難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

24時間テレビの字幕放送

2005年08月30日 22時02分19秒 | PHSから

050828_2125~001.jpg土曜日から日曜日にかけて放送された日本テレビの24時間テレビの最後の部分を見ていた。
行列の出来る法律相談所の出演者がゴールを迎えて、そのまま続いて番組が始まった。VTRが挟まっているが生放送だ。しかし、字幕放送が付いていた。
おおーっ、これはスゴイと感動してしまった。それはもう記憶が薄れかかっているが7、8年前に、24時間テレビには当然字幕がなく、インターネットで字幕配信活動をしていたRT字幕のメンバーからこれに字幕を付けて見たいという声が出て、日本武道館で入力しようという話になり、日本テレビの編成の方に電話したのだ。
担当の方に、聞こえない人たちに字幕がないのは申し訳ないが出演者に許可を得るには時間ないこと等説明を受け、断念したことがあった。

こういう経過があったので、スワ長年の夢の実現かと思ったのだ。残念ながら、24時間テレビの中ではなく通常の時間枠内の番組が生放送だったので、担当が頑張ってリアルタイムの字幕放送を実施したということだ。
しかし、延長戦でも字幕を付けてもらって嬉しかったと当時の担当の方にお礼のメールをした。

ラビット 記





総務省の字幕放送研究会に求めるもの

2005年08月29日 23時08分56秒 | 生活
今日の日経新聞に、総務省が字幕放送研究会の立ち上げることが載っていた。8月の朝日新聞に次いで、2紙目だ。
総務省、字幕放送普及へ今秋にも研究会発足 総務省は聴覚障害者向けの字幕放送の普及策を検討するため、秋にも有識者やテレビ局など関係者でつくる研究会を発足させる。同省は2007年までに、技術的に字幕を放送できる全番組での放送実現を目標に掲げている。 日本経済新聞 

字幕放送は、このところ台風情報も選挙特番や24時間テレビなど民放のバラエティ番組にも生放送の対応が増えているように見える。
記事に気になる点が二つある。一つは「技術的に字幕を放送できる全番組」という「技術的」という言葉だ。1997年に総務省(当時郵政省)が字幕放送普及の指針(ガイドライン)を作成した時に、案文ではニュースやスポーツ中継の生放送番組や音楽番組などがガイドラインの対象外になっていた。これでは、いつまで経っても生放送などに字幕が付かないことになることを指摘したので、「当面現在の技術では不可能な」という意味で「現在のところの」という注釈が入ったのだ。
http://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h16hakusho/zenbun/html/zuhyo/fig01_01_74.html
当時は不可能を思われていたニュースやスポーツ中継も今では字幕放送が行われている。技術的には字幕制作自体が不可能な番組は少なくなりつつある。逆に、デジタル化で出来なかったことが出来るようになる。要約や簡易な言葉の字幕とか文字の大きさや字体の違う字幕とか選択できるようになるはずだ。生放送は字幕が遅れて表示されるが映像の遅延を書ければ字幕の校正の時間も確保できて見やすくなる。字幕だけではなく、背景音を小さくして言葉を聞きやすくすることもできる(ミュート機能)。

もう一つの懸念は、有識者や放送事業者だけで研究会を作ろうとしていることだ。前回の次世代字幕放送研究会も当事者団体は一回だけ会合に呼ばれて意見を述べるだけだった。その時は、技術的な課題が中心だからという理由だったが、当事者が会合に参加することで知識が得られ、そのことが新しい知見やニーズを生み出すことになる。実際に、その時に紹介した高齢者がテレビ放送を視聴する場合の困難さに関する調査結果が報告書に採用された。
http://www.soumu.go.jp/s-news/2002/pdf/020424_2_1.pdf
http://www.soumu.go.jp/s-news/2002/020424_2.html
http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/chousa/jisedai/020110_1.html

