安倍晋三首相は10日夜、いじめ自殺を予告する手紙が相次いで文部科学省に届いた問題で、いじめに悩む子どもたちに「君たちは決して独りじゃない」と、自殺を思いとどまるよう呼び掛けた。一方、いじめを行っている子どもたちには「いじめはいかに恥ずかしいか、よく考えてもらいたい」と戒めた。首相官邸で記者団に答えた。
安倍首相は真面目ではあるが、このようないじめ自殺問題に取り組むには、その能力は評価できるものではない。「子どもたちを独り」に追い込んだのは、政府をはじめとした社会である。現代社会は、「いじめがいかに恥ずかしい事であるか」ということが示される社会を作らずに、口で言っていても問題は解決しない。今は、まさに「いじめがあっても恥ではない。むしろ面白い」というものを作り出している。文化もそうだ。
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いかにも自分たちが教育問題に取り組んでいるのだという自己満足のためだけの教育基本法改正問題。これは憲法においても同じである。憲法を改正しようとしまいと、教育基本法を改正しようとしまいと、これは為政者の自己満足でしかなく、実態社会に影響しないのである。すべきことは、現場での改革である。しかし、教育を論じる方々は、議論そのものに満足を得ようとしており、子どものことなど考えていない。思想と思想が対立するのも、教育腐敗を招いているのだ。
現場の改革、それは地域・家庭のあり方を変革することにある。テレビやインターネットという、直接人間同士が触れ合わないものの発達は長所もあるが、短所も生み出している。こうした通信分野の発展とともに、人間同士のコミュニティ再構築が最大の教育改革である。平和党の提唱する自然主義経済は、資本の力を殺ぎ落とし、政府の力なくして教育改革が可能である。これが現場の改革につながるようになる。
ところで、このブログ
みのもんた、ダウンタウン浜田を“いじめの元凶”と批判
には、いじめを助長してきた文化社会がある。平和党の楽天ブログ担当者から見聞させていただいたのでぜひ皆さんにご覧頂きたい。
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