要約筆記は、話されている最中に話し言葉の意味を要約筆記者が理解し、それを話しの最中に難聴者等が話し手の言いたいことを理解できる言葉ととして、文字で伝える。そのために、その場ですぐに理解できるように話し手の意図の発露の一つとしての言葉を要約して文字化する。
「要約して」は「話し言葉を理解しやすくするために短い言葉で表現する」、「意訳」に近い。
話し手の意図は言葉のオンの連なりを全て文字に置き換えることで伝えられると言うのは、言葉によるコミュニケーションで言葉そのものが持つ情報はかなり低いだろう。その言葉の中でも、声の調子、抑揚、間の取り方等を除いたオンだけになるとさらに情報は少ない。
オンをそのまま文字化することで、受信者に話し手の意図が伝えられるというのは受信側の負担を考えていない考えだ。
テレビのニュースのリアルタイムの字幕は特別な話題の「話された言葉」をそのまま文字にしている(音声認識やスピードワープロの場合)。また、双方向のコミュニケーションは出来ないので期待せずに言葉が発されるという特徴がある。アナウンサーがしゃべる場合は、原稿に基づいて話すので話されているが元は書き言葉だ。
1分間270字から300字くらい話されている言葉の文字を2行ないし3行の字幕を目で追うのは相当疲れる。映像や他の文字情報等を見るゆとりは少ない。
このためテレビの字幕は、受信者側の負担を考えて、一定の時間表示することが相当前からマニュアル化されている。そのために、話された言葉の語尾が丁寧語等が普通体になっていたりする。
要約筆記に対して、今でも「情報量が少ない」、「出来るだけ書いて」、「あれも落ちている、これも落ちている」と言う人は難聴者にもいる。その人たちは手話を解したり、補聴器などで聞こえる人で、それぞれのコミュニケーション方法で得られない、得られなかった部分を要約筆記に補完的に求めようとしているのだろう。その
手話も話された言葉、あるいはオンを受け止められるように口型の付いた表現が多い。かっては自分もそうだった。
その場合、常に表記された文字全部を読んでいる訳ではない。通常は手話や補聴器で聞いていて、不明のところを文字で確認するために部分的に読む。
手話や補聴器でコミュニケーションする難聴者等が把握しきれなかった言葉を要約筆記に求めようとする気持ちは分かる。当然だ。
しかし、そのことを要約筆記に求めてはいけない。
それは、要約筆記は読む人に負担を出来るだけ少なく、話し手の意図を文字で伝えるために、話された言葉の意味を文字で伝えるもので話された言葉のオンを再現するものではないからだ。
難聴者等のコミュニケーション支援は、要約筆記と別に音声の即時文字化、リアルタイム・キャプショニング(RC)の支援が必要だ。この二つは違う機能なので同時には出来ない。RCの技術には、高速日本語入力キーボードを使った速記や音声認識技術等がある。パソコン要約筆記といっている中にもこのRCに近いものがある。
難聴者等は自らのコミュニケーションがどういう方法で行っているのかを考え、その支援方法を考える必要がある。
ラビット 記