おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

1.お金に支配される人類

2009年12月06日 20時25分36秒 | Weblog
お金に支配される人類

あらゆる政策諸課題を解決するのには、財源というものが必要です。
また、民間の経済社会においてもお金というものは非常に重要なポジションにあります。政治というものは、つねに経済と一体です。
現代社会で生活していくかぎり、必ずこのお金がつきまといます。
「人間はお金のために生きているのではない」と言える一方、「お金がないと生きていけない」のもまた事実です。
が、しかし「お金がないと生きていけない」と定義したのは誰であろうか。神であろうか、自然の摂理であろうか。これは他ならぬ人間です。宗教団体は神の名の元にお供えを集めます。しかし、お金を使うのは実際人間です。その宗教団体の宗教家の給与や支払いに消えるのであって、神様に渡すわけでもないし、自然に帰すわけでもありません。宗教家は、神様にお金を差し出すことによって、差し出した信者に「これであなたも救われました」などと言うが、実際に救われるのは、その教団と宗教家です。教団活動資金としての献金と素直に言えばいいのですが、このような言い方をして募る教団ばかりです。
もともと自然の仕組みは、人間に衣食住を必要とするようになっていますが、お金を必要としていません。

【木】共生

2009年12月06日 20時24分59秒 | Weblog
「共生」というのは、全てを生かすことにある。

共生は柔軟さにより生まれる。共生は破壊を作り出す。

共生は基盤作りに打ち勝つ。木は土の栄養を奪い取るからである。

共生は堅実さにうち負ける。木は金属の斧に切られるからである。田中派の共生は、堅実さを思考する竹下派に奪われた。


このように、共生の性質、木の性質を知ることによって戦いを予測することができる。




以上、破壊・基盤・堅実・柔軟・共生の五つは陰陽五行の発想に基づくが、これは順番付けられる。

1.破壊
これは最も容易である。誰もが、今の政治についてボロクソに書き立てており、言うだけなら誰でもができる所業である。しかし実際に破壊という行為にまで至る人間は少ない。なぜ簡単かと言えば、破壊は無秩序を作り出すからで、エントロピーの法則にしたがえば、やってもやらんでも勝手に無秩序な世の中は放置しておけばできるものだ。それに輪をかけてグダグダ言っているに過ぎない。

これに対して、小沢一郎による竹下派分裂、非自民連立政権や小泉純一郎による橋本派解体工作は非常に手の込んだものである。こうした政治家が支えられるのは、文句グダグダの奴隷体質の人々であり、近年で言えばネット右翼や、労働運動などである。彼らを原動力として今後は、日本はバラバラにされていくであろう。これがないと先に進まないということを歴史は教えている。



2.基盤
破壊に加担することは誰でもができるが、基盤についてはやや難しくなる。この基盤とは、今までにないものが登場してくる。近年の論評は、今までにあるような政治思想や経済政策の蒸し返しばかりであり、自然主義経済のような未知なるものについては、世の中でほとんど提唱されていない。これには開拓精神が必要であり、今までの学問に縛られていると何もできないばかりか、旧来のものにしがみつき、新たなるものに対しての妨害を始めるのが世の常である。こうした妨害を克服するだけの武勇性が求められる。



3.堅実
いったん基盤作りができたならば、これを堅実なるものにしなければならず、その基盤に沿った新たな常識を固定化させる作業である。これは地道な努力を要する。


4.柔軟
中心力が堅固なるものに仕上がったならば、外周を柔軟にしていく。建物の耐震性は、地震が来ても揺れない作りをするより、地震の力をそのまま球を転がすように吸収分散させてしまうほうが地震には強い家作りが可能である。この柔軟さは堅固さにいつまでもこだわっているとできない。中心軸はしっかりしても、外側は柔軟であることが強さの秘訣となる。

5.共生
そして最終局面である共生だが、私は以上4つの点において実践してきたという自負があるが、この五番目については未だ到達しておらず、自らできていないことについて、いろいろと言う資格はないと考える。


このように以上の五つは段階を示すのではなかろうかとも考える。

一方、このうちのどれか一つか二つ以上かのタイプに属する政治家を今まで示してきたが、どのような状況にあっても対応できる自在性こそ求められるのではないか。

これから考えると、柔軟さは大事という本当の意味は、「柔軟さと堅固さ」を合わせもつ柔軟さが必要という意味に理解できよう。


そして共生の本当の意味は、破壊から柔軟に至るまでのものを全て包容するのが本来の共生であるという考えにも行き着くのである。

【水】柔軟

2009年12月06日 20時24分06秒 | Weblog
「柔軟」というのは、固さに対して克服できるものであるが、固さを知らない柔軟さは、単なる言いなりである。力を抜くというのは、単なるやる気なしとは違う。この辺がどうにも誤解されやすく、何もしないことがまるでいいことかのように解釈されることが多くある。

中心力なき柔軟は、単なる無気力である。

この柔軟さは、相手の固さをそのまま相手に返す技を持っている。


したがって柔軟の後、全てを生かす「共生」を生まなければならない。単に相手に攻撃力を跳ね返すだけでは、固さで立ち向かっているのと変わらなくなってしまうからだ。

柔軟さは水のように形を変え、柔軟さの結果、全てを生かす森林作り出すのだ。

小渕恵三内閣は柔軟の役割を担った。水によって養われた森林はまさしく森喜朗内閣を談合的共生により生み出した。

社会党とでも連立政権を組むという柔軟さも、のちに一致団結箱弁当の小渕派支配復興という共生路線を生み出したのである。



柔軟さはなぜ生まれるのか。

これは「堅実」が長きに渡り続き、その堅実さだけでは対応できなくなり、柔軟なる路線を求めるからだ。福田康夫内閣の後には麻生太郎内閣が、橋本龍太郎内閣の後には小渕恵三内閣ができるのは当然ということになる。


