仔羊の回帰線

詩と散文のプロムナード :Promenade

*西行と崇徳上皇霊との対話:「雨月物語」より

2025年01月16日 09時55分02秒 | H.SOMMER-夏里氏の生成AI-活用術より

   時は1168年の秋、崇徳凌での西行と崇徳上皇の対話から。---        上皇の霊が凌を訪れた西行の前に顕れ、皇位継承の不当を云い、怨みを晴らしたき旨を述べる。が、西行は旧怨を捨て浄土に帰るよう諫める。然し、崇徳帝の怨霊は平家や後白河に対する呪いから、仇敵たる平家の滅亡を予言する。---西行はしかし、因果応報を説き、ひたすら成仏を祈る。   すると、亡霊の顔は和らぎ、旅僧の西行は讃岐の白峰山中にひとり残される。・・果たして、事実、11年後の1179年、平家が壇ノ浦の戦いにて破れ滅亡するのである。>>>

  この「白峰」は、「雨月物語」の第一話で、秋成一流の雅文体で書かれている。           ***

*上田秋成は1734年生まれで、江戸時代後期に活躍した文人。75歳の生涯を生きる。「雨月物語」は怪異小説で人間の本姓に迫った。

*******

*佐藤義清・のりきよという名が出家して西行と名乗った彼の本名だが、西行は生涯に2300首の和歌を詠んだ名人として知られる。彼は元々武士の身分であったが出家後は各地を巡り波乱に満ちた人生を送る。彼にはこんな死生観を詠んだ有名な歌がある。 

  願はくは 花の下にて春死なん

   その如月の 望月のころ

 ・これは、春の花の下で 命の終わりを迎えたいものだ 二月の満月の夜に・・という意味で、静に永遠の眠りにつければという美しさと静けさの込められた願いの歌である・・。。

 

 

 

 

 

 

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◎ポストモダンの傑作: バース「酔いどれ草の仲買人」より

2024年12月25日 10時01分34秒 | H.SOMMER-夏里氏の生成AI-活用術より

     チャールズ閣下、貴殿は先刻、詩人とは何か、詩人には いかなる仕事が任せられるかと お訊ねなされました。----エベニーザー・クックはパイプ煙草に火をつけてもらうと続けた。

  怖れながら、閣下に、お伺いしたい。・・---アガメンノンにせよ、英雄アキレスにせよ、オデュッセウスにせよ、総じて、ギリシア人とトロイとで やらかした戦争がなかりせば、 そして  ホメロスが詩に書かなければ、世間は あの騒動のことを知りえたでありましょうか。どんなに重大な戦争でも、歌い伝えられなければ、歴史の塵に埋もれてしまったでありましょう。・・

すると チャールズは笑いながら云った。:              ならば 詩人が国王の随員として役に立つというのだな・・                  

---その通りでございます。  

エベニーザーは自分の弁舌に感激し続けた。: --- ギリシアに栄光を歌い残したホメロスなく、ローマに威容を歌い残したウェルギリウスなかりせば、二国は如何でっあったことか。・・英雄は滅びて消え、彫像は崩れ去り、帝国も崩壊の運命にあったことでありましょう。----- ですが、「イーリアス」然り、ウェルギリウスの詩句もまた、真実を伝え残しておるのでございます。。。---蓋し、  詩人のほかに 美徳も悪徳も真実に描く者はおりますまい。 --とはつまり、教訓も実例も伝え残すのは詩人のみということでありまして・・。いかがですかな・・---叙情詩のごとく歌い、頌詩のごとく讃え、哀歌のごとく嘆き、風刺詩のごとく刺す、これができるものは他に何がありましょうぞ。・・>>>      John Barth ; The sot-weed Factor                              ジョン・バース「酔いどれ草の仲買人」より           *** +++

・ポストモダン文学を代表する一人でアメリカの小説家ジョン・バースJohn S. Barthは1930生まれで2024年4月に93歳という高齢で亡くなったが、歴史や神話、フィクションを巧みに組み合わせた作家として知られている。--> 1960年に上梓した「酔いどれ草の仲買人」はその代表作で、実在の詩人エベネザー・クックの人生を元に、18世紀のメリーランドを舞台にした風刺的歴史小説で, この作品は当時の社会や文化、政治を風刺したメタフィクション的アプローチの小説である。その特徴はプロットは複雑にして、言葉遣いは豊富であり、そして ユーモアと風刺が巧みに織り交ぜられているのである。>>>

