誰でも思考を観察できるようになるが、それができた人にとっては、
この自分自身の思考の観察が
あらゆる観察の中で一番重要なものとなる
その理由
自分自身が生み出したものを観察する
=
自分自身がやったことだから、よくわかる
=
観察対象となる思考の生成過程や、生成の状況、観察したもの同士の関係性、全て見通すことが出来る
「自分の思考の観察」の場
=
世界に存在する他の全ての現象をも、この地点において解明することが出来るに違いない
そう期待できるような、「確かな基盤となる地点」である
あるものが存在する
それがどのような意味合いで存在するか?は、規定出来ない
存在の意味を、存在そのものから汲み取れないなら、それが確かなものとは言えない
存在の意味を存在そのものから知ることが出来るようなものは、
自身の思考以外にはない
他の事物は、思考と同じあり方をしているのか?
結構強引に話を進めるシュタイナー氏である
自分が生み出したもので中身も知ってるし、同じ素材どうしだから、だからこれが世界を解明する支点だし、それをゲットしたのだと言う
「存在の意味を存在そのものから知る」
他のものも同じ在り方しているの?
わかる気もするし、なんか納得行かない気もする
これをもって彼は、序文で述べたZwei Wurzelfagenのうちの一つめの問いである、人間はその本質の中に、世界を解明しうる可能性を持っているのか?に、答えたことにするのだろうか?
世界を支えるてこの支点は、思考による思考の場であるということにするのか
それで大丈夫なの?ルディおじさま?
ちょっと心配になる
おまけFoto
母に教わりながら、娘の馬術大会用ブレザー作りにチャレンジ
この自分自身の思考の観察が
あらゆる観察の中で一番重要なものとなる
その理由
自分自身が生み出したものを観察する
=
自分自身がやったことだから、よくわかる
=
観察対象となる思考の生成過程や、生成の状況、観察したもの同士の関係性、全て見通すことが出来る
「自分の思考の観察」の場
=
世界に存在する他の全ての現象をも、この地点において解明することが出来るに違いない
そう期待できるような、「確かな基盤となる地点」である
あるものが存在する
それがどのような意味合いで存在するか?は、規定出来ない
存在の意味を、存在そのものから汲み取れないなら、それが確かなものとは言えない
存在の意味を存在そのものから知ることが出来るようなものは、
自身の思考以外にはない
他の事物は、思考と同じあり方をしているのか?
結構強引に話を進めるシュタイナー氏である
自分が生み出したもので中身も知ってるし、同じ素材どうしだから、だからこれが世界を解明する支点だし、それをゲットしたのだと言う
「存在の意味を存在そのものから知る」
他のものも同じ在り方しているの?
わかる気もするし、なんか納得行かない気もする
これをもって彼は、序文で述べたZwei Wurzelfagenのうちの一つめの問いである、人間はその本質の中に、世界を解明しうる可能性を持っているのか?に、答えたことにするのだろうか?
世界を支えるてこの支点は、思考による思考の場であるということにするのか
それで大丈夫なの?ルディおじさま?
ちょっと心配になる
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