柔軟なる水は、形を変えて、ありとあらゆる場所に共生の種を蒔き、山川草木はよく育つ。

このように、柔軟さは堅実さから生まれる。柔軟さは共生を生む。


柔軟さは破壊に打ち勝つ。水は火を消すからである。柔軟なる自社連立に破壊王・小沢一郎は負けた。

柔軟さは基盤作りに打ち負ける。水は土にせき止められるからである。麻生太郎による自民党政権は鳩山由紀夫民主党政権に負けた。

このように、柔軟の性質、水の性質を知ることによって戦いを予測することができる。

【金】堅実

2009年12月06日 20時23分28秒 | Weblog
「堅実」というのは、作られた土台をしっかりとしたものにし、創世から成熟にし、安定性を作り上げることである。


堅実に固めた後は、そこから柔軟性を築き上げなければ力みすぎて倒れてしまう。よって堅実の後には「柔軟」を生まなければならない。


堅実さは金属のようにしっかりと固まり、金属には水滴が集まる。

中心力を据えた硬さは外周に柔らかさを持つことによって力を発揮する。

溶解して形を変えることのできる金属は水で冷やすことによってしっかりと固まるのだ。

福田康夫内閣は堅実さの役割を担った。これまで、破壊の小泉純一郎内閣と、不安定極まりない安倍晋三内閣によって、人々は安定性を求めた。


福田康夫首相が堅実さをアピールすればするほど、それ以前の過激な政権に比べると物足りなさは否めず、そこそこの柔軟な政権である麻生太郎内閣を欲するようになる。

橋本龍太郎という人も堅実なる政策を打ち出す人であり、その後は柔軟の鏡とも言える小渕恵三首相が誕生するのも当然である。



堅実さはなぜ生まれるのか。

これは「破壊」が長きに渡り続き、今までにない「基盤」を作ったことによって、安定性を求めるのだ。


基盤作りは、ついこの間まで沼地だったような場所に作ったわけだから、それを均し終えたという確証が欲しくなる。よって土作りの後は金属で固めたい。。


安倍晋三首相では年齢が若く、若いからこそ新たなものを作るのであるが、それが確かなものかどうかの不安がつきまとう。そこで福田康夫内閣を求めるのが自然な流れである。


では、堅実さをしようとしている勢力に対して、打ち勝つにはどうしたらいいのだろうか。

堅実さに打ち勝つのは「破壊」である。
宮沢喜一内閣という堅実さを求めた政権は、小沢一郎という破壊者によって砕かれた。竹下派という堅実さにより固めた派閥支配も小沢一郎という破壊者によって砕かれた。

しかし、福田康夫首相という堅実総理に対して、小沢一郎民主党代表は「大連立」という共生関係を求めたがゆえに失敗を招く。今まで通り、破壊で行けばいいのに共生の姿勢を見せたがゆえに彼は敗北していくのだ。


これは堅実なる金属は火力によってのみ溶かされるからである。共生という森林の発想は、斧という金属により切られてしまうからだ。


このように、堅実さの性質、金の性質を知ることによって戦いを予測することができる。

【土】基盤

2009年12月06日 20時22分47秒 | Weblog
「基盤」というのは、これから新しい土台を作り、将来育つもののための土壌を作り上げることである。

基盤作りの後、それを確かなものにするために「堅実」を生まなければならない。

基盤は土のようにしっかりと支え、土の地下には多くの金属が埋まっている。この金属を掘り出し、土地の上の建物をしっかりとしたものにするのだ。さらにはその金属を持って田畑を耕すのだ。

安倍晋三内閣は基盤の役割を担った。憲法改正や教育基本法改正など、国の基本法を作ると、人々は安定性を求めて福田康夫内閣が出来てくるのは当然である。
安倍晋三首相がいくら基盤を作っても、仲間を守りきれないという、頼りない彼では人々は不安に陥って安定性を求める。

基盤はなぜ生まれるのか。

これは「破壊」が長きに渡り続き、その破壊により疲弊し、新たな土作りをしたくなるのだ。


火力は全てを消し去る。消し去ったならば、何かを作らなければならない。


小泉純一郎内閣は今までの派閥政治を破壊し、利権政治を破壊し、無秩序を作った。人々は倫理観を求め、小泉純一郎内閣から安倍晋三内閣へと継承され、基盤を生むのである。しかし求めた先が安倍晋三首相であったことにこの国の不幸はあった。


では、基盤作りをしようとしている勢力に対して、打ち勝つにはどうしたらいいのだろうか。

基盤作りに打ち勝つのは「共生」である。

佐藤栄作内閣は、戦後復興から立ち上がり、沖縄返還をし、現代日本の基盤作りを終えた。佐藤栄作は堅実なる福田赳夫を後継に推したが、それを気に入らないとした田中角栄は、佐藤派を乗っ取り田中派を結成した。

田中派は、共生をモットーとし、政策云々よりも、とにかく全員が食べていけるという路線を何より重視し、野党にも金を配り、心を配った。

なぜこうなるかと言えば、土壌作りで豊かな基盤を作ると、その栄養を森林が吸収するからである。森林は共生を担う。土ばかりでなく、地表上の動植物全てを生かそうとするのだ。

では、基盤作りが打ち勝つ勢力は何か。
それは「柔軟」である。柔軟なものは基盤に負ける。柔軟さは、その柔らかが仇になり、優柔不断が露呈し、新たな基盤作りが支持されるようになる。

小泉内閣の時代、郵政民営化に消極的であった麻生太郎総務大臣は柔軟に対応し、郵政民営化を進めた。

しかし自身の内閣では、鳩山邦夫総務大臣という、郵政民営化に疑問を持つ参謀役を据え、なし崩しにしようとしたが、彼の優柔不断ぶりが災いし混乱を招く。
このようなものに対しては、新たな基盤を求めて、政権は交代し、鳩山由紀夫内閣が誕生するのである。

