「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

言葉では言い表わされえない

2014-08-02 14:17:24 | 第4章 知覚内容としての世界
「概念とは何であるかは、言葉では言い表わされ得ない。

言葉はただ、人間が概念を持っていることを人に注意させることができるだけにすぎない。」

なぜ、わざわざ、言葉では言い表わされ得ないと言うのだろう?

「人間が、概念を持っている」
この言い方も変な気がする
まあしかし、確かに、動物は概念を持っていないのだ
概念を持つという言い方、人間の機能が強調される気がするし、概念が装着物みたいな感じもする

「言葉はただ、注意をうながすことができるだけにすぎない」

ただ⚫︎⚫︎することが出来るだけにすぎない

という言い方は、随分と出来ないことを強調しすぎてはいないだろうか?
どうしてそこまで言葉さんを悪く言うの!?と、言葉に同情したくなるほどである

言葉といえば、そりゃー相当な奴なんじゃないか?
なにしろ「はじめに言葉ありき」から、ヨハネ福音書は始まっているのだ
にも関わらず、言葉なんかではダメと言うのなら、世界のはじめよりも、さらにさかのぼろうとでも言うのであるか?
概念は、いったいどこにあるのだ
しかもそれを、人間が持っているのだとは!(笑)

持っているのに使い方がわからない、すごいもの
いったいどうすればいいの?

そんな気がしてくるではないか

てことは…つまり、
シュタイナーとしては思うところがあるのだ

実はまだ色々、概念に関して出来ることがあるのだけど、それは言葉によって行なうことは出来ないからねー

でもそれって、すごく面白いのだけどね!
言葉じゃダメなの

まるで、そう言ってじらされているようである

では、何によってならそれが可能なのよ!?

人間が、持っている
概念というもの

言葉によって指し示された、そのワールド

何によって、そこに赴くというのか!?

つづく














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