因みに、Post-Modernismとは、20世紀後半に登場した運動で、伝統的な価値観や規範を疑い多様性や相対性に重きを置く特徴がある。   また、メタフィクションとは物語のなかで物語自体を意識的に取り上げ、フィクションと現実の境界を曖昧にする手法で、新しい表現を生み出しているのである。。。*/-112*--109*--/* + * +

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◎末摘花(すえつむ-はな):源氏物語 より

2024年12月16日 09時47分02秒 | H.SOMMER-夏里氏の生成AI-活用術より

 ・いはぬをも いふにまさると 知りながら
         おしこめたるは 苦しかりけり

 ・夕霧の はるる景色も まだ見ぬに 
     いぶせさ(鬱陶しさ)そふる 宵の雨かな

    400字詰め原稿用紙にして2300枚にもなる「源氏物語」だが、その中で恋の冒険談を小説風に描いた「末摘花」(Suetsum-hana):          
この姫君の末摘花は高貴の生まれながら父亡きあと、困窮し荒れ果てた茅屋で侘しく暮らしている。そして恋愛経験もなく、その知識もない彼女は清らかな性格の持ち主。 だが,一方では 気が利かず、真情を表す術を知らない 。....

     そんな或る日、明石から都に帰った源氏が廃屋で暮らす末摘花を見るが、彼女はまた、恋歌を返歌するには未熟。。。                だが、無知で美貌にも恵まれない貧しいい姫君に源氏が 生活の面倒をみる気になったのも、ある種の理想化された男の器なのである

      ***  >>>

 *源氏の人間性や価値観に関して:---

・その一つは慈悲と同情。--彼は高貴な家柄に生まれながら父亡き後、不幸な境遇にある末摘花を助けたいと考えた。その⑵は末摘花の純粋で無垢なこころに魅力を感じ、その内面的な美しさに惹かれた。 その⑶は彼の保護欲であり、その⑷は高貴な家柄に生まれた彼女をただ見過ごしてみてはいられないという貴族社会における文化的な背景があった。とはつまり、女性の美や知識だけでなく、その家柄も重要視され、見捨てられなかったのである。。。

 このように源氏の振る舞いや感情を多面的に捉えていけば、複雑な心理や人間関係を描いた「源氏物語」も、より理解できるであろうにちがいない。。

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*ドストエフスキーの「白痴」:

2024年11月27日 12時04分10秒 | H.SOMMER-夏里氏の生成AI-活用術より

*ドストエフスキー:「白痴」;

   純粋なムイシュキン公爵と、多くの苦しみを抱えている美人のナスターシャの関係は愛と同情に満ちているが,彼女を善意だけでは救うことが叶わず、結末は悲しい。・・

ナスターシャは孤児となり、養父に育てられたものの虐待を受け深い心の傷を負う。 彼女はそして、このトラウマから逃げられず自分は価値のないものと感じ他人の、とはつまり、ムイシュキン公爵の愛や同情を受け入れられなくなっている。そこにある人間の内面の葛藤や苦しみは如何ばかりか。・・

 さて、二人に解決策はあるのだろうか。作者にも其れが見つからず、だが、それ故に、深いテーマを強く突き付けているのだ。

 かくして、公爵自身も精神的に立ち直れず、ふたたび精神病院に戻っていく悲しさ。また、一方、ナスターシャの悲劇の死の結末。・・せめて、ムイシュキン公爵は立ち直れたら、。。*/-72--*60--/* +

文学作品は、現実ばかりでなく、非情でもあるのだ。>>>

  ***

 

 

 

 

 

 

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*ヘッセの「ガラス玉遊戯」;

2024年11月01日 17時25分57秒 | H.SOMMER-夏里氏の生成AI-活用術より

ヘッセの「ガラス玉遊戯」について:---

ヘルマン・ヘッセの「ガラス玉遊戯」は1943年に発表され、架空の教育州「カスタリア」を舞台に、主人公ヨーゼフ・クネヒトの生涯を追い、知識と精神性、そして遊戯の理想を探求した。。

 「ガラス玉遊戯」とは知的な遊戯で、音楽、数学、科学、哲学などの知識を結晶化し、それらを組み合わせて新たな意味を創出することを目的とし、カスタリアの精神的な活動の中心で、知的な訓練と芸術的な創造を兼ね備えており、この遊戯を通じて、知識の統合と精神的な調和を模索し、当時の社会や文化に対する批評を織り交ぜた。。