これは、水のような柔軟さは、川を見ればわかるように土によって遮られるからであろう。

このように、基盤作りの性質、土の性質を知ることによって戦いを予測することができる。

【火】破壊

2009年12月06日 20時22分01秒 | Weblog
「破壊」というのは、今までの慣習、慣例、慣わしにより拘束され、陳腐化したものを壊すことである。

破壊の後、新たな「基盤」を生まなければならない。

破壊は火のように燃え、破壊の後には灰土が残り、土が基盤を作るのだ。

小泉純一郎内閣は破壊の役割を担った。灰と化した土壌に、憲法改正や教育基本法改正など、国の基本法を作ろうとする安倍晋三内閣が出来てくるのは当然である。

破壊はなぜ生まれるのか。

これは「共生」が長きに渡り続き、その共生は利権化し、腐敗し、人々は飽き足らなくなる。

森林は全てを生かす生態系を担う。しかしその枯れた木材から発火し、破壊は生まれるのだ。

橋本派から森派まで、昔からいがみ合っていた派閥同士が手を組み、共生関係を築き、一丸となってしばらくすると、森喜朗内閣から小泉純一郎内閣へと継承され、破壊を生むのである。


では、破壊しようとしている勢力に対して、打ち勝つにはどうしたらいいのだろうか。

破壊に打ち勝つのは「柔軟」である。

破壊者・小泉純一郎にむざむざ真っ向から戦ってきた歴代の民主党党首らが政権を奪えなかったのはここにある。民主党は小泉自民党の政策に対して反対するばかりでなく、柔軟に対応してこそ打ち勝つことができたはずだが、誰もそれをしてこなかった。

逆に、細川・羽田政権を牛耳っていた破壊者・小沢一郎は、自社連立という本来有り得ない究極の柔軟性にうち負けたのである。

破壊しつくす火力というのは、その形を変幻自在に操る柔軟の王である水によって消されるのである。

水は形を留めない。逆らう岩があってもさっと避けて川は流れる。しかしその川の流れはやがて岩をも砕く。

では破壊が打ち勝つものはなんだろうか。これは「堅実」である。

安定を求め、着実に進展しようとする堅実さ、価値をなるべく保存しようとする考えは金属に通じる。

金属はありとあらゆる物よりも固いが、破壊という火力によって溶かされるのだ。

宮沢喜一内閣という、堅固で、財政調整によって安定を求めた政権は、火力という破壊力すなわち小沢一郎によって溶かされたのである。

このように、破壊の性質、火の性質を知ることによって戦いを予測することができる。

論より行動、立法府よりも行政府

2009年12月06日 20時20分43秒 | Weblog
憲法改正、とりわけ憲法九条の改正に私は関心を示さない。
集団的自衛権の行使については4つのパターンを想定し、これはいいとか、悪いとか論じたこともあったが、それはあまり意味がない。

つまり憲法九条を改正しようとも守ろうとも、その議論にはあまり意味がないと感じているからである。

これらの議論というのは、平時において論じられている。時間的余裕があると、いつまでも会議は長引き、延々と過去の歴史にまでさかのぼり、ああだこうだと続く。

しかしひとたび、有事があれば、それまでの議論などは一瞬にして吹き飛ぶ。

法の規定よりも現実対応が優先されるからだ。しかしそのような状況であっても、官僚や法律に詳しい学者などは言うだろう。「これこれは我が国の法律においてできません」とか。

だが緊急時に、そういう役人的な決まりをいちいち守っていたんでは事態は悪化する。

だからそういうときには、あとでどうとでも取り繕ってやるから今は法を無視し、予算を無視し、指導者のリーダーシップに従えということが重要であり、後始末についてはトップが責任を持って対処すればよい。

私が高校一年のときバスケ部の夏合宿で三宅島から帰ってそう時間の経たない頃、伊豆大島の三原山が噴火し都内は火山灰だらけになった。
このとき、大島町長も東京都知事も自衛隊に災害救援の要請をしなかった。災害救援は自治体からの要請がないと自衛隊は動けない法律になっている。しかし、中曽根康弘首相は、自治体からの要請はないのに、あとからあったことにして自衛隊を発動させた。

法律の解釈も、後々になって内閣法12条の官房長官の調整権を適応させたようだが、これは法律違反とみなされかねない。しかし現に大島町民は危機一髪を救われており、誰からも非難は出ていなかった。


時代は先に進み、オウム真理教による地下鉄サリン事件では、このとき、何の違和感もなく陸上自衛隊の化学防護隊が出動しているが、これも要請なく動いている。しかも、反戦平和主義の野党からは、侵略しない防衛のみの我が国にいったいこんな化学兵器を研究する機関など必要あるのかと追求されまくった部隊であったが、いざ地下鉄サリン事件が起きるや否や、対応が遅いと叱責する始末である。

このように、いざの場合は法律などというものは無力であり、武人政治家による上位下達のリーダーシップによって全て打ち消されてしまうのだ。

基本的に、官僚・法律家・学者というのは、すでに起きたことに対しての次からの決まりを作るのが仕事である。これはイザが来たときには一気に無力となり、武人によるリーダーシップが力を発揮し、その実績が前例となって役人たちが踏襲していくのである。

時代が安定期のとき、役人はよく機能するが、我々が今、目前にしている「資本主義の崩壊時代」においては、武人政治家によるリーダーシップが重要なのであり、それに協力する武従性のある学者・法律家・教育者・文化人こそ次の時代を担い、武従性のない学者・法律家・教育者たちは足を引っ張るだけ引っ張るが、そのうち永遠の縮小をしていくだろう。

