竟に、船首を東へ向けると、喜望峰の風が唸り声を上げ、捕鯨船は この海 特有の浪に揉まれた。 ピークォド号が激しく船首を上下させ烈風に立ち向かう。 狂ったように 立ち進む。と、泡立つ波しぶきが雨のように襲い掛かってきた。・・・
処で 、《喜望峰》とは 何故 そう呼ばれるのか。: 《嵐の岬》の方が相応しいではないのか。長いこと、静寂に付き纏われてきた挙句 直面するのは苦難の海だ。 そこでは鳥や魚に姿を変えさせられた者がいる、隠れ場もないまま永遠に泳ぎ続けた者もいる、暗黒の空に羽ばたかなければ ならなかった者もいる。 そこは そんな宿命を負わされた苦難の海には違いないのだ。・・なのに?...
H.Melville: 1819- 91. Moby Dick; The White Whale
新聞の書評欄にアメリカのライト・ヴァースという表題で書評が載っていた。ヴァースはドイツ語ではフェルゼVerseという発音になるが、言うなれば詩ということ。
スペルが同じで読み方が異なるということからして 英語とドイツ語はゲルマン語系の姉妹語ということが分かる。 それはさておき、ライト・ヴァースとは簡潔な詩ということ。 この書評者が、なぜ文化人類学者なのかということは さておくとして書評欄にはサンドバーグの短詩が紹介されていたが、詩人にはこんな詩もある。
霧が漂いくる 仔猫の足取りで 霧はしずかに 腰を据える そうして 港や街をつつむように 漂っている しばらくして 漂った霧は また動き出す : Carl Sandburg 1878-1967. Fog The Treasury of American poetry Nancy Sullivan Company, P.360.
ライト・ヴァースとは、このように簡素簡潔に日常の些細な風景や心情を歌い上げるのだが、それは儚い日常の国への誘いinvitationでもある。
アメリカの詩人でライト・ヴァースに長けた詩人には、他にディッキンソンやスティーブンズやフロスト、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズや スティーブン・クレイン、アーリントン・ロビンソンなどいるが、スティーブン・クレインにはこんな短詩がある。:
朱色の魔神が 数え切れないほど こころの奥から飛び出してきて
白いページを走り回っていた それらは ペン先で押しつぶせるほどに
インク壺のなかで もがきあっているほどに 小さいものだ
けれども こころに浮かぶ色々なことを
書き記してくれるとは 摩訶不思議なこと!...
Many red Devils ; S. Crane 1871- 1900. ibid. P.339.
現代ドイツ閨秀・ランゲッサーの詩に、ヨリンゲルとヨリンデがでてくる。これはグリム童話の69番にある話である。: 若き娘ヨリンデと青年ヨリンゲルは夫婦約束を交わしていた。 或る日、婚礼を前に二人は森に入り逍遥する。 ところが、この森には魔女の老婆が棲んでいて、ヨリンデはその魔法にかかり小鳥にされ、森深くの館に匿われてしまう。 そんな風に匿われた娘の数は他にも多く、ヨリンゲルは何んとか助けだしたいと思う。だが、それはかなわぬこと。
とある時、助けだす方法が夢に出てくると、早速、それに取り掛かり、幸い小鳥になっていたヨリンデを元の姿に戻したばかりか、魔女の老婆から小鳥にされていた他の何千もの娘たちと共に助けだすことができた。 それからというもの、二人は幸せに暮らした、というのである。
Joringel und Jorinde: グリム童話 より
Bruder Grimm :Kinder- und Haus-Marchen 69.
dtv. klassik Band Ⅰ. S.295.
因みに、夢のお告げに出てきた魔法を解く方法とは:
Endlich traumte er einmal des Nachts ,er fande eine blutrote Blume ,in deren Mitte eine schone grosse Perle war. Die Blume brach er ab, ging damit zum Schlosse . :alles was er mit der Blume beruhrte ,ward von der Zauberei frei. Auch traumte er ,er hatte seine Jorinde dadruch wieder-bekommen.... ⇒ ヨリンゲルは見知らぬ村に辿りつくと、夢のお告げを聞いた。:つまり、真ん中に大きな真珠のある真赤な花を見つけたら、その花を手折り、城に持って行き、その花で触れると魔法は解ける、と云うのである。
蒼い空のもと 緑の樹々に そよ風が吹き
樹木の下の茨を 搔き分けゆけば
気怠い腐敗が鼻をつき 蟻や毛虫も
目の上に這いつき 瞬きもできず --
だが わき道からは 賑やかな婦人たちの声
無辜の子らの声と混じり 愉し気に
時折り 小枝が顔に落ちれば
蟻も蝶も 口元に集まってくる・・ --
これらに いつしか魂が共感すれば
おお なんという リゴレットの歌か!
