おおさか佳巨 街頭演説のブログ

減価する地域通貨ですべての改革

3.お金はどこまで行っても人件費

2009年12月07日 09時59分59秒 | Weblog
次に労働について考えてみましょう。ラーメン屋で働いている人がいるとします。ラーメンを食べてお金を支払うお客さんがいる。お客さんのお金は、ラーメン屋に入る。お店は家賃、光熱費、水道料金、従業員の給料を払い、仕入先にも支払う。

家賃は家主に、光熱費は電力会社に、水道料金は自治体に移動しますが、ここから先も延々と仕入先か自社従業員の給与・役員の報酬などで使います。そこで使われた金はどこまで行っても、必ず人件費になります。ラーメンは食べて排泄物になるのに、お金は延々とお金でありつづけます。いずれ自然界とのバランスが崩れて、その矛盾から破綻するのは当然でしょう。

まして、このお金は交換機能としては問題ありませんが、貯蓄・増殖するためやっかいな問題を引き起こします。

人件費にすべてなると言いましたが、正確には人件費を経由して留まっていることもあります。それが大資本の場所であり、具体的には政府・金融機関・大企業等という力を持っているところになります。

これらの弊害により、次のようなことが生まれます。

●貧富の差
●返せるわけのない借金による苦しみ・自殺
●お金を中心として形にこだわり心を失う
●生命の尊さを知らなくなる
●自己中心主義社会・孤独
●社会病理現象・教育荒廃・児童福祉の衰退
●農林水産業の衰退
●医療の形骸化・高齢者福祉の衰退
●環境破壊
●財政破綻・年金破綻
●戦争


どこまでいってもお金は決してラーメンにはならず、チャーシューたる豚にも、卵たる鶏にも、土から育つねぎにもならない。お金を土に埋めて、ねぎは生えてくるでしょうか。
こんなことは当たり前なのですが、実際にやっていることは、当たり前でない事をやっています。自然界はお金を単なる紙か金属としてしかみていないはずです。

2.自然の恵みがお金の傘下という現状

2009年12月07日 09時07分52秒 | Weblog
自然の恵みがお金の傘下という現状

私の家の近所では白菜が、スーパーで160円でいつも売られていたのですが、この日は80円であったので昨日妻が買ってきました。いつも野菜が高いと言っていました。肉となる牛・豚は穀物を原料にして人間に食べられるのに、肉はなぜ米や野菜より安いのだと。そして、そのあと、全農が白菜とダイコンが供給過剰となったので1万トンほど処分するという話を彼女にしたら、「なんてもったいないことを!ただでくれたらいいのに」と言いました。
私は「そしたらそれを作って働いている人の生活はどうなるんだ。ただであげたらその人たちの収入がないだろう」と言いました。彼女はとりあえず納得したようですが、解せないものがあるらしいです。
肉が安いのは貿易の仕組みを利用しているからであり、国産の野菜もまた資本主義経済の仕組みに支配されています。お金が先にあって、その命令に従って食料がある・・・と今の仕組みはなっています。