難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

私の人工内耳と母と自立

2007年12月02日 12時06分41秒 | 生活
071202_1119~001.jpg071202_1111~001.jpg母の入所した複合型福祉マンション「藤の花」の「一番館」に初めて行ってきた。
受付でお目にかかった丁寧な応対をされた上品な物腰の方が理事長さんかも知れない。職員の方も良い応対をされている。
http://www.cityfujisawa.ne.jp/~npo-fuji/


難聴である自分はいろいろな意味で影響を受けている。
幼少時は妹と弟が今でも母は兄にかかりきりで自分たちはかまってもらえなかったというくらい、いろいろしてくれたようだ。
耳鼻科の病院通いから小学校の夏休みの宿題まで見てくれたくらいしか覚えていない。
父の逝去後の母は弟たちに任せっぱなしで申し訳ないと思うが、その理由を聞かれても今は仕方がないとしか言えない。


母が父の残した年金と遺産で介護を受けながら暮らし始めた今、難聴の自分も母との関係に区切りを付ける必要もあった。
私を難聴にしてしまったことをずっと気にしていた母が自立を始めたのだから、自分も自立に踏み切らないとならないということだ。

人工内耳の手術をする直前に、京都の人工内耳装用者が聞こえるようになって、しんどいことがあっても苦にならなくなったと言われたのが印象に残っている。
なるほどこう考えると皆が言う「第二の第三の人生の始まり」という意味が分かる。


明後日は人工内耳の音入れだ。


ラビット 記

写真はグループ藤の花の「一番館」