「知性的把握」(noein)をする我々自身は、生きている我々自身の外に出る
↑プラトン イデア論のまとめより
思考を思考するときは、通常の場所から移動する
というシュタイナー
この意味が不明だった
この二つに共通性はあるか?
生きている我々自身は、カントが物自体に至ることは出来ないと言った時空の中にいる
この時空は普段私が肉体を持って生きている場
外へ出る、移動するというのは、時空ではない場を想定して言っているのだろう
その、我々が生きている場ではない場は、どのようなものなのか
肉体的には生きていない場は、死者の場と言ってもいいのだろうか
そちらの場から考えれば、私たちがその中に「入る」と表現できる
外から眺める時と、中にいる時とでは、状況はまったく異なっているのではないだろうか
変な例えだが、お風呂を外から見ている時と、入っている時では、私自身が違っているのである
その中にいる時の私は、どんな状態なのだろう?
なんだか…哲学って、幾何学とか、数学に似ている
↑プラトン イデア論のまとめより
思考を思考するときは、通常の場所から移動する
というシュタイナー
この意味が不明だった
この二つに共通性はあるか?
生きている我々自身は、カントが物自体に至ることは出来ないと言った時空の中にいる
この時空は普段私が肉体を持って生きている場
外へ出る、移動するというのは、時空ではない場を想定して言っているのだろう
その、我々が生きている場ではない場は、どのようなものなのか
肉体的には生きていない場は、死者の場と言ってもいいのだろうか
そちらの場から考えれば、私たちがその中に「入る」と表現できる
外から眺める時と、中にいる時とでは、状況はまったく異なっているのではないだろうか
変な例えだが、お風呂を外から見ている時と、入っている時では、私自身が違っているのである
その中にいる時の私は、どんな状態なのだろう?
なんだか…哲学って、幾何学とか、数学に似ている