新たな未来を作り出すのは、法律改正によってできるのではなく、実行によってできるのである。したがって、立法府に野党として存在するのはあまり意味はなく、それよりは小さな自治体の執行機関を取りにいくほうがよいと私がするのはここにある。




以上、今から酒をガンガン呑むので難しい質問は明日以降で。

告発型市民のブーム

2009年12月06日 20時20分00秒 | Weblog
みんなが告発すればいいという世の中。
近年あまりにもそのようなことをするがために、その波に乗って、間違った権利の主張が多くなってきていると私は考えます。私の周りでは、このような例があります。
第一のケース・・20代の従業員で彼はつねに月間売上100万円から120万円ほどなので45万円の固定給としました。彼もそれで納得しました。あるときに特別報酬として歩合給の15万円を渡し、さらに会社にお金を貸してほしいと言ってきたのでその月に30万円貸しました。他にも会社の同僚に15万円借りていましたから、この月は105万円彼の手許にはいったわけです。翌月、彼はまた同僚に金を借りようとしましたが、断わられました。会社においても貸しませんでした。そして給与45万円を払うと、彼は歩合給をよこせと言い出しました。先月は、お礼のつもりで出したのですが、それを毎月払えというのです。なぜなら月45万円では生活できないというのです。いったいどんな生活をしているのか聞いてみると、とくに家賃も9万円なので高くはなく、本人にしてみると何に使っているのかわからないけれどとにかく45万円では生活が保障されないとの一点張りです。毎日のように私に電話をしてきます。彼は労働監督局にいくと訴えました。私は無視しました。当局からは連絡はありません。彼は退社しま
した。
第二のケース・・まるで小泉純一郎氏の落選時代のように会社にこなくて毎月15万円給与をもらっている社員がいました。私がその会社を受け継いだときに、この人に会社へ出社してくるように言いましたが、来ません。その以前の会社が支払わなかった30万円については、出社していなくても、私がこの会社を受け継いだ責任があるのでそれは支払いました。しかし、引き継いでからは、会社に来ないので給与を払わなかったのですか、これまた労働監督局へ行きました。この方にはものすごい屁理屈があるようで、私の携帯電話に毎日毎時間バンバン電話がかかってきます。憲法やら民法やら労働法での理屈を言います。全て私は反論できますが、ただ一方的で無益なのでやりませんでした。もちろん、この問題についても当局からは連絡はありません。
第三のケース・・Aさんは、私の会社でアパートの賃貸借契約をしました。東京・練馬でお風呂つきのわずか4万円代のアパートです。しかし、洗濯機置場の場所がよくないと言って契約を破棄したいと言ってきました。それで解約の手続きをして、契約金・手数料など全て返還したのですが、Aさんは法律に詳しい人に相談するといってのちに引越し代をも請求してきました。そんなものに応じる必要は本来ないのですが、せっかくの縁なので、だいたい一人暮らしなので3万円くらいが妥当だとして振込みましたが不満なようです。鳥取(真偽は不明)からバイクも持ってこなくてはいけないし、バイクは2台あって、1台ずつ往復しなければいけないと多額の金額を請求してきました。消費者保護の観点からこれが当たり前だと言っています。私は彼に応じなかったので、彼は東京都知事に訴えましたが、都庁からは「ちょっとおかしい人が今きています」との電話を受け取ったのみでした。
このように告発する社会というのは、どんどん間違ったものの考え方をして、変な人間を生み出しています。自分の正当性を言い張って、自分の都合のいいように、いろいろな権利を利用しようとし、人間性を失った社会がだんだんとできつつあるのではないかと思います。
考えてみるに、これらのほとんどはお金の奪い合いから起きています。お金というものは、あったらあっただけいい経済制度から、使った方が利口であると考えざるをえない経済制度に変えていくことが解決の方法だと考えます。
お金以外の問題もあります。
それは告発型市民運動が正義だとして、その告発そのものを楽しんでいる輩です。
第四のケース・・Zさんは、役人の不正を暴いてはそれを楽しむ人間でした。なんでも反対ではなくて、代替案を提示することが自分の役割だと言っていますが、その記事内容から見れば「死ねばいい」などと言っていたりして、とてもまともな人間ではなかろうと私は思っていました。
そのうちに、私に対しても侮辱するようなものの言い方をしてネット上で討論してきました。きわめて不快なことをしてきます。私はそのような不誠実なものの言い方、そして事実をねじまけたことを前提にして物事を書いてくるので、無視しました。すると彼は平和党関連のブログのほとんどに嫌がらせ行為をしました。そこで私はそれらのコメントを削除するように依頼し、関係者にトラックバックしました。それを彼は無視し、人権侵害だということで法務局で人権を侵害されたやら、警視庁やら、選挙管理委員会だのに通告すると言ってきました。上記3つのパターンと全く同じ、権利の認識不足である人なので、「どうぞそのようにしてください」と言って、平和党本部の所在する警視庁中野警察署、東京都選挙管理委の電話番号まで教えてあげました。 しかし、各行政機関からは何の連絡もありません。おそらく各方面はいつものわけのわからぬ人間として、相手にしなかったのだと思います。自分で火をつけておいて、自分が被害者だと名乗るわけですから、どうしようもありません。
これらは権利というものを間違ってとらえている社会・・・こうしたものができたのだと思います。
しかし、これは経済優先社会の末期に起きてくる現象です。すなわち倫理上不適切な人間が、社会倫理を言い出してくるのです。これは歴史のパターンですから、こういう人間は必要だろうと思います。ただし、次の時代にすぐに突入しますから、こうした輩はいなくなります。現にすでに誰からも相手にされていないようです。
こういう人は、人の上げ足をとることが好きですから、いくら討論していても、発展的な新たな提案というものが生まれてきません。他人の考えを否定することが目的ですので、自分を磨くことになりませんから早めに切り上げたほうが良いのです。
相手がこういうタイプの人間であることを早めに気付けるか、気づけないかは非常に重要なポイントだと思います。