調べも高らかに 昂揚ありて
おお wunderbar ! ・・))
F. Werfel; Im Walde Aus: Der Welt-Freund
ヴェルフェル 「世界の友」より
ええ、このような光景は、何度となく見られるようになりましたわ、ドクトル。二、三日ほど前に羊が群れを成し窓の下を通り過ぎてゆきましてからは。それは心から待ち望んでいたことでしたもの。けれども私は思っていたのです。あの絶え間なく踏みつけていく足音を耳にしてからは、予感できるようになりましたもの。・・ ええ、この羊の群れの踏みつけていく物音や舞う埃やその毛などから。・・ それは150年経ってようやく、目にできた初めての羊の群れでしたのですもの。・・ あら、気が変になってしまったのかしら、150年だなんて。そりなら、いっそ、千年ならいいものを。 それなら、いっそあのロッケンベルク収容所で処刑されて以来ならいいものを。・・
まあ! 気が変になっているのね。 でも、ものごとのけじめは、きちんと、つけておかなければいけませんわね、前もってにせよ、後からにせよ。さもなければ、誰も知らないまま、忘れ去られてしまいますもの。・・・ この処刑は、いや、寧ろ、その予感は22年前のことでしたが、幸い命までは処刑されませんでしたわ。さもなければ、ここに座っていることなどありませんものね。 勿論、 女性教師の私の不安など誰も知る由もありませんでしたし、ヘッセン州におりましたわが子も、87名の生徒をあずかり飢えに苦しんでおりました私も、予感というよりは気が動転していたのですから。・・ と申しますのも、世界大戦は終焉を迎えていたのですから。・・ 今、そんな不安から誰もが解放されているということは、なんと素晴らしいことでしょう。・・
ところで、早晩、必ず処刑されるという予感がどこから生じてきたのか。・・おそらく、神経の不安からでしたのでしょうね、ドクトル。・・ あるいは、何一つ苦しめられることがなかったからでしょうか。 けれども、所詮、不安から逃れることはできませんでしたわ。 ですが、この宿にいたおかげで体力も回復しましたし、前より落ち着きを取り戻してきておりました。・・夏は暑かったですが土曜日などにはボーリングの球を転がしておりますと、その音が気持ちよく響きわたっていたものです。・・ですが、こんなことが今なお、思い出されてくるなんて不思議な気がしてなりません。でも、もう二度とはないのでしょう。・・あの羊の群れは確かに、教えてくれていたのです。すべては良くなったと。そうして、過ぎ去ったのだと。本当にそうですものね、ドクトル。・・
ああ、それにしましても、心の安らぎとは一体、何なのかと詮索すべきではないのでしょうね。・・私は今、誰もいない部屋にひとりで、夫はもはや、戻ってはこないと知り、一緒に棲める息子も母もいないと気づいていますが、不安は抱いておりません。・・こころに安らぎを取り戻しておりますもの。・・ でも、どなたと一体、心の安らぎを共にしているというのでしょう、ドクトル。 台所で珈琲を沸かしながら、静かなひととき、考えていたものです。・・もっと生きていかなければいけないと。頑張り通すのだと。たとえ、どんなことがあろうとと自分に言い聞かせておりましたわ。 ・・ それにしましても、どなたが憐れんでいてくれたのでしょうか。私は存じません。 けれども、突然、羊の群れの往来や地面を踏みつけていく物音、そして熱く焼けた路上を舞う埃。これらは忽然、消え去っていたのです。・・その時、予感したのです。長いこと忘れかけておりましたものに、再び、めぐり逢えるのではないかしらと。何故かは説明の申し上げようもございません。・・ 今にして、お聞きしたい気持ちでいっぱいなのです。簾(すだれ)が下げられ、もの音一つ耳にしなかった あの夏の暑い盛りの真昼時に、共にいらして励ましてくださったお方は、どなたでしたのでしょうか、ドクトル。・・誰もが眠りにつき、家畜も眠り、陽が天頂に昇りつめたときにです。・・・ これが人生というものなのでしょうか。 これが運命というものなのでしょうか。・・ それとも、生まれながらの業(ごう)なのでしょうか。 了.