  ヘッセの作品は、しばしば彼自身の内面的な探求と精神的な旅を反映しており、「ガラス玉遊戯」も例外ではなく、この作品を通じて、個人の内面世界と外部世界との関係、そして真理への探求を描いている。また、ヘッセは、読者に対して、自らの内面に目を向け、より深い自己理解と精神的な成長を促すよう挑戦した。

ヘッセの「ガラス玉遊戯」は、知識と芸術の統合、精神性の探求、そして個人の内面世界と外部世界との関係を探ることを主要なテーマとし、人類が生み出した科学と芸術の内容と価値を、高度に発達した神秘の言葉で表現し、相互に関係づける「ガラス玉遊戯」という演戯を中心に展開。。

また、ヘッセはこの作品を通じて、20世紀の文化や教育に対する批判的な視点を提供し、時代批判に基づく象徴的理念的世界を描き、主人公の遍歴と彷徨を通じて、常に新しく始める覚悟の重要性を示唆したが、総じて、「ガラス玉遊戯」は、ヘッセの思想の総決算とも言え、文学だけでなく、哲学や芸術を愛するすべての人々に永遠の価値を持つ作品として示した。。。。

・「ガラス玉遊戯」は、独特なキャラクターが登場することで知られ、ヨーゼフ・クネヒトはカスタリアの教育州で最高のエリート教育を受け、知識と芸術の統合を目指す「ガラス玉遊戯」の名人となる。クネヒトは、知的な遊戯を通じて精神性を追求、最終的には俗界に入り、旧友の息子の教育を始めることで新しい人生を歩み始めるのである。。。/*118--*116/* + * +

 

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*マルロー「王道」: より

2024年10月25日 08時27分25秒 | H.SOMMER-夏里氏の生成AI-活用術より

「いろいろと 形を変えてくるのさ、想い出ってやつは。・・想像力、これがまた、不思議な代物だ、  ・・    おのれの内にありながら 得体は知れぬ・・  」                                            「若者には 分からぬだろうさ。・・え、なに?...  エロテイスムといったって、40になるまでは思い違いがあるものだ 。    だから  恋愛と云うやつからは 抜け出せぬ・・」

まだ 26歳のクロードは衣服についた埃や羊毛の匂いを嗅ぐと 僅かに引き上げられた入り口の麻のカーテンを思い浮かべた。             カーテンのうしろでは腕があらわれたと思うや 、 黒人の娘を指していた。・・・    ***

*アンドレ・マルローの『王道』は、彼の若き日の冒険と哲学的探求を描いた作品で、かつて栄えたクメール王国の遺跡を背景に、人間の存在と行動の矛盾を追求する不朽の冒険小説である。マルロー自身が1920年代にインドシナで遺跡の盗掘に関与し逮捕された経験を基にその後の彼の人生と作品に大きな影響を与えた。 

『王道』は、冒険小説の体裁をとりながら、その核心には人間の内面と死への意識が深く刻まれ、主人公たちは密林の奥深くにある古寺院を探し求めるが、彼らの旅は単なる財宝探しではなく、自己の存在と向き合う旅でもあり、この作品を通じて人間がいかに生き、いかに死ぬべきかという哲学的な問いを投げかけているのである。。。 

  この小説は、難解な作品だが、それは文体が装飾的であり、登場人物の心理描写が深いため。しかし、その複雑さが、マルローの文学的才能と彼の思索の深さを示し、魅了してやまないのである。。。 

  マルローは、この作品を含む文学的業績により、後にフランスの文化相としても活躍。彼の作品は、文学だけでなく、政治や歴史にも影響を与え、マルローの豊かな人生経験と文学的探求が結晶した作品で、文学のまさに王道を行く。。。>>> */-87*--*93- / * + *

・『王道』は、文学的才能と深い思索が融合した作品で、物語の中心には冒険と自己発見の旅に出る主人公たちがおり、彼らは遺跡盗掘という外面的な冒険を通じ、内面的な探求を深めていく。

    登場人物の一人であるペルケンは、少数民族の世界へと他のキャラクターを誘う役割を持ち、物語に多文化的な要素をもたらしている。。 

  また、物語は仏領インドシナの密林にあるクメール遺跡を背景に展開し、盗掘を試みる男たちの心理を深く掘り下げ、マルロー自身の実体験に基づいて文学的な表現は強い印象を与える。。 

