おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

フツーの若者のタメ口

2006年09月09日 11時09分27秒 | Weblog
傑作 傑作(5)
作成日付 2006/8/15(火) 午前 11:31  |  書庫 平和党教育文化部会  |  カテゴリ 社会教育

私は、実は十代のとき、いろいろめちゃくちゃなことをしていたので

敬語を使うことなく生きていた。
当然、やばそうなオトナからはすぐにボコボコにされたり、

とにかくまともに生きていけないので二十歳のときから徐々に変えていった人である。

このような人は例外として、
つまり以前の世の中では、一部のヤンキー系の人間がこういうことをするので、若者全体が非難に晒される事はなかったのだろう。
喧嘩して暴れる人間も特定のタイプにいたわけで、そこに色分けがあったのだと思う。

ところが最近はどうだろう。一般ピープリーな感じの若いやつが平気で年上にタメ口きいてくるのである。これは私が社長であっても、ごく一部であるが、そういう態度の若者はいるし、党内にもいる。


当初は、自分がなめられてるんだろうと思っていたが、他の人もそうなので、どうもそうではないようだ。

また、以前に比べると親に対して名前で呼ぶような若者も出てきた。それも不良でない人間が。まさに米国教が広がっているのだろう。

かつて、そのような態度をとる若者というのは、それなりに覚悟ができているからであり、大人社会に対する反発とそれに責任をもつかのような根性を備えていた。

現代では、そういう根性も持たずにやる若者が多い。

年功序列、終身雇用がなくなり実力勝負の市場主義原理となってくると、金を稼ぐヤツが偉いといって、がんがん稼いでいる人間が年長者に対して、偉そうな能書きこく場合のほうがまだマシなほうだ。そうした人がいてくれる方が平和党としての議論のやりがいがある。

しかし、なにも能力が備わっていない若者が、こうした態度に出てきている。

平和党の政治理念は中国思想でいうと、孔子よりは老子に近いのだが、これだけ愚かしい若者が多くなってくると孔子的な部分を入れなければならないのではと思うようになってきた。

つねに歴史は同じことを繰り返している。

お金におぼれた社会は、次に多くの腐敗を生む。その次に、その腐敗の中から、権力に対してただ逆らう、大義もないのに逆らう、反乱することそのものが目的という馬鹿な世の中になってくる。

ここを平定するのが、武士道的な精神である。そこには礼儀というものが当然含まれる。

世間では、「平和」という概念が左翼的なるものとして扱われているけれども、本当の平和とは武士道的な精神であると思う。江戸時代があれだけ平和だったのは、「鞘の内」という侍の精神があったからである。右翼の言う武士道は、明治維新以後の西洋文明による覇権主義がおりまざったものであるから、近代以前の思想とは異なる。

平和党はこうした意味においても、既存の政治思想の枠組みにはあてはまるところがないのである。

なにしろ、なにも能力が備わっていない若者の無礼なる態度は、嘆かわしく、人によってはムカつくこともあろうが、このタイプの若者には世界を変えていく役割としては任せられない。


http://heiwatou.jp


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