障害者基本法を持ち出すまでもなく、国が障害者施策を形成する時には障害者当事者を参画させなければならない。

ラビット 記






聴覚障害者のお店

2005年08月28日 19時14分11秒 | 生活

050828_1720~001.jpg050828_1718~003.jpgタッチパネルの最初の画面はタッチパネルか注文用紙かを選ぶようになっている。タッチパネルのお客様の注文は、店内でお菓子の種類と数が分かるようになっている。

見ているうちも、次々と買い求める人が多かった。皆、タッチパネルを使って、買っていた。

ラビット 記




東京駅の聴覚障害者のお店

2005年08月28日 18時56分26秒 | 生活

050828_1721~001.jpg050828_1718~001.jpg東京駅の聴覚障害を持つ人が販売するお店に行ってきた。
八重州南口の改札口中の左側にある雪苺娘という生菓子を販売をしている。お店の看板にも聞こえないスタッフが仕事をしていることが大書されている。
注文はショーケースと同じ高さにタッチパネルがあり、品物の写真と数字で注文できるようになっていた。

聴覚障害を持つ人の働く職場にどんな条件が求められるのだろうか。コミュニケーションの壁を具体的に解決する手段が用意されていればかなり解決する。問題は、聞こえないから出来ないと最初から決めてかかることだ。医者だって、パイロットだって出来る。現に、スイスの難聴の青年がセスナ機の操縦桿を握って、世界一周のフライトをしている。

ラビット 記




難聴者支援の施策(1)

2005年08月27日 23時38分09秒 | 福祉サービス
難聴者を社会が支援する施策が必要なことは論を待たないが、問題は誰がそれを戦略として建てるかだ。

難聴者問題は、治療に関わる医療施策、難聴者に対する相談や機器の給付、通訳の派遣などの障害者福祉施策もあれば、放送と通信、交通、建築物のバリアフリー、難聴児・者の教育の保障や地域での理解の促進など広範囲にわたっている。

高齢者が2400万人もいれば数百万人単位であるいは1千万人を越えるだろう難聴者が存在する。団塊の世代が定年を迎えると言われているが、その中には多くの難聴者が含まれ、就労している人も社会の各分野で活発に活動しようとしている人もいる。
これだけの特定のニーズを持つ集団がいるのだから医療や補聴理論などを越えた難聴学や難聴社会学があっても良い。日本経済に及ぼす影響を論じる難聴経済論だのさらに難聴者文化論、難聴者向け難聴者サウンズだって生まれても良いくらいだ。

にも関わらず、難聴者問題に陽が当たらないのは、難聴が、「聞え」の障害だからだ。感覚の障害としか受け止められないのは挟小にすぎるが、実際にその聞えを説明するのはむずかしい。味覚は辛い、苦い、甘い、塩辛い、しょっぱいなどの共通の言葉があるが聞こえにはないからだ。

nancy&anyコミュニケーションの障害とは言うがもっと掘り下げて、対人コミュニケーションと環境とのコミュニケーション、難聴者のコミュニケーションの内的作用も探求が必要だ。


ラビット 記


写真)ニューヨークにある難聴者のためのリーグのナンシー・ナドラー博士(右)とアミー・K・ボイル博士



水谷修先生の講演を聞く

2005年08月27日 08時54分31秒 | 生活

050826_1552~001.jpg新潟県で第38回全国手話通訳問題研究集会が開かれ、一日目の記念講演で夜回り先生で有名な水谷修氏の話が聞くことができた。

実は、水谷氏のことは知らなかったが、帰宅して子供に話したら知っていると。
中高生の薬物汚染を防ぐために、教え子も動員して相談活動をしている。その活動を書いた著書は十数万部単位で売れているが、聞き間違いかも知れないと思うが、購入者の7割は中高生だと聞いた。
子供から16万通の暴走族や暴力団から足を洗いたい、薬を止めたいというメールに教え子たちと一緒に対応しているが、もう限界に近づいている、子どもたちが夜の世界に入る、非行に走るのは大人が悪い、毎日の大人の姿を見て、自分の価値が見えなくなり、逃げるところを求めているためだ。単に、薬はダメ、売春は止めろと言っても意味がないと。
子供には、10年先、20年先を見て、話をすることが重要だと聞いて、自分の子供に何と言っているか、反省した。