私の参院選投票履歴

2009年12月06日 20時19分01秒 | Weblog
●1992年
【東京選挙区】森田健作(無所属)※日本新党の友党である民社党推薦だったため
【比例区】日本新党※日本新党党員だったため
●1995年
【東京選挙区】中村敦夫(さきがけ)
【比例区】さきがけ※日本新党がなくなり新党さきがけへ。中村敦夫選挙事務所に専属に入った。
●1998年
【東京選挙区】中村敦夫(無所属)
【比例区】自由連合※中村軍団にいながら自由連合で遊説隊長を勤めたため
●2001年
【東京選挙区】遠藤乙彦(自由党)
【比例区】嵐(自由連合)
※小林至選挙対策本部長をやったが途中で袂を分かち、横浜銀蠅の嵐ヨシユキ氏を徳田虎雄代表に引き合わせた責任をとり
●2004年
【東京選挙区】青島幸男
※自由連合が二院クラブと会派を組んでいたため
【比例区】中村敦夫(みどりの会議)※親分に最後のご奉公
●2007年
【千葉選挙区】岩渕美智子(国民新党)※反小泉の保守だったことと自由連合徳田代表が亀井静香国民新党代表代行と親交深く石原新党運動をやった流れから。
【比例区】せと弘幸(維新政党・新風)※当時、瀬戸氏と平和党と同盟関係を結んだため

【愛国心】左右脱却から自然への回帰へ

2009年12月06日 20時18分05秒 | Weblog
やはり近年の問題は、愛国心という言葉を軽はずみに使い、愛国心たる気概を常に肝に銘じていない者や、愛国のための身体を鍛えず口ばかりが先行し、日本人としての儀礼も身に付けていないようなのが愛国・保守を名乗るわけだから、日本がズタズタになっていくのも無理もない。


そもそも、愛国心なる言語は明治以降に作られたものであり、愛という単語が頻繁に使われ出したのはキリスト教伝来からである。

さらにこの愛国心なる言語は、近代国家を指していることが多い。神道についての考えも、明治以降に作られた国家神道であり、そんなものは日本の伝統にあらず、西洋にあわせて作られたものである。したがって国家神道の愛好者は、己の考え方とは違う左翼的思想に対して徹底的殲滅を図ろうとする。しかし本来の神道は、全てを生かし、全てを1つにまとめるおおらかさと、和を持って尊しとなす精神がある。

しかし現代の右翼思想は、己と反対の考えをみつけ次第、喜び叫んで罵倒したがる。彼らは日本人がバラバラになっていくことに常に嘆いているが、その日本人を左右に分けてバラバラにしている張本人が彼らなのである。

まことに愚かなる人々は盲目に至るため、ちょっとやそっとの警告では気づくわけもあるまい。

もはや、保守だの革新だなどと言う死語にこだわる必要もなく、左右を脱却する時代が望まれる。脱却には、人為的思想にとらわれることなく自然への回帰を政治的になしうることだろう。

今後の平和党支部活動についての概要

2009年12月06日 20時17分20秒 | Weblog
【東北ブロック支部】
来年上半期にもう一度栗駒を周り、東北党員による自然主義経済賛同者を募り、支部組織を軌道に乗せたい。佐々木支部長はすでにいろいろ実行されており、栗駒の震災復興とあわせて地域通貨を流せるようにしたい。



【北関東ブロック支部】
月例で、埼玉県北本市の魂合気道場にて武術鍛錬ができるようにしたい。康成法相については早く呼び起こすようにしたい。春からはまた、岩槻の農場での研修もあればイーエムについて勉強する必要がある。小村支部長にあっては、最も遠征している活躍があるので今後実を結ぶことになろうかと思う。



【東京ブロック支部】
国分寺及び伊豆大島での大麻に関する勉強会を定例化。東京にはもともと沢山のイベントがあるので斯波支部長にあっては、大麻からの自然主義経済促進に手を貸していただきたい。



【南関東ブロック支部】
千葉県内は東金を中心として毎月行い、3ヶ月に一度は横浜と山梨で行う。また党本部幹部会議との併用とする。千葉県は本部で、神奈川県と山梨県は伊藤支部長にお願いしたいが、山梨から愚樵氏が入ったので3県に分ける必要も検討。神奈川県では飯村事務局長を中心としての治安活動をいかにするかも引き続き考案中。



【近畿ブロック支部】
最近、停滞がちであるので、西成区のホーム薬局を中心にして、行動のための勉強会を再開したい。韓支部長にあっては、江戸川支部長代行とともに協力していただき、小林事務局長の積極的参加にも期待したい。琵琶湖での開拓と大阪中心部での地域通貨促進が望まれる。


【九州ブロック支部】
いまだ大会を開いていないが、今月中に杉本支部長が予定を決めるということなのでそれ待ち。福岡、佐賀、長崎、熊本に分散しているのでこれをいかにして集約するかが課題。

自然主義経済への道

2009年12月06日 20時16分36秒 | Weblog
前記事に内容を引き続きたい。

現代において、採集はともかく狩猟経済をやることは、少なくとも日本では不可能だ。アメリカでもいくら大陸が広いからといって二億を食わすような狩猟経済は無理だろう。

だから我々は、農耕・漁業・牧畜というストック型第一次産業で生きていかねばならない。しかしプラス利子の体制下では、金融ビジネスにかなうものではない。そこで自然主義経済というストックできないシステムに切り替えることでこの点をカバーしようということである。

