「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

思考さんのこと

2014-12-18 18:52:57 | 第4章 知覚内容としての世界
なんかひっかかっていて読み進められなくて、なんなのかなー?と思いつつだらだらとしていた

それで今日少し思いつくことがあったのでメモする

ヒントは汎神論である

最初から気になっていたのだけど、シュタイナーの言葉の使い方で、非常に重要なところで、内容的には動詞的な言葉を主語として使うってどういうこと?という疑問がある

四章でも、思考は思考はと繰り返され、まるで思考のほうが人間よりも主体性があるような言い方
しまいには、人間が主観となることが出来るのは思考の恩寵だとか

思考って、単に人間の行為じゃなかったの?
人間の意識は思考と知覚内容が出会う舞台でしかなく、人間が考えるということは、その舞台に思考さんが舞い降りて、観察内容に応じた演目を披露してくれるということなのだろうか?

人間がもしいなかったとしても、思考さんのほうは独立して存在していらっしゃるの?

人間の行為は、人間だけのものではないのだろうか?

人間と、思考さんとのコラボ

行為とは、人間と目に見えない作用力との出会いによって成り立つ

シュタイナーの文を読んでいるとそんな気がしてくる

それで思い出すのは、ホーメロスのイリアスである
オリンポスの神々の世界と人間界は相関関係にあり、人間界での出来事には神界の事情が反映している

ギリシア思想の復興の流れ
その中にシュタイナー思想もある
そうどこかで読んだ気がする

イデア界
人間界に関与する神々の作用

まとまらないが、そう考えると腑に落ちるのである

もう少し詳しく調べたり考えたりしてみよう



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