今と同じ守銭奴時代である鎌倉時代の後期、皇室領である室町院領に収支決算資料が残っている。
年貢高は合計五千貫。1貫が10万円として約5億円。天皇家は豊かな財政を築いており、この他、貴族や大社寺など多くの荘園領主があり、膨大な額の貨幣と物品は京都に集中していたのである。
商人もめざましく成長し、朝廷がこれを保護してきた。
朝廷は京の町に職員を配置し、債権取り立て、抵当物権の差し押さえ、営業上の紛争介入という民事介入を行う。
しかし天皇の権威もだんだん失墜して、人々が従わなくなると、武家による民事介入暴力でないと片付かなくなる。
ここで武家が再び上昇し始める。そして室町幕府ができるのだが、この政権は他の2つの幕府と違って、京都に置いているため、流通に関わることが多く、なおかつ天皇にも関わりやすい。
しかし天皇と言っても、蔑ろにされている。美濃の守護・土岐頼遠は京都で光厳上皇の行列に出くわすや否や、牛車を取り囲み犬追物をするが如く矢を放った。
近江の守護・京極導誉は、同上皇の兄弟である法親王の邸宅を焼き討ちし財宝を奪う。
将軍執事の高師直は、「京都に王を名乗る者はやたらに立派な邸宅を構えているが、その前を通る際にはいちいち馬を降りて礼をせねばならぬ面倒くささがある。どうしても王というものが必要ならば木で作るかにして、生きている天皇らはみな流して捨ててしまえ」と言い放つ。
別に天皇が125代続こうとも、一貫して怖れられたことはなく、むしろ舐められ期間、形式上奉り期間のほうがはるかに長い。
天皇の土地が欲しければ力ずくで奪えと彼は部下の武士に指示している。
このような考えが支持されるのは、守銭奴天下を治める天皇に対しての庶民の反発がエネルギーとして存在する。
しかし面白いのは、武家は天皇を思う存分利用してきたことにある。
高師直が土地は天皇から好きなだけ奪いとってこいとは言うものの、奪い取った後は「あとは俺が適当に言い繕う」と言う。つまり天皇を存在させながらやってきたわけだ。
豊臣秀吉は征夷大将軍になりたがったが、天皇から「源氏の子孫じゃないとダメ」と拒否された。日本以外の国ならば、力ずくで天下を取っているのだから天皇家を皆殺しにし、自らが王位につくのだが、日本ではそれをしない。それは確かにすごいことではあるが、単に形式上残しながらあるだけの権威はそれ以上のものではない。
したがって、日本では天皇がいかに愚かであっても必要とされてきた。利用価値の高いものである。
しかしそんなことをやっているのは京都とその周辺だけであって、彼らは支配しているつもりかもしれないが、地方には地方の温かいコミュニティーがあり、地産地消で自立した社会があり、天皇が誰だろうと構わない豊かな暮らしがあったのである。
それを脅かすような事態に陥れば、地方の実質権力を持った武勇なる為政者たちにいつも中央は小突かれるのである。
本日は、大嘗祭だと言うがこれをやらないと、完璧な天皇ではないくらい、この行事は重要であるらしい。
おかげで、米がたくさん実りました。ありがとうございますということをするのが新嘗祭であるとのことだが、私などは、今年作った新米は先々月稲刈りしてあれから毎日バクバクいただいている。
何も天皇のやる行事にしたがわなくても、実態ある土地に暮らし、自然と直接触れ合う者たちにとっては無関係である。
知識で余計なことを身につけると、自然らしからぬ考えを持ち出してきて、いらぬ争いを作り出すものである。
農は、より実際的であり、実態こそが武の道である。この武はやがて、実態なき形式ばかりのイデオロギーの知や、貨幣の富に噛みつくことになろう。今はまだ安泰であるから十分満喫しておくか、次世代を考えるならば次のことにシフトするかは、その人次第であろう。
年貢高は合計五千貫。1貫が10万円として約5億円。天皇家は豊かな財政を築いており、この他、貴族や大社寺など多くの荘園領主があり、膨大な額の貨幣と物品は京都に集中していたのである。
商人もめざましく成長し、朝廷がこれを保護してきた。
朝廷は京の町に職員を配置し、債権取り立て、抵当物権の差し押さえ、営業上の紛争介入という民事介入を行う。
しかし天皇の権威もだんだん失墜して、人々が従わなくなると、武家による民事介入暴力でないと片付かなくなる。
ここで武家が再び上昇し始める。そして室町幕府ができるのだが、この政権は他の2つの幕府と違って、京都に置いているため、流通に関わることが多く、なおかつ天皇にも関わりやすい。
しかし天皇と言っても、蔑ろにされている。美濃の守護・土岐頼遠は京都で光厳上皇の行列に出くわすや否や、牛車を取り囲み犬追物をするが如く矢を放った。
近江の守護・京極導誉は、同上皇の兄弟である法親王の邸宅を焼き討ちし財宝を奪う。
将軍執事の高師直は、「京都に王を名乗る者はやたらに立派な邸宅を構えているが、その前を通る際にはいちいち馬を降りて礼をせねばならぬ面倒くささがある。どうしても王というものが必要ならば木で作るかにして、生きている天皇らはみな流して捨ててしまえ」と言い放つ。
別に天皇が125代続こうとも、一貫して怖れられたことはなく、むしろ舐められ期間、形式上奉り期間のほうがはるかに長い。
天皇の土地が欲しければ力ずくで奪えと彼は部下の武士に指示している。
このような考えが支持されるのは、守銭奴天下を治める天皇に対しての庶民の反発がエネルギーとして存在する。
しかし面白いのは、武家は天皇を思う存分利用してきたことにある。
高師直が土地は天皇から好きなだけ奪いとってこいとは言うものの、奪い取った後は「あとは俺が適当に言い繕う」と言う。つまり天皇を存在させながらやってきたわけだ。
豊臣秀吉は征夷大将軍になりたがったが、天皇から「源氏の子孫じゃないとダメ」と拒否された。日本以外の国ならば、力ずくで天下を取っているのだから天皇家を皆殺しにし、自らが王位につくのだが、日本ではそれをしない。それは確かにすごいことではあるが、単に形式上残しながらあるだけの権威はそれ以上のものではない。
したがって、日本では天皇がいかに愚かであっても必要とされてきた。利用価値の高いものである。
しかしそんなことをやっているのは京都とその周辺だけであって、彼らは支配しているつもりかもしれないが、地方には地方の温かいコミュニティーがあり、地産地消で自立した社会があり、天皇が誰だろうと構わない豊かな暮らしがあったのである。
それを脅かすような事態に陥れば、地方の実質権力を持った武勇なる為政者たちにいつも中央は小突かれるのである。
本日は、大嘗祭だと言うがこれをやらないと、完璧な天皇ではないくらい、この行事は重要であるらしい。
おかげで、米がたくさん実りました。ありがとうございますということをするのが新嘗祭であるとのことだが、私などは、今年作った新米は先々月稲刈りしてあれから毎日バクバクいただいている。
何も天皇のやる行事にしたがわなくても、実態ある土地に暮らし、自然と直接触れ合う者たちにとっては無関係である。
知識で余計なことを身につけると、自然らしからぬ考えを持ち出してきて、いらぬ争いを作り出すものである。
農は、より実際的であり、実態こそが武の道である。この武はやがて、実態なき形式ばかりのイデオロギーの知や、貨幣の富に噛みつくことになろう。今はまだ安泰であるから十分満喫しておくか、次世代を考えるならば次のことにシフトするかは、その人次第であろう。
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