人類が、武人時代→知識人時代→経済人時代→守銭奴の横暴・奴隷の反乱→武人時代

と永遠に繰り返しているわけだが、いつもいつも守銭奴の横暴により、人類は凄惨な目に遭っているのだ。

だからこのサイクルをなるべく長めにとるかしかないと私は常々思ってきたわけだが、ヲシテ文献の登場により、少し物の考え方を変えるようになってきた。

というのは、この文献に記載されている歴史が本物だとすると、確かにサイクルには沿っているのだが、異常に武人時代と知識人時代が長く、江戸時代や平安時代から比べても途方もない長い期間での平和達成を可能にしている。

やはり最後は守銭奴によって終了しているようだが、周期を長く持続できた理由についていろいろ考える必要がある。

しかも、栗を主食にしており、ストック可能な経済システムで平和サイクルの長期化を実現しているのである。

この原因については、深く読めばわかるのかもしれないが、現在のこの文献の解釈は、単に既存の右翼思想の正当性を高めるだけの手下に成り下がっているため、あまり関心がわかないし、そのまま行けば、偏狭なる政治思想から他者排斥しか考えられない有害なものとなる。和の発想から程遠い路線であるから、文献から知るのではなく、自然界との直接対話こそ悟りやすいので、実践を主にして自然主義経済をさらなるものにしたいと考えている。


現在までの実践を通じてよくわかることは、ありとあらゆる場所に貨幣の力が浸透してきており、今まで日本で確認できる有史以来、最も困難を極めるのではないかということである。今まで6度ほど武人時代=農回帰をやってきているが、近代以降、資本主義による通貨の力は凄まじく、容易に壊せるものではない。

かつての6度は、貨幣中心とは言っても、地方の奥地まで行き渡っていない場所があった。しかし現代では農村こそ貨幣流入の少なさの苦しみに喘いでいる。

これはおそらく、電力なしで先進国国民が生きていけなくなったことに由来すると思う。

資源を海外に依存しすぎたため、自発的にここから抜け出すのは難しくなっているのだ。

したがって、国民に対して自発的になすよう呼びかけても実現には至らないだろう。どのように補助金を与えてもこれは変わらない。


となれば、外圧によってしか変わらないのだ。そしてその外圧は中国やインドなどの発展によって、食料・エネルギーの輸入断絶は徐々に現実のものとなりつつある。

しかしそのように国民に呼びかけても無駄だろう。ほとんど多くの人々はその時になって初めて慌てるわけだから、いくら教えてもそれは不可能である。

したがって、そのような危機に備えて、鍛えられたる武人たちが、万全の準備を整え、いつでも切り替えていけるようにすればいい。何も資本主義経済を否定する必要性などどこにもないのだ。

全ては自由選択として、新たな方法案を国民に提示するだけで十分である。

自然主義経済の強制~資本主義経済の禁止は必ず失敗する。
必ず自由の幅を広げ、どのようなイデオロギーであっても容赦する寛容さがなければいけない。なぜ社会主義が資本主義よりも先に倒れたかは前世紀に学んだはずである。

そして今度は資本主義が消滅する時代に突入しようとしているのだ。その代替としての自然主義経済であるが、ほとんどの人は笑うだろう。そんなものは宗教だなどと言われるだろう。しかしこのような現象は歴史上何度も繰り返されている。資本主義がとんでもない宗教であると気づいていない人々が圧倒的多数である。世の中全体が実はL&Gであることにもうやがて気付く。

貨幣は大地を殺し、大地は貨幣を生かす

2009年12月06日 20時15分39秒 | Weblog
平和党南関東ブロックの愚樵さんに触発されて、いろいろ考えてみた。

中沢新一『純粋な自然の贈与』より引用。

 農業による大地は、たくさんの価値を生み出した。栽培植物は森の動物よりも、ずっと人間の意志にすなおに応えてくれるので、以前のように森の神にデリケートな倫理的配慮をおこなう必要が、少なくなったのである。おまけに穀物は貯蔵がしやすいし、量を計算することもできる。もちろんここでも、大地をつらぬいて流れる贈与の霊が、穀物や根茎の実りをもたらしている。十粒の種を春にまけば、秋にはそれは数千粒に、増殖をおこなう。農業の根底にも、自然の贈与があるのだ。だが、その贈与物は、貯蔵や持ち運びに便利で、しかも計量できる。贈与という行為では、相手があたえてくれるものを、計算したり、価値に見合ったものを返礼するのは、いやしい、倫理にはずれたことだとされていた。ところが、農業というかたちで、人間にあたえられる自然の贈与物は、持ち運びも貯蔵も計量もしやすい。人類は、「死への恐れ」につきうこかされて、農業をはじめた。財産はたしかなものとなり、所有は堅固な形式をもつようになった。そして、そのかわりに、自然との契約の精神を失いはじめた。農業には「死への恐れ」、所有の喪失への恐れが潜在している。ここから商
業の世界までは、一歩なのである。
 貨幣の起源神話に、そのことがはっきり表現されている。ブリギアのミダス王は、ディオニュソスから、手に触れるもののすべてを金に変える贈り物をもらった。ところが王はこれを乱用して、おかげで黄金の砂漠の中で、飢えと渇きで死にそうになってしまった。そこで王は、神にこの贈り物をとりあげてほしい、と頼んだ。ディオニュソスはそこで、王にパクトーロス川での水浴を命じた。そのせいでこの川からは砂金が採れ、貨幣を鋳造できるようになった、というのである。
 貨幣は大地を殺す、とこの神話は語っているのである。ディオニュソスの贈与は、大地が持っていた贈与する能力を殺害するのである。自然の贈与によって、「無」から「有」の発生が可能になる。ところが、貨幣は、「無」から「有」をつくりだす能力を持っていない。「有」を別の「有」に変態させることができるだけだ。そのために、貨幣の登場によって、贈与の霊は致命的なダメージを受けることになる。貨幣が社会の富を貯蔵し、流通させる手段として発達するようになると、人間の生きる世界の底部では、いっせいにあの「充溢した無」の領域への開口部が閉じられはじめるのだ。貨幣の出現を準備したものは、農業である。貨幣にいたって、「死への恐れ」に対処しようとする欲望は、完壁な表現のかたちを見出すことになる。ミダス王を飢え死にさせようとした貨幣は、それ自身が死の様式としてできている。つまり、貨幣による経済の発達は、死の様式によって、「死への恐れ」をのりこえようとする試みだった、といえる。


