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平和党は何のためにあるのか3 二大政党の時代から太平洋戦争敗戦まで

2005年06月19日 09時45分19秒 | Weblog



平和党http://www.heiwatou.jp

三代続いて超然内閣が続いたことから、憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の三つの政党が大同結束して、加藤高明内閣を発足させる。その後、政友会と革新倶楽部は連立政権を降り、加藤内閣は憲政会が単独与党となる。犬養らの革新倶楽部は立憲政友会に合流し、政友会の五代総裁には田中義一が就任する。ここから政権交代可能な二大政党が実現されるのである。

加藤首相は病死のため、憲政会二代総裁・若槻礼次郎が内閣を引き継ぐが、立憲政友会が政権を取り戻し、田中義一内閣ができる。田中政友会内閣では、衆議院選挙で初の普通選挙制度が実施され、納税要件がなくなり、富裕層ばかりでなく、労働者層にも選挙権が与えられ、社会主義などの無産政党が議会に登場してくる。

政友会を脱党していた政友本党議員の中には復党する者もいたが、本体は憲政会と合併し、立憲民政党を結成する。ここに、政党は政友会と民政党に集約されたのである。

そして、政友会から民政党への政権交代で浜口雄幸内閣ができ、浜口首相は暴漢に襲われ傷を負ったため、第二次若槻内閣ができ、さらにまた政友会が政権奪回し六代総裁・犬養毅による内閣ができる。

このように、政友会と民政党による二大政党で政権交代が幾度か繰り返されるが、犬養首相が五・一五事件によって陸軍青年将校らに殺害されると状況は一転した。政友会としては後継総裁である鈴木喜三郎が当然のごとく、次期首相であろうと考えていたが、以後、軍人か文官による内閣が太平洋戦争終結まで続くのである。犬養首相暗殺後、富裕者を代表する政党政治は終焉を迎え、軍部による軍人政権となる。

海軍出身の斎藤実内閣もその次の岡田啓介内閣も、政友会と民政党の二大政党が閣内協力をする。二大政党が国をあげて与党となっていくのである。岡田首相は二・二六事件により襲撃され、蔵相の高橋是清元首相などが暗殺され、暗い時代に突入する。

暗殺された歴代首相を見ると、伊藤博文が首相を退き、朝鮮総督府をつとめているときに殺されたのを除けば、すべて国内によって日本人の手で起きている。原敬、高橋是清、浜口雄幸、犬養毅が殺されたのは、言論の自由がなかったからであろう。彼らはいずれも政党の党首で首相になった人たちであった。

街頭演説で首相を批判することも許されないのならば、殺すしか方法はない。結果的に死を逃れたのは海軍出身の岡田啓介であったが、殺害された首相を並べてみると、いずれも政党の党首を務めた代議士であり、政党政治家である。誰にも選挙権が与えられ、言論の自由がありさえすれば、彼らの政党の議席を減らすことも可能であった。

二・二六事件によって岡田内閣が退陣し、官僚の広田弘毅内閣、陸軍の林銑十郎内閣と続き、政党人は冷めた目でみるようになってしまった。

そこで、政党政治家にも軍部・官僚にも信頼のあった近衛文麿内閣が誕生する。近衛は政党政治を実現するためいったん内閣総辞職をし、その後は右翼団体を率いる元検察官の平沼騏一郎内閣、陸軍の阿部信行内閣、海軍の米内光政内閣が終わると、再び近衛内閣ができ、太平洋戦争の火種を作る。

このころになると政党は完全に無力化し、「大政翼賛会」という名で国を挙げ一同団結し、政党は次々と解党していった。近衛内閣で陸軍大臣であった東条英機が内閣を継ぎ、任期を一年延長し、衆議院選挙が行われた。東条は、翼賛選挙を行い、翼賛会推薦の候補者でないものは徹底的に弾圧された。大政翼賛会に抵抗した「翼賛非推薦議員」は、日本の軍事大国化、アジア侵略に反対していたからである。

衆議院の九割以上が大政翼賛会所属議員となり、帝国議会は軍部に賛同するだけで、議会としての役割をなくす。議会がオール与党で、チェック機能を果たさない、現代の地方自治議会などはこれに近い。

大政翼賛会は、戦後の社会党の前身である社会大衆党ですら解党し、戦争協力体制を深めていった。戦局が危うくなると、近衛前首相と岡田元首相が倒閣を企て、東条内閣は総辞職する。その後は、同じく陸軍の小磯国昭内閣、海軍の鈴木貫太郎内閣が生まれ、内閣が次々と変わっていったため、一番の戦争責任がどの内閣になるのかあやふやとなった。

ドイツはヒトラーが、イタリアはムッソリーニがその首謀者であると断定できるが、日本においては、昭和天皇に責任があるのか、近衛文麿にあるのか、東条英機にあるのか、はたまたその前まで遡って五・一五事件や二・二六事件の首謀者に責任があるのか、全くもって不明確なのは、日本の官僚社会の特徴である。

昭和二〇年八月に入って、広島・長崎に原爆が落とされ、ポツダム宣言を受諾すると、皇族から首相が出され、東久邇宮稔彦王内閣ができ、終戦処理に追われる。






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