講演会の最後に、司会者の新潟ろう学校の教師の方が自分の学校のことを考えても大変参考になる話だったと感想を述べていたが、聞こえない子供のことをどれだけ身近に感じてくれる先生がいるだろうか。
聞こえない子供の苦しみは、親には心配かけまいとして、帰宅しても普通を装っているが心の中はずたずただった。それが盗みやマスターベーションに走ったり、感情を爆発させたりしていた。
自分の中学校時代の英語の授業では苦い思い出がある。教科書を1ページ暗記してくるのだが端から順に当てられてスピーチするが自分の番だけ飛ばされて最後になった。多分、宿題が出されたことに気が付かなかったのかも知れないと考えて、最後に回してくれたのかも知れないが自分にとっては屈辱に感じた。先生には、板書するとか聞こえなくてもわかる方法で伝えて欲しかった、他の子供と同じように扱って欲しかったと思うが、今になってみると先生もどう接していいのかわからなかったのだろう。

講演会の最後は、5分くらいも拍手が鳴り止まなかった。

ラビット 記




深夜の台風情報に生字幕放送が

2005年08月27日 01時32分55秒 | 福祉サービス

050825_2350~002.jpg26日の午前0時の台風に関するNHKニュースに字幕放送が付いた。
これは通常のニュース以外の生放送の台風情報の字幕放送は初めて見た。
昔から要望していたことが実現した一瞬だった。

今は、インターネットで気象庁やテレビ局の台風情報が見られるし、動画ニュースも普通になっている。放送のコンテンツが通信で配信される、いわゆる放送と通信の融合が進んでいる。
放送は、曲がりなりにも総務省の字幕放送普及の行政の指針があるが、通信についてはWebのアクセシビリティのJISがあっても、コンテンツ制作者、プロバイダーにアクセシビリティの確保を義務つけない限り、デジタルデバイドが広がる一方だ。

参議院では審議の状況がインターネット中継されているので、障害者自立支援法が審議される最終盤に要約筆記者などが事務所で聞きながら、記録を即座に作成したことがあった。聞こえる人は審議が「公開」されているが、聞こえない人にとっては非公開と同じだ。
参議院は、視聴覚障害者のアクセスを保障すべきだ。

ラビット 記





政見放送の字幕放送

2005年08月25日 06時00分11秒 | 福祉サービス

050824_2214~001.jpg総選挙の政見放送には字幕がない。もっと具体的に言えば、衆議院小選挙区と比例代表区の候補者自身が話す政見放送には字幕が付けられない。公職選挙法第150条によれば、候補者届け出政党が政見放送を行うことになっているので、無所属候補は政見放送がない。
一応政党が制作して持ち込むビデオに手話や字幕を入れることが出来る。しかし、義務付けられていないので、政党によっては字幕もないものがある。
さらに、参議院比例代表の政見放送には手話通訳が付くが、衆議院比例代表には付かない。

政見放送研究会が平成6年に参議院比例代表区に手話通訳の導入を適当とする報告書を出して、10年を経過したが、その後何の進展もない。当時の報告書には、候補者間の公平性や字幕スーパーの技術的困難さばかりが指摘されているが、字幕を必要としている人々への配慮に付いては一言もない。これは研究会の委員に当事者が入っていないからだ。
http://home.att.ne.jp/theta/setatsumuri/sanseiken-6620hokoku.htm

障害者の欠格条項を持つ法律の改正を求める運動の中でも自治省に交渉したが変わらないままである。しかし、その後字幕放送の技術は飛躍的に発達し、昨日の各政党の党首インタビューの生放送でも字幕放送が行われていた。地方の聴覚障害者情報提供施設が政見放送の字幕入りビデオを即座に作ってみせたこともある。テレモ日本には、ワンデーキャプショニングが可能な技術もある。
これは、政治の怠慢以外の何者でもない。

