「自由の哲学」ノート

その日開いたページ、浮かんだイメージを大切に、読んでいきます。

唯一者とその所有 メモ 第一編/人間編 旧時代と新時代の人々 古代人

2013-08-29 21:17:28 | 「唯一者とその所有 」シュティルナー
かくして古代は物の世界、世界の秩序、全体としての世界とともに終結する。

しかし世界の秩序、或いはこの世の物には単に自然が付属するばかりではなく、人間が自然によって置かれて彼自身を見る、あらゆる関係、例えば、家族、社会…約言すれば、いわゆる「自然の羈絆(きはん)」が属する。

精神の世界と共に基督教がそれから始まる。

今なお武装して世界に面する人は古代人、…異教徒(その階級に猶太人も亦、非基督教人として、属する)

…である。

自分の「心の楽しみ」自分の興味、自分の同情、自分の…精神以外の何者によっても指導されない人間は近代人、基督教者である。


古代人が世界の征服に向かって働き、そして人間を他の物との関係の重い桎梏から解放することに努力した如く、遂に彼らは又国家の滅亡と全ての個人的の物に重きを置くようになって来た。

勿論社会、家族等は、自然関係として、自分の精神的自由を減少する厄介な障害である。

唯一者とその所有 メモ 第一編/人間編 人生

2013-08-29 19:53:55 | 「唯一者とその所有 」シュティルナー
自分が全ての物の裏面に自己を発見し、そしてそれを心として発見するように自分は後に至って思想の背後に自己を発見しなければならない。

即ち、思想の創造者若しくは所有者としてである。

精神時代に於いて、思想は自分の頭をそれ等が乗り越えるまで成長した。

しかし、その思想というのも元来その頭から生まれた子供なのである。

それ等が自分の周囲にさまようて熱病の幻影のように自分を痙攣さした。

……恐ろしい力である。


それ等の思想はかれ等自身のために具体的になり、神、皇帝、ローマ法皇、祖国などというような幽霊になった。
もし自分がかれ等の具体化を破壊するなら、その時自分はかれ等を自身のうちに取り返して、「自分のみが具体的だ」ということが出来るのである。

そして自分は世界をそのあるがままに自分に取る、自分のものとして、自身の所有として、自分は全てのものを自分に帰する。


もし自分が一個の精神として、最も深い侮蔑をもってこの世界を投げ捨てるなら、自分はまた所有者として種々なる精神や観念をかれ等の「空虚」に投げ捨てる。かれ等は最早自身の上に何等の力を持たない、「地上の力」が精神に対して何等の力を持たないように。