新聞の書評欄にアメリカのライト・ヴァースという表題で書評が載っていた。ヴァースはドイツ語ではフェルゼVerseという発音になるが、言うなれば詩ということ。
スペルが同じで読み方が異なるということからして 英語とドイツ語はゲルマン語系の姉妹語ということが分かる。 それはさておき、ライト・ヴァースとは簡潔な詩ということ。 この書評者が、なぜ文化人類学者なのかということは さておくとして書評欄にはサンドバーグの短詩が紹介されていたが、詩人にはこんな詩もある。--->
霧が漂いくる 仔猫の足取りで 霧はしずかに 腰を据える そうして 港や街をつつむように 漂っている しばらくして 漂った霧は また動き出す : Carl Sandburg 1878-1967. Fog The Treasury of American poetry Nancy Sullivan Company, P.360.
ライト・ヴァースとは、このように簡素簡潔に日常の些細な風景や心情を歌い上げるのだが、それは儚い日常の国への誘いinvitationでもある。
アメリカの詩人でライト・ヴァースに長けた詩人には、他にディッキンソンやスティーブンズやフロスト、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズや スティーブン・クレイン、アーリントン・ロビンソンなどいるが、スティーブン・クレインにはこんな短詩がある。:
朱色の魔神が 数え切れないほど こころの奥から飛び出してきて
白いページを走り回っていた それらは ペン先で押しつぶせるほどに
インク壺のなかで もがきあっているほどに 小さいものだ
けれども こころに浮かぶ色々なことを
書き記してくれるとは 摩訶不思議なこと!...
Many red Devils ; S. Crane 1871- 1900. ibid. P.339.
現代ドイツ閨秀・ランゲッサーの詩に、ヨリンゲルとヨリンデがでてくる。これはグリム童話の69番にある話である。: --- 若き娘ヨリンデと青年ヨリンゲルは夫婦約束を交わしていた。 或る日、婚礼を前に二人は森に入り逍遥する。 ところが、この森には魔女の老婆が棲んでいて、ヨリンデはその魔法にかかり小鳥にされ、森深くの館に匿われてしまう。 -- そんな風に匿われた娘の数は他にも多く、ヨリンゲルは何んとか助けだしたいと思う。だが、それはかなわぬこと。--- とある時、助けだす方法が夢に出てくると、早速、それに取り掛かり、幸い小鳥になっていたヨリンデを元の姿に戻したばかりか、魔女の老婆から小鳥にされていた他の何千もの娘たちと共に助けだすことができた。 それからというもの、二人は幸せに暮らした、というのである。
Joringel und Jorinde: グリム童話 より
Bruder Grimm :Kinder- und Haus-Marchen 69.
dtv. klassik Band Ⅰ. S.295.
因みに、夢のお告げに出てきた魔法を解く方法とは:
Endlich traumte er einmal des Nachts ,er fande eine blutrote Blume ,in deren Mitte eine schone grosse Perle war. Die Blume brach er ab, ging damit zum Schlosse . :alles was er mit der Blume beruhrte ,ward von der Zauberei frei. Auch traumte er ,er hatte seine Jorinde dadruch wieder-bekommen.... ⇒ ヨリンゲルは見知らぬ村に辿りつくと、夢のお告げを聞いた。:つまり、真ん中に大きな真珠のある真赤な花を見つけたら、その花を手折り、城に持って行き、その花で触れると魔法は解ける、と云うのである。
それから五月末の聖霊降臨祭が過ぎたころ、知り合った若い男から見捨てられたカーチャは、男を待ち伏せた。そして ようやく、劇場の裏木戸にいた彼を見つけると腹が立った。 「まだ懲りずに、他の女をエサで釣ろうとしているわ?..」 そう思っていると 案の定、若い女が彼に近寄ってきた。いつものジーンズ姿の彼はおんなと寄り添って歩き始めた。カーチャは背後から追いかけた。 -道は馴染みの道だった。 ふたりはビアホールに向かっている。そこでまた口説いてヴァケイションに誘うのだろう。 「おとこの隅にも置けないわね。・・虫が好かないし・・」 カーチャは蓼食う虫も好き好きと思うと未練は つゆ残らなかった。 * ドイツ短篇選 デーブリーンより 夏目 政廣訳
あたしは端役の女優カーチャよ。: 彼女は劇場に戻ると、誰構わず喋りまくった。 -「あたし もう、あんな男とは縁切りよ、だってさ、歳を取ってるのに まだ、一緒になって再婚してくれって しつこいんですもの。 それにクリスマスの頃なら式には一番だなんて勝手よね。 いやよ、歳がね釣り合うはずないわ。・・いやよ、だから、あたし・・」
カーチャはすると、すぐ また、男を見つけていた。諦めてはいなかったのだ。・・だが、今度のポーランドの中年男も いつしか、行方を くらましていた。お金もあるし、使いっぷりもよいように見えた。が、僅かな至福の時にすぎなかった。- そして、お腹には子も授けたまま消えていたのだ。 カーチャの青春は束の間にすぎなかったのだ。 Alfred Doblin: Die Statistin Erste Ubersetzung: 2008.8.30. -夏目 政廣訳