漱石が東京帝大英文科の職を辞して職業作家として新聞に初めて掲載した小説、「虞美人草」: この小説には擬古文調の地の文のほかに、色に纏わる語彙が多々、出てくる。: 例えば、ヒロインで勝ち気な藤尾を、こんな風に描写している。:
紅くれないを 弥生につつむ 昼たけなわに、春をぬきんずる 紫の濃い一点を、鮮あざやかに 滴したたらしたる女である。-- 夢の世を 夢よりも 艶あでやかに 眺めしむる黒髪の 鬢びんの上には、玉虫貝を菫に刻きざんで、細き金脚きんあしに 打ち込んでいる。
静かなる昼に 心奪いとらんとするを 黒き眸ひとみの動けば、見る人は あなやと我に帰る。 この瞳ひとみの魔力の境を究きわむるとき、桃源を 再び塵鐶じんかんに変えるを得ず。ただの夢ではない。 模糊たる夢の、燦たる妖精が 死ぬまで 我を見よと、紫色の眉まゆちかく 逼せまるのである。 勝ち気な女は 紫の着物を着ていた。(二の冒頭 より)
*- *- ( (( * これを、欧米の文学作品の解釈からすれば、譬えば、「作品における色彩の語彙の使い方や、その象徴的意義と心の変遷について」などと試論が一つ書ける気がしないでもないが、この「虞美人草」に関しては、果たして、どうなのであろうか。
勝ち気なヒロイン藤尾の心の内部の葛藤や、微妙に揺れ動く比喩的な描写と読み解けば、魅惑は一段と増すが、色彩の語彙の多々用いられているのはドイツの詩人トラークル他にも、よく見られることを思えば興味深い。
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