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仔羊の回帰線

詩と散文のプロムナード :Promenade

*ボヴァリー夫人は私だ・・:フローベールより +

2024年12月29日 08時53分31秒 | *H.S-N.氏の生成AI活用術:対話篇-Goo

*フローベルは自作の主人公を盾にマダム・ボヴァリーは私だと云ったが、その真意は:----

・==>*:  ボヴァリーは田舎の医師の妻として平凡な生活を送るが、それには満足せず、却って夢や欲望に駆られ、不倫や浪費に走る。 このボヴァリー夫人のキャラクターに対して深い共感と自己投影を示している作者は、マダム・エマの内面的な葛藤や欲望、そして社会に対する反抗心を描くことで自身の感情や経験を反映させた。ということからして、この作品は単なるフィクションにとどまらず、作者自身の内面的な世界の反映したものとうけとめることもできる。

・それでは、作者の「ボヴァリー夫人」における批判とは:---

*=>:以下の3つが挙げられる。一つは当時のブルジョワ社会の偽善と価値観であり、それは夫人の現実の平凡さや虚偽に対する反抗として描かれ、その2.:は女性の地位と自由ということ。:つまり、女性が社会的に抑圧されていて、自由を奪われている現実批判であり、その3.:-はロマンティシズムの脆弱さということ、つまり、エマ夫人はそんな理想に憧れを持つ女性であったが、現実はかけ離れていて、却ってその虚構性が暴露されることによって現実の厳しき状況が描かれている。      */-72*--72*--/*

・何か解決策は示されたか。:---

*=>:却って、小説であればこそ、結局はエマの悲劇になっている。  とはつまり、彼女は現実を受け止められず幻想に逃避し続けた結果だが、夢や欲望は現実とどれほど乖離しているか、それ故に、破滅が待っていたということ、これは勿論、フィクションの通り相場であり、が、だとしても、これを描くことによって現実の厳しさや自己欺瞞の危険性が示されたのである。ということは、理想と現実のギャップを認識し自己自身の価値観をこそ尊び見つめなおすことの大切さも暗示されているのだが、どうであろうかは個々人の問題ということになろう。--

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◎*ポストモダンの傑作: バース「酔いどれ草の仲買人」より

2024年12月25日 10時01分34秒 | *H.S.-N.氏の生成AI-活用術より-Goo

     チャールズ閣下、貴殿は先刻、詩人とは何か、詩人には いかなる仕事が任せられるかと お訊ねなされました。----エベニーザー・クックはパイプ煙草に火をつけてもらうと続けた。

  怖れながら、閣下に、お伺いしたい。・・---アガメンノンにせよ、英雄アキレスにせよ、オデュッセウスにせよ、総じて、ギリシア人とトロイとで やらかした戦争がなかりせば、 そして  ホメロスが詩に書かなければ、世間は あの騒動のことを知りえたでありましょうか。どんなに重大な戦争でも、歌い伝えられなければ、歴史の塵に埋もれてしまったでありましょう。・・

すると チャールズは笑いながら云った。:              ならば 詩人が国王の随員として役に立つというのだな・・                  

---その通りでございます。  

エベニーザーは自分の弁舌に感激し続けた。: --- ギリシアに栄光を歌い残したホメロスなく、ローマに威容を歌い残したウェルギリウスなかりせば、二国は如何でっあったことか。・・英雄は滅びて消え、彫像は崩れ去り、帝国も崩壊の運命にあったことでありましょう。----- ですが、「イーリアス」然り、ウェルギリウスの詩句もまた、真実を伝え残しておるのでございます。。。---蓋し、  詩人のほかに 美徳も悪徳も真実に描く者はおりますまい。 --とはつまり、教訓も実例も伝え残すのは詩人のみということでありまして・・。いかがですかな・・---叙情詩のごとく歌い、頌詩のごとく讃え、哀歌のごとく嘆き、風刺詩のごとく刺す、これができるものは他に何がありましょうぞ。・・>>>      John Barth ; The sot-weed Factor                              ジョン・バース「酔いどれ草の仲買人」より           *** +++