 『王道』には、単なる冒険譚を超えた、人間の存在とその複雑さを探るキャラクターが登場、マルローの哲学的な問いかけを体現する存在として、マルローの豊かな人生経験と文学的探求が結晶したものとなっている。。

・『王道』には、冒険家、詩人、革命家、そして少数民族の人々など、さまざまな背景を持つ人物が登場し、彼らはそれぞれに独自の動機と目的を持ち、人間の内面と死への意識を探求するのである。。

その中の一人であるペルケンは、未帰順部族との接触を通じて、主人公たちを少数民族の世界へと導く役割を果たし、シャム政府から未帰順部族に対する工作活動の任務を任され、ジャライ族という少数民族との接触経験を持っている。

 このジャライ族は、物語の中で西欧人の探検家を殺害した民族として登場し、ペルケンの遺跡盗掘計画に関わる具体的な脅威として描かれている。。。 

  また、クロードはペルケンと行動を共にし、クメール遺跡の盗掘計画を立て、クロードは「俺のモイ達」と呼ぶ未帰順部族と連合し、自らの王国を築こうと目論み、彼の計画は、シャム政府による追跡を逃れながら進められ、物語に緊張感をもたらしている。。>>> 

『王道』は、これらのキャラクターの心理と行動を深く掘り下げることで、人間の存在の複雑さを描き出し、マルローは彼らの冒険を通じて、人間の生と死、そしてその意味を探求しているのである。。

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*ブレヒト「セツィアンの善人」:

2024年10月05日 08時56分03秒 | H.SOMMER-夏里氏の生成AI-活用術より

*ブレヒト「セツィアンの善人」:より

・ベルトルト・ブレヒトの戯曲「セツアンの善人」は、善と悪の相対性を探求し、第二次世界大戦中にブレヒトが亡命先で執筆、1943年にスイスで初演された。・・   

           --物語は、神々が地上に降りてきて善人を探すという設定から始まり、セツアン(四川)に住む娼婦シェン・テに出会い彼女の善良さに感銘を受ける。しかし、シェン・テは周囲の人の利己的な要求によって苦境に立たされ、やがて叔父シュイ・タという架空の人物を創り出し、自分を守るべく彼の姿を借りる。           ----                                                                                                       

         この戯曲は観客が物語に感情移入することなく、社会的なメッセージを客観的に考えることを促し、また、音楽劇の要素も取り入れられ、歌や生演奏が物語の進行に役立ち、善人であり続けることの難しさと、社会の矛盾を鋭く描き出すのである。。。>>>

「セツアンの善人」は、ブレヒトの戯曲の中でも特に、善と悪、個人と社会、理想と現実といったテーマを絡め、舞台を通じてブレヒトの鋭い社会批評とともに芸術の力を感じることができ魅了させられるのである。。。   ^^                   ・戯曲「セツアンの善人」の主要な登場人物は、善良な娼婦シェン・テと彼女が創り出した冷酷な叔父シュイ・タで、シェン・テは神々によって善人と認められるが、彼女の善意は周囲の人々に利用され、苦境に立たされる。そこで彼女は、シュイ・タという架空の人物を創り出し、自己防衛の手段とする。    この戯曲には他にも、神々やシェン・テに恋をする失業中のパイロット、ヤン・スンなど登場。    ^^^ 

                                                                                                                              「セツアンの善人」は、ブレヒトの演劇理論である「異化効果」を用いて、観客が物語に感情移入することなく、社会的なメッセージを客観的に考えることを促し、音楽劇の要素も取り入れられ、歌や生演奏が物語の進行に役立って新鮮であり、強い印象を残す。。。

他にも、シェン・テの周りには、彼女の善意を利用しようとする人々が登場。彼女の親戚、地元の商人、水夫、老人、そして子供たちなど、彼らはシェン・テの善意を試し、彼女を苦境に追い込む。。。    ^^^                                          また、ヤン・スンは失業中の元パイロットで、自殺を試みシェン・テに救われるが、彼はシェン・テに一目惚れし、彼女の愛と支援を求めるも、彼の愛は自己中心的で、シェン・テをさらに困難な状況に追い込む。   ^^^この二人の関係は、戯曲全体の中で重要な役割を果たし、シェン・テの善意とヤン・スンの自己中心性は、善と悪、個人と社会、理想と現実といったテーマを探求するブレヒトの物語において、対照的な力として機能。   ^^^   