【引用終わり】

古代人の狩猟採取は、現代人の農業に当たるが、古代人にとっての農耕は、人の手が大きく介入している現代人からすると工業的だったものに違いない。

そしてストックできる富は、現代人にとっては貨幣だが、古代人にとっては穀物に相当するだろう。

そこから人類は争いを始めたものと思われる。


貨幣は大地を殺すというこの事実はいまもなお進行している。

一方、大地は貨幣を生かす。プラス利子であってもマイナス利子であっても、大地は貨幣を生かす。

大地から生み出す産物が経済を作るからである。しかし貨幣とりわけプラス利子は大地を殺す。

大地ばかりか人を争いに巻き込み、貧富を作り、病気を作る。

したがって、貨幣を基準にするのではなく、大地を基本にした政治が必要となってくる。

大地を基準にした貨幣制度では、減価する通貨制度が必要であるが、私は昨年からか一昨年からか、いつの間にか、「貨幣制度の改革」が基軸になるのではないと感じるに至った。

それは生まれ育った東京を生まれて初めて離れ移り住み、やや田舎での生活を始めたこともあるが、決定的であるのは我が党あさっての内閣メンバーである早雲財務相の言葉である。それは「貨幣は道具である」ということだ。

自然主義経済自体は、貨幣は道具であるから貨幣に埋もれるなと教えておきながら、貨幣制度の改革が全ての改革をもたらすとしている。

しかしながら、これは貨幣を道具と見ていない考え方であることに気づいた。

貨幣はあくまでも、大地の道具なのであって、例え減価する通貨といえども道具の一つにすぎない。

したがって、大地を殺さない貨幣を作る必要はあるが、拠って立つは大地なのである。

だから若干の修正変更として「土地」に対する政治経済という方針にして、党メンバーで、土地とりわけ農地に向かって常に活動を始めたわけだ。宅地という貨幣取得目的の土地開拓ではなく、農地・山林原野という「大地」に向かっての働きかけである。


歴史のサイクルは、「流通・金融・商業」を商人感覚の守銭奴政治が推進し、貧富格差が生じて、貧困層が暴れ出し破壊する。

そして次の新しい時代に切り替えていくのは武勇性を持った武人たちが、貨幣中心をやめて土地に戻り開拓してきている。

アメリカ大陸の開拓も、徳川政権開幕も、時代の切り替わりはことごとく土地に戻る。


したがって、大地を切り開いてこそ、自然通貨は生まれてくるのであって、決してその逆ではない。私がシルビオ・ゲゼルの自由貨幣論には賛同できても、自由土地論に賛同いたしかねる部分はここにある。

自由土地論というのは、土地を貨幣の価値基準に当てはめてしまっている。標準とすべきは土地である。貨幣ではないのだ。

自称保守のニワカぶり【剣道編】

2009年12月06日 20時14分15秒 | Weblog
「平和党は、国家というものをなめすぎている。だから左翼である。」
「平和党は、環境主義ではあるけれども、軍事力を肯定し天皇を崇拝する国粋主義である」

彼らの言い分は、いずれも近代西洋を基準して図られたものである。

平和党は保守を名乗ったことはないが、保守を名乗る人ほど、明治以降に「これが日本だ」という作られたものを大事にしたがる。あたかも、はるか昔から続いているような認識を持っているが、実はすべて近代西洋文明を取り入れたときに「前からありましたよ」みたいな顔をしているのがここ近年の自称保守連中である。

彼らの国家観は、まさにこの武道の歴史の中にあらわれているといえよう。

剣道は、防具をつけているが、あの防具はフェンシングをもとにして作られている。宮本武蔵が面や胴をつけて練習していただろうか。これらをつけたのは、明治以降である。

なぜそのようにしたかというと、江戸時代の剣術は、「野蛮であり、遅れたものである」から、西洋人が認めてくれるように工夫して作ったものであり、西洋人に認められてこそ発展と考えるようになったからだ。

