ルソーは嘗て、自然に帰れ(Zuruck zur Natur!)といった。 日本では 契冲、真淵、本居宣長以下の(「万葉集」、「源氏物語」や「古事記」の)国学は唯の復古で、ルネッサンスとはちがう。 だからといって、過去の夢の国に魂を馳せてノヴァーリス(Novalis)やドイツロマン派 Romantiker のよえに 青い花(Blaue Blume)に憧れても、それだけでは駄目だ。 「戦争と平和」を書いたトルストイも、自身は遁世的といっていい。 やはり、日常生活に面と向かっていかねば。 この面と向かっていく心持が大事で、これをディオニソス的といっていいし、日常生活に没頭していきながら、精神の自由は護り、一歩も仮借(excuse)しないところがアポロン的なのだ。
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「どうだね、こんな話」 大村は延々と自前の説を披瀝すると笑った。それを熱心に聞いていた純一は「なるほど、」と頷くと、 「この間の某博士の説に、こんなことが書いてありました。つまり、個人主義は西洋の思想で、個人主義では自己犠牲はあり得ない・・」