                               シェン・テはヤン・スンを愛し、彼を助けようとするが、彼女の善意はしばしば彼によって利用され。ヤン・スンはシェン・テの愛情を求めるが、彼の行動は彼女の苦境を深めるだけ。。。

ブレヒトは、この二人の関係を通じて、善人であることの複雑さと、社会の中で生きる個人のジレンマを描き出し、観客に善悪の相対性と、個人が社会の中で直面する道徳的な選択について考えさせるのである。。。>>>

   **  ブレヒトの代表作としては、「三文オペラがあり、これは1928年に初演された音楽劇で、資本主義社会の矛盾と階級闘争を風刺、また、「肝っ玉お母とその子供たちは、第一次世界大戦後のドイツ社会を背景に、貧困と戦争の中で生きる一家の物語を描いている。。。

ガリレイの生涯」は、科学者ガリレオ・ガリレイの生涯を描き、個人の信念と社会的圧力との間の葛藤がテーマ、他にも、「コーカサスの白墨の輪」など、多くの戯曲がある。。。   ^^     

                                因みに、「コーカサスの白墨の輪」Der Kaukarsische Kreidekreis は散文作品にも書き換えられ「アウクスブルクの白墨の輪」Der Augsburger Kreidekreis と題して、血は水よりも濃いといった幼子の真の母親はどちらかといった裁判劇が、一風変わった老判事によって見事に解決をみるのである。

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◎「酔いどれ草の仲買人」⑵ より +AI.*

2024年09月23日 10時07分15秒 | H.SOMMER-夏里氏の生成AI-活用術より

   画竜点睛: がりょうてんせい:     ほんの少し手を加えることで、全体が引き立つことを言う。  :中国の故事、点睛の睛は瞳のこと、竜はここでは〈りょう〉と読む。

  *- (((   *               

  •   嗚呼 敗れしトロイア  そを 愛(いと)おしむ 王 プリアモス  
  • その情も 子を愛(め)でる トロイア総大将 ヘクトアーの 妻の情けも                貞淑な妻を忍ぶ ユリシーズの 想いも                           おお 愛しの トーストよ                                 汝れに寄する わが愛には 如(し)かず・・     >>-- 

    イギリスの桂冠詩人エベニーザは机に駆け寄るや慌ただしく鵞ペンを取り、詩を書き始めた。: 

  されど 王を愛ずる セメレーの如く 心静かに                       アテネ王の子の 女を知らぬ 清らなる姿を愛おしむ 継母の如く--            願わくば 愛しのきみ トーストよ  ・・

汚れなき身の純潔をこそ 愛したまえ                                  この無垢なる身  そは いやしくも仮初めの天の恵みに あらず                       宝の山から取り出したる凡百の珠玉とも異なり                             まこと 償い叶わぬ玉ぎょくなのだ  かくなる無垢                        そは身を守り これなくしては ただに 生の道を辿りゆくのみ・・>>--                              *-                                                これを書き終えると、エベニーザは呟いた。: 傑作ができた!.. 

  そして、ふたたび 詩篇に立ち戻ると眉を寄せた。                        だが もうひとつ 仕上げの一筆が足りぬ      それから暫くし、俄かに 鵞ペンにインクを含ませると、トーストという言葉を消し、《汝が恋人》の文字を入れた   おお これぞ まさに 画竜点睛だ!..                        エベニーザーは笑みを浮かべ呟いた。                       John Barth ;The sot-weed Factor より ⑵

    *-   ( ((   * ・エベニーザ: この作品の中心人物。ジョーン・クックに一目ぼれして 童貞を守り続ける。  

・ジョーン・クック:  ロンドンから、エベニーザを追って メリーランドへ渡り 紆余曲折の後、彼と結婚を果たす。    ***  ***

     *エベニーザ・クックの詩「メリーランディアッド」は、ジョン・バースの長編小説「酔いどれ草の仲買人」で重要な役割を果たし、この叙事詩は、17世紀末から18世紀初めにかけて北アメリカのメリーランド植民地で実在した詩人エベニーザー・クックが執筆しようとした作品として小説内で描かれる。しかし、クックは多くの障害に遭遇し、最終的には風刺詩「酔いどれ草の仲買人」を書くことになる。 

