仔羊の回帰線

詩と散文のプロムナード :Promenade

*端役の女: デーブリーン より

2023年09月28日 07時18分01秒 | *ドイツ短篇選:

    デーブリーンは20世紀前半に活躍したユダヤ系の作家。ベルリンの神経科医でもある。彼には「ベルリン アレクサンダー広場」という傑作があるが、次の短編は、孤独な老人と若い《端役の女》との淡く儚い話から。

    カーチャは鏡の前に立ち、自分の姿を見つめた。上半身裸のまま、見入っている。「あたしって、少しも美しくないんだわ・・」と思う。                   「体形もそう。脚線もそう。・・お痩せだし、・・」       長く見つめていればいるほど、気が塞いでくる。すると鏡の中の自分を慰めようと鏡をこんこんと軽く叩き、声をかけた。  《でも、頑張るのよ。・・きっと、いいことも在るから…》

   イースターの日に、老人は劇場の裏木戸で、いつものように待ち伏せ、夕食に誘ってきた。乗り気はしなかった。が、食事を一度ぐらいしてもいいかとついていった。老人は あれこれと注文し、食欲が旺盛だった。                 

   《よく食べるのね》とカーチャは少し嫌気がさしてきた。が、食べ終わると三泊の旅に誘ってきた。翌日、昼頃に、騙されたのかもと思いつつ 待ち合わせの場所に行ってみる。と、小さなスーツケースを携えてやってきた。

       「待たせて悪かったね」と老人は云うと、買い物に誘った。カーチャは小奇麗な店で帽子を買ってもらい、老人もグレイのハットを買った。が、出かける前に買ったのはこれきり。彼女は内心、新しいカラフルなドレスもヒールの高い靴も欲しかったのだ。

「嗚呼、もっと素敵な人とめぐり逢えたら・・」      こうして、旅の支度を済ませると駅に急いだ。旅の最中、老人は精一杯、報いようと努めた。が、時おり、不機嫌そうな顔。溜息を洩らした。

「いやあね、これだから・・歳のいった男は・・」とカーチャ。やがて、降りる段になると、すれ違いに素敵な紳士が乗り込んできた。紳士はすると、目ざとくカーチャに一瞥を投げてきた。 少し戸惑っていると、羽根つきの鍔の広い帽子を被った見知らぬ女が寄ってきた。                       「あなた、あたしの彼に、ちょっかい出さないで!...あたしたちも、これから旅するのよ!...」  こうして素敵なカップルは汽車に乗り込むと、離れていった。

   Alfred Doblin:  Die  Statistin                                Aus: Deutsche Erzahlungen 3.  dtv.                             Deutscher Taschenbuch Verlag.  S.54ff.                                 デーブリーン:1878-1957.

 

 

 

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*アイヒンガーの「より大いなる希望」: より

2023年09月25日 08時44分37秒 | 現代ドイツ作家の群像; 人と作品:1945年以降

  長編「より大いなる希望」は、主人公の少女エレンの視点から、究極的人生の局面が10章にわたって描かれた。:
エレンはユダヤ人の母がアメリカに追放されているため、アメリカ領事館にビザの申請をする。が、誰も保証人にはなってくれない。ばかりか、アーリア人の父は家族を捨て認知を拒んでいるため、エレンはユダヤ人の祖母のところに留まらなければならない。
  彼女は他の子供たちと墓地で《聖なる土地への逃亡ごっこ》や、《平和探しごっこ》などして遊ぶが、衣服には いつもダビデの星の紋章をつけ、これはナチス青年隊に誘導されているユダヤ人教師から誹謗と迫害と虐待を逃れるためなのである。                             一方、祖母を迫害から救うため、自ら命を絶とうとする手助けをしてしまう。また、略奪兵に囲まれたりするが、爆弾投下の難を潜り抜け占領下の町から走り逃れる。エレンはこのとき兵士のヤンと遭遇する。彼は将来の伴侶となる人。が、ヤンは負傷し、エレンは代わってクーリエ 、とはつまり、伝書使いの役割を果たす。


  時は第三帝国下のウィーン。主人公の少女エレンは無辜の天真爛漫から、パラドクス的に知恵を見出す。それはつまり、《負けるが勝》と云うことで、危険から逃れ命を救うためには逃亡を重ねるしかなく、その際、神への信頼と恩寵の下に希望を見出し、より大いなる魂の救済へと変容していくのである。                                            Ilse Aichinger :Die grossere Hoffnung  Roman 48..                  Die dt. sprachige Schriftsteller seit 1945
 K. Rothmann. Reclam ebd. S. 9ff...
  ロートマン著 :現代ドイツ作家の群像より
 
アイヒンガー:1921年生まれ。
 この作品は戦時下に恐怖や滅亡によって喚起された不安を、生存者の印象の下に、自叙伝風に描かれたもの。
 

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*サナトリウム兼、養老院にて:或る婦人の告白

2023年09月22日 08時40分35秒 | *現代ドイツ短篇選

  チック症ってご存知かしら。なんでも、チクタク音を立て揺れる振り子のように、一定のリズムで首がいつも揺れている症状をいうのですが、私がその方にお逢いしたのは或る田舎のサナトリウム兼、養老院の庭のベンチで、それは或るチック症の男性を待っているところだったのです。 そんな折り、告白めいた話を、顔が卵のようにすべすべした、髪の白い婦人から聞かされたのでした。
   そのサナトリウムは実に楽園そのもので、美しい公園があり、大きな樹木が何本も植わっていて建物には側廊が二つ、中央には戸外に通じる階段が備わり、まるで、マルク地方の田舎の城のようで、そのサナトリウムはちょうど、寺院の境内の背後にあるように、静かなたたずまいをみせていたのでした。ですから皆誰もこんな場所で一カ月も休息してみたいと思ったくらいなのです。ですが、そこに療養しているクランケは果たして、幸せであったかは保証の限りではありません。
   時代はまさに、ナチス・ヒットラー時代で、この婦人に限らず不幸な人は数多く、この婦人が格別に不幸せであったとも、あまり注意を引くとも思えないのでしたが、婦人の告白めいた話には、いつの間にか引き込まれ運命的、時代的な話を聞く思いだったのです。そして、この精神に異常をきたしている婦人は話の最中に、屡々、剣呑な目つきになり、正常な人とは明らかに異なった目つきで見返してきたりしたものなのです。また付き添っている看護師と云えば、陰気くさく青白い顔で額に皺を寄せ、太った機関車のような体で、あまり好感は持てないのでした。                       
              まあ、それはそうと、この精神に異常をきたした婦人は、どうしてそうなったのか、どこにその原因があったのでしょう。 

   E.Langgasser : Gluck haben
Aus : Der Torso  Gesammelte Werke                    
 Claassen Vlg.1964 ebd. S.360-367                      1973.6.20 Erste Ubersetzung

 

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*森の噂: 魔女ローレライ: アイヒェンドルフより

2023年09月20日 08時50分05秒 | ドイツ抒情詩選

 夜もふけ 寒さ増し さびしく森を通りぬけるは 誰ぞ                  廣き森に そはひとり おお 目を見張るばかりの花嫁!!..               そなたを娶(めと)るは ほかに 誰かあらん・・                         世の欺瞞(ぎまん) 奸計は計り知れなく                            胸は悲しみに裂かれ 途惑い沈む   >>

おお 遁れよ 汝れも われが何者か                                 知る由(よし)もなきゆゑ・・                               されど かくも見事に飾られし 美しさに気づきしは                     慈悲により 何者か知り得たり

そは他でもない 魔女ローレライ!!...                              汝れは 気づいているに 相違なく                              ラインの高みの崖淵より 館(やかた)を見下ろす汝れ・・

夜もふけ 寒さ増し けれども 森から                             駆け抜けるは 誰もいない・・   ***

J.F. von Eichendorff :  Wald-Gesprach                          Aus; Dt. Lyrik vom Barock bis zur Gegenwart                            dtv.  ebd. S. 148..

Du bist die Hexe Loreley                                    Du kennst mich wohl-  von hohem Stein ...                         1815年 アイヒェンドルフ作 「森の噂」 より

 

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*プーシキン「オネーギン」より

2023年09月17日 08時46分02秒 | ギャラリー:世界の文学 Ⅰ

        オネーギンには 詩歌のためなら命を惜しまぬ という 殊勝さはなかった。 なので、弱強・強弱格の区別もつかないまま。 挙句に、あの古代ギリシアの詩人で叙事詩「オデュッセイア」の作者、ホメロスを罵倒することもした。 その代わり、アダム・スミスは読んでいた。国の富はいかにして生まれ、なぜ国産物さえあれば 国家に貨幣が不要か 論ずることもできた。 だが、ほかに心得ているものがあった。それは物憂い日の心を捉えていたものに オヴィディウスがいた。                                                                 オヴィディウスは古代ローマの詩人で、祖国イタリアを恋の学問ゆえに追われ、モネダヴィアの野の果てに、一生を受難者として終えていたのである。

                     *  * ) )   )     どこへ行く・・詩人には 困ったものだ --> 

失敬する、オネーギン。帰らなくっちゃ                           引き止めはしないが。何処で毎晩、過ごしているんだ -> ラーリン家で・・                                          ほう、毎晩、よく辛抱出来たものだ -->      なあに、少しも                 わからん、見当ぐらいはつくが。・・ロシアの家庭では、もてなしは熱心だろうが、でるものは 手作りジャムと 天候の話ばかりというじゃないか。                                     平気さ、それでいい・・  -->    退屈しないのかね               いや、社交界は性に合わないのでね、家庭的な集まりのほうが 楽しい。          ほう 牧歌調ときたか、変わってるな、なら、もういい。帰るんだね、 それはそうと、フィリスに会わせてくれないか。ウエルギリウスの詩に出てくる 羊飼いのような女性に。 きみの詩の対象になっているともいうし・・ぜひ 

           С.  ПУШКИН

     *-  * -  )))                                          ・オネーギン:  若いころは 社交界に名を馳せたが、いつしか 浮世の空騒ぎに情熱を失う。                               

・レンスキイ:  ドイツ帰りの青年詩人。ラーリン家の妹娘のオリガを愛する。

 

 

 

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* 鴎外の短編「魚玄機」より

2023年09月15日 07時07分24秒 | 文学・学問・詩:余滴 Ⅱ

     森鴎外の短編に、「山椒大夫」執筆後の翌年、昔の人物を主人公にした小説がある。 知る人ぞ知る「魚玄機」という一篇で、この詩才に長けた美しき才女・魚玄機は、誤解と激しい嫉妬から、美人ではないが聡慧で媚態のある女中を押し倒し、もがく女の喉を締め殺してしまい、獄に入り処刑された話である。が、そのなかに師に寄せた一編の詩がある。                        因みに、これは唐の時代の話で、玄機は26歳。詩を能くした美人の誉れ高い女流詩人の物語。 そしてまた、唐といえば、詩が最も隆盛し、李白、杜甫、白居易などの詩人の輩出した時代である。

              **
 紅き 琴の絃に 怨み寄せ  情含め                                  早きより 男女の遇いしこと知りしも
 いまだ 慧蘭のこころ 起こりしことなく
 桃の色づきしころ 訪ぬる人あり 

 松は蒼々と 世人の羨み 仰ぎしも
 月清らかに 照る庭に 聞こゆるは 竹院の虫の音
 門前の地に 黄葉ありしも 掃くことなく
 なほ 人の訪れんこと 待つが身なる・・
   

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*ウーズラ・クレッヒェルの「エーリカ」:

2023年09月13日 09時11分30秒 | 現代ドイツ作家の群像; 人と作品:1945年以降

    1947年生まれのクレッヒェルは「エーリカ」という演劇でデヴューした。             エーリカは或る大企業の秘書、兼、速記タイピストで、夫とは4年間結婚生活を送った後、別れてしまう。彼女はすると、母のもとに戻り秘書コースに通うものの満足は得られなく、やがて、妊娠していることを知る。が、堕胎はせず夫の下に戻っていく。そして生まれてくる子の育児の役割と分担を決め 義務からの解放を夢みる。                                    が、場面が23場と最後の27場にくると 次のことが分かるのである。つまり、夫には子育てに限界があると。

   ところで、クレッヒェルは雑誌《演劇の現在》で次のように述べている。: わたしが女性について書くのは、女性の立場が よりよく理解でき、 また、女性の客観的状況が社会のイメージと矛盾していて、女性の置かれている状況から、勢力関係が読み取れるからです。  ですから、この矛盾の中に、こころから書きたいものを見ていきたいと思っているのです。                                          クレッヒェルはまた、《自己体験と見知らぬ定め》と云うタイトルで、物語風に〈新しき女性運動〉を報告した。 このように、女性解放の課題に取り組んだ演劇作家で、 ほかに長詩には「マインツへ」77.などがある。 
     Ursula Krechel:                                          Aus: K.Rothmann Reclam  ebd.  S.231 ff...

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*夜の闖入者:

2023年09月08日 07時53分04秒 | *ドイツ詩人と作家のことなど:

  夜、暗闇に不意に、何者かが侵入してきたとなると心穏やかではない。不安と恐怖と。・・ ところが、異常ともいえる変ったことが起こらないとなれば、また別の話。 それは あるいは微笑ましいエピソードにならないとも限らない。・・そんなことを思わせる話が二つ。
ひとつは「ライオン」の闖入という非日常だが、日常とは何ら異なることの起こらない話で、他の一つは、熟年の独り身の婦人の宅に 暗闇に紛れ込んだ若くてイケメンの青年との話である。 

ところで、この熟年の婦人は青年が何も起こらないまま去った後に、みるみる追憶の中で期待と希望のうちに 若さと元気と歓びを取り戻していったとしたら。・・・                                         メッケルの「ライオン」と、カーチャ・ベーレンスの「愛」とは、そんな非日常を描く現代ドイツ文学の短編である。
    Meckel:Der Lowe
   K.Behrens:  Liebe    Aus :Reclam