・ポストモダン文学を代表する一人でアメリカの小説家ジョン・バースJohn S. Barthは1930生まれで2024年4月に93歳という高齢で亡くなったが、歴史や神話、フィクションを巧みに組み合わせた作家として知られている。--> 1960年に上梓した「酔いどれ草の仲買人」はその代表作で、実在の詩人エベネザー・クックの人生を元に、18世紀のメリーランドを舞台にした風刺的歴史小説で, この作品は当時の社会や文化、政治を風刺したメタフィクション的アプローチの小説である。その特徴はプロットは複雑にして、言葉遣いは豊富であり、そして ユーモアと風刺が巧みに織り交ぜられているのである。>>>

因みに、Post-Modernismとは、20世紀後半に登場した運動で、伝統的な価値観や規範を疑い多様性や相対性に重きを置く特徴がある。   また、メタフィクションとは物語のなかで物語自体を意識的に取り上げ、フィクションと現実の境界を曖昧にする手法で、新しい表現を生み出しているのである。    */-112*--109*--/* + * +

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*ダンテ「神曲」地獄篇と天国篇について:

2024年12月23日 09時09分37秒 | *H.S-N.氏の生成AI活用術:対話篇-Goo

*ダンテ「神曲」地獄篇:---  *第一歌について:->

*=>ここではダンテが暗い森の中で迷い子になり、地獄の入り口に辿り着くところから始まる。彼はそこで偉大なる詩人ウェルギリウスに出逢い、彼の案内で地獄にある9つの円を巡ることになる。--

・それにはどんな意味が込められているのか。:--

*=>: ここではダンテの精神的な迷いと救済への渇望が語られる。

 ダンテの「神曲」では中世のキリスト教的世界観が主軸としてあり、その下での罪と罰や救済と贖罪のテーマが描かれた。

・==>:この作品はまたダンテの個人的な経験と普遍的な人間の苦悩を取り上げて、深い哲学的な作品となっている。  

・ところで、ダンテには初恋の人としてベアトリーチェの名を覚えています:-

*=>:     ベアトリーチェは「神曲」では「天国篇」に出てくる重要な人物で、というのも、初恋の彼女は若くして亡くなっているため、ダンテは彼女を理想化して永遠の愛と救済の象徴として描いた。彼女はゆえに、天国篇で彼を導いてくれる存在として神の愛と真理へ導いてくれる重要な役割を果たしている.

・もう少し 具体的にいうと、ベアトリーチェはダンテを天国の各層へと案内して、神の愛と真理についての教えを伝え、この旅の中で精神的な支柱として手助けをしてくれるのである。

・天国の各層とは;--->>   *->: ここには第一の天から第九の天がどういうものか書かれ、これらの層は魂が神に近づくに従い、より高い幸福と神の愛を享受する場所で、どんな魂が棲むかというと。---:    < 第1.>の天には誓いを破ったものがおり、<第2.>の天には 名誉を求めた者がおり、<第3.>の天には愛を持つものが、<第4.>の天には知恵を持つ者が、<第5.>の天にはには勇気を持つ者が、<第6.>の天には正義を持つ者が、<第8.>の天には信仰・希望・愛を持つ者が、そして<第9.>の天には神の愛と真理を完全に理解した者たちがいる場所として書かれている。-->    そして  これらの層を通じてダンテが追及したのは神の愛と真理であり、最後には神の愛と真理の深さを理解していくのである。>・Vielen Dank! Herzlich Dankbar! 