*Elisabeth Langgasser; Aus;dem Torso. ランゲッサーより Der Titel heisst ; Im Einklang. Gesammelte Werke; Claassen Verlag. 1964. S. 391ff.
* カトリック閨秀作家のランゲッサーは半ユダヤ系であるという理由で、ナチス時代、執筆禁止の処分を受け、弾圧を受け、第二次大戦中は強制収容所への収監に不安を抱きつつ、強制労働にも従事させられた経験がある。 Halb Judin.
それから五月末の聖霊降臨祭が過ぎたころ、知り合った若い男から見捨てられたカーチャは、男を待ち伏せた。そして ようやく、劇場の裏木戸にいた彼を見つけると腹が立った。 「まだ懲りずに、他の女をエサで釣ろうとしているわ?..」 そう思っていると 案の定、若い女が彼に近寄ってきた。いつものジーンズ姿の彼はおんなと寄り添って歩き始めた。カーチャは背後から追いかけた。 -道は馴染みの道だった。 ふたりはビアホールに向かっている。そこでまた口説いてヴァケイションに誘うのだろう。 「おとこの隅にも置けないわね。・・虫が好かないし・・」 カーチャは蓼食う虫も好き好きと思うと未練は つゆ残らなかった。
ドイツ短篇選 デーブリーンより
あたしは端役の女優カーチャよ。: 彼女は劇場に戻ると、誰構わず喋りまくった。 -「あたし もう、あんな男とは縁切りよ、だってさ、歳を取ってるのに まだ、一緒になって再婚してくれって しつこいんですもの。 それにクリスマスの頃なら式には一番だなんて勝手よね。 いやよ、歳がね釣り合うはずないわ。・・いやよ、だから、あたし・・」
カーチャはすると、すぐ また、男を見つけていた。諦めてはいなかったのだ。・・だが、今度のポーランドの中年男も いつしか、行方を くらましていた。お金もあるし、使いっぷりもよいように見えた。が、僅かな至福の時にすぎなかった。- そして、お腹には子も授けたまま消えていたのだ。 カーチャの青春は束の間にすぎなかったのだ。・・ Alfred Doblin: Die Statistin Erste Ubersetzung: 2008.8.30. HERR*SOMMER
鴎外は軍医であった。 漱石を意識し小説も書く。:例えば、「三四郎」を意識して書いた「青年」など。 彼はまた、博学であり和洋の伝統にも通じていた。 所謂、酒と女と病といった自己憐憫に耽っている作家とは違った。
鴎外には「渋江抽斎」のような人物史伝もある。 これは知的な文学である。 文体の特徴は主語の思い切った省略、現在形で書くといった簡潔さにある。 そのよき例として、短編「寒山拾得」がある。 *- *- )))
<< -中国は唐の頃だから、7世紀の初めのころである。 - 閭丘胤りょ・きういん という官吏がいた。日本の県知事ぐらいの官吏である。- 閭は台州に着任して三日目、朝早く起き天台県の国清寺に出かけることにした。- これは長安にいたころから台州に着いたら行こうと決めていたのだ。
処で、閭は科挙(官吏試験) のために経書を読み、五言絶句の詩を創ることを習ったが、仏典を読んだことはない。- 彼は僧侶には何故か、尊敬の念を持っている。- 自分の会得せぬものに対する盲目のRespectである。そこで坊主と聞いて逢おうと思ったのである。
「さようでございます。国清寺に拾得じっとくと申す者がをります。- 実は普賢でございます。- それから寺の西の方に寒厳という石窟があり、寒山という者がをります。- 実は文殊でございます。・・」
こういう因縁で、国清寺に出掛けるのである。))) *
鴎外「寒山拾得」より