聴覚障害者自立支援法対策中央本部と各都道府県地方本部は、全ての候補者と政党に対して、自立支援法とともに聴覚障害者の参政権に関して、公開質問状を出すことにした。

ラビット 記

写真上)8/24NHKニュース10で放送された字幕
写真下)山形県のだだちゃ枝豆、甘みがあってすごく旨い!毎日食べたい!
050824_2148~001.jpg
27日の日経新聞社説に「IT選挙解禁に向け議論を深めよ」とある。候補者の政見や活動を伝えるのに、電子メールやブログを使えるようにすべきだとある。主要先進国でインターネットによる選挙運動を禁じているのは日本くらいだそうだ。
IT選挙になれば、障害者の参政権のバリアーが低くなる可能性がある。

ラビット 記


落語に字幕放送

2005年08月21日 17時42分28秒 | 生活

050821_1318~001.jpgNHKは落語に字幕を付けて放送していた。声の出るコンマ何秒か前に字幕が出ているので、生放送ではない。夜には、日本テレビで「笑点」でも字幕放送をやっていた。これも録画だ。
落語に字幕が付くとよくわかる。映像と字幕のタイミングが合うのも分かりやすい理由だ。

民放の字幕制作には多くの補助金が使われているのに、見られる人が少ないのではもったいない。
字幕放送を見るには字幕放送対応テレビかアダプターが必要だ。家庭の普通のテレビで字幕放送対応のテレビは少ない。しかもそのテレビは地上波デジタル対応で十数万円もする。我が家も字幕放送内蔵テレビが寿命になったが買えないので、インターネットオークションで旧型の字幕放送テレビを求めたくらいだ。
字幕放送の見られるテレビを供給してこなかったテレビメーカーの責任は重いと言わざるを得ない。こういうと、かつては字幕放送対応テレビを発売していたが売れなかったとか、地上波デジタル放送のテレビは標準規格で字幕放送対応になっていると言う。
普通のテレビより数万円高いのでは誰も買わないのは当たり前だ。アメリカのように、全部のテレビを字幕放送対応にすれば良かったのだ。
地上波放送のデジタル化のスケジュールがあっても、テレビを買い替えることが出来ない人はどうなるのか、2011年までに地上波デジタル放送が全国で見られるようになるのか不透明だ。これは、デジタルデバイドそのものだ。郵政カイカクより、こっちの方が重要だ。

国がきちんと指導すべきだが、国の管轄も放送は総務省で、テレビ機器は経済産業省と分かれていることも原因ではないか。

ラビット 記





散髪屋のバリアフリー(2)

2005年08月21日 14時47分49秒 | 生活

050821_1334~001.jpg近所の散髪屋で半世紀の人生で初めての体験をした。
それは補聴器をしたままだったので、床屋さんと初めて会話できたのだ。
「指一本くらいに短く刈って下さい」
「すごく短いよ、一本半くらいでいいのではないの」
「それでお願いします」
耳元で、ハサミが紙を切る音が聞こえる。チョキチョキかと思っていたが、ジョキジョキに聞こえた。他の客が帰る時のありがとうございましたというのも聞こえる。
後頭部をチェックするのに、
「眼鏡いる?」
「要ります、要ります」
音楽は流れていなかった。テレビの音ではない何かが聞こえるがわからない。隣接しているスーパーの放送のようでもある。
途中で、洗髪するので補聴器を預けたら、タオルでくるんで受け取っていた。他にも補聴器を使う客がいるんだろう。

子供の頃、昼時前に入った床屋のおばさんが何か言ったがわからないまま、少年サンデーかを読んで待っていたがなかなか出てこない。待ちくたびれて、帰ってしまったことがあった。後で、母が聞いたのだが、お昼食べてしまうから待っててねと言われたのだ。子供の頃から、聞こえなくてわからない時、聞くことも出来ないままに育ってしまった。自分が難聴であることを行きつけの床屋さんは知っていたと思うが、伝えるすべは知らなかったのかもしれない。

foreighners昨日は、K線で乗り換えに困っている外人カップルがいたので、手に持っていた新聞の余白に、どこに行くのですか、H駅なら乗り換えですよと書いてみせたら、車内の路線図の駅を示す。「OK」(この電車でOKです)と言うと「Thank you、ありがとうございます」だって。聞こえなくてもコミュニケーションする方法を知っていればよいのだ。若い女性の笑顔がまぶしかったな。