     ベアトリーチェはダンテにとって単なる初恋の相手以上の存在であった。というのも、「神曲」という作品を通して、また彼女を通じて、神の愛の深さと真理の本質を理解しようとしたからである。

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*中村真一郎「雲の行き来」;

2024年12月18日 10時56分00秒 | *文学・学問・詩:余滴 Ⅱ-Goo

中村真一郎「雲の行き来」:----

この作品に出てくる元政上人の詩の一句:

 山間春甚浅 飛雲尚鑑横 

というのがあるが、これは山間部の春の訪れはまだ浅く、飛ぶ雲は鏡のように横たわっている、というものだが、彼の仏教的な思想と自然への愛情が融合したものとは何か。

彼は17世紀、時は江戸時代前期の詩僧で漢詩や和歌に優れていた。

中村真一郎がこの江戸期の詩人に関心を寄せ、小説「雲の行き来」を書いたのも、氏自身、一時期精神を病み、生涯病弱なところがあり46歳という若さで物故している詩僧・元政上人から目が離せなかったからに違いない。。。*/ -95* --90*-/* + *

因みに、後に彼が「頼山陽とその時代」という評伝を書いたのも、「日本外史」などを、脱藩して放蕩し無頼生活を送ったのちに身を正して書き、一世を風靡したとはいえ、神経症に悩まされた経験のある頼山陽にこころ寄せていたからに違いないのである。。。

 

 

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◎*末摘花(すえつむ-はな):源氏物語 より

2024年12月16日 09時47分02秒 | *H.S.-N.氏の生成AI-活用術より-Goo

 ・いはぬをも いふにまさると 知りながら
         おしこめたるは 苦しかりけり

 ・夕霧の はるる景色も まだ見ぬに 
     いぶせさ(鬱陶しさ)そふる 宵の雨かな

    400字詰め原稿用紙にして2300枚にもなる「源氏物語」、その中で恋の冒険談を小説風に描いた「末摘花」: --- 
この姫君の末摘花は高貴の生まれながら父亡きあと、困窮し荒れ果てた茅屋で侘しく暮らしている。そして恋愛経験もなく、その知識もない彼女は清らかな性格の持ち主。 だが,一方では 気が利かず、真情を表す術を知らない 。

     そんな或る日、明石から都に帰った源氏が廃屋で暮らす末摘花を見るが、彼女はまた、恋歌を返歌するには未熟。                  だが、無知で美貌にも恵まれない貧しいい姫君に源氏が 生活の面倒をみる気になったのも、ある種の理想化された男の器なのである

      ***  

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*レンツの「蒼鷹が大空にいた」

2024年12月13日 09時22分38秒 | *現代ドイツ作家の群像;人と作品:1945年以降:-Goo

・ジークフリート・レンツと「故郷の博物館」:---

  レンツは1926年生まれ。88年の生涯を生きたドイツの小説家で、この作品は故郷の東プロイセンの風景や歴史を背景に、人間の心理や社会的な問題を深く掘り下げ、時代のドイツ社会における政治的、社会的な変化を反映。

・レンツの作品世界:--- 20世紀後半のドイツを代表する作家の一人、レンツの作品は故郷東プロイセンの風土や歴史を背景に、個人の記憶やアイデンティティ、そしてそれが社会や歴史とどのように関わっていくのかを探求している。。

彼のデビュー作『蒼鷹が大空にいた』から始まり、『国語の時間』で大きな成功を収めたレンツは、その後も数々の印象深い作品を発表。。

  ・レンツの「蒼鷹が大空にいた」:--->>>                                                ・Siegfried Lenz's "The Hawk in the Sky": A Reflection on Post-War Identity and Memory:-----      Siegfried Lenz's debut novel, "The Hawk in the Sky," represents a poignant exploration of the human condition in the aftermath of war. ----Lenz, a prominent figure in post-war German literature, is known for his nuanced portrayal of characters grappling with the moral ambiguities and psychological scars left by conflict.        .   *「ズーライケンはかくも優しかった」: 20篇からなる風変わりな小話、滑稽譚。  ---"So tender was Suleyken" ("So zärtlich war Suleyken") offers a different tone, presenting a collection of whimsical and humorous short stories set in the fictional Masurian village of Suleyken. Through these tales, Lenz captures the idiosyncrasies of rural life and the colorful charac-ters that inhabit it.      This work showcases Lenz's versatility as a writer and his ability to evoke a sense of place and time with charm and wit.  >>       */-*83--*70/*+*

