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主観メモ
その1
主観
《subject》
1 ラテン語のsubjectum(下に置かれたもの)に由来し、スコラ哲学以来、18世紀ごろまでは性質・状態・作用を担う基体を意味した。近世以後は認識し行為する人間存在の中心である自我をいう。特にカントでは、先験的意識としての主観が設定された。⇔客観。→主体
2 その人ひとりのものの見方。「できるだけ―を排して評価する」⇔客観。
hasutama
語源に、下に置かれたものという意味があったのは興味深い
お皿のように上に何かのせる容器
性質・状態・作用をのせる
その2
kotobank
しゅかん【主観】
対象について認識・行為・評価などを行う意識のはたらき,またそのはたらきをなす者。通例,個別的な心理学的自我と同一視されるが,カントの認識論では個別的内容を超えた超個人的な形式としての主観(超越論的主観)を考え,これが客観的認識を可能にするとする。 → 主体
自分ひとりだけの考え。 「 -だけで言うのは困る」 「それは君の-だ」
客観 〔西周(にしあまね)訳「心理学」(1878年)に英語 subject の訳語として載る〕
hasutama
『通例,個別的な心理学的自我と同一視されるが,カントの認識論では個別的内容を超えた超個人的な形式としての主観(超越論的主観)を考え,これが客観的認識を可能にするとする。』
今まで、主観とは自我と同じようなものと漠然と思っていた
カント
『先験的意識としての主観』
『個別的内容を超えた超個人的な形式としての主観(超越論的主観)』
シュタイナーが言う主観は
スコラ哲学以来の、語源に近い意味合いだが
カント的に超個人的となる条件として
お皿の上に思考という働きが乗っていることをはっきりさせたのだ
思考という働きが意識のお皿に乗っている時にのみ、人間の意識は能動的な行為者、創造者となり、その時の意識を主観、主体ということができる
wiki の『主体と客体』
↑
なかなか面白い
ついでに見つけたけど難しい
カントの主観、自我に対する考えが解りそうな論文↓
'先験的意識としての主観'
主観メモ
その1
主観
《subject》
1 ラテン語のsubjectum(下に置かれたもの)に由来し、スコラ哲学以来、18世紀ごろまでは性質・状態・作用を担う基体を意味した。近世以後は認識し行為する人間存在の中心である自我をいう。特にカントでは、先験的意識としての主観が設定された。⇔客観。→主体
2 その人ひとりのものの見方。「できるだけ―を排して評価する」⇔客観。
hasutama
語源に、下に置かれたものという意味があったのは興味深い
お皿のように上に何かのせる容器
性質・状態・作用をのせる
その2
kotobank
しゅかん【主観】
対象について認識・行為・評価などを行う意識のはたらき,またそのはたらきをなす者。通例,個別的な心理学的自我と同一視されるが,カントの認識論では個別的内容を超えた超個人的な形式としての主観(超越論的主観)を考え,これが客観的認識を可能にするとする。 → 主体
自分ひとりだけの考え。 「 -だけで言うのは困る」 「それは君の-だ」
客観 〔西周(にしあまね)訳「心理学」(1878年)に英語 subject の訳語として載る〕
hasutama
『通例,個別的な心理学的自我と同一視されるが,カントの認識論では個別的内容を超えた超個人的な形式としての主観(超越論的主観)を考え,これが客観的認識を可能にするとする。』
今まで、主観とは自我と同じようなものと漠然と思っていた
カント
『先験的意識としての主観』
『個別的内容を超えた超個人的な形式としての主観(超越論的主観)』
シュタイナーが言う主観は
スコラ哲学以来の、語源に近い意味合いだが
カント的に超個人的となる条件として
お皿の上に思考という働きが乗っていることをはっきりさせたのだ
思考という働きが意識のお皿に乗っている時にのみ、人間の意識は能動的な行為者、創造者となり、その時の意識を主観、主体ということができる
wiki の『主体と客体』
↑
なかなか面白い
ついでに見つけたけど難しい
カントの主観、自我に対する考えが解りそうな論文↓
'先験的意識としての主観'
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