ええ、このような光景は、何度となく見られるようになりましたわ、ドクトル。二、三日ほど前に羊が群れを成し窓の下を通り過ぎてゆきましてからは。それは心から待ち望んでいたことでしたもの。けれども私は思っていたのです。あの絶え間なく踏みつけていく足音を耳にしてからは、予感できるようになりましたもの。・・ ええ、この羊の群れの踏みつけていく物音や舞う埃やその毛などから。・・ それは150年経ってようやく、目にできた初めての羊の群れでしたのですもの。・・ あら、気が変になってしまったのかしら、150年だなんて。そりなら、いっそ、千年ならいいものを。 それなら、いっそあのロッケンベルク収容所で処刑されて以来ならいいものを。・・
まあ! 気が変になっているのね。 でも、ものごとのけじめは、きちんと、つけておかなければいけませんわね、前もってにせよ、後からにせよ。さもなければ、誰も知らないまま、忘れ去られてしまいますもの。・・・ この処刑は、いや、寧ろ、その予感は22年前のことでしたが、幸い命までは処刑されませんでしたわ。さもなければ、ここに座っていることなどありませんものね。 勿論、 女性教師の私の不安など誰も知る由もありませんでしたし、ヘッセン州におりましたわが子も、87名の生徒をあずかり飢えに苦しんでおりました私も、予感というよりは気が動転していたのですから。・・ と申しますのも、世界大戦は終焉を迎えていたのですから。・・ 今、そんな不安から誰もが解放されているということは、なんと素晴らしいことでしょう。・・
ところで、早晩、必ず処刑されるという予感がどこから生じてきたのか。・・おそらく、神経の不安からでしたのでしょうね、ドクトル。・・ あるいは、何一つ苦しめられることがなかったからでしょうか。 けれども、所詮、不安から逃れることはできませんでしたわ。 ですが、この宿にいたおかげで体力も回復しましたし、前より落ち着きを取り戻してきておりました。・・夏は暑かったですが土曜日などにはボーリングの球を転がしておりますと、その音が気持ちよく響きわたっていたものです。・・ですが、こんなことが今なお、思い出されてくるなんて不思議な気がしてなりません。でも、もう二度とはないのでしょう。・・あの羊の群れは確かに、教えてくれていたのです。すべては良くなったと。そうして、過ぎ去ったのだと。本当にそうですものね、ドクトル。・・
ああ、それにしましても、心の安らぎとは一体、何なのかと詮索すべきではないのでしょうね。・・私は今、誰もいない部屋にひとりで、夫はもはや、戻ってはこないと知り、一緒に棲める息子も母もいないと気づいていますが、不安は抱いておりません。・・こころに安らぎを取り戻しておりますもの。・・ でも、どなたと一体、心の安らぎを共にしているというのでしょう、ドクトル。 台所で珈琲を沸かしながら、静かなひととき、考えていたものです。・・もっと生きていかなければいけないと。頑張り通すのだと。たとえ、どんなことがあろうとと自分に言い聞かせておりましたわ。 ・・ それにしましても、どなたが憐れんでいてくれたのでしょうか。私は存じません。 けれども、突然、羊の群れの往来や地面を踏みつけていく物音、そして熱く焼けた路上を舞う埃。これらは忽然、消え去っていたのです。・・その時、予感したのです。長いこと忘れかけておりましたものに、再び、めぐり逢えるのではないかしらと。何故かは説明の申し上げようもございません。・・ 今にして、お聞きしたい気持ちでいっぱいなのです。簾(すだれ)が下げられ、もの音一つ耳にしなかった あの夏の暑い盛りの真昼時に、共にいらして励ましてくださったお方は、どなたでしたのでしょうか、ドクトル。・・誰もが眠りにつき、家畜も眠り、陽が天頂に昇りつめたときにです。・・・ これが人生というものなのでしょうか。 これが運命というものなのでしょうか。・・ それとも、生まれながらの業(ごう)なのでしょうか。 了.
*Elisabeth Langgasser; Aus;dem Torso. ランゲッサーより Der Titel heisst ; Im Einklang. Gesammelte Werke; Claassen Verlag. 1964. S. 391ff.
* カトリック閨秀作家のランゲッサーは半ユダヤ系であるという理由で、ナチス時代、執筆禁止の処分を受け、弾圧を受け、第二次大戦中は強制収容所への収監に不安を抱きつつ、強制労働にも従事させられた経験がある。 Halb Judin.