地域生活におけるノーマライゼーションの必要性と効果を感じたことだった。

ラビット 記



教育における要約筆記の専門性

2005年08月21日 11時55分16秒 | 生活

bansyo2教育、それも大学などの高等教育機関だけではなく、小学校、中学校、高校などに要約筆記のボランティアが増えている。

教育における要約筆記は、社会一般における情報保障と一緒に論じることは出来ない。なぜならば、教育に責任を持つのは第一義的に市町村などの自治体であり、教育機関だ。その上で、授業、講義は教師の責任で行われていることだ。
教師は、要約筆記を主体的に、授業の獲得目標に沿って、使っていかなければならない。要約筆記者は、教室で教師の話すことを聞いて要約筆記するのに、教師からそのことを指導を受ける必要がある。
しかし、現実には難聴の児童、学生のいる授業の場に、要約筆記者が行って、書いているだけのように思われるが違うだろうか。授業は、小、中、高校、大学と学校教育のどの過程であれ、教師はその単元ごとにその教育目標と獲得目標を立て、授業の流れを組み立て、その時に使う教材や副教材を用意している。授業の中でどういう冗談というのか、時事問題などを話すにしても、教育効果を考えている。
教師が、難聴の児童、学生にそれを理解させるために、要約筆記が使わうのでなければならない。自分が話したことは後はどう書こうとお任せではない。
教師は、自分が話したことがどのように要約されるのか、どういう言葉を使って伝えられているのかまで責任を持たなければならない。要約筆記は自分の言ったことと逐一正確に全部書いてもらえれば良いと考えているならば、要約筆記は授業に導入してはいけない。
要約筆記者は、授業の中で教師が話していることの意味、何を理解させようとして話しているのかを理解していなければ、その言葉を要約できないだろう。教師が言った冗談で皆が笑った時、それを書きたい時でも書かない判断も必要だろう。書くのならば、事前に教師と打ち合わせが必要である。

教師が単元の獲得目標をどう説明し、要約筆記者が何を理解すれば良いのかについて、コーディネーターが必要である。
教育の要約筆記にも専門性が求められている。この専門性の確立があって初めて、教育における難聴児童、学生の権利が保障されるのではないか。

教師の経験のある要約筆記者の方の意見を聞きたい。

ラビット 記

上)全難聴で要約筆記通訳のカリキュラムの検討が行われている。
下)ヘルシンキの夏は、さやえんどうとトマト。皆、街中で生のまま食べている。昨年の7月の国際難聴者会議に行った時の写真。

helsinkitomato


テレビ機能付きパソコン

2005年08月20日 16時18分25秒 | 生活

050820_1338~001.jpg>昨日の日経に新型パソコンが発売当初より15%も安く販売されている、15インチ型のテレビ機能付きパソコンが15万円台で買えるとある。

アメリカには、13インチ以上のテレビは字幕を表示する回路の内蔵を義務付ける字幕回路法がある。当然、パソコンのテレビにも字幕が見られる回路が付いている。
日本はパソコン売り場で、テレビ機能付きパソコンやテレビ録画機能のあるアダプターも花盛りだが、何にも規制されていない。N社のだけ、字幕付きで見られる。

この日本とアメリカの差は何だろうか。アメリカは法律で義務つけられており、日本のメーカーはアメリカにテレビを集中豪雨のように出荷している。もちろん、字幕回路内蔵で。
テレビメーカーにいわせると字幕対応はコストアップになって、韓国や台湾製テレビメーカーとの競争で1円単位でコストダウンしているから、競争に負けると。とても本音とは思えない。
日本のテレビの年間販売台数は1千万台を越えるので、全部のメーカーが対応すればコスト競争にはならない。
日本では、何十万円もする地上波デジタル対応のハイビジョン対応プラズマテレビや液晶テレビが店頭で幅をきかしているが、高齢になって難聴で聞きにくい人への対応をうたった販売店を見たことがない。これだけ高齢者がいて、聞こえに不自由しているのに、信じられない。中国など海外テレビメーカーに音声強調、磁気ループ対応、字幕放送付きテレビで参入を呼びかけるしかないのか。
日本でも、テレビ放送受信機バリアフリー規格義務付け法が必要だ。

