難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

民主党党首選挙と障害者の視点

2010年09月02日 20時06分52秒 | 日記(つぶやき)
民主党の党首選挙が始まった。
国民の目から見れば、そんなことをするより臨時国会を召集して、経済政策、普天間問題、就労対策などをしっかり議論して欲しいところだ。

障害者の立場からは、障害者権利条約を批准するために障害者基本法の改正、差別禁止法の制定、その他の施策を実現する意欲があるかどうかが鍵だ。

政権を奪取した鳩山内閣は政治主導で施策を進めると言いながら、障害者プロジェクトチームを解散し、少数の政務官に委ねた。
これは小澤の幹事長集権化の影響だったことは忘れていない。
未だに障害者制度改革推進本部の法定化は放置されたままだ。

長妻厚生労働大臣は障害者自立支援法を廃止する、障害者の意見を聞いて新法を作ると1万人の大フォーラム参加者の前で言明したにも関わらず、障害者自立支援法改正案を先の国会で提案を許したり、福島担当大臣が閣外に去るなど障害者は気が気でない。

管、小澤のどちらが党首になっても障害者施策は限界があるというのが正直な見方だろう。
なぜなら、どっちも国民の生活に直結する年金や福祉サービスの財源が明確に示せないからだ。
管が消費税アップに言及すれば小澤は一般会計と特別会計の見直しという。
どっちにしても国民と障害者の生活を直撃する。

障害者団体は粛々と推進会議の議論を進め、第二次意見をまとめることに傾注している。
10月にはまた大フォーラムが開催される。長妻大臣だけでなく、新総理大臣は参加するのか。

政治の秋だ。


ラビット 記

※出勤路のひまわり。初秋でも快晴下で頭を垂れたままだ。

カルチェ・ラタンと日本の聴覚障害学生 

2010年09月02日 20時06分39秒 | 権利
今日の朝日新聞人欄に愛知教育大学のろうの女子学生が映像ディレクターを目指していることが紹介されていた。

いろいろ考えることがあった。
・聴覚障害を持つ若い人が自分の可能性にチャレンジしているのは頼もしい。頑張れ。

・しかし、障害についての見方を変えるきっかけがアメリカに行った時だったのは複雑な気分だ。
日本では得られなかったのか。日本にそういう環境はまだないのかと残念に思う。

・アメリカのろうの学生の言い分が同じ授業料を払っているのだから(聞こえる学生と)同じものが得られるように(大学側が)配慮するのは当然という言い分には首を傾げたくなる。
聴覚障害をカバーするのは授業料を払っているからではなく、同じ学生だからであり、障害により受講条件が異なると差別する学習権の保障は大学の責務だからだ。

だからといって日本でも聴覚障害を理由に大学で情報保障されるかというとまだだ。
しかし、障害者制度改革推進会議が開かれている今がターニングポイントだ。
聴覚障害を持つ学生はいまこそ立ち上がって欲しい。

カルチェ・ラタンを埋め尽くした学生デモを日本でも実施して欲しい。


ラビット 記

※退社時の西の空が夕焼けだった。炎暑は続いても夕刻は日が沈む時分になった。

難聴者、中途失聴者の手話学習の意味(2)

2010年09月02日 00時02分05秒 | エンパワメント
難聴者、中途失聴者の手話講習会で、健聴者対象の講習会では重視
されていないことが重い意味を持つことが幾つもある。

1)自己紹介 名前がわかることが関係性の発展の基礎だからだ。
名簿を配布したり、ホワイトボードに書く、カードで示すなど明確
に伝わる方法が重要。
2)アイコンタクト 見つめるのではなく、自然に目を見て話す。
コミュニケーションに失敗している人たちは無意識のうちに視線を
合わせることを避けがちだ。手話を用いないで声だけでも、相手を
見て話すことができることをめざす。
3)コミュニケーション成就体験 話が通じることを最初の日に体
験する。
聞こえる人は話を聞けば通じるのが当たり前だから意識しないが、
初めて周りの人がどんな人だか知らない人に囲まれて、初めて講師
から声をかけられた時、ちゃんと答えられると言う体験が一人ひと
り大切。
4)受講の記録 初日から修了の日までの受講日誌。何を学んだか
だけではなく、自分の気持がどうだったかを記録していく。自分を
振り返るために必要。これは公開しない自分専用のもの。


ラビット 記
難聴者・中途失聴者対象の手話講習会の意義の一つは同じ難聴者などが集まることだ。

難聴という障害の理解もまだ不十分。
難聴者としてのコミュニケーションの考え方もまちまち。
家族や地域の人々、同僚の理解や支援の程度も様々。
年齢も人生も異なる。
同じ難聴で初めて手話を学びに来ているという共通項がある人たち。

同じ難聴者、中途失聴者の講師を見る、学ぶ人たちがお互いを見ることで自分の障害が見る機会がある。
そこから得るものは大きい。

※閉店するバイク店の前にあったBMW