐶じんかんに変えるを得ず。ただの夢ではない。                               模糊たる夢の、燦たる妖精が死ぬまで我を見よと、紫色の眉まゆちかく逼せまるのである。 -- 勝ち気な女は紫の着物を着ていた。(二の冒頭 より)

      *- *- ( ((   * これを、欧米の文学作品の解釈からすれば、譬えば、「作品における色彩の語彙の使い方や、その象徴的意義と心の変遷について」などと試論が一つ書ける気がしないでもないが、この「虞美人草」に関しては、果たして、どうなのであろうか。

 勝ち気なヒロイン藤尾の心の内部の葛藤や、微妙に揺れ動く比喩的な描写と読み解けば魅惑は一段と増すが、色彩の語彙の多々用いられているのはドイツの詩人トラークル他にも、よく見られることを思えば興味深い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◎*信長とフロイス: 辻邦生「安土往還記」より

2025年04月03日 09時10分29秒 | *文学・学問・詩:余滴 Ⅱ-Goo

大殿もフロイスから 天地創造や霊魂不滅の話を聞いたが、 信長殿は目に見えぬものは信ぜず、理にかなうものだけを重んじていた。    それゆえ、フロイスに好意を持ったのは みずから信じるもののために身を賭し遥々、異邦に、その信念を伝えようとする熱意と誠実さにあった。--  事実、大殿は誰ひとりフロイスらを理解することなく、見知らぬ異教で苦難と孤独を舐めているその時に、直感的に 心情を理解していたむきがあった。*+ *+ *

  彼らが何ものをも求めぬのをみよ!                         信長殿は仏僧らを非難する折り、必ずフロイスらを引き合いに出した。 --もちろん、全て大殿の考えが正しいとは言うまい。  しかしローマの権勢の下で、 片田舎の教区にありながら葡萄酒を飲み 惰眠と肥満に落ちいる僧侶をみるにつけ、 禁欲と克己によって 日本まで信仰を伝えようと志す態度には、大殿の共感を呼ぶに足るものがあったのだ。>                      ***

  これは原文はイタリア語、それがフランス語に訳されていた書簡断片を某氏の書庫から発見したわたしが訳出したという体裁で書かれた辻邦生の歴史小説からである。>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◎*シェイクスピアとゲーテ: --->>

2025年04月01日 09時03分46秒 | *文学・学問・詩:余滴 Ⅱ-Goo

         鴎外「青年」より:

  純一がまだ、郷里にいたころ、シェイクスピアの興行があった。しかし、シェイクスピアやゲーテは、たとえ どんなに旨く演ぜられても、青年には痛切な感じを与えることは難しかろう。ばかりか、あんなクラシックな作を味わう余裕はないといってよい。極端にいうと、シェイクスピアのような作が新しく出たら、あのような韻文からなる劇は冗漫かもしれぬのである。--->

ゲーテ「ファウスト」が新作として出たら、青年は何というか。             ヘレナやギリシア神話から題材をとった第二部もグレートヒェンの悲劇を描いた第一部でも、アレゴリーだと云われるかもしれない。              

何故か。今の写実に慣れている者には、 あのような味わい深いGeschmack 趣味は縁遠くなってきているからである。 * - )) )  *

 その日、電車で数寄屋橋まで行き有楽座に入ると、四列目あたりに案内された。見物客は もう、皆いて、第一幕が始まるところであった。東京に初めて出てきて西洋風の夜の劇場に入っても本や画で知っていた純一には驚かされることもない。だが、席の周りは女の客ばかりなのには聊か驚いているのである。--->>>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*妻の亡霊と「吉備津の釜」:上田秋成「雨月物語」より

2025年01月18日 12時55分48秒 | *文学・学問・詩:余滴 Ⅱ-Goo

       江戸中期というから18世紀後半の作家、上田秋成の「雨月物語」は怪奇幻想小説で、全五巻九編から成り、作者43歳の時に刊行された。  これは中国の怪異説話集「牡丹燈記」を典拠とする翻案:

  ---年来の好色のこの男。遊女と駆け落ち、純情な新妻を裏切る。すると病に罹った新妻は亡くなってしまう。遊女もまた、死んだ妻の霊に取りつかれ病死する。 

   そうこうするうちに、男はまた別の美女に出会う。ところが、この美女というのは妻の亡霊、女は恨みつらみを延々と述べる。すると男は陰陽師のところへ駆けつけ、言われた通り呪符を戸毎に張って 妻の死後四十九日が過ぎるのを待つ。     その間、夜毎に死人の霊による凄まじいばかりの怒りの声。   こうして竟に、この怨霊によって夫もまた、亡くなってしまうのである。・・>>>

      「雨月物語」には他に、「菊花の契り」や「浅茅が宿」や若き北面の武士で、後に出家した歌人・西行と崇徳上皇の、1168年の秋、崇徳凌での対話によって描かれた「白峰」などがある。

  これによって、それまでの怪異説話が文学の高みへと引き上げられたことで知られる。。。

***

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*中村真一郎「雲の行き来」;

2024年12月18日 10時56分00秒 | *文学・学問・詩:余滴 Ⅱ-Goo

中村真一郎「雲の行き来」:----

この作品に出てくる元政上人の詩の一句:

 山間春甚浅 飛雲尚鑑横 

というのがあるが、これは山間部の春の訪れはまだ浅く、飛ぶ雲は鏡のように横たわっている、というものだが、彼の仏教的な思想と自然への愛情が融合したものとは何か。

彼は17世紀、時は江戸時代前期の詩僧で漢詩や和歌に優れていた。

中村真一郎がこの江戸期の詩人に関心を寄せ、小説「雲の行き来」を書いたのも、氏自身、一時期精神を病み、生涯病弱なところがあり46歳という若さで物故している詩僧・元政上人から目が離せなかったからに違いない。。。*/ -95* --90*-/* + *

因みに、後に彼が「頼山陽とその時代」という評伝を書いたのも、「日本外史」などを、脱藩して放蕩し無頼生活を送ったのちに身を正して書き、一世を風靡したとはいえ、神経症に悩まされた経験のある頼山陽にこころ寄せていたからに違いないのである。。。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*花鳥風月ばかりが詩ではなし・・:山上憶良

2024年05月04日 08時59分42秒 | *文学・学問・詩:余滴 Ⅱ-Goo

        八世紀前半の歌人、山上憶良の歌は「万葉集」巻五のおおくをしめているが、彼は下級官吏から出発した、今でいう国家公務員。                 憶良は702年遣唐使に抜擢され、滞在中に一風変わった庶民の生活を歌った詩人の作を手に入れた。                                                         すると、それまでの花鳥風月とは趣の違った「貧窮問答歌」を作った:

  風まじり 雨降る夜の 雨まじり雪降る夜は                                       すべもなく 寒しくあれば 堅塩を 取り つづしろひ                                 糟湯酒 うち すすろひて….....

  しかし、決して貧乏生活であったわけではない。中国の詩人のユニークさ、新しさに倣い、歌ったまでである。

          彼は生涯、出世意欲に燃え、57歳にして貴族の末端、従五位下になっている。                          (--83--67, :  36--34. )

                    ***

              <   78-- 45;  -> < T.PV. : 35937--30851: >

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする