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仔羊の回帰線

詩と散文のプロムナード :Promenade

*レンツの「蒼鷹が大空にいた」

2024年12月13日 09時22分38秒 | *現代ドイツ作家の群像;人と作品:1945年以降:-Goo

・ジークフリート・レンツと「故郷の博物館」:---

  レンツは1926年生まれ。88年の生涯を生きたドイツの小説家で、この作品は故郷の東プロイセンの風景や歴史を背景に、人間の心理や社会的な問題を深く掘り下げ、時代のドイツ社会における政治的、社会的な変化を反映。

・レンツの作品世界:--- 20世紀後半のドイツを代表する作家の一人、レンツの作品は故郷東プロイセンの風土や歴史を背景に、個人の記憶やアイデンティティ、そしてそれが社会や歴史とどのように関わっていくのかを探求している。。

彼のデビュー作『蒼鷹が大空にいた』から始まり、『国語の時間』で大きな成功を収めたレンツは、その後も数々の印象深い作品を発表。。  ・レンツの「蒼鷹が大空にいた」:--->>>                                                ・Siegfried Lenz's "The Hawk in the Sky": A Reflection on Post-War Identity and Memory:-----      Siegfried Lenz's debut novel, "The Hawk in the Sky," represents a poignant exploration of the human condition in the aftermath of war. ----Lenz, a prominent figure in post-war German literature, is known for his nuanced portrayal of characters grappling with the moral ambiguities and psychological scars left by conflict.        .     >

 *「ズーライケンはかくも優しかった」:  20篇からなる風変わりな小話、滑稽譚。  ---"So tender was Suleyken" ("So zärtlich war Suleyken") offers a different tone, presenting a collection of whimsical and humorous short stories set in the fictional Masurian village of Suleyken. Through these tales, Lenz captures the idiosyncrasies of rural life and the colorful charac-ters that inhabit it.      This work showcases Lenz's versatility as a writer and his ability to evoke a sense of place and time with charm and wit.  >>       */-*83--*70/*+*

・レンツの遺産:---  レンツは、1926年3月に東プロイセンで生まれ、2014年ドイツのハンブルクで亡くなる。20世紀後半のドイツ文学において重要な役割を果たしたレンツは、幼少期に父を失い母と離れて祖母の家で育ち、第二次世界大戦中には海軍に徴兵され、デンマークで逃亡、イギリス軍の捕虜となり、戦後はハンブルク大学で哲学、英文学、文芸学を学び、新聞『ディ・ヴェルト』Die Weltで編集者としてのキャリアをスタート。         彼のデビュー作は『大空に碧鷹がいた』で、その後も『国語の時間』など、多くの作品を発表。     レンツは故郷の風景や歴史を背景に、人間の心理や社会的な問題を深く掘り下げた。。    レンツは1988年にはドイツ書籍協会平和賞を1999年にはゲーテ賞を受賞。。---       *夏里氏の生成AI-活用術から

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◎*エーリカ・ルンゲ:「ボットロパー調書」と戦後ドイツ文学

2024年12月08日 18時16分06秒 | *現代ドイツ作家の群像;人と作品:1945年以降:-Goo

*エーリカ・ルンゲ:1939生まれ。「ボットロパー調書」

    Erika Runge:Bottroper Protokolle

ボットロープはルール地方の小都市

・徳丸くん、きみは戦後ドイツ作家のエーリカ・ルンゲを知っているかい。1939年生まれだそうだが、きみのようなドイツ文学研究者にしても、知っている人は少ないと思うのだが。

*:そうだね。寡聞にして知らずというところかな。・・・なんで道之助くん、そんな知られていない作家に興味をもったのかい。まあ、きみのことだから、興味は多方面で博識、よく漁っているらしいから不思議ではないがね。

・やあ、そう言ってくれてありがとう。Danke.!.・・徳丸くん、ちょっと聞いてくれるかい、この際だから、・・

*:そうだな、聞かせてもらおうか。ぼくはきみに何故か興味がいつもあるものだから。

・それでは、ちょっと聞いていてくれよ。-- と云うと道之助は朴訥と語りだしていた。

・Erika Runge はだね、当時の東と西ドイツで芸術と文学を学び、23歳の時に博士号を取得したらしいが、ルール地方の小都市ボットロープであらゆる市民にインターヴューをして、それで「ボットロパー調書」なるものを1968年に発表しているんだね。

・なるほど、それで・・

・それでだね、この調書は炭鉱労働者の生活や労働条件に付いて纏めているのだが、是がきっかけで彼女の名が知る処となってね。彼女はそこで社会の不正や不平等に関心を示し、労働者ばかりでなく、女性の視点からインターヴューを試みた。例えばだね、74年には女性の解放についてインターヴューしたものをFrauen: Versuche zur Emanzipationとして発表したり、助監督としてドキュメンタリー映画やテレビの脚本を書いたりして、社会問題に鋭く切り込んでいるんだよ。・・こんな風に純粋に文学畑だけでなく、労働者や女性の権利や社会の不平等に切り込んだ作家の研究はあまりみかけないし、ちょっと現代作家の群像の著書が手に入ったものだから興味を抱いていろいろと翻訳してみたりしたんだが、徳丸くん、ありがとう、・・

*:--そうだね、社会問題に鋭く切り込んで書いている作家といえばマックス・フォン・デア・グリューンなんて作家がいたのを思い出したよ、炭鉱の話を主に書いた作家でね。

    ・そうさね、そんな作家がいたのをぼくも覚えている。「夜を二倍持つ男たち」なんて炭鉱労働者を描いた作品があったからね。。。それに恋愛や酒や不倫や戦争など書いたものだけが文学ではないからね・...>                                                                                    */-137*--114-*/* + *+ *     ***   >

                    *夏里氏の生成AI活用術-対話篇 から

 

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◎*ノサック「遅くとも11月には」:---

2024年11月05日 07時21分22秒 | *現代ドイツ作家の群像;人と作品:1945年以降:-Goo

*ノサックの「遅くとも11月には」:Spatestens im November

・ハンス・エーリヒ・ノサックの「遅くとも11月には」は、1955年に発表された長編小説で、28歳の実業家の妻が語り手。     ・ 彼女は作家ベルトルトとの関係を通じて、不安と自己実現の努力を描き、ダンテの「神曲」地獄編・第五歌にある、人妻フランチェスカとパオロの道ならぬ恋をパロディ化した。   ・ノサックは、ハンブルク大空襲の体験をはじめ、社会的・神話的な主題の作品を多く書き、ドイツ社会の不毛な精神状況に絶望した孤独な個人が、新しい可能性を求めて未知の世界へ脱出する試みをシュルレアリスム風の幻想を交えて描いている。

 「遅くとも11月には」は、ノサックの代表作の一つで、サルトルによって注目され、フランスでの評価を高めた後、ドイツでも認められるようになる。   ・代表作「遅くとも11月には」以外にも多くの著名な作品があり、例えば、「死神とのインタビュー」といった作品は、戦争の悲惨さと人間の精神の複雑さを描いた。--

Exploring Hans Erich Nossack's "Spätestens im November":---

Hans Erich Nossack, a prominent figure in German literature, has left an indelible mark with his novel "Spätestens im November" ("No Later Than November").       This work, published in 1955, delves into the complexities of human emotions and the relentless pursuit of self-actualization.     Through the narrative, Nossack explores the life of a 28-year-old businesswoman who, alongside her struggles, becomes entangled with a writer named Berthold, bearing the weight of misfortune together.   

The novel is structured as a report by the businesswoman, providing a deeply personal and introspective view of her life.       As she navigates through her relationship with Berthold, she reveals the profound statement he made during the awarding of a literary prize:     "I would die with you." This declaration sets her on a path filled with illusions, leading her to abandon her husband and child for a life of artistic fulfillment yet economic hardship with Berthold.

Nossack's narrative is not just a tale of personal turmoil but also serves as a parody of Dante's "Inferno," specifically the story of Francesca and Paolo, which is cleverly woven into the plot.

The novel reaches a crescendo in November when Berthold's new play "Paolo and Francesca" premieres, prompting Marianne, the protagonist, to embark on a new journey with him.       However, their story takes a tragic turn when their car crashes into a bridge pier.        "Spätestens im November" is a poignant exploration of the human condition, reflecting Nossack's own experiences and societal observations. ---It stands as a testament to his literary prowess and his ability to capture the essence of existential despair and the search for new beginnings.   ---    Nossack's work remains a significant contr-ibution to post-war German literature, offering insights into the human psyche and the societal dynamics of the time.                    

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*「太陽は嘗て、緑の卵だった」:Vgl. カール・アルトマン

2024年10月29日 08時19分07秒 | *現代ドイツ作家の群像;人と作品:1945年以降:-Goo

現代ドイツ作家アルトマンの「太陽は嘗て、緑の卵だった」

・現代ドイツ作家アルトマンについて:---

ハンス・カール・アルトマンは、オーストリアはウイーン郊外出の詩人で、1921年から2000年までの生涯に、多岐にわたる文学作品を世に送り出した。 彼の作品は、詩集、小説、戯曲などのジャンルに及び、特にその独創的な言語遊びと幻想的な要素で知られる。。。

靴屋の息子として生まれた彼は高卒後は事務所でインターンとして働き、その後、ドイツ国防軍に徴兵され、戦後は新聞やラジオで作品を発表し始める。。

アルトマンは1952年から6年間ウィーナー・グルッペに参加し、その後、放浪生活に入り、1969年にはベルリンに移住。その後、1972年にはザルツブルクに転居し、作家のローザ・ポックと結婚。 

・ハンス・カール・アルトマンの文学的スタイルは、ウイーンの方言で詩を書くなど、言語の革新的な使用と独創的な表現に特徴があり、伝統的な詩の形式を超えて、新しい言語の形を模索し、文学の新たな地平を開いた。。。

・アルトマンの詩作には、言葉の創造性とその魅力、そして日常生活の幻想的な要素が織り交ぜられ、しばしば言語の限界を押し広げ、新しい表現の形式を模索、その中には「Gedichte über die Liebe und über die Lasterhaftigkeit」(1975年)や「Gedichte von der Wollust des Dichtens in Worte gefasst」(1989年)などがある。。>>>

アルトマンの詩には、伝統的な詩の枠を超えた実験的なスタイルが見られ、彼の作品はしばしば、言葉を通じて人間の感情や思考を探究する試みとして評価され、言葉自体の音響やリズムを楽しみ、これにより、アルトマンの詩は、言語の新たな可能性を広げたのである。。*/ 90--*85-/ *+

    *** 夏里氏の生成AI活用術 から

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*地下酒場・パレッテ;「トュルクへの旅立ち」フィヒテ

2024年09月09日 08時55分54秒 | *現代ドイツ作家の群像;人と作品:1945年以降:-Goo

   *ドイツの現代作家フィヒテの「地下酒場パレッテ」:--->

  フーベルト・フィヒテの「地下酒場パレッテ」は1968年に発表され、戦後のハンブルクにおけるボヘミアンなサブカルチャーを生々しく描いた。。---其処では、芸術家、作家、そして時代のはみ出し者たちの生活が赤裸々に描かれ、彼らの生きざまや社会との関わり方を通じて、個人のアイデンティティや自由の探求をテーマにし、当時の社会的な枠組みや価値観に疑問を投げかけ、異端とされる人々の視点から世界を見つめ直す機会を提供した。

フィヒテは、一見、周辺部に追いやられた存在のアウトサイダーが、実は社会の本質的な部分を体現しているという視点から描き、彼らが主流からはずれた生き方を選択することで、自己実現の可能性を追求し、既成の秩序に挑戦する存在として描いているのである。

「地下酒場パレッテ」は単なる小説を超えて社会におけるアウトサイダーの役割と価値を再評価するきっかけを与え、文学が持つ社会への影響力と、個人の内面世界を探究する力を見事に示した。

 フーベルト・フィヒテは20世紀後半のドイツを代表する作家の一人で自伝的要素を含む作品を多く発表し、特に「ホモセクシュアル」をテーマにした作品で知られる。>

     彼の三部作『孤児院』『デトレフ』『思春期をめぐる試論』はフィヒテが自身のアイデンティティと社会との関わりを深く掘り下げた作品である。---     フィヒテは、文学を通じて社会批評を行うことで知られ、しばしば社会の既成概念に挑戦し、異端とされる人々の視点から書く。---          小説『パレット』は、1968年にベストセラーとなり戦後ドイツの重要な小説家としての地位を確立。また、彼のエッセイやラジオ番組への寄稿も多面的な才能を示している。--*「トュルクへの旅立ち」:フィヒテが6歳の時、カトリックの孤児院で過ごした経験をもとに書いた14からなる連作である。

 *フィヒテの「トュルクへの旅立ち」について:---

 フィヒテは連作「トュルクへの旅立ち」を通じて、自身の幼少期の経験を繊細に描き出している。/ *98-*-114-/*

6歳の時にカトリックの孤児院で過ごした時間は彼の創作活動に深い影響を与え、この個人的な背景を基に連作小説が展開される。 この作品はフィヒテが孤児院での生活をどのように捉え、それをどのように文学的に表現しているのかを探ることで、彼の内面世界と外部世界との関係性を探る旅でもある。 彼は孤独やアイデンティティ、感覚など、人間の基本的な感情を掘り下げていく。「トュルクへの旅立ち」は彼自身の人生の断片を織り交ぜた作品で、個人的な経験を普遍的な物語に昇華させた連作である。

      *夏里氏の生成AI活用術 から

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*ヒルデスハイマー「詐欺師の楽園」:--

2024年07月27日 11時59分10秒 | *現代ドイツ作家の群像;人と作品:1945年以降:-Goo

* ヒルデスハイマー「詐欺師の楽園」:---                                                               Hildesheimer:  Paradies der falschen Vogel:・

 ヒルデスハイマーの「詐欺師の楽園」は戦後ドイツ文学における隠れた傑作として知られる。---    これは天才的な贋作画家がバルカン半島の某公国を巻き込んで実行した大計画の顛末を描き、虚構と現実の境界を軽妙に突く諷刺小説。--  物語の中心には金持ちで蒐集家のおばに引き取られたアントン少年がおり、彼は15歳で絵を描き始め、その才能をローベルトおじに認められる。しかし、ローベルトおじはただの画家ではなく、実は世界中の美術館や蒐集家を手玉に取った天才詐欺師であり贋作画家だった。アントンは17歳になると、おじの待つ公国へ向かい、そこで予想外の運命が彼を待っている。

 ヒルデスハイマーは1916年にハンブルクで生まれパレスチナとロンドンで学んだ後、第二次大戦後にドイツで文筆活動を開始。また彼は〈47年グループ〉のメンバーとして活躍、1953年に「詐欺師の楽園」を発表、1966年にはゲオルク・ビューヒナー賞を受賞

・ヒルデスハイマーの生涯:----    /*89---101-* /--

1916年にドイツのハンブルクで生まれた彼はナチスの迫害を逃れ家族と共にパレスチナに移住。そこで大工職を学びながらロンドンで絵画と舞台建築を学ぶ機会を得、第二次世界大戦中はイギリス軍の将校としてパレスチナで勤務し、ニュルンベルク裁判では翻訳者および書記として重要な役割を果たした。

 他に、小説「テュンセット」など。また、モーツァルトに関する評論「モーツァルトは誰だったのか」は、音楽家としてのモーツァルトだけでなく人間としてのモーツァルトを探求した作品。

ヒルデスハイマーは1991年に亡くなるが、その生涯と作品を通じて20世紀の歴史と文化をより深く理解することができる。

 *ヒルデスハイマーの「詐欺師の楽園」は戦後ドイツ文学における隠れた傑作として知られ、天才的な贋作画家と詐欺師の物語を通じて、虚構と現実の境界を探り、芸術と詐欺の関係性を鋭く軽妙に描いている。主人公アントンは15歳で絵を描き始め、その才能を認められて詐欺師のおじに引き取られるが、そこから彼の予想外の運命が始まった

  この小説はヒルデスハイマー自身の風変わりな経歴が作品に反映され、ナチスに対抗するためイギリス軍の将校として活動した経験やナチ戦犯に対するニュルンベルク裁判での主任通訳を務めた経験など彼の多彩な背景が作品に深みを与えている。。 「詐欺師の楽園」は詐欺というテーマを通して制度や社会の硬直性を風刺。詐欺師がシステムを逆手に取る犯罪であること、そして最大の詐欺師はシステムを作り上げる者であるというメッセージは、今日の経済や政治にも通じるものがある。 *夏里氏の生成AI活用術 から

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*ハインリッヒ・ベルの「汽車は遅れなかった」:

2024年07月23日 07時14分47秒 | *現代ドイツ作家の群像;人と作品:1945年以降:-Goo

ハインリッヒ・ベル:「汽車は遅れなかった」:Der Zug war  punktlich .

   ハインリッヒ・ベルの「汽車は遅れなかった」: これは戦時下の帰還兵の物語で 第二次世界大戦下のドイツ社会の実情を鋭く描き出し、特に「汽車は遅れなかった」は帰還兵を主人公にし、その心理的葛藤と運命を深く掘り下げている。--- この小説は1949年に発表されたベルの最初の長編小説で若いドイツ人兵士が戦場に戻る列車の中で死の恐怖にとらわれる様子を描き、彼の内面の葛藤は「ぼくは死ぬだろう……近いうちに」という繰り返される予感を通じて強い印象を残す。。

  ベルの作品は戦争が個人の心理に及ぼす影響を描くことで知られ「汽車は遅れなかった」でも、戦争の荒廃した風景と、それによって破壊された人々の生活をリアルに描写、戦後のドイツ社会の再建に対する批判的な視点を提供した。---  ベルは1972年にノーベル文学賞を受賞。同時代への幅広い眺望と鋭い描写によって、ドイツ文学の刷新に貢献した。文体は簡潔で、深い感情を伝える力を持ち、多くの読者に愛されている。

「汽車は遅れなかった」はベルの多くの作品と同様に、戦争とその後の影響をテーマに戦争の悲劇を超えて人間の尊厳と生命の価値を問い直すもので、ベルの視点は戦争の犠牲者たちに光を当て、彼らの声を世に伝えることにあったのである。 */-84---*98--/*-+-+

*他のベルの代表作としては「そして一言も言わなかった」Und sagte kein einziges Wort.や「婦人のいる風景」があり、「そして一言も言わなかった」は戦後のドイツを舞台に、貧困と孤独に苦しむ若い夫婦の姿を描いた作品。    一方、「婦人のいる風景」はある女性の人生を通じて、戦争とナチズムの影響を受けたドイツ社会を多角的に描いた長編小説で、ベルのノーベル文学賞受賞に大きく寄与した。---   また、ベルは短編小説やエッセイでも高い評価を受け「ハインリッヒ・ベル短篇集」には彼の短編作品が多数収録。これらの短編作品では戦争の経験が人々の日常生活にどのような影響を与えたかを繊細かつ力強い筆致で描いている。---  ベルの作品は彼の故郷であるケルンや、彼が経験した戦争の記憶が色濃く反映され、戦争という極限状況下での人間性の探求と社会的な問題への鋭い洞察を提供した。

        ***夏里氏の生成AI活用術 から

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◎*ノサックの「死者とのインタビュー」:

2024年02月25日 10時45分26秒 | *現代ドイツ作家の群像;人と作品:1945年以降:-Goo

        ノサックの第一のテーマは時代における人間の生死の意味への問いかけであった。それを再三、報国調に、探究・調査風に、あるいは寓話風に追求した。

  この「死者とのインタビュー」は連作短編集で、その特色をよく表している。: そこには鮮明で飾り気なく、屡々、モノローク風な語り口で追跡した作品が収められた。:
 例えば、「ドロテーア」であり、神話風な「カサンドラ」であり、メルヒェン風な「海から来た男」であり、シュールなモテイーフの「アパッショナータ」や「死神とのインタビュー」であった。そして実存的な越境界が描かれたのだが、ノサック自身の体験を踏まえながらヤーンやカミユの読書を通じて、奈落における境界状況の視点から批評的に書いているのである。     H.E. Nossack:1901- 77.

 ところで、48年に発表された自叙伝的な報告「滅亡」は、1943年に始まり、その後10日間に及ぶ空襲によるハンブルク破壊の報告であるが、ノサックはその破壊的な経過を次のように書いた。:
  ちょっと想像してごらん、一瞬、目を閉じたとしよう。そして、再び開けたとする。すると、今まであったもの全てが、もう何もなくなっているのだからね・・・」

   ノサックにとって、大戦中という時代における人間の生死への問いかけは、第一のテーマであったのである。
Aus: K.Rothmann : Dt. sprachige Schriftsteller seit 1945 ..
Reclam ebd. S. 298ff... Interview mit dem Tode. 48.

K.ロートマン著: 現代ドイツ作家の群像 より      ***   )))   *

 

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*アイヒンガーの「より大いなる希望」: より

2023年09月25日 08時44分37秒 | *現代ドイツ作家の群像;人と作品:1945年以降:-Goo

  長編「より大いなる希望」は、主人公の少女エレンの視点から、究極的人生の局面が10章にわたって描かれた。:
エレンはユダヤ人の母がアメリカに追放されているため、アメリカ領事館にビザの申請をする。が、誰も保証人にはなってくれない。ばかりか、アーリア人の父は家族を捨て認知を拒んでいるため、エレンはユダヤ人の祖母のところに留まらなければならない。
  彼女は他の子供たちと墓地で《聖なる土地への逃亡ごっこ》や、《平和探しごっこ》などして遊ぶが、衣服には いつもダビデの星の紋章をつけ、これはナチス青年隊に誘導されているユダヤ人教師から誹謗と迫害と虐待を逃れるためなのである。                             一方、祖母を迫害から救うため、自ら命を絶とうとする手助けをしてしまう。また、略奪兵に囲まれたりするが、爆弾投下の難を潜り抜け占領下の町から走り逃れる。エレンはこのとき兵士のヤンと遭遇する。彼は将来の伴侶となる人。が、ヤンは負傷し、エレンは代わってクーリエ 、とはつまり、伝書使いの役割を果たす。


  時は第三帝国下のウィーン。主人公の少女エレンは無辜の天真爛漫から、パラドクス的に知恵を見出す。それはつまり、《負けるが勝》と云うことで、危険から逃れ命を救うためには逃亡を重ねるしかなく、その際、神への信頼と恩寵の下に希望を見出し、より大いなる魂の救済へと変容していくのである。                                            Ilse Aichinger :Die grossere Hoffnung  Roman 48..                  Die dt. sprachige Schriftsteller seit 1945
 K. Rothmann. Reclam ebd. S. 9ff...
  ロートマン著 :現代ドイツ作家の群像より
 
アイヒンガー:1921年生まれ。
 この作品は戦時下に恐怖や滅亡によって喚起された不安を、生存者の印象の下に、自叙伝風に描かれたもの。
 

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*ウーズラ・クレッヒェルの「エーリカ」:

2023年09月13日 09時11分30秒 | *現代ドイツ作家の群像;人と作品:1945年以降:-Goo

    1947年生まれのクレッヒェルは「エーリカ」という演劇でデヴューした。             エーリカは或る大企業の秘書、兼、速記タイピストで、夫とは4年間結婚生活を送った後、別れてしまう。彼女はすると、母のもとに戻り秘書コースに通うものの満足は得られなく、やがて、妊娠していることを知る。が、堕胎はせず夫の下に戻っていく。そして生まれてくる子の育児の役割と分担を決め 義務からの解放を夢みる。                                    が、場面が23場と最後の27場にくると 次のことが分かるのである。つまり、夫には子育てに限界があると。

   ところで、クレッヒェルは雑誌《演劇の現在》で次のように述べている。: わたしが女性について書くのは、女性の立場が よりよく理解でき、 また、女性の客観的状況が社会のイメージと矛盾していて、女性の置かれている状況から、勢力関係が読み取れるからです。  ですから、この矛盾の中に、こころから書きたいものを見ていきたいと思っているのです。                                          クレッヒェルはまた、《自己体験と見知らぬ定め》と云うタイトルで、物語風に〈新しき女性運動〉を報告した。 このように、女性解放の課題に取り組んだ演劇作家で、 ほかに長詩には「マインツへ」77.などがある。 
     Ursula Krechel:                                          Aus: K.Rothmann Reclam  ebd.  S.231 ff...

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