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*「レーデゴンダの日記」:シュニッツラー短篇選より

2023年09月06日 08時38分59秒 | *ドイツ短篇選:

  事実とは合致しない心霊的物語を作家は語ることがある。                   それが果たして 真実なのか判断は読者に任せられる。  とはすなわち、そのような出来事が、そもそも、あり得るのかという疑問が付きまとうからだ。そこから、作者は心霊論者なのか、という疑問が生じかねない。   作家という独特な人間に対して、不信の念を抱くか、まったく関心を寄せないか。

 そんな心霊譚を扱った作品に、19世紀オーストリアのよく知られた作家・シュニッツラーによって書かれた短篇「レーデゴンダの日記」がある。:

       《  或る決闘》に関して:                                                                                 この主人公となるヴェーバルトが、T.という龍騎隊長によって決闘で殺される。が、同じ日に、この男の妻であるレーデゴンダ夫人が若き連隊少尉と蒸発したという事件が生じていた。しかし 当のヴェーバルトは几帳面で思慮深く、また高貴な男として知れ渡っていたので、その少尉の身代わりとしてやられた、という者さえいたのだ。   

       「そなたが手にしているそれが、妻の日記だろうかなどとは疑わないでしょうな。それで、最後まで目に通してもらいたい。そうすれば書かれている一つ一つが虚しかったことがお分かりになるに違いあるまい」

   ヴェーバルトは そこで云われるまま記されている愛のすべてを読んでいった。:あの秋の朝、森で初めて話しかけた甘く奇妙なときのこと、はじめて接吻をかわしたときのこと、肩を並べ そぞろ歩いたときのこと、郊外へ馬車で出かけた時のこと、花で飾られた部屋で楽しく過ごしたときのこと、駆け落ちしようか心中しようかと迷った時のこと、また 絶望に陥った時のこと。ヴェーバルトはすべてに目を通していった。が、それらは想像の中で経験したことばかりであったが不可解なこととは思わなかった。というのも、レーデゴンダ夫人の愛は真実だと思われたからであり、想像の中での体験はすべてが、夫人もファンタジーの中で体験していたに違いないと。 不思議な力ではあったが、そう思えたのだ。                       然し、この時、別に こんなことも考えていた。この日記のすべては夫人の《復讐》以外の何ものでもなかったのではないかと。それ故、夫人の突然の死でさえ意志のなす業(わざ)であり、その背信の日記を裏切られた夫の手に渡るようにしておいたのも、夫人の意図からに違いない。ヴェーバルトは勿論、アヴァンチュールの結果に全責任を感じていたが心から望んでいたことでもあり、臆病のゆえに成し遂げられなかったことに忸怩たる思いでもあったのだ。  

「私はですな、・・・」とレーデゴンダの夫は最後通牒のように云った。     「妻の死が知れ渡らぬうちに始末をつけておきたい。今は真夜中の一時だが、三時には介添人が来てくれることになっておる。五時までには、何としても決着をつけたいのだ・・」

   「私はこの運命に立ち向かわなければならないと決意しておりました」ヴェーバルトは粛々と云った。                             「そこで 午前五時には森に出向き、レーデゴンダの夫とピストルを持ち向き合ったのです」

それで、あなたのほうに分があったのですね・・

   「いいえ、弾丸(たま)は相手のこめかみ近くを掠めたにすぎません。逆に、わたしの心臓がぶち抜かれていたのです。人の申しますには、その場にばったりと倒れ、息絶えていたのです・・」                    こういうや、男は消えていた。ヴェーバルトの姿は公園の何処にも見当たらなかったのである。

  Arthur Schnitzler: Das Tagebuch der Redegonda                                 Gesammelte Werke   Die Erzahlenden Schriften  [1]                                          Fischer Vlg. 1981  S.985-991.

 

 

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*ドイツリート:「隠遁」メーリケ詩から

2023年09月04日 08時48分34秒 | *Deutsche Lyrik

 嗚呼 独りにさせてくれ !                                   愛という贈り物で 惑わせないでくれ ! 歓びも 哀しみも                   胸に収めておきたいのだ

なにが そんなに悲しいのかと 聞くのかい?                            だけど わけも分からぬ傷みも あるじゃないか                      だから いつも 温かく見護ってくれる陽の光を                    泪して見つめているのさ すると われを忘れ                       灼熱の喜びが 重い心を掠めていくと                            苦しみから 解放されているのだ

嗚呼 独りにさせておいてくれ!                                 愛という贈りもので 惑わせないでくれ!                           喜びも悲しみも 胸に収めておきたいのだから

  E. Morike : Verborgenheit                                                         Morike Gedichte  Reclam ebd. S.45.

ヴォルフWolf 作曲によるドイツリートDeutsche Lied から。

 

 

 

 

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