難聴者、中途失聴者が手話を学ぼうとするのは、手話の習得によっ
て失われた会話、コミュニケーションを取り戻そうとするためだろう。
手話を学べば手話で話ができる、出来るようになるということを期
待、希望している。
しかし、難聴者、中途失聴者は難聴であることで会話ができないで
いる、あるいは会話の中に入れないでいるがそれだけではなく、聞
こえる人ならば会話によって生まれる知識の獲得、相手への共感、
畏敬、その他の感情によって、積み重ねられる「関係」が積み重な
らないのだ。結果としてその場にいる他の人より「関係」が薄く
なってしまっている。
手話の習得によって、同じ手話を学ぶ同級の受講生とのコミュニ
ケーション、講師とのコミュニケーションが生まれる。手話の表現
がぎこちなくても、一緒に聞こえないことを分かりあえているとい
う共通の意識を持っているので通じる。
会話が通じることと「関係が積み重なっていく」こと(関係性の発
展)が喜びとなって、学ぼうとする意欲が増してくる。
この「通じる」ことと「関係性の発展」が難聴者、中途失聴者の手
話の学ぶ意味がある。
ラビット 記
※通勤路に咲いている唐辛子
「自立のための手話講習会」だけれども、「自立」の定義は難しい。
難聴であることの理解、聞こえの障害だけでなく、関係性の障害を持っていることの理解があること、種々のコミュニケーションの方法があることを知っている人、権利意識を持った人と言うようなことを考えたが、ハードルが高い。
て失われた会話、コミュニケーションを取り戻そうとするためだろう。
手話を学べば手話で話ができる、出来るようになるということを期
待、希望している。
しかし、難聴者、中途失聴者は難聴であることで会話ができないで
いる、あるいは会話の中に入れないでいるがそれだけではなく、聞
こえる人ならば会話によって生まれる知識の獲得、相手への共感、
畏敬、その他の感情によって、積み重ねられる「関係」が積み重な
らないのだ。結果としてその場にいる他の人より「関係」が薄く
なってしまっている。
手話の習得によって、同じ手話を学ぶ同級の受講生とのコミュニ
ケーション、講師とのコミュニケーションが生まれる。手話の表現
がぎこちなくても、一緒に聞こえないことを分かりあえているとい
う共通の意識を持っているので通じる。
会話が通じることと「関係が積み重なっていく」こと(関係性の発
展)が喜びとなって、学ぼうとする意欲が増してくる。
この「通じる」ことと「関係性の発展」が難聴者、中途失聴者の手
話の学ぶ意味がある。
ラビット 記
※通勤路に咲いている唐辛子
「自立のための手話講習会」だけれども、「自立」の定義は難しい。
難聴であることの理解、聞こえの障害だけでなく、関係性の障害を持っていることの理解があること、種々のコミュニケーションの方法があることを知っている人、権利意識を持った人と言うようなことを考えたが、ハードルが高い。