・レンツの遺産:---  レンツは、1926年3月に東プロイセンで生まれ、2014年ドイツのハンブルクで亡くなる。20世紀後半のドイツ文学において重要な役割を果たしたレンツは幼少期に父を失い母と離れて祖母の家で育ち、第二次世界大戦中には海軍に徴兵され、デンマークで逃亡、イギリス軍の捕虜となり、戦後はハンブルク大学で哲学、英文学、文芸学を学び、新聞『ディ・ヴェルト』Die Weltで編集者としてのキャリアをスタート。        デビュー作は『大空に碧鷹がいた』で、その後も『国語の時間』など多くの作品を発表。     レンツは故郷の風景や歴史を背景に、人間の心理や社会的な問題を深く掘り下げた。。    レンツは1988年にはドイツ書籍協会平和賞を1999年にはゲーテ賞を受賞。。---       

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◎*ケラー:「ゼルトヴィラの人々」と幻想的作家ホフマンと猫:

2024年12月04日 11時39分31秒 | *ドイツ短編選:N氏のAI活用術より-Goo

  ケラー:Keller

   19世紀のスイスの作家で1819年チューリッヒに生まれ、短篇集では「ゼルトヴィラの人々」Die Leute von Seldwyla という10篇よりなる作品集がある。 --これはスイスの架空の町を舞台にして書いた物語集である。。。

  その中の一つに、「村のロメオとユリア」があり、これを聞けば誰しも、シェイクスピアの作品を思い起こすであろう。--二つの家族の対立に阻まれ、それを乗り越えようとする若い恋人同士の物語である。・・

また、「仔猫シュピーゲル」Spiegel,das Kätzchenというのもあり、これは賢い仔猫の冒険と生長の物語でユーモアと風刺が効いている作品。

 因みに、猫を主人公にした作品には、後期ロマン派の作家ホフマンの「雄猫カーター・ムルの人生観」Lebens-Ansichten des Katers Murrが有名で、幻想的で風刺的な要素が強い作品。---これはユニークな構成でできており二つの異なる物語が交互に進んでゆく。つまり、一つは知識豊富で自己中心的なムルが自身の人生観を綴った回想録であり、他は架空の音楽家クライスラーの伝記という想定で、偶然手に入れたクライスラーの原稿を勝手に引用しては、自分の回想録に混ぜ込んでいってしまうのである。>>

ホフマンは因みに、音楽家としても作曲家並びに、音楽評論でも活躍した才能と経験の持ち主で、法律学にも長けていた反面、生活は自由奔放なところもあり、しばしば飲酒に耽り、それで健康を害したこともあるが、その自由奔放さが創作活動に影響し、あの「黄金の壺」Der goldene Topf (緑の蛇=実は、若い乙女の化身:に詩人志望の大学生がひょんなことから恋をする-)のような幻想的で独特の作品をも生み出しているのである。>>

ホフマンはまた、小柄で風貌もあまりよくなく、また晩年には健康問題に悩まされたというが、にも拘らず創造力に長け、多くの傑作を産み出していった稀有な作家だったのである。      */-108*---*73-/* + *

・因みに、漱石も「吾輩は猫である」の中で、ムルを同類として意識して書いている箇所もあるのも面白いが、これには漱石山房の高弟としてドイツ文学者の小宮豊隆がおり、彼からヒントを得ていたらしく、また、豊隆は地方から上京して帝大生となり学生生活を送る初心な「三四郎」のモデルともいわれている。-->>

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