であるのに、中学校で「日本伝来の剣道や柔道を義務化し、日本の伝統文化を養おう」などという、洋弓経験者の首相も出てくるわけです。

以下、『古武術からの発想』甲野善紀著からの引用 <<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<
いま剣道では、胸を張り背筋を伸ばした姿勢を「正しい姿勢」として勧めていますけれど、ああいう「きをつけ!」的な姿勢は、明治になって軍隊の訓練にドイツなんかの方法を導入してからだと思いますね。
それ以前の剣術の姿勢は、幕末や明治のはじめの頃の写真をみても、江戸時代の伝書の絵をみても、みな胸を落としたものばかりで、胸を張ったものなどまったく見当たりませんから。
つまり明治時代になって欧化主義の嵐に見舞われ、武道の方も、その根本姿勢、スタイルをその時代に合わせるようにして改変していったのでしょう。まあ、当時としては、そうせざるを得ない社会的背景があったのだと思います。なにしろ維新直後は剣術の稽古をしているだけで、京都なんかでは反政府主義者とみられたといいますからね。ただ問題なのは、日本が日露戦争で勝ったあたりから、変に自信を持ちだして皇国日本の自意識過剰になり、明治の初期に改変した姿勢やトレーニング方法を、まるで昔から伝わってでもいるかのように言いふらしたことですね。
ただ、これと似たような傾向は、古武道界にもあり、大正や昭和に新しくつくった武道の新技法が、まるで江戸時代、あるいはもっと以前から脈々とひそかに伝わってきたような話をでっちあげてしまうこともけっこうありますからね。
たとえば、私が親しくさせていただいている古武道界の長老の名和弓雄先生は、私に、ある古武道家を名乗る人が「我流には他家を訪問して、いきなり斬りかかられたとき、とっさに自分の敷いていた座布団で敵刃を防ぎ、身を守る方法が伝わっています」というような説明をして、その型まで演じられたときは、笑いだしそうになるのをこらえるのが大変だった、と話してくださったことがあります。
昔、つまり刀を日常に帯びていた江戸時代以前は、庶民はもとより武士の家で座布団を使うという習慣は全くなかったからです。
私は詳しくは知りませんが、座布団というのは、昔遊郭で使われていたのが、明治以後一般化したという話もあるようです。
とにかく、江戸時代なら、あるはずのない座布団で敵の太刀を受けるというのは、武士の時代が終わってから誰かが考え付いたものであることは明らかです。
ですから、その型が代々受け継がれてきたなんてことはありえないわけですね。
まあ、古武道界に限らず、「日本の伝統の何々」といわれるもののなかにはけっこうあるんじゃないですかね。
<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<
現代の政治の世界でも、保守を名乗る人は、あたかも昔からあるようなことを言っている人が多くある。「日本人の誇り」「日本の伝統」をことさら強調している人のブログ、保守派・右翼系・極右系もよく読むと、全く勘違いしている。彼らは西洋化支配を受けているのに、その自覚がみじんもない。自分と同じ考えの人だけで凝り固まっていること自体が、日本の伝統とは大きくかけ離れている。
政治の世界でも座布団に相当するような、思い当たることがないか、よーく考えてみてください。

守銭奴時代の維持か、武の実態時代か

2009年12月06日 20時13分35秒 | Weblog
今と同じ守銭奴時代である鎌倉時代の後期、皇室領である室町院領に収支決算資料が残っている。

年貢高は合計五千貫。1貫が10万円として約5億円。天皇家は豊かな財政を築いており、この他、貴族や大社寺など多くの荘園領主があり、膨大な額の貨幣と物品は京都に集中していたのである。

商人もめざましく成長し、朝廷がこれを保護してきた。

朝廷は京の町に職員を配置し、債権取り立て、抵当物権の差し押さえ、営業上の紛争介入という民事介入を行う。

しかし天皇の権威もだんだん失墜して、人々が従わなくなると、武家による民事介入暴力でないと片付かなくなる。

ここで武家が再び上昇し始める。そして室町幕府ができるのだが、この政権は他の2つの幕府と違って、京都に置いているため、流通に関わることが多く、なおかつ天皇にも関わりやすい。

しかし天皇と言っても、蔑ろにされている。美濃の守護・土岐頼遠は京都で光厳上皇の行列に出くわすや否や、牛車を取り囲み犬追物をするが如く矢を放った。

近江の守護・京極導誉は、同上皇の兄弟である法親王の邸宅を焼き討ちし財宝を奪う。

将軍執事の高師直は、「京都に王を名乗る者はやたらに立派な邸宅を構えているが、その前を通る際にはいちいち馬を降りて礼をせねばならぬ面倒くささがある。どうしても王というものが必要ならば木で作るかにして、生きている天皇らはみな流して捨ててしまえ」と言い放つ。

別に天皇が125代続こうとも、一貫して怖れられたことはなく、むしろ舐められ期間、形式上奉り期間のほうがはるかに長い。

天皇の土地が欲しければ力ずくで奪えと彼は部下の武士に指示している。

このような考えが支持されるのは、守銭奴天下を治める天皇に対しての庶民の反発がエネルギーとして存在する。


しかし面白いのは、武家は天皇を思う存分利用してきたことにある。

高師直が土地は天皇から好きなだけ奪いとってこいとは言うものの、奪い取った後は「あとは俺が適当に言い繕う」と言う。つまり天皇を存在させながらやってきたわけだ。

豊臣秀吉は征夷大将軍になりたがったが、天皇から「源氏の子孫じゃないとダメ」と拒否された。日本以外の国ならば、力ずくで天下を取っているのだから天皇家を皆殺しにし、自らが王位につくのだが、日本ではそれをしない。それは確かにすごいことではあるが、単に形式上残しながらあるだけの権威はそれ以上のものではない。

したがって、日本では天皇がいかに愚かであっても必要とされてきた。利用価値の高いものである。

しかしそんなことをやっているのは京都とその周辺だけであって、彼らは支配しているつもりかもしれないが、地方には地方の温かいコミュニティーがあり、地産地消で自立した社会があり、天皇が誰だろうと構わない豊かな暮らしがあったのである。

それを脅かすような事態に陥れば、地方の実質権力を持った武勇なる為政者たちにいつも中央は小突かれるのである。

本日は、大嘗祭だと言うがこれをやらないと、完璧な天皇ではないくらい、この行事は重要であるらしい。

おかげで、米がたくさん実りました。ありがとうございますということをするのが新嘗祭であるとのことだが、私などは、今年作った新米は先々月稲刈りしてあれから毎日バクバクいただいている。

何も天皇のやる行事にしたがわなくても、実態ある土地に暮らし、自然と直接触れ合う者たちにとっては無関係である。

知識で余計なことを身につけると、自然らしからぬ考えを持ち出してきて、いらぬ争いを作り出すものである。

農は、より実際的であり、実態こそが武の道である。この武はやがて、実態なき形式ばかりのイデオロギーの知や、貨幣の富に噛みつくことになろう。今はまだ安泰であるから十分満喫しておくか、次世代を考えるならば次のことにシフトするかは、その人次第であろう。