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平和党は何のためにあるのか4 終戦直後の政党

2005年06月19日 10時04分04秒 | Weblog


平和党http://www.heiwatou.jp

戦前、民政党内閣で対英米協調外交路線をとった幣原喜重郎元外相は戦時中、疎外されていたが、アメリカとの戦争に負けると、幣原内閣の誕生によって政党が復活し、軍部中心政権が終わって以後、外交官・大蔵官僚・弁護士・言論人などの知識人が首相の地位に就く。

鳩山一郎ら旧政友会は日本自由党を、町田忠治ら旧民政党は日本進歩党を、三木武夫らが日本協同党を、旧社会主義政党らは日本社会党を結成した。

戦後初の衆議院総選挙は明治憲法下で行われ、日本自由党が第一党となり、十四年ぶりに政党の党首が首相になる。

ところが自由党の鳩山総裁はGHQにより公職追放の対象者となってしまい、国会での議席を失う。鳩山は幣原内閣で外務大臣であった吉田茂に総理・総裁を依頼し、公職追放が解除されるまでの間、その座を渡すという約束を吉田茂と交わし、第1次吉田内閣が組閣される。

鳩山は戦時中、政府の軍拡に反対の立場を取っていたにもかかわらず、鳩山の政治力を押さえ込もうと、GHQが公職追放を断行した。追放理由は、鳩山がドイツの高速道路であるアウトバーンを政府の公共事業として褒め称えたことが、ナチス・ドイツの賛同者であるとされるのだが、GHQが鳩山を追放した根拠は、かなり強引なものであった。

つづく




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