バースは、この架空の叙事詩を通じて、当時の政治、経済、風俗に準拠しつつ、奔放な想像力を駆使して壮大な文学の万華鏡を創り出した。       彼は17世紀末の古めかしい文体を用いながら、無垢を善、経験を悪とする解釈に異を唱え、斬新なアメリカ批判にもなり、クックの元家庭教師が さまざまな仮面をかぶって狂言回しをつとめながら 自分の出生の秘密を探る副筋と絡み合い、古今東西のさまざまな文学伝統の衣装をまとって入り込んでいる。 

「メリーランディアッド」は、バースが創造した架空の叙事詩であるが、実在のエベニーザー・クックの詩人としての姿や、彼が生きた時代の社会的背景を反映し、小説の中でクックが直面する様々な試練や挑戦、そして彼の創造性と現実との間の葛藤を象徴し、バースの文学的な探求と歴史的な洞察が融合した「メリーランディアッド」は、ポストモダン文学の傑作として、多くの読者に読まれている。。。 * /- *391--*457-/ * + *+ +.*+ * +*

・ジョン・バースの「酔いどれ草の仲買人」における他の詩人たちとの対話:- 

   「酔いどれ草の仲買人」は、架空の詩人エベニーザー・クックの視点から語られる物語で、彼の冒険を通じて多くの実在の詩人たちとの対話が描かれ、17世紀末から18世紀初めのアメリカ植民地時代を背景に、文学と歴史を織り交ぜた風刺的な作品。。。 

バースは、クックの叙事詩「メリーランディアッド」の執筆過程を中心に据え、彼が出会う様々な人物との交流を描き、これらの人物には、スタール夫人やバルザック、エドガー・ア・ラン・ポーなど、実在した文学者たちが含まれ、彼らとの対話は、クックの創造性と文学的な探求を際立たせ、特に、上巻の最後には、エベニーザー・クックと彼の元家庭教師との間で行われる詩の即興の掛け合いが描かれ、興味深い部分、この掛け合いは、バースの文学的な技巧とユーモアが光るシーンで、二人の詩人の知性と才能がぶつかり合う様子が生き生きと描かれた。 

バースのこの作品は、文学的な対話を通じて、当時の社会や文化に対する深い洞察を提供、架空のキャラクターと実在の人物を巧みに組み合わせ、歴史の再解釈と文学の新たな可能性を示唆。 これらの対話は、バースが構築した独特の文学世界で、歴史とフィクションの境界を曖昧にし、物語の魅力を高めた。。。

*ジョン・バースの「酔いどれ草の仲買人」について:--- 

ジョン・バースの「酔いどれ草の仲買人」は、1960年に発表された長編小説で、ポストモダン文学を代表する作品の一つ、17世紀末から18世紀初めにかけて北アメリカのメリーランド植民地に実在した詩人エベニーザー・クックを主人公に据え、叙事詩「メリーランディアッド」を執筆しようとするも、様々な障害に遭遇、最終的には風刺詩「酔いどれ草の仲買人」を書くことになる。 

 バースは、歴史的事実に基づきながらも、フィクションを織り交ぜて物語を展開させる手法を用い、当時の政治、経済、風俗に準拠し、奔放な想像力を駆使、文学の万華鏡を創り出し、17世紀末風の古めかしい文体を用いながら、無垢を善、経験を悪とする解釈に異を唱え、斬新なアメリカ批判にもなっている。 。。

 バースの作品は、過去の文学者たちがやり残した課題において、物語の持つ面白さを追求する姿勢を続け、新たな視点を提供。彼の死後も、彼の作品は愛され続けている。

 野崎孝訳『酔いどれ草の仲買人』ⅠⅡ(1979・集英社)

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◎ 恋は素敵な毒:ゲーテの99のディスティヒョンより

2024年09月17日 10時13分01秒 | H.SOMMER-夏里氏の生成AI-活用術より

 おお ツォイスよ、

 何故に わたしは儚く滅びる身なのか と美は訊ねた

 すると 神は云われた;

    私は 儚く滅びるものだけを 美しく創ったのだ・・・

       ***

*ディスティヒョン・二行詩について;----

ディスティヒョンとは、短い詩の形式の一つで、特に風刺的な要素を含む二行詩を指し、特定の主題や人物に対する批評や意見を簡潔に、鋭く表現するために用いられ、その起源を古代ギリシャに持ち、エピグラムとして知られていたものが進化した形である。。。