ラビット 記


会社の借りているたんぼは稲穂が風に揺れている。050820_1410~001.jpg

アイドリングストップ

2005年08月19日 20時03分51秒 | 生活

050819_1259~001.jpg勤務先では環境保護のため、アイドリングストップ運動をしている。
住宅地にある工場なので、住民にも配慮しなければならない。熱帯夜で大型トラックが冷房のためアイドリングするのでさえ法律で禁じられている。

これは、すごいことだ。目に見えないものに対して、しかも効果がすぐにあらわれない問題について、国家が権力を行使している。著作権法だって、カラオケ店が違法に音楽を提供していれば、警察が飛んでくる。

しかし、目の前にいる難聴者が選挙の政見放送が聞こえなくても、誰も罰せられない。参政権という基本的人権が侵害されているのに。障害者基本法の他に、障害者差別禁止法を求める所以だ。

障害者の自立どころか、生命さえ奪いかねない障害者自立支援法があれだけの批判を浴びて、またそのまま提出してくると言う。普通は廃案になったのだから、1年やそこらじっくりと構えて審議したら良いのだ。支援費制度の矛盾が吹き出して、社会保障審議会の障害部会で地域生活支援の在り方について検討していた時に、いきなり「グランドデザイン」が発表されて、十分な説明も質疑もないまま、また急に「障害者自立支援法」が出された。
国が焦って出した法律に、国民の利益になるものは少ない。

ラビット 記




聴くことと聞こえることの重要性

2005年08月18日 23時53分31秒 | PHSから

拡声器.jpg今朝の朝日新聞のコラムに、ガンと闘うために自分は治る、自分は他の人のために生きているということを声に出して言うようにしているという話が載っていた。自分に聞こえるように話すとそれがすごく不可能と思われることが実現する自信になるということを強調されていた。
このことは、私が開発中の拡声器で自分の声がはっきり聞こえた時に似たようなことを感じていた。
自分の声が明瞭に聞こえることは話していることが頭に本当に入るのだ。
ああ、これだ。自分の声が聞こえるというのはそういうことかとおもわず手をたたきそうになったほどだ。
自分の声が聞こえない=分からないるというのは難聴者はとても大きなハンディだ。

実は、難聴者は補聴器を使っていても自分の声は良く聞こえていない。自分の声を聞こうとすると他の音や人の声が大きすぎるか小さすぎるかして聞こえないのだ。普通の人は自分で発声した場合は、外耳道を通じて鼓膜に届く音と頭の中を通じて伝わる音を聞いている。
補聴器を通じて聞くと空気中を通じて聞こえる音だけだ。

ラビット 記




生放送の字幕

2005年08月17日 20時42分27秒 | 福祉サービス

050816_2004~001.jpg050816_1945~001.jpg昨日はNHKの「懐かしのメロディ」を字幕放送で見た。これは生放送だったが、字幕が出ていた。
生放送の字幕制作方式は三つある。ひとつは、コンピューターによる音声認識方式だ。基本的に入力された言葉を蓄積された音声データベースから探してマッチングするので、新しい言葉はお手上げになる。
二つ目は、オペレーターが聞いて入力する方式だ。速記技術を用いた方式だ。聞こえた言葉をそのまま入力する。
三つ目は、オペレーターが入力するが普通のキー入力を用いる。連携入力することが多い。

どの字幕制作方式も音声をそのまま文字に置き換える技術として、発展している。テレビ画面は映像というとても情報量の大きなものがあるので、さらに多量の文字を付加することが、聞こえない人に対する情報保障になるのかを考える必要がある。話された言葉が文字化された場合も理解できる文章かどうかという問題もある。

ラビット 記