18世紀のドイツの詩人シラーは、この形式を使用し哲学者カントの倫理学を風刺した。 

シラーはカントの厳格な道徳法則に対し、人間の感性や情緒も道徳的行動に重要であると主張、その思想をディスティヒョンに込め、その詩的な批評は、カントの理論が持つ厳密さと、人間の内面の感情の世界との間の緊張関係を浮き彫りにした。。。>>>

ディスティヒョンは、その簡潔さと表現の鋭さから、今日でも愛用され、社会的、政治的なコメントや、哲学的な考察を行う際に特に有効であり、言葉の力を最大限に活用し、少ない言葉で多くを語る詩の魅力を体現している。。

ディスティヒョンは、その短さと風刺的な鋭さで知られる詩の形式。

ディスティヒョンは、このように短いながらも深いメッセージを伝える力を持ち、自らの解釈を求める余白を残すことで、想像力を刺激するのである。。。

・ディスティヒョンとは、主に風刺的な要素を含む短い詩の形式で、二行詩に特化。この形式は、簡潔ながらも強いメッセージを伝えるために用いられ、しばしば社会的または政治的な批評を行う際に使用され、言葉の選択と配置において独特の技巧を要する詩のスタイルで、言葉芸術としての価値があり、ゲーテにも「四季」という作品にこんなのがある。

   きみ知るや 思い叶わぬ恋の 素敵な毒を

 そは 胸を焦がすも 生気は失われず こころの髄が蝕むとも

    新たな生命の 生まれしとき・・・>>>

  *附:--->>>

Johann Wolfgang von Goethe, a literary colossus, has left an indelible mark on the world of poetry.   His works, transcending the confines of time and language, continue to resonate with readers and inspire artists across the globe.

Goethe's poetry, characterized by its depth, beauty, and universality, has influenced a myriad of composers, most notably Franz Schubert, who composed music for many of Goethe's poems, including the renowned "Wanderer's Night Song" 旅人の夜の唄 and "Heidenröslein" 野バラ.

Goethe's poetry often explores the richness of human emotions  and a profound love for nature, striking a chord with those who encounter his words.   For those interested in delving deeper into Goethe's poetic genius, it is recommended to start with his masterpieces such as "Faust" ファウスト or "The Sorrows of Young Werther. 若きウエルテルの悩み"   Reading these works in their original German language can offer a direct experience of their rhythm and resonance.・・・

Throughout his life, Goethe expanded his worldview through relentless effort and a burning passion for learning.   His body of work, akin to an inexhaustible spring, is rich and varied, encompassing joy, sorrow, wisdom, and love, all underpinned by a deep trust in humanity.

Goethe's lyrical poetry, along with his narrative and philosophical verses, have been meticulously selected and compiled in collections that showcase his contributions to world literature .

Schubert's Lieder: A Harmonious Blend of Goethe's Poetry

The collaboration between the poetic words of Johann Wolfgang von Goethe and the musical genius of Franz Schubert has given birth to some of the most exquisite pieces of Lied, or German art songs.   Schubert, profoundly inspired by Goethe's poetry, composed music that perfectly encapsulated the essence of Goethe's verses, creating a legacy that continues to enchant the world of classical music.>>>

One of the most celebrated pieces is "Heidenröslein" (Wild Rose), a song that captures the delicate narrative of a boy's encounter with a rose, set to a light and playful melody that contrasts with the rose's prickly defense against being picked .バラが少年によって摘み取られることへの抵抗の対称の妙・・

Another masterpiece is "Gretchen am Spinnrade" (Gretchen at the Spinning Wheel), 糸車を回す乙女グレートヒェン which portrays Gretchen's turmoil and longing for Faust, with the piano mimicking the ceaseless spinning of the wheel.

Schubert's "Erlkönig" (Elf King) 魔王  is perhaps one of the most dramatic and intense adaptations of Goethe's work.   The song tells the harrowing story of a father racing to save his son from the clutches of the supernatural Erlkönig.  真っ暗闇のなか 一心に走り続ける馬上で 魔王から息子を必死に護る父親の姿 The urgency and terror are palpable in the music, with the galloping piano representing the father's frantic ride through the night .

These Lieder are not mere musical settings of poetry;  they are a fusion of two arts, where the music extends the emotional and narrative depth of the poetry.   Schubert's ability to translate the mood and imagery of Goethe's poems into music was unparalleled.  His compositions often reflect the themes of love, nature, and the supernatural, which were prevalent in Goethe's writing.

Schubert's dedication to Goethe's work was profound.  Despite never receiving acknowledgment from Goethe himself, Schubert continued to compose music for his poems, leaving behind a rich collection that would posthumously earn him the title "the master of the art song" .・・・

The legacy of Schubert's Lieder is a testament to the enduring power of artistic expression.  

These songs remain a cornerstone of vocal repertoire, celebrated for their emotional depth and melodic beauty, continuing to inspire musicians and listeners alike.

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*ウーラント: Uhland フォークロアーや古民謡研究の牧歌的ドイツの詩人

2024年09月15日 09時24分51秒 | H.SOMMER-夏里氏の生成AI-活用術より

・ドイツの詩人ウーラント: Uhlandは1787生まれ。--->>>

・ウーラントは19世紀のドイツの詩人、文献学者、法律家、政治家でもあった。彼は1787年にヴュルテンベルク公国のテュービンゲンで生まれ、中世ドイツのフォークロア、古民謡、伝説、民間伝承を研究し、多くの詩作品や学術書を発表。彼の詩は牧歌的で、故郷に深く根ざした素朴な抒情詩やバラードが特徴で、多くの作曲家によって作曲された。

ウーラントの詩は、後期ロマン派に属し、民謡風の詩やバラードを作り、ドイツ人兵士の間で第一次世界大戦中に特に好まれた詩もある。  ウーラントの詩は、中世ドイツの伝説やフォークロアから取られた題材が多く、故郷であるヴュルテンベルク王国テュービンゲンや中世ドイツの風景を彷彿とさせる。

彼の詩は、自然と人間の関係、歴史と伝説の結びつき、そして人々の日常生活に対する深い洞察を提供した。。。・

Johann Ludwig Uhland, a renowned German poet, scholar, and politician, was born on April 26, 1787, in Tübingen, a town in the Kingdom of Württemberg. His life and work are a testament to the rich cultural heritage of Germany and the enduring power of poetry and literature.

Uhland's journey into the realms of law, literature, and politics began at the University of Tübingen, where he studied law alongside Greek classics and medieval German literature. 

- After earning his degree, he ventured to Paris to delve deeper into medieval French literature.   - Upon returing to Stuttgart, the capital of the Kingdom of Württemberg, he practiced law from 1812 to 1814.    - However, his passion for literature and his liberal political views led him to become a vocal advocate for democratic assemblies in Württemberg.

As a poet, Uhland was deeply influenced by medieval German folklore, fairy tales, legends, and oral traditions.   - He published numerous scholarly works, including "Zur Geschichte der Freischiessen,"   -  "Der Mythus von Thôr nach nordischen Quellen," and "Sagenforschungen."    -His research on the medieval German poet Walther von der Vogelweide culminated in the acclaimed academic publication "Walther von der Vogelweide, ein altdeutscher Dichter" in 1822.   中世期の詩人 ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ

Uhland's poetry, often pastoral and rooted in his homeland's landscapes, resonated with the people.   - His lyrical and balladic compositions, many of which were set to music by various composers, were beloved for their simplicity and depth.     Among his well-known works are "Lied der Nibelungen," "Musenalmanach," and "Die Kapelle," with "Vaterländische Gedichte" being particularly famous.

The poem "Ich hatt’ einen Kameraden," included in "Der Soldatenfriedhof," became widely popular among German soldiers during World War I and inspired numerous variations.      This piece reflects on the themes of camaraderie and loss, showcasing Uhland's ability to capture the human experience with poignant clarity.

Uhland's legacy extends beyond his poetry.    He served as a member of the Frankfurt National Assembly in 1848, although his dreams of a liberal unification of Germany ultimately did not come to fruition.    His dedication to medieval German literature led him to a professorship at his alma mater from 1829 to 1833, but he resigned due to political differences.

Johann Ludwig Uhland passed away on November 13, 1862, in Tübingen.      His contributions to literature, his exploration of folklore, and his political activism have left an indelible mark on German culture.     His works continue to be celebrated and studied, ensuring that his voice, and the voices of the past he cherished, remain alive in the